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Mars 30, 2006

カレー

せっかく7時に起きたのに、この2時間でしたことと言えばカレーうどんを食べて、永久機関について調べて(ネットしか使ってないので、調べるというほど、おこがましいものじゃないけど)、平和鳥が欲しくなったくらい。

理想では、カレー南蛮を食べて、日韓の主婦化の過程や、女性の就労について、アジアの中で台湾だけ特筆して西洋に近いパターンを示すのかを考えて、ポロポーザルを書き直すはずだったのに。

思い通りにはいかない。こんなことから思い通りにいくくらいなら、こんな場所にいつまでもとどまっているはずないもん。こんな場所の居心地は悪くないけど、一つの場所にいつまでもいられはしないもんなあ。

残された悲しみのひとつひとつを
遠ざかる風が運んでゆく

悲しいことはもうないんだよと
優しい嘘を誰もが自分をなぐさめるようにつきあっている


救われない夢たちが彼岸へと旅立つ
笑わなくなった僕が見送る

あの日見つけた答えはもうない
僕たちはあの未来を越えた場所に来てしまったから

ここに残されたものたちに
大きな意味があるわけでもない

たとえ今は必死に
つなぎとめるべき眩しさに見えても

だっていつかそれさえも
手放してしまう日は来るだろうから

だってあんなに欲しがった
街でさえ今じゃ不似合いになってしまった

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Mars 29, 2006

「ごめんなさい」

世界中では数え切れないくらいの「ごめんなさい」が毎日飛び交っている。百億円の損害を出して「ごめんなさい」。ポッキーのかわりにMIKADOを買ってしまって「ごめんなさい」。間違ってトイレの水を凍らせてカキ氷を作ってしまって「ごめんなさい」。

色々なスタイルの謝り方があるけれど、さすが歴史あるものだけあって、謝り方なんてものの公式はそこらじゅうにあふれている。

たとえば次に引用する文は謝罪の見本ともいえるようなもの。試合が行われる場合は本来は授業を休講とすべきなのだけど、変わりやすい天気の関係で、試合が行われたにも関わらず授業を休講としなかったときの、学部長による謝罪。

2005年6月3日

総合政策学部長 小島朋之
環境情報学部長 熊坂賢次
慶早戦をめぐる5月30日(月)と31日(火)の授業の扱いについて、状況説明と今後の対応方針を明確にする。


状況説明
30日(月)朝7時に、責任者の小島は、その時点では雨が降っていたが、多くの天気予報は午後に曇りと予想していたので、試合は決行されるだろうと判断し、休講の決定を下した。その結果、7時30分にSFC公式サイトに休講のニュースを載せた。しかし9時過ぎに、野球連盟が早々と試合中止を決定し、休講の判断がミスであることが判明した。ただすでに休講を出しており、それをすぐに変更しても、教員と学生の混乱を招くだけだ、という判断から、終日休講にすることを決定した。
31日(火)については、朝7時に、熊坂が、前日と同様に雨模様であり、しかも天気概況も夕方まで降雨が続くという報道もあることから、授業実施を決断し、7時30分に公式サイトにニュースを載せるよう指示した。9時過ぎの授業でも、雨模様は続いていた。しかし前日とは違って、連盟からの試合中止の連絡はなく、そのまま時間は経過していった。連盟でも試合の中止か決行かの決断が遅れ、11時過ぎになって、選手たちが練習をし始めたらしい、という情報が入ってきた。そして12時前に、連盟の試合決行の情報が確認された。この段階では、たとえ授業を中止にしたとしても、神宮球場に行くことは不可能なので、休講に変更することはしなかった。ただ放送局で野球中継があれば、3時限目以降θ館を使って、みんなで応援することもありえたので、その可能性を調べたが、中継放送がないことが判明し、そのアイディアも消滅した。そして授業はそのまま継続された。


