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Februar 28, 2006

ぽつねん

一度目は悲劇、二度目は茶番。てっきりビートたけしあたりが言い出したのかと思って今まで使っていたら、マルクスの言葉だった。

今日もエキストラー。ただオスロは大雪。吹雪。昨日のシーンとどうつなげるのか、非常に気になりますが、国営放送だけあってとんでもない編集技術をもっているのでしょう。


スキャンダルは、一瞬でも共同体への帰属感を満たすために求められているのかな。こんなにもバラバラになってしまった社会でも、バラバラのまま生きられるほど強い人は多くなくて、そんな孤独な人をつなぐためのスキャンダルや不祥事なのかな。

腐りかけのものは美しいけれど、腐ってしまったら捨てられるだけだ。別にありえないことは望まないし、望むべくもない。ポスト現実主義じゃないけどさ、国家の意味なんて領域内にいる人間のセキュリティくらいでいいのに。

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Februar 27, 2006

国営放送、エキストラ

日本人の友達と、ノルウェー国営放送で、日本人観光客役としてエキストラをやってきた。クリスマス時期に放送する子ども向きの番組らしい。日本じゃ絶対にこんなことしないけど、海外パワー?

ステレオタイプの日本人の役をやらされました。6人の日本人旅行者。お金払って馬ぞりに乗った後、偶然ノルウェーの小さな女の子と出会う。「ハロー」と会話を交わし、一緒に写真をとらしてもらう。しかし二度目にとった写真のフラッシュで馬が暴走してしまい、女の子と馬ぞりだけが森の中へ消えてしまう。

要するに、ノルウェーの森の中までやってきて、写真をとりまくって、トラブルを起こすという役です。もちろん、小道具はカメラ。「日本に住んでいるの?」と女の子にノルウェー語で聞かれても「イエス、イエス、ジャパニーズ」。馬が暴走してしまったときも「リトルガール!」。

ここまで来るとさすがに気持ちいい。もうGEISHAどころの騒ぎじゃない。ただこの日本人像がそこまでおかしいかというと、そういうわけでもない。ノルウェーの森の中まで旅行に行く日本人って図なんて、めちゃくちゃ想像しやすいもん。しかも、カメラを持ってこいという指令がないにも関わらず、みんなきちんとカメラを持ってきていたし。

とりあえず、エスニシティとか日本特殊論とかの議論をおいといて、世界中のどこにでも老若男女が旅行へ行って、お金落として、写真を取りまくるっていう日本人像は嫌いじゃないなあ。平和だし、還元しているし、引きこもっていないじゃん。

ちなみに、進行のぐたぐた具合にフィルムを専攻している友達は終始立腹。日本じゃ一時間で取り終わるであろうシーンに2日間。反射板のかわりに発砲スチロールを使うあたりなど学生のサークル。仮にもノルウェー国営放送なのに。


Clockwork knight
おもちゃの世界は置き去りで

走り出した汽車を追い越して
一人きり君のもとを目指した

優しすぎた世界を取り戻す
道のりは今も続いているから

目覚めない闇の側でひとり
震えてた夜を僕は抱えて歩いてゆく

Clockwork night
この夜が明ける前にせめて

Clockwork knight
おもちゃの世界をもう一度

Clockwork night
もうあんな夜は訪れない

Clockwork knight
だからまだ新しい世界を
あの懐かしい夜の中に探してゆく


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Februar 23, 2006

好き

好きなことが見つかった。また一つ好きなことを思い出した、といったほうが正確かな。

ESSAYを書くために、色々な文献を探していくのが楽しい。まず基本資料を探して、その参考文献をたどっていって、行き止まりになったらgoogle bookさんにお伺いをたてて、また本を探してっていう過程が昨日から楽しい。

きっと昆虫採集のようなものかな。情報の断片を集めてゆくそのプロセスに感じる魅力だもんね。違う図書館まで足を伸ばしたり、発行部数の少なそうなジャーナルから資料を探したり、読めもしないノルウェー語の論文まで眺めたり。「これさえ読めれば戦前と戦後のhousewife ideologyについてあいつにケチをつけられるかも知れないのに」。

なので、読む時間も書く時間もないんだよ。

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Februar 22, 2006

GEISHA

今さらだけどMemories of Geishaを見てきた。これはつまり結論から言うと、あれでしょ、トンネルを抜けて異世界に行ってしまう千と千尋神隠しと同じファンタジーなんでしょ。

はじめの5分間は登場人物が字幕もなしに日本語を話しているのに、主人公がHANAMACHIへ連れて行かれたあとは、誰も彼もが突如英語を喋りだす。そこは花街じゃなくてHANAMACHI。どこか、日本でもアメリカでもない、どこか別の世界を描いた話なんだということがわかる。

ただ、ふつうファンタジーだと主人公はもとの世界に戻ってくるんだ。指輪物語にしても、イザナギの話にしても、千と千尋にしても、基本的には「行きて帰りし物語」という構造を踏まえている。だけど、SAYURIは帰ってこない。

そういう不安定さが新しいのかなと思ったり。もう戻れない、行きつく場所は彼とともにしかありえない。この映画が、そんなのっぴきならない状況のどっかの国のメタファーだとしたら、シニカルで面白いよね。

少し色々なレビューをのぞいてみたけど、この映画に本気で怒っている人が結構いてびっくりした。具体的な例も挙げずに異口同音に時代考証うんぬんみんな言っちゃって。きっと昭和20年代の日本の風俗(manner)についてとんでもなく造詣が深い人なんだろうけど、それなら日本映画にも同じように突っ込めばいいのにね。

