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2010年05月23日

有効な無駄をソフトにセットする


今日、情報化社会について考える時、われわれはともすると、コンピュータによる無駄のない効率的な社会を考えがちである。これでは社会的緊張や機械的人間が増大していくのも当然である。真に情報化社会が志向するのは、いっさいの無駄をなくすのではなく、“有効な無駄”を常にソフトにセットすることである。

1969年に出版された、
林雄二郎 情報化社会 - ハードな社会からソフトな社会へ 講談社現代新書
の帯に書かれていることばである。

1967年、東京工業大学に社会工学科が新設される際に教授就任し、1971年、財団法人未来工学研究所所長を経て、1974年10月15日、トヨタ自動車が自動車事業創業四十周年を記念したトヨタ財団を設立。長男は元博報堂生活総合研究所所長の林光。そんな経歴も、なるほどと思う。

梅棹忠夫、小松左京、加藤秀俊、川添登らと未来学について議論を重ね、この本が書かれたそうだ。デザインの付加価値、レジャーの意義の変化など、的確に未来が予想されているように思う。というか、復刻される価値があるほど、この当時の問題意識は現在でもまったく解決されていないということでもある。この40年ぐらい、社会は進歩していないということなのだろうかとも思うが、一部では取り組まれていることもある。

それは、人が適切な選択をするための情報を素早くフィードバックすべき、ということである。

この選択的機能という言葉の示す通り、いわゆるポスト・インダストリアル・ソサイエティはすぐれた高度選択社会でなければならない。そしてそのためには責任と主体性がすべての人に明確になっていることが不可欠の条件となる。しかし、責任と主体性が明確になるためにはその前提条件としてすべての情報のフィード・バックが完全に保証されていなければならない。今日の社会をながめてみると一面では情報氾濫時代といわれる程多情報社会となっているにもかかわらず、それらの情報のフィード・バックの仕組みははなはだ不完全というよりもまったく欠いていることが多い。なるほどこれは無責任と付和雷同が横行するのも無理のないことである。それは必然的に社会の硬直性を促進する。

twitterが人力センサーネットワークだと考えれば、そのリアルタイム性の向上は眼を見張るべきだろうか。もしくは付和雷同だと考えるべきだろうか。
馬鹿とハサミは使い様?のように技術はニュートラルなものであると考えれば、答えは、どちらも正解、だろう。



2010年05月13日

サイバネティクスと直接性

建築雑誌 2010年2月号 の
鼎談 月尾嘉男・糸長浩司・日埜直彦 CatalogからDisciplineへ StewartBrandの展開を通して「全地球」を展望する 
を再読。

「自然と社会と工学が絡み合った多チャンネルのサイバネティクスというのは具体的に検討可能な問題設定という気がします」という日埜さんの言葉で締めくくられている。

神の視点からの全体の制御というよりは、さまさまなレベルで目標値の設定とフィードバックをしていけば、もうちょっとマシな地球になるんじゃないか。全体としてではなく、個々人や幾つかのスケールで:マルチスケールでということだろうか。

目標値やフィードバックがあると良いのは、勉強とか練習とかダイエットも同じ。そこにどうすれば直接性が生まれるだろうか。

生活の中に直接性を取り戻す

北山耕平さんの「雲のごとくリアルに 青雲編」の中で、ぐっときたところを。

● 15 「自分の生活の中に直接性を少しずつでも取り戻す」ためのマニュアル作りをはじめようではないか
(略)
十二月に書店に並んだ『宝島』の一九七五年一月号は「誌面一心大躍進号」と銘打たれていた。三十代以上向けの企画と、二十代や十代向けの企画が見事に色分けされており、それはまったくもって当時の状況—なんの?編集部の!—を見事に映し出した編集がなされていた。大特集は「シティボーイ宣言」というものだった。このコンセプトを提言したのは片岡義男さんだったが、企画をまとめるのはぼくに一任された。「どうしようもなく都市で生きなくてはならない」世代をはっきりと読者対象として絞り込む時代がきた、という認識が編集部に生まれつつあったことは間違いない。これはつまりぼくたちが新しい雑誌の読者の基盤を都市で育った人間にシフトするとはっきり認識した瞬間でもあった。