今後の対応方針
31日(火)には、10名程度の学生から判断ミスに対する怒りのメールや電話があった。多くの学生が今回の判断ミスに対して不満を抱いたことは、十分に想像できる。しかし今回のような微妙な天候状態で、しかも連盟の決定以前に意思決定しなければならないという条件下では、このような判断ミスの回避は困難であり、二日連続の判断ミスは、ミスした本人が言うのもなんだが、十分にありうると思う。とすれば、今回のようなミスを誘発するシステムに問題があるから、それを修正すべきだ、ということになる。ただこれについても、SFCにはいろいろ試行錯誤を繰り返してきた歴史がある。やはり藤沢という遠隔地の影響が大きく、一度決断すると、その変更は容易にはできないのである。ただ今度の対策として、たとえば、学生と教員がこのような状況下で1時間ごとに公式サイトのニュースをみることがルールとして合意されていれば、今度の対応はかなり柔軟にできるはずである。つまりすべての学生と教員が時々刻々変更される情報を共有することが可能ならば、遠隔地のSFCであっても、それなりの対応が可能である。今後の対応については、このようなルールの周知徹底ができるような仕組みを検討して、今回のような事態を回避するように努めていきたい。

最後に、判断ミスしたことに、多くのみなさんに陳謝します。ごめんなさい。

http://www.sfc.keio.ac.jp/students_soukan/news/articles/20050603_2363.html

自分が置かれた状況を述べ、いかに判断が難しかったかを強調し、今後の妥当と思われる対応策について言及し、最後に素直にあやまる。

素直にあやまるということは、メーカーのクレーム係でも常識。「しかし」とか言って言い訳をする前にまず謝る。相手が怒りをぶつけてくる場合、当然相手は謝罪の言葉をまず期待しているんだから。そして相手の口をふさいではいけない。相手が言いたいことを言い終わるまで、辛抱強く聞く。そして、状況を把握できてから、問題点を把握、瑕疵の所在をあきらかにしつつ、相手との妥協点を考えていく。(訪問謝罪の場合は歯痛のときのような顔をするとか色々テクニックは他にもあるんだけど)

だけど、色々なマニュアルがあったとしても、それでも謝罪はとても難しい。曖昧なまま笑顔で「ごめん」というくらいならいい。だけど、切実に考えたとき、誰のいつのどんな行為にたいして、そしてそれが及ぼした何に対する謝罪なのかという問題を「ごめんなさい」は含んでくる。

メーカーのマニュアルが教えるように、相手が求めているものに答える(もしくはそれに近づく道を探してゆく)謝罪が一番賢い方法なのかも知れないけど、それは謝罪をコミュニケーションとして考えたとき、一方的なそれになってしまう。企業とお客様なら一方的な関係でなんら問題はなさそうだけど、じゃあ個人間での謝罪になったとき、それは何か違う気がする。その場限りの人間ならいざ知らず(怖い人の車をぶつけたとか)。

だけど、ここでもう一つの難しさ。相手の気持ちは相手にとって絶対であるけど、それは完全には共有不可能なものであるということ。人と人の気持ちは、幻想のおいてしか重なれない。同じものを同じ角度で見ているときも、感じていることは違う。僕の「悲しい」は「僕」にとっては紛れもない事実だけど、それは「僕」の頭の中の水槽の中での出来事。

「ごめんなさい」の難しさは、「あいしてる」の難しさと同じ気がする。

というわけで、長くなってしまってごめんなさい。しかも結論がつけたしみたいでごめんなさい。とりえあず、あやまっておきました。

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Mars 27, 2006

変わっていくー

変わっていく景色が怖い。たとえば一年後の未来を想像すると引き込まれそうになって怖い。だけど、変わっていくことを受け入れなくちゃね。それが嫌なら、封建時代に生まれなおすか、辺鄙な村にでも移住しなきゃ。でも、せっかくこんな時代に生まれたんだから、色々見ておかないと損だよね。

