« Juli 2004 | メイン | September 2004 »
August 30, 2004
8月31日
恐らく、5年ほど前の今日は、もう本当に死にそうでした。夏休みが終わるなら、夏休みがはじまらなければ良かったと、強くこころに思っていました。
いっそ、夏休みを終わらせないように、と自分を終わらせようと思うほど8月31日はもう本当に痛くてどうしようもないものでした。
しかも、中学や小学校じゃ、夏休みが終わったらすぐに運動会。医者に診断書を書いてもらうという知恵も邪気もなかったあの頃、運動会は立ち向かうべきもので、ほとんど壊れそうになっていました。
クラス全員リレーは今でも、集団による弱者へのイジメだと思っています。クラス全員ソーラン節は今でも、集団による集団のイジメだと思っています。練習に2週間も費やすことが、嫌で仕方が無かったです。明日の予定の半分以上が、体育祭練習と書かれているのを見たときに忌々しさ。今でも吐き気がします。
でも、翻って、勉強が嫌いな子は毎日、学校でこんな思いをしていたのでしょうか。でも、負けません。運動嫌いな人の、運動に対する嫌悪のほうが、絶対に深く痛いものだと信じてやみません。
ソビエトの風や
チェルノブイリの雨が
遠くの市場で溶け合う頃
すごく側で過ぎた
熱狂に一人震えていた君が
解体の日を目指す
飛ばしたままの痛みに
打ちひしがれたまま
見上げていたのは幸せの空
プロセスをなくした
僕たちの素敵な夢なら
暖かい時代だって壊してくれるだろう
そしてまた当たり前に
同じ時代そのものになっていけるから
いつか怖がった街角のように
生きていくことはそんなに難しくはない
街は過ぎて
優しい雲が
にぎわす夜半の雨
ウェストファリアの鉄格子から
醒めた世界のスープは
もうすぐ資料集からも消えてしまう
ふりほどくだけの力
残されていたなら
このアジアの音をどうか忘れて
一人きり歩けなんて
言えないと思うけれど
君はそう戦いの話が好きだった
奇跡にまみれた
夏の後味
触れ合う空が
穏やかなほど
ほど遠い壊れそうなサイダー
置いてきぼりの悲しみを
癒すものは何も無くて
だから未来を見ろなんて
強がりがなおさらに僕を弱くさせる
ひとりきり
歩けるともし思うなら
まず亡くしものを忘れて
そして大切な何もかも
ここに置いていけばいい
今はまだ曖昧な夢を
語るにもはやすぎるだけ
急ぐほど
風はそう強くなった
だってまだ
雨はやまないし
人はあっけなく死んでゆくから
幼さを武器にした
やさしさを
とめるほどの大人しさもない
この街で
生きていくだけなら
そう痛すぎるほどだから
だってまだ
雨はやまないし
夏はあっけなく過ぎてゆくから
投稿者 POE : 11:32 FM | コメント (1) | トラックバック
August 28, 2004
オープンキャンパス
法政大学のオープンキャンパスに行ってきました。別に来年、法政を受験したりそこまでの勇気はないので大丈夫です。
市谷キャンパスに行ったのですが、ビルでした。階数にして26階のボアソナードタワー。恥ずかしいとわかっていながら、ついつい見上げてしまう高さです。しかも、他のテナントとの共有かと思っていたら、26階びっちり教室や実験室が入っていました。いつもせいぜい2階でしか授業を受けたことがないので、高層大学ではついつい浮かれてしまいます。
お客様を楽しませようという趣向も意外とありました。まずはスタンプラリー。勿論、やっている人はほとんど見ませんでしたが、学校を回ってスタンプを集めて商品をもらおうという素敵でありがちな企画。商品が今でも気になっています。回るだけの勇気を持てなかった昨日が悔やまれます。
そして短冊。願い事を書いて、それを法政が責任をもって神社に奉納してくれるという企画。法政に入りたいと書いてある願い事はそんなにも多くなかったです。信仰深い人や怖がりな人は絶対に「立教大学に入れますように」なんて書けないと思うのですが、昨今の受験生は意外と芯が強いようです。いい傾向ですね。