そのシティボーイ宣言は、都会の子であることを運命づけられた最初のぼくたちの世代を「直接性をあらかじめ喪失した都市生活者」と認識するところからはじまっている。宣言はこう書く。「ピーナツ・バターが農村の人のための保存食ではなく、都会の人たちのための消費物資となったとき、そこに都市が成立する。都市に住む人びとは、間接的な消費者なのだ。そしてこの間接性は、おカネが支えている」と。「おカネを支払えばたいていのものは手に入るが、ものごとの真実には直接手で触れることができない」そしてこの自覚にたって「自分の生活の中に直接性を少しずつでも取り戻す」ためのマニュアル作りをはじめようではないかと続く。
(略)
シティ・ボーイの特集は、「文明の終わり」「地球そのものの崩壊」という巨大な絶望を、いつでも視野の片隅に入れておくことを、おそらく日本のどのメディアよりもはやく、コマーシャルではない地点から訴えかける特集でもあった。「どう考えても、もう救いようなどのない文明のなかにとりこまれてしまっているぼくたちには、もはやなにものもない。そう思ってあたりをながめると、そこには、大量生産システムから送り出されてくる安価な商品がある。どうにでもなれといった、やけっぱちで、考えてみれば消極的な自己認識のうえにたつシティ・ボーイなのではなく、むしろ、ぼくたちにはすでに自然などというものはなく、システムの最末端としての商品しかないのであり、だからこそそのような末端商品を馬鹿にすることなく、ぼくたちシティ・ボーイはぼくたちの技術・思想をつくり出していかなければならないのだ。資本主義とは、ものを買うことによって成りたっている社会なのだから、それをいつのまにか買わされていたシティ・ボーイが、あるとき目覚めると、世界は音をたてて一変する」(『宝島』シティボーイ宣言・一九七五年一月号より抜粋)

未完 という文字で終るこの本では、その後にカタログ的雑誌の代表のような「POPEYE」や「BE-PAL」の創刊にも関わり、アメリカ先住民族の老人“ローリング・サンダー”と出会っていく北山さんの長い長い話の序章である。

「どうしようもなく都市に出ていかなくてはならない」世代の葛藤を描いたのが、安部公房などの小説であるとすれば、「どうしようもなく都市で生きなくてはならない」世代を経て、平野啓一郎「決壊」や「ドーン」や東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」が「どうしようもなくネットに生きなくてはならない」世代の葛藤を描いていると言えるだろうか。

「自分の生活の中に直接性を取り戻す」意識の高まりは、自分で食物を作る、自分で仕事をつくる、自分でネットサービスを作る。いろいろな方法がある。
間接性に翻弄されていると気づいて少しでも自分の生活の中で自分で舵取りをしている部分を増やすというのは、自己効力感を増すだろうし、大げさかもしれないけれど「生きている」と感じることが増えるだろう。たとえ、どう考えても、もう救いようなどのない文明のなかにとりこまれてしまっているとしても。

イリイチのコンヴィヴィアリティのための道具、西村さんの自分の仕事をつくる、北山さんの自然のレッスン、BE-PAL。安部公房、平野さん、東さん。と本を並べてみて、そんなことを思った。


2010年05月04日

雑誌とロック・ことばとギター

先のエントリーで触れた「全都市カタログ」に続いて別冊宝島などの編集をされた編集者・北山耕平さんのインタビュー記事。

http://www.sogotosho.daimokuroku.com/?index=intshin&date=20090828

雑誌の創刊とロックの関係がおもしろい。


音楽少年にとってエレキギターが武器であったように、コンピュータ(とその機能の一部であるワードプロセッサー)は(かつて活字少年だった)ぼくにとっては自己を解放するための武器であり続けている。

「本にまつわるあれこれのセレクトショップ」恵文社一乗寺店さんの『カタログ文化の本』リストもなかなかカッコいい。

世界を変える/変えようとしたもの:交通革命(鉄道、自動車)、ロック、雑誌、情報革命(インターネット、P2P)と考えると、今のトピックはエネルギーだろうか。


全都市カタログ


ものの洪水とWhole Earth Catalog

1968年にアメリカで出版されたWhole Earth Catalog。先のエントリーでも触れた

このWhole Earth Catalogをカタログという視点から解説している文章に、デザイン評論家の柏木博の「デザイン戦略―欲望はつくられる」 (講談社現代新書)があった。

一部を引用してみる。
● ものの洪水とカタログ雑誌の出現 p. 152
一九七三年のオイルショックの頃から、しだいに「カタログ」形式の出版物が目立って増え始めた。その直接的なきっかけになったのは、一九六八年にアメリカで"Whole Earth Catalog"が出版されたことであろう。それは、ひと口で言えば、氾濫しすぎた情報を、カタログ形式で再編することで、生活環境そのものを新たに再編しようとするものであったと言えよう。一九七五年に出された「全地球」ならぬ『全都市カタログ』(JICC出版)というカタログが日本でも出版されるが、こうした出版物なども、そうした意図を持っていたという気がする。しかし、このカタログ形式の出版物はやがて『アンアン』や『ノンノ』といったファッション雑誌や、PR誌にまで方法論として引用されていった。
 カタログ形式の出版物が増大したということは、単純に言ってしまえば、情報の氾濫があったということだ。そして、七三年頃からしだいに増え始めたカタログ形式の出版物の多くが、ものをカタログ形式で見せるものであったということに注意しなければならない。『アンアン』や『ノンノ』といったファッション雑誌がやったことも、ものをカタログ形式で見せるということであった。
 つまり、一方ではオイルショックをきっかけに、経済成長に対する危機感が出てきて節約が叫ばれていながら、他方では、カタログ化しなければ、もうどうなっているのかわけがわからないほどのおびただしく膨大なものが氾濫していたのである。