小学校高学年で英語が必修化される模様。ただし週1時間。辛うじて外国語を空気のように学べる年齢とはいえ、週1時間じゃ悪影響も好影響も何も及ぼさないでしょー。意図がわかんないなあ。どうせ必修にするなら、ラディカルに変えちゃえばいいとも思う。あのフランスでさえ英語が流行っている時代なんだし。

松本裁判が中途半端な形で結審しそう。このまま首謀者を死刑にしてしまったら、永遠に事件の全容解明なんて不可能になる。ただの死刑や、ただの厳罰じゃ被害者の権利なんて守られない。こういう決定にはどんな意図があるんだろうね。

断片だけの夜
風速は17m

あの日には
届きそうもない

眩しかったスタジアム
憧れていたあの光の中

もう聞こえない歓声が
闇の強度を増す

今もまだ一人きり
続いてゆくゲーム

行先表示を欠いた列車のように
目的地は延期されてゆくのだろう

曖昧に体は引きずられてゆくのだろう
走らされてゆくのだろう

決められた線路を
いつまで続くかわからない線路を

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Mars 26, 2006

サンマータイム

今日からサマータイムだとパソコンの時計に教えてもらった。部屋中の時計を直すのが面倒。でも、去年のサマータイムが終わったときから時間を直していなかった腕時計をまた使えるのが嬉しい。

ノルウェーのような国だとサマータイムを導入する意義は多くないはずなのだけど、他のヨーロッパ諸国がサマータイムを採用しているので、ここはあわせておいた方が良いということなのだろう。ヨーロッパでサマータイムを導入していないのは、他の分野でも独自路線を進むアイスランドだけ。かっこいいよね、アイスランド(正確に言えばアイスランドは一年中サマータイム。同じ経度の国と一年中一時間ずれている)。

日本でも戦後に導入したことがあるサンマータイム。当時の表記はサマーじゃなくて、サンマーだった。summerをそのままローマ字式に読み下したのでサンマー。昔の歌にはbombをボンブと表記してあるものがあったりするけど、何かのヴォグエだったのかな。インテレスティングなカーセだよなあ。

投稿者 POE : 02:25 EM | コメント (0) | トラックバック

Mars 25, 2006

トランプ

数えたらこの一週間の夜のうち、4回はトランプをして過ごしていた。どれだけトランプが好きなんだよって感じだけど、きっと他にたいした娯楽もないせいです。だけどそれだけじゃない。

古典でも何でも、歴史に捨てられずに残ってきたものは、やっぱりそれなりに面白いんだと思う。トランプの起源は曖昧で中国ともイタリアとも言われているけれど(通説では東洋発祥、西洋で発達して今の形になったということらしい)、少なくとも今の形になってから500年以上の歴史がある。

(詳しいことはwikipediaさんを見てください。すごい分量。)

たとえばビデオゲームにトランプは淘汰されない。むしろビデオゲームにまでトランプさんは招待される始末。オンラインゲームでもひっぱりたごのトランプさん。こんなささやかな事実が実は何かのヒントになるんじゃないかな。

わずか数百円のカード一式で、どこでもいつでも誰とでも(一人でも)遊べるトランプって言うのは字義的に行ったら数年前に流行ったユビキタスという言葉そのものじゃない?いくらうちらの生活がオンライン上にシフトしていっても、今まだ食べることや寝ることはオフラインの世界に拘束されたままでいる。そんな中で、かくれんぼでも、早口言葉でもいいんだけど、特別な準備もなく手軽にどこでもいつでも出来るゲームの力ってやっぱりすごい。

てなことを、あの小学校のとき、むかし遊びクラブの顧問だった先生にいってあげれば良かったなあ。あの時はまだ、出たばっかりのセガサターンに夢中だったんです。

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Mars 23, 2006

何度も立ち上がれない。

一度痛みを覚えてしまうと、また転んでしまうことを恐れてうまく歩くことも出来ない。傷をかばうように、そして面白みのない安全な道だけを選んでしまうようになる。何度も転んで、何度でも立ち上がるのは口で言うほど容易くはない。

