media & gender
with Fumika Sato
 
1. メディアの中のジェンダー
2. ロールプレイは、もはやかわらざるをえないのか?
3. 愛が、なくなる?
4. オンナは、もう泣かない?
5. ジェンダーのなかのメディア
5.ジェンダーのなかのメディア

メディアが変われば、ジェンダーが変わる。ネットワーク環境へと変化すると、それによって、ジェンダーの構造が根本的なところから大きく変化する可能性が大きいことを考えてきた。では実際に変化するのか、それはジェンダー、とくに今まで弱者であった女性が決断することである。泣く女も、単に泣くから虐げられていたということではない。弱者には、弱者で生きることで得た利得があったはずである。とくに若いとか美人であるという条件は、弱者であることで、他の女性へ差別のなかで得た利得が大きかったはずであるし、また弱者であることに甘んじていることの気楽さもあったろう。いまだ専業主婦へのあこがれがまだ強いという事実に、弱者の気楽さへの安住の意図は読み取れるはずである。

にもかかわらず、新しいジェンダー構造の変革に向けて挑戦するならば、その闘いを有利に展開するためにも、イデオロギー的な言明に終始するのではなく、新しいデジタル・アンビエンスを身体化させることが重要になろう。それなくしては、現実のジェンダー構造を変革することはできない。

しかもかつてならば、このジェンダーの闘いは、女性の男性への挑戦であり、女性の孤独な闘いであった。しかし今は、そのようなことはない。組織がはっきりとフラット化への方向をめざし、組織改革を実行している以上、その組織変革の担い手である男性にも、ジェンダーへの目覚めがあるはずである。組織の枠から飛び出し、家庭との融合を求めながら自分の仕事を模索するとき、男らしさだけでは、何ら創造的な仕事はできないことに気づくであろう。あきらかに、男も気づこうとしている。もはや、今までのように威張るだけでは何も進まないことを、また管理するだけでは、新しい発見ができないことを、すでに一部の男性も自覚している。この男たちはデジタル・アンビエンスを自己の身体に装着させることで、ジェンダー革命へ無意識の支持を表明している。そのことに気づかないだけなのである。きっといつか気づき、びっくりしながら、しかしその自分のすでに変化した姿に納得するだろう。その日は、もうすぐのような気がする。