● カタログ雑誌のパラドクス p.155
七〇年代後半から八〇年代にかけて『popeye』や『BRUTUS』といった、全ページコラム風のヴィジュアルマガジンが続々と出てくる。こうした雑誌は、新旧とりまぜて、わたしたちの身の回りにあるものについて、実にフェティッシュに解説している。
「カタログ」形式の出版物にしろ、ヴィジュアルマガジンにしろ、わたしたちの理解をはるかに越えた、膨大なものの氾濫があったから出てきたものだと言えよう。
 一九六〇年代の半ばに、あらゆるものが、有用性(実用性)によってではなしに、イメージ(意味)として消費されるという、大きな出来事が起きた。ものはコトバと同様に、わたしたちが外界とかかわって行くための根源的メディアであると言えよう。したがって、もし、わたしたちが、もののイメージ(意味)に関して理解不可能な状態が起ったとすると、わたしたちは外界とかかわっていく根源的なメディアを失ったのと同様の気分にさらされるはずなのだ。外界とかかわっていく根源的なメディアを失うということは、自らの存在感が感じられなくなっていくということでもある。

太字は筆者が傍点。

世界を導いてくれるガイドとしての、カタログやヴィジュアルマガジンの役割をWebも担いつつある今、膨大なものと情報に囲まれて生きる人々が自らの存在感を見出すための根源的なメディアは何だろうか?と考えて、それがメールやSNSやtwitterといった他者とのコミュニケーションになっているのだとすれば、ものが売れなくなっている理由もそこにあるだろう。そうしたメディアを内界や自己とのコミュニケーションに振っていくことを考えると、自己啓発的な勉強本が売れるのもそんな理由かもしれない。

そのどちらでもありながらどちらでもない、そんなメディアとしてワークショップやアイデアキャンプがある、そんな風に考えても良いのではないか。そうふと思った。


1960-70代のヒッピーカルチャーにも大きな影響を与え、スティーブジョブズのスタンフォード大学でのスピーチでも引用された「Stay Hungry Stay Foolish」という言葉は、Whole Earth Catalogの最終号に書かれたメッセージでもあった。
今はWebで見る事もできるhttp://www.wholeearth.com/


新幹線にて

WEDGEという雑誌を読む。

この雑誌に比嘉 昇さんという方が「子どもは変わる 大人も変わる」という連載をしておられる。

比嘉先生は、京都の木津川で夢街道・国際交流子ども館というフリースクールを運営していらっしゃるが、自分の小学校6年生の時の担任の先生でもある。

4月から転校生としてやってきた鶴舞小学校。阪急沿線に住んでいたのに近鉄ファンであった僕は、岡本太郎デザインのバファローズマーク+コシノジュンコデザインのカラーリングという近鉄バファローズの帽子をかぶっていただけで、すぐに受け入れてもらえたような気がする。

転校やクラス替えのタイミングなどで、小学校はトータルで7人の先生に教えてもらったけれど、その中でも一番アツい先生だった。印象的だったのは卒業式で、クラス全員にキャッチフレーズを付けてくれたこと(僕は「博学多識の豆紳士」でした(笑))。生徒ひとりひとりの個性を認めて付き合っていてくれたのだと思う。
そして、ひとりひとりに卒業記念に一冊ずつ本を手渡してくれた。僕には、菊池寛の「恩讐の彼方に」(岩波文庫版)だった。小学校を卒業した僕にとって、はじめて手にした岩波文庫でもあった。いまは青空文庫でも読める
いまでもなんであの頃の自分に「恩讐の彼方に」なのか分からない部分もあるけれど、比嘉先生が知る僕の中に潜む何かが、この小説の中にあるのだろうか。


今月号の記事のタイトルは「十人十色の個性 屈しているからこそ伸びる」。
WEDGEの好意で掲載誌のPDFが公開されている
http://www.yumekaido-kodomokan.org/keisai.php

教員として比嘉先生ほど熱くない自分ではあるが、教育の教育をされたことがない自分にとっては一番身近な先生の言葉かもしれない。