.....比喩でもなんでもなくて、今週の明け方の転倒のことなんだけど。よく平等な結果じゃなくて、機会の均等が重視されるときにスローガンとかになる「何度でも立ち上がれる社会」。だけど、一度傷をおってしまった人は、再び痛みを味わうことにおびえてどこか臆病になったりしてしまう。うまく、走れず、這い上がれず、電車に乗り遅れる負け組みになってしまったりするんだ(これも比喩でもなんでもなく、朝の出来事)。

こうやって格差が固定され(毎朝電車を一本見逃し)てゆくまえに、アファマティヴアクションの一つでも欲しいなあ。だけど、もうすぐ春で雪は溶け出して、傷は遠くない未来に癒えて、転んだことも忘れてしまうのかな。

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Mars 21, 2006

今してること。

レポートを書いてる。あとちょっとで終わるー。終わったら新しいレポートの準備が出来るー。この書くまでの準備が楽しいんだな。資料集めたり、図書館を行き来したり。

何か足りないまま終えてしまうことは残念だけど、人はそうやって締め切りと折り合いをつけることが出来るから、前へ進める。「こんなものさ」と妥協しながら、「次こそは」とささやかな期待を携えられるから、また違う場所へと行ける。孤高なんてのは、相当の才能がない限りあり得ない。

でも、ただ妥協しちゃうだけでは、ただ受け入れてしまうだけでは、風景は変わっていかないんだな。朝の行列に参加して、夜の同じメンバーの宴に参加して、週末までの日数ばかり気になる、あの人たちの仲間になってしまう。だから、ちょっと色をつけて、少しだけ妥協のタイミングを遅らせて、もう少し期待を現実にする努力をして。

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Mars 20, 2006

転倒*流血

転んだ。朝4時、寮の扉の前、氷の上で、キレイな軌跡を描きながら転んでしまった。その一部始終を見ていた人が笑うんじゃなくて、本当に残念そうな顔をして手を差し伸べてくれたので、それくらい完璧で洗練された転び方だったのだと思う。

そんな厚い服を着ていなかったので、膝と指に傷を負った。こんな転んで血を出すというアウトドアな怪我をするのは10年ぶりくらいだと思う(シャーペンの上下を間違えて押してしまい手に芯が刺さったりするインドアな怪我は年に数度はあるけれど)。

血なんてここ10年も止めたことがないからどうすればいいのかわからず、はじめは火傷と間違えて水で冷やし続けて、その後は小学校の時ひざを怪我していた友達の姿を思い出しながら、色々なことを試みてみた。

あの子、今頃どこで何してるんだろう。そんな懐かしい気分になったノルウェーの3月の早朝。朝焼けが少しだけ眩しかったです。今も指と膝がちくちく痛むのは、そんな懐かしい気持ちのせいでしょうか。

投稿者 POE : 06:27 EM | コメント (29) | トラックバック

Mars 18, 2006

行ってきました。

今までは面倒だし興味もなかったし、色々なものを見すぎて現実が想像を超えてしまうのが嫌であんまり旅行とかしたことはないのだけど、近いし安かったし手軽なガイド(途中で放棄)もいたのでパリまで行ってきた。なんかパリに行ってきたって響きが、スネ夫ママみたいで面映い。

北の小国から出かけたせいかも知れないけれど、国力に圧倒されっぱなしだった。何百年も前に作られた大聖堂、一日歩き続けても見晴るかせない美術館、未来都市のような副都心。

こういう文化のちからというのはソフトパワーに分類されるのかな。だけど、実際に圧倒されたのは建築物だったり、ものの多さだったり、まちの広さだったり、ソフトを作るものはある種のハード(もちろんハードパワーというときのハードとは違うけど)なんだよなあ。