そしてついつい学生に質問をしすぎてしまいました。四文字学部があったからです。もう法政大学の人間環境学部については何でも聞いてください。説明できます。
ところで、オープンキャンパスはやっぱり楽しいです。基本的に、素晴らしい建前が前提のお話をみんながしてくれるからです。まさかオープンキャンパスに来ている人に、この大学を勧めないなんてことは有り得ないわけで、それでも現状と夢見たいたもののギャップはあるはずで、その不安定な状況下で頑張って説明をしてくれる学生たちの言葉には、ある種のここでしか聞けない雰囲気や葛藤やリアリティがあります。時間があったら、いろいろな大学のオープンキャンパス周りも悪くないかと思いました。大学縦断一人スタンプラリー、どうでしょう。
投稿者 POE : 11:58 FM | コメント (0) | トラックバック
August 26, 2004
オリンピック
自信を持ってスポーツが嫌いです、といえる僕にはオリンピックのすごさがよくわかりません。ワールドカップも愛知花博も世界選手権も同じに見えます。新聞に載るような識者も含めていろいろな人が、オリンピックを見ることによる寝不足を誇らしげに訴えているのを見ると、一種の憐憫まで感じてしまいます。
オリンピックは、なんでここまで盛り上がるのか。4年に一回というプレミア性と、100年以上続く伝統のブランドのせいでしょうか。でもせっかく世界中から人々が集まって、せっかく好奇の目が注がれるわけだから、スポーツだけじゃ勿体ない気もします。だからといって、今回の開会式みたいにギリシャの歴史がさも古代から数千年も連綿と続いているような、さりげない政治的な刷り込みも嫌だけど。
というわけで、何か一種目くらい、スポーツ嫌いな人に向けての競技を入れて欲しいです。誰でも楽しめる鬼ごっことか。アテネで市外を使った鬼ごっことか。競歩があるんだから、鬼ごっことか。
投稿者 POE : 11:44 FM | コメント (0) | トラックバック
August 25, 2004
宇宙人
もしも地球に尋ねてきた宇宙人がでかいゴキブリみたいな姿をしていたらどうするんだろ。
それは構築されたものか遺伝的な本能かはわからないけど、人はよく合理的ではない、無意識の嫌悪感を何かに対して持っている。爬虫類やゴキブリを好きというはあまり見ない。ゴキブリを素手で掴める人は、その話題だけで3分ほど話題の中心にあがれるほどだ。
だから、もしある日地球に宇宙人が来たとする。当然、地球に来るくらいだから地球人には及びもしない技術力や叡智を持っているはずだ。映画や漫画で描かれる彼らは、意外と無機質でかっこいいことが多い。でも、その彼らがもしも地球人にとって、どうしようもなく気持ち悪く恐ろしい姿をしていたら。
体長8メートルくらいのムカデみたいな宇宙人が来ても、幸運にもこんな星と友好的な関係を結びたいといってくれたとして、地球人は心からの敬意と共に親交を築くことが出来るのか。
そう考えると、安易に言ってしまう「共生」なんて言葉が、すごく薄っぺらく思えてくる。来るべき日のために、今からゴキブリやムカデなどあらゆるものに偏見を持たない慈しみと尊敬の態度を抱く練習をしてはどうでしょう。ぼくは嫌です。
まあ、むしろ向こうが地球人キモいとか思って、攻撃でもしてきたら、それで終わりなんだけどさ。
投稿者 POE : 02:45 EM | コメント (0) | トラックバック
August 10, 2004
国益
「仮に、民間放送が知り得た軍の装備、人員、輸送道路等々が放送されるということは決して日本の国の利益にはならない、当然のことだと思います。したがいまして、ある程度放送が制限されるということは十分にあり得る。(中略)知り得た秘密であっても安易に放送で流していただくということに関してはある程度考えていただかなければいかぬと申し上げておるところであります。」
