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1.メディアの中のジェンダー
「お母さんがポケベル持った」CMを見たことがあるだろうか? 家族が集まる食 卓で、父親が「これからはお母さんにも自由になってもらわないと」と言う。自由、この言葉の響きから彼女の想像は膨らむ。若い男性のテニスコーチとのどきどきのスキンシップ、ちょっと知的に博物館めぐりもいいわねぇ・・・
このCMが暗示していることは何だろうか?それは、メディアが女(この場合、母親)に装着されることで、女はいままで自明としていたジェンダーの規範(女はかくあるべき)から自由になる、ということである。もっと強くいえば、いままで拘束でしかなかった規範を一気に超越(トランス)させるパワーを、女は獲得した、ということである。新しいメディアは、既存のジェンダーの枠組みを組み替える力をもつ、という関係がここには暗示されている。
ジェンダーとはある種の規範装置である。それは生物学的性差であるセックスを生み出す(そして、その逆にそこから生み出される)装置としての文化的・社会的性差である。つまりセックスにまつわる社会文化的な価値・規範である。これが、ネットワーク環境を支える新しいメディアの登場によって、大きく変容する、と期待されるのである。ほんとう、だろうか。
ジェンダー論においても、その前身となっていたフェミニズムにおいても、既存の「メディア」は常に非難される存在であった。ここでのメディアはいうまでもなく「マス・メディア」である。確かにマス・メディアの時代において、男性はメディアの担い手であり、女性はメディアの受け手であった。男が作り、女はそれを消費するだけだった。
この機能的な関係は、日常世界での「男性が優位で女性が劣位にある」という既存の非対称的な勢力構造を確認させ、さらに強固なものにすることにおおいに貢献してきた。きれいな広告の中で、セクシーなポーズをとる若い女は、いかにも男に好かれる魅力にあふれた性的なおもちゃであった。女らしさは、こうやってマスメディアを通してしっかりと教育されていったのである。
しかし新しいネットワーク環境におけるメディアは、ジェンダーの関係性や意味に、マスメディアのそれとは違った可能性をもたらす。インタラクティブ、マルチメディア、リアルタイムアクセスという特徴をもち、グローバルなコミュニケーション(WWW)とローカルなコミュニケーション(電子メール、電子会議)を同時に可能にするインターネットや、パーソナル・メディアの中でも移動性とネットワーク性をもつ携帯電話・PHS・ポケベルといった携帯メディアの登場は、ジェンダーの関係を、その論理と現実の双方において大きな影響力をもたらす。
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