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4.オンナは、もう泣かない?
ジェンダーをめぐる権力関係は変わるのか。強い男と弱い女の関係は、ネットワーク環境が装置化されることで、新しい関係へと変容するのか。可能性としては、イエスである。
機能関係は、その関係が非対称的であることで、権力関係でもある、というフェミニズムの発言は、その通りである。だから、既存の男らしさと女らしさのロールプレイは、そのまま強い男と弱い女の権力関係である。怒る男と泣く女は、それぞれの演技において、役割関係以上に権力関係を体現している。その関係の社会的装置への反映が組織と家庭(核家族)である。組織は家庭と機能関係にあることで、組織は家庭を支配してきた。それは、生産が消費を支配してきた、ということである。
同時に、このような関係がすでに崩壊しつつある、という認識もすでに共有されつつある。消費が生産を誘導する、ということはマーケティングの世界では自明である。かつてのように、生産すれば何でも売れる、という貧しさの時代は終わった。またライフスタイルでみれば、若い層になるほど、女性が男性を誘導する傾向が高くなることは事実である(ただし現状では、それは結婚までの話であろうが)。だから、組織と家庭との権力関係では、まだ組織のパワーは温存されている。しかし組織と家庭を往来する男からみると、家庭における夫のパワーが以前と同様に維持されているという言明には異論があろう。大きな流れとしてみれば、生活上の豊かさの実現がこのような変容をもたらしている、ということは承認されてよかろう。それほど経済的な豊かさはジェンダーをめぐる権力関係を変容させる原動力になっていた。
それが、ここで新しいメディアとネットワークの環境整備によって、さらに新たな権力関係の変容をもたらそうとしている。組織がデジタル・アンビエンスを整備することでダイナミックに変化し、それとの対応で家族関係も変容しようとしているとき、これはジェンダーの権力関係を変える。もはや強いー弱いで、ジェンダーを規定することが意味を失う。男らしさと女らしさの機能関係がもっと融合することで、機能の非対称性がうみだす権力の付加価値はあきらかに後退し、そのことで、権力関係を正当化する根拠が失われる。
権力がその成立の基盤を失うことで、権力行使の強さ(物理的力の行使)でしか権力を維持できなくなるとき、権力は一過性のものとなり、構造としての権力関係は解消される。ここでは、ジェンダーは対等なパワーをもつものになり、女は泣くことで女らしさを演出できなくなるし、男は威張ることで男らしさに固執する必要がなくなる。新しいジェンダーの関係が期待されてくる。泣かない女と威張らな男が、強いー弱いという関係を超えて、自立しなおかつ相互に尊重しあうような関係が期待されるのである。
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