新聞社が国会答弁から抜き出したフレーズだから、ある程度のバイアスがかかってるとしても、すごいね。与党の政調会長が堂々と言っちゃうなんて。しかも、理由が国益なんて。ためしに、カタカナでちょっと言葉を直したら、さも戦前のような雰囲気になりましたよ(↓)!げんなり。
「恭シク惟ンミルニ、民間放送ガ知リシ軍ノ情報が放送サルル事ハ況ヤ広ク日本国ノ国益ニナラヌ事デアリマス。有事ニ於キマシテ公共ノ放送制限ヲ実行セシムモ致仕方ナシト拝察致ス所存デアリマス。」
投稿者 POE : 09:33 EM | コメント (0) | トラックバック
SFC-SFS
学生による授業評価制度、SFC-SFS。面白くて、ちょっぴり悲しくて、胸が痛んで、はらはらする。
たとえば歴史や制度の固定観念を疑ってゆく授業だったのに、学生のコメントの大半がその講師を崇拝するような全肯定的な内容。マスプロ授業だけあって、その文句を順に読んでいく感覚といったら、すごいです。検閲もしないし、無記名評価なのに!(面白い)
2人いる講師のうち、1人のほうだけを中傷するコメント。無記名評価のいいところと悪いところでしょうか。しかも、その非難する理由が、授業に関係ないあたりがちょっとすごい。(ちょっぴり悲しい、はらはら)
他にも、この新鮮な感動をみんなにも伝えたい!的な熱いコメント(胸が痛む)や、明らかに授業を聞いていない人の批判コメント(どきどき)など、楽しみどころが盛りだくさんのSFC-SFS!
他にも、去年と同授業との比較や、授業評価とシラバスだけを見て授業を受けた気になる、など楽しみどころは本当にたくさん!
ただ、スパムのように毎日毎日参加への要請メールが届いたにも関わらず、学生の参加率はだいたい50パーセント以下みたい(残念)。教員の参加率も6割くらい。なので、ちょっと悲しくて、テンション高くSFC-SFSについて書いてみました。なんか、選挙のCMっぽくて嫌です。別に回し者じゃないです。ただの、ファンです。
投稿者 POE : 07:07 EM | コメント (0) | トラックバック
謎の大陸
いまだにニュース記事にもなるムー大陸やなどの謎の古代遺物。確かに興味をそそられるし、関連本も枚挙に暇がない。
でも、その関連本を読んでしまうと、一部の熱狂的なマニア(ムー民、アトランティストなど)以外は熱が冷めてしまうので、止めた方がいいと思った。考えてみれば、ムー大陸が実在したとしても、島と文明がひとつ沈んだだけなのである。ただ、謎なだけだ。
滅んだ文明や沈んだ島は、本当にたくさんあって、世界史の教科書も滅んだ文明の集積物みたいなもの。ムー大陸に、科学の今より進んだ文明があったとかSFまがいの展開がないような、際物じゃない本やレポートが明らかにするムー文明はただの、ひとつの文明にすぎない。
だから、ムー大陸でなくても、たとえばタイタンから原始生命体が発見されたり、邪馬台国が関西に同定されたりしても、それは一時の熱狂を過ぎてしまえばただの、教科書に載っているほかの事象と変わらなくなってしまう。謎だから、こんなにもムー大陸ならプラトンの時代から人々の好奇の中に生き長らえてきたんだろう。
というわけで、以上、ムー大陸を「デーモン小暮のマスク」「叶姉妹の胸」「タモリのサングラス」などと読み替えてみれば、所詮自分の謎への欲求なんてそんなものだとわかって、いいと思います。
投稿者 POE : 01:30 FM | コメント (0) | トラックバック
August 07, 2004
髪の毛
いま起き抜けにテレビをつけたら、いきなり子供たちがひたすら髪の毛を数えていた。なんでも、人間の髪の毛の数を人力で数えようという企画らしい。夥しい数の子供が、夥しい数の髪の毛を、神経質そうにその本数をカウントしていた。