入れ替え不可能な街だった気がする。たとえば何にもない場所をあげるからパリを作りなさいって言われても無理だけど、東京なら作れてしまいそうじゃん?六本木ヒルズも汐留も新宿も何個でも作れそう。

と、行った場所がベタなところのわりには、こんなふうにきれいな感想でまとめて見ました。

投稿者 POE : 07:13 EM | コメント (0) | トラックバック

Mars 12, 2006

燦燦燦燦

昨日はベルゲンからの友達が来てた。リルハンメルからオスロ(電車で3時間)までヒッチハイクで来ようとした兵です。っ今日はカウチサーフィンで知り合った人の家に泊まるらしいです。ノルウェーの田舎でヒッチハイクというのは、正直コメントしかねるところだけど、信頼ベースの世界観を持てることって素敵だよね。内発的に世界を信じられる、傷ついてもそれでも人を信じる。思想史的に言ったらニーチェに近いのかな(適当)?

彼女たちの目的は、今日ノルウェーで開かれたスキージャンプのワールドカップ。僕も、日本の旗を友達と作って(テレビにうつるために)振ったりしていました。日本を応援するのは、日本以外の国をよく知らないから。だけど、スキージャンプなんていうスキーウェアに身をつつんだロボットかどうかもわからない小さい豆粒のような大きさの物体を応援するようなゲームでも、ついつい「日本」を応援してしまう。やっぱすごいな国民国家って。まあ瞬間大衆は簡単には権力なんかに回収されないだろうけどさ。

そして、明日はパリに行ってきます。まだ何もしていません。パリの何をも知りません。でも、世界や人を信じてみるからきっと大丈夫。

******

傷つくことは悲しいほどに簡単だから
傷つかずに生きるなんてことあきらめちゃって

信じたいほうを選べばいいさ
Believe with me
間違いだったら一緒に泣いて
そしてまたここまで戻ってこよう

******

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Mars 11, 2006

金曜

LOST IN TRANSLATIONを友達の家出見る。二回目かな?

なんだかこんな日々がずっと続いてゆくような気がして、そんなことを望んでしまうけど、きっと残りが少ないことを気づいているから、楽しめるんだろうな。もうこんな夜は来ないかも知れない。そんな不安があるから、全ては輝くのかな。

よく見る風景がある。夢にやぶれて、見慣れた街並みを車で遠ざかる。振り返る街の灯は、いつか憧れた景色に似ていた。欲しかったものは本当はもう手にしていて、それを捨てるときにはじめてその価値がわかる。いや、もっと正しく言えば、そこにいるときは決してそんな価値には気づけない。視点が現在にある限り未来と過去しか輝き得ない。そんな風景。

だから視点を未来か過去まで移動させてから、今の瞬間をつかまえなくちゃならないんだろうけど。

話は少し変わって、ノーベルピースセンターに行ってきた。今月の出し物はロバートキャパ(カタカナあってるかな)展。IMAGE OF WARというテーマ。だけどそこに飾られていた写真は、手足のない兵士や、殺された子どもや、家を焼かれた家族でもなかった。

ふつうの街の中で、ふつうの生活をいとなむ、ふつうの人々。少しだけ違うのは、そこに少しだけ戦争の影がうつっていることくらい。本当にささやかな影。街角で抱き合う兵士と女性、少し汚れた服で買い物をする親子。1942 ITALYなんていう表記がなかったら、きっと戦争中の写真なんて気づかなかっただろう。

どこまでが撮影者の意図で、どこまでが展示者の意図で、こんな風景が集められたのかはわからないけど、あらゆることは劇的に変わるわけじゃなくて、ある一部で急に変わった何かをあらゆる部分に伝えることで、あらゆる場所がなんだか違う場所になってしまったような、そんな気がするのかなあ。永井荷風の「断腸亭日乗」(となり町戦争でもいいんだけど)でも読んでみようかな。

