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2.パーソニアン・クライシス
パーソンズの危機は、アメリカ社会では、少なくとも2度あった。最初は50年代のD.リースマンらの新しい社会現象(豊かな大衆消費社会やマスメディア社会)にかんする研究とC.W.ミルズによる直接的なパーソンズ批判である。ミルズの『社会学的想像力』は、パーソンズが社会学的勢力を誇り始めた時期に真正面から批判を投じた最初のものであった。その機能主義批判は、モダンの価値をそのまま支持するパーソンズへの疑問の提示であり、「社会学者には新しい社会を構想する社会学的想像力こそが大事で、現状の社会システムを正当化するような理論は価値がない」という、構造機能主義へのイデオロギー批判であった。これは、それなりにもっともであり、社会学者には新しいヴィジョンを描く社会学的想像力が必要である、という主張も、それなりに意味のあるものではあった。しかしだからといって、このような批判は、パーソンズの野心的な試みである『社会学の総合理論をめざす』という意欲を失わせるものにはならなかった。パーソンズにとって、「それはそれ、これはこれ」であり、同時に「いまこそ近代産業社会の総合理論の体系化をしなければならないし、それができるのは自分しかいない」という自負があったはずである。パーソンズは、近代産業社会を社会システムとして解明することに歴史的な使命感を抱いていたはずである。したがって、50年代のアメリカ社会に、大衆社会とか消費社会といった新しい社会傾向が発生し、近代産業社会の基本特性を浸食するような社会現象が生起しはじめても、パーソンズは、それらはまだマイナーな社会現象にすぎない、という認識を優先させざるをえなかったのだろう。社会構造として近代産業社会の全体像を理論化しようとするかぎり、ミルズのイデオロギー批判にもまたリースマンらの新しい社会現象の研究にも十分な配慮をする必要性を認めたくなかったのだろう。というよりも、まだまだ時代そのものがパーソンズの社会システム論を擁護していたし、その総合化を期待していたはずだ、といったらパーソンズをあまりにも擁護しすぎだろうか。
当時パーソンズは、近代産業社会のシステムにかんしてAGILモデルを核にして、その全体像をほぼ完成させていた。経済・政治・社会・文化(核家族)といった社会モデルばかりでなく、生理(身体)・個人(パーソナリティ)・関係(相互作用)・価値(正当性)といった行為モデルにかんしても、その全体的なイメージを確定し、さらに進化論の視点から近代産業社会までの歴史的展開を完成させることで、モダンという語るべきすべてにかんして、ほぼ言い尽くしていた。学説史的には、パーソンズは、近代社会学の先導者であるウェーバー(行為論)とジンメル(関係論)とデュルケーム(制度論)の視点をすべて統合することで、近代社会学=構造機能主義社会学を集大成していた。それが70年代のパーソンズであった。50年代からの20年間で、パーソンズは、近代を語ったすべての知識遺産を、社会学ばかりでなく、フロイトなどの他のモダンの専門家=知識人の知識をも吸収し、それらを大胆に統合することで、「近代産業社会とは何であるか」を機能主義の立場から語り、その壮大な理論体系を提示した。
このようなグランドセオリーにたいして、グールドナーが反発し、新しい社会学の可能性に挑戦するためには、まずは破壊しかない、と考えたことは、今からすれば分からないでもない。執拗なまでのパーソンズ批判には、その呪縛から解放されるには、まずは自分をも含めて機能主義の権化であるパーソンズにたいする徹底した批判しか、戦略論としてはありえなかったのであろう。
しかも時代もグールドナーに味方していた。70年代のアメリカは、すでに十分なまでに「豊かな社会」であり、その豊かさをどう表現すればよいのか、が社会的なテーマになっていた。豊かさをいかに獲得するか、という機能主義が得意とする目的論的な発想はすでに時代の潮流からズレつつあった。このような新しい流れはすでに50年代のはじめからあった。豊かな社会におけるさまざまな社会問題、たとえば都市での孤独、レジャーの大衆化、新しい情報メディアの登場といったサブテーマが、豊かな社会との関連で、近代産業社会の構造を壊しつつあった。そのような時代の変動にたいして、あたかもそれを無視するかのようにパーソンズが70年代になっても依然として近代産業社会の構造にこだわり、その解明にすべての精力を注ぎ、またそればかりでなく、社会学の流れをもそこに誘導していったとき、その社会学の流れと時代状況のズレに、多くのパーソニアンが敏感にならざるをえなくなったのも、当然のことであった。時代はますますモダンから距離をとっていくのに、パーソンズはそのモダンの理論化に心血を注ぐ。敏感なフォロアーほど、時代と理論のズレにある種の苛立ちを感じざるをえなかったはずである。そのズレの頂点がグールドナーの批判であった。パーソンズが「モダンとはなにか」に機能主義から統合理論を完成させたとき、それはすでに批判の対象としての宿命を背負っていたのである。グールドナーにとっても、パーソンズ批判は歴史的使命であったのだろう。もしもグールドナーがしなかったならば、きっと別のパーソニアンがその使命を引き受けたはずである。
この第2の危機は、パーソニアンにとっては、どちらの流れにのればいいのか、その選択を迫られた点で、深刻に悩まざるをえない内的な危機であった。理論化の方向に適応してパーソニアンとして生きるか、それとも時代の流れにのってアンチ・パーソニアンとして生きるか、パーソニアンは踏み絵の前に躊躇せざるをえなかった。
しかしこのような危機は、日本社会ではまだリアリティのあるものではなかった。多くのことがアメリカの受け売りでしかない日本の社会学にとって、グールドナーの批判もひとつの知的な流行としてもてはやされたにすぎなかった。だから、その流行にのってアンチ・パーソニアンに変身しても、パーソニアンとして共有できる機能主義の多くのツールを放棄したとき、それに代替する新しい武器はまだどこにもなかった。流行がすぎたとき、かれらには何も残っていなかった。モダンのリアリティからすれば、日本社会では、第2の危機はさして問題ではなかった。70年代の日本社会は、まだ機能主義が似合っていた。
問題は、今からである。第3の危機が今からやってくる。それは、パーソニアンばかりでなく、パーソンズの思想と理論そのものにとっても最大の危機である。いままでは、時代もまだモダンに固執していた。だからパーソンズがターゲットに選ばれたのである。批判されるのは、パーソンズにその価値があったからである。しかし今迎えようとしている危機では、パーソンズは無視されるかもしれない。パーソンズが構想し統合してきたモダンのコンセプトそのものが意味を失うかもしれない。とすれば、その危機はパーソニアンにとって致命的であろう。パーソニアンである存在理由が喪失するのだから。
その危機は「豊かな社会と情報社会がクロスする社会」のヴィジョンにある。そのヴィジョンが社会的勢力をもち社会的に合意されるならば、いままでモダンを支えてきたすべてのコンセプトはその社会学的な価値と意味を喪失してしまうはずである。これが『社会学的想像力
ver.3』として語られるべき“パーソニアン・クライシス”である。パーソンズは死んだ。しかし誰が、どのようにして殺したのか、それが問題だ。
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