朝っぱらから(この部屋時間)、こんな映像を見てしまって、気分も萎える。でも、髪の毛にどうして、ネガティヴなイメージを持ってしまうんだろう。一部の中年男性には守り抜きたいものであって、憧れでもある髪の毛なのに、どうしてスープの中やご飯の中に見つけると、言い得ない嫌悪感が噴出するんだろう。
。。。。。。髪の毛一本で、同じ遺伝情報をもった人間が作られる時代。つまり、髪の毛さえも、それは立派な家系図なんかよりもすばらしいデータで、そのことを無意識にこころが理解していて、だめだ、このようなものを食べたら!とシグナルを発するのだろうか。
。。。。。。でも、髪を撫でるって行為は、日常的なもので、それがくせになっている人もいる。ただ髪を舐めるっていうのが癖っていう人はあまり見かけない。同じように、指遊びは大人でもやるけれど、指しゃぶりをする人はあまり見かけない。ということは(飛びすぎ。朝だから)、髪はある程度、指や他の身体と同じように認識されているのかな。
指がスープに入っていたら、ちょっとした三面記事ものだし、指を数える企画(字面と意図する絵は違います)なんてあったら、それこそサリアリズムの世界だし。まあ、要するに、髪を気持ち悪いと想ってしまうのは、それが体の一部だという認識と、それなのに夥しい数のそれが存在するというジレンマが関係しているからでは、と想ったところで、やっとテレビの中身が変わった。良かった、良かった。
投稿者 POE : 03:28 EM | コメント (0) | トラックバック
August 06, 2004
学校。
今日、この暑いのに、二時間半もかかるのに、わざわざ学校まで行ってきた。修理に出していたパソコンが戻ってきたらしい。わずか一週間。壊れてから修理に出すまで躊躇い恥らっていた一ヶ月強の日々が、懐かしく思い出される。
そして同時に、修理から戻ってきたパソコンをバッグに格納し、1キロあまり重量が増えたバッグに、ラップトップなしでやってきた日々に衰えた筋肉を痛感した。
今年は、壊れる前から、学校にラップトップをほとんど持っていってなかった。その祟りで壊れたのかと疑ったりもしたけれど、やっぱり自分のライフスタイルに、ラップトップは必要無い気がする。そりゃ、暇な授業中はぱかっと開いてメッセンジャーとか、電車内でぱかっと開いてビジネス人気取りとか、持っていたら持っていたで用途はそれなりにあるけれど、むしろそれしかない。
授業中は授業を聞くか、教室を出ればいいし、電車の中では軽さ50パーセント減(精神比)の本を読めばいい。
漫然と、リンクをたどっていろいろな場所を垣間見たり、わけない話を文字でやりとりするのはそれで楽しい。でも、それは、1キロと電源ケーブルの重さの秤にかけたとき、負けてしまうものだと感じて、今学期はラップトップを持ち歩かない日々を送ってみた。
そして逆に、他のひとは、ラップトップを開き何をしているか、いち時期はまって観察してみたこともあるのだけど、果たしてサイトを漫然と見ている人と、あと課題らしきものをやっている人が多かった。そう、課題。課題。
なんか、まだ書きたいことがある気がするけど、これ以上書くとせっかく治ったばかりのラップトップが、また何物かに呪われてしまいそうなので、このへんで。
August 01, 2004
July 31
そしてまた消えていく
光の膜を探るように
あっけなく点滅する
文字の欠片を今ここで
想って 守って 明日に繋いでも
もう二度と戻れない
画面越しの悲しみを
もう一度取り戻すように
開いた窓の向こうには
見つからない文字ばかり
あなたの言葉が
わからないと
あなたのいない世界を
生きているのと何も変わらない
西からの風はまだ穏やかに
月日を爪先でなぞるのだろう
いつか取れるかさぶたの向こうに
やさしい傷跡がうまれるように
祈りながら もう誰もいない海辺で
遠い日々を眺めてみる
終わらないはずだった夏を
幾つ通り越し
帰れない場所をあといくつ 抱え
終われない旅はいつ 役目を終え
戻っていくのだろう
今はまだ 残したままの言葉
さえぎる背中越しに
見つめたまま。