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5.パーソンズの死
誰がパーソンズを殺したのか。それは、モダンのリアリティである。パーソンズの機能主義理論はモダンを語るうえで最高の道具であった。コントからはじまった近代産業社会の新しい時代のイメージを、そしてウェーバー・ジンメル・デュルケームが行為と関係と制度の視点から明確にしてきたモダンのパーツを、パーソンズは、さらに経済学や心理学や精神分析など他領域のモダンのパーツをすべて包括して、壮大な社会学の総合理論を構築していった。その業績は20世紀そのものを代表する社会学者にふさわしいものであった。20世紀はモダンの輝かしい集大成の時代であり、それはパーソンズが構築してきた機能的な世界そのものである。パーソンズがはたした役割を考えると、ウェーバーやデュルケーム以上の、あるいは少なくとも同の同程度の評価があってもおかしくはない。にもかかわらず、今という時代は、遠い過去には優しいが、身近な過去には冷たい。パーソニアンでさえ、冷笑的な態度をとっていさえすれば、他からの視線に耐えられるかのような気でいる。
そうではないのだ。パーソンズは、モダンの最後をみとって、自らもそれに殉じたのである。パーソンズは、コント以来のモダンを語ってきたすべての社会学の伝統に決着をつけ、そしてそこに含まれるすべての社会学者、もちろんウェーバーもデュルケームも含んで、かれらに「モダンのリアリティとはこれだ」と機能主義の成果を誇示した。それは「モダンは、もう終りだ。目的はもう達成された。」と宣言したことと同じである。だからこのかぎりでは、パーソンズの死はウェーバーやデュルケームの死でもある。それほどパーソンズの死の意味は大きい。
豊かな社会と情報社会は、モダンのリアリティを喪失させ、そしてパーソンズを死に追い込んだ。しかしつぎのリアリティの模索がはじまったばかりで、新しい社会のヴィジョンはいまだ明確に描かれていないし、共有されてもいない。豊かさと情報の問題は、どのような社会であるべきなのか、どうあってほしいのか、たとえそこでのヴィジョンが合意されても、それを実現するための制度や政策そして戦略はどうすればよいのか。もちろんその萌芽は、50年代のアメリカに始まり、70年代の成熟期を経て、90年代を迎えている。しかし本格的な展開はこれからである。ひとつは、コンピュータをメタファとした『分有する世界』をいかにイメージできるか。もうひとつは、豊かさにかんしても、見栄(権力)=消費のゲームではなく、ゲームを超えたなにか、たとえばボランタリー活動のコミュニティのような『分有する世界』をいかにイメージできるか。21世紀に向けて、やっと世界が大きく動きだした。そして、20世紀の巨人タルコット・パーソンズは今やっとその歴史的使命を終えようとしている。
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