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Mars 09, 2006

何が多すぎる。

水曜日明け方まで起きていた>水曜日は夕方に起きた>のどが痛くて鼻水が出る>薬を飲む>明日のプレゼンの準備をしなきゃ>薬のせいで眠くなる>寝る>朝に目覚ましで起きる>夢の中で構成を考えたプレゼンの資料を作る>少し調子がよくなる>念のため薬を飲む>登校途中眠くなる>授業>眠い>授業は時間が足りなくてプレゼンは次回に>眠い

>>>>>ようするに薬がいらなかったのか?

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Mars 08, 2006

あと。

帰るのは6月。あと4ヶ月足らず。逆カルチャーショックが今から楽しみ。ノルウェーに来たときも特にショックは受けなかったから、せめて帰還には期待しておかないと。うわ!改札が自動で開いた!とか、エレベーターに「ドアをはやく閉める」のボタンがある!とか、夏でもスーツをきているホワイトワーカー!とか、SFCの階段が歩きやすくなってる!とか。

と、予想できることとの遭遇はふつうショックとは呼ばれないので、これらを上回るショックを期待しています。ますますの保守化による滅入りなどはいらないから、一発その場限りのショックがいいな。自分とはいつまでも付き合っていかなきゃならないけど、国や地域ってのはいつまでも一緒にいなくちゃいけないものでもない。ただの変数の一つに過ぎない。だからなおさら、適当な彩りを適当に与えて欲しい。

世界を離れる日を
思うたびに重なる

優しい夢の後姿
今はもう遠い気配だけの物語

国境の隙間から
倒れてゆく悲しみを眺めてた

あれは道の向こう側
ぼくたちの知らない世界

最後の風は
この街でまだ吹き止まない

彼方に見えるのは
誰かに傷つけられた夢

それは道のこちら側
僕たちが被害者になれる場所

落としてきた記憶を
探す日々はまだ続いてく

塗り替えられたこの瞬間は
誰のもとへ届いて

投稿者 POE : 05:04 EM | コメント (0) | トラックバック

Mars 05, 2006

3月です。

気が付けばもう3月。ってもう随分前から気付いていたんですけどね。ちゃんと3月3日は心の中でひなまつりを意識していたし、弥生狂言について少し調べてみたり、それなりに3月らしいことはしています。

金曜の夜はすしパーティー。しかも日本っ子だけで。まあ日本にいて日本人だけですしパーティーなんて平和な家族ぐらいしかしないから、海外でしか出来ないことかも知れないけど。うなぎ、甘エビ、サーモン、ツナ、わさび。一通り際物がそろってるよね。

あのね、自分がはじめて何上戸なのかわかった!笑い上戸!3時間くらい一人でずーっとあらゆることにたいして笑ってた。幸せになるのなんて簡単。笑えばいいんだもん。戦場の兵士も笑いながら殺し合いをすれば、幸せに死んでいけるのに、とそういうシニカルなことがいいたいんじゃなくて、とにかく笑ってました。でも、幸せなことと笑うことは同じじゃないんだよなあ。人は笑顔のままで誰かを傷つけることも、泣くこともできるから。

土曜の夜はホットパーティー。なんだか辛いものをたくさん食べた。やせたかな。なんかみんな色々な言葉話してた。4ヶ国語話せるとか、少しも珍しくないんだよなあ。でも言葉を学ぶ目的って人と場合それぞれ。隣の席の誰かと週末の予定を語るため。外国語に翻訳されない専門書を読んで、特殊なことを議論するため。

明日の夜はチキンパーティー。なんかノルウェーっ子が島からチキンを絞めてもってきてくれる的なことを言っていた。すごい響き。わーい。

まあ、こんな感じの3月です。パーティーばっかじゃん。陽気ご機嫌。そんな弥生。

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