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Februar 21, 2006

740NOK

13000円もする教科書を買おうかどうか土曜日はずっと悩んでいた。小さなペーパーバックを4000円で売っても心が痛まないノルウェーの本屋さんにも「なに、この本メチャクチャ高いわよ」と驚かれた本。

友達との相談の結果コピーですませることに。とーるくんありがとう。今度会ったらまた感謝の言葉を言わせて。それくらい的確な補助線をくれた。

ここ半年くらいいわゆるマスコミからの情報に触れていない。ノルウェー語の新聞はいまだに20パーセントしかわからないし、英語で入手できるノルウェーの情報はわずか。日本のこともみんなインターネット経由。基本的には決まったサイトと、googleさんにお願いした分野のニュースしか見ないから、おかしな熱狂はダイレクトに伝わってこない。

見たくないものはたくさんあるし、見るべきじゃなったと悔やむものもたくさんあるのだろうけど、それでも色々見ていかなきゃなあ。新聞やテレビが担保していた「特に興味がないけど偶然目に飛び込んでくる出来事」があまり最近ないからな。もしかしたら自分は思いっきり情報カスケードの偏った部分に落ち込んだりしているのかなとも時に疑う。だって最近、日本が怖い(痛い)と感じて仕方ない。

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Februar 18, 2006

スーパーに急ごしらえにテレビが設置してあった。店員がオリンピックを見たいからだと思う。オリンピックという言葉に付随する平和的な雰囲気ってすごいよね。さすが世界をあげて、世界中の戦いを隠蔽する装置だけのことはあるなあ。

さらにほのぼのとするようなニュース。てっきり、紛争やテロや色々なことを忘れちゃって、お茶でも一杯いれたくなるような。

複合王者ノルウェー、体調不良続出で棄権 2006年02月16日02時07分(朝日新聞)

 ノルディックスキー複合団体で金メダル候補だったノルウェーが、体調不良を訴える選手の続出で棄権した。ロイター電によると、2人の選手がのどの痛みを訴え、もう1人が腹痛。元気なのはホーバルト・クレメツェン1人だけという。

 98年長野の金メダルなど、この種目で過去4大会で三つのメダルを獲得したノルディック王国。昨年の世界選手権も制し、今大会はオーストリアなどと優勝を争うと予想されていた。

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Februar 17, 2006

恐怖の漢字

白川静によれば、漢字はその一画一画から呪術的な意味が込められているという。融合を繰り返すことによって形成されてきた漢字は、その背後には色々な意味や企てを背負っている。

たとえば、ふだん何気なく使っている漢字でも、語源までさかのぼればそれは時に思いがけない意味をもっていたりする。特に、名前の漢字。日本も古代は、名前を知られることと他人に支配されることが同じ意味と考えられ、本当の名前を他人には隠していた時期もあったくらい、その意味は一生背負っていくぶんだけ重いと考えてもいいかも知れない。

というわけで、名前にもよく使われる意外な意味をもつ漢字を集めてみたよ★

「瞳」 無知なために一心不乱に見るさま
「殊」 ころす 
「満」 おごりたかぶる
「幸」 死ぬべきなのに生きているさま
(対義語の「不幸」は生きるべきなのに死んでしまうこと)
「幸生」なまけて偶然の幸運で生きているさま

ちなみに自分の漢字も調べてみた。

「憲」 はやくにして悟りをひらくこと
「寿」 永く生きながらえること

瞳さんや幸生くん、満くん、ごめんなさい。

(参考にしたのは角川の漢字字典です。自分の名前の漢字がとんでもない意味を持っているか気になる人は、是非チェックしてみてね★ちなみに、ISOLAというホラー小説で、ありふれた漢字に不吉な意味がたくさんあることを知りました。)

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Februar 15, 2006

14月


どれだけの扉を正しく開けることが出来れば
約束の場所へとたどりつけるというのだろう
ぼくたちにはあといくつ鍵が残されているのだろう


虹が落ち込む青空が
金網の向こう側に滲む
地平線まで23km
朽ちた標識が教える

君に投げつけた鍵はまだ
うまく明日にはつながらない様だ

どれだけの季節を正しく過ごすことが出来れば
約束の場所への旅立ちが許されるのだろう
ぼくたちにはあといくつ時が残されているのだろう


風が立ち止まる14月
棚引いた帆も旅を終える
視界外れの塔に再び
蒼い老兵が並んだ

ぼくに残された鍵はもう
片手でさえあまるだけになった

日没の温度を正しくこの両手で感じる
泥だらけになった指先にまぶされた絶望
ぼくたちにはもう何も明日が残されていない予感

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Februar 14, 2006

試験

明後日に3時間エッセイがあるのでその準備。朝の8時に問題が発表されて、11時までにオンラインで提出するという未来型テスト。持ち込み可のテストと同じ条件だけど、自分のパソコンが使える点で一歩それを進めた感じかな。

今学期は他に口答試験もある。ふつうの歴史学の授業なのに、20分間の先生との対話でグレードが決まるそうです。そわそわ。会話の主導権を握る方法とかをそれまでに読んでおいたほうがいいのかな。

試験方法って面白い題材になりうると思う。色々歴史をあさったら面白い試験方法とかたくさん見つかりそうだなあ。指の形が全ての試験とか、片足で一年間生きられたら合格の試験とか、試験管を発見できたら合格の試験とか、試験だということに気付くところからはじめなくちゃいけない試験とか。

これも実は何かの試験なのかな?

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Februar 13, 2006

ストックホルム

ストックホルムに行ってきた。バスで6時間、300NOK(5000円くらい)。

寒かった。マイナス8度くらいらしいのだけど、味わったことがない寒さだった。太陽は燦燦と輝いて、計画的に作られた近代的な街並みを照らしているのだけど、寒い。たくさんの人が陽気に路頭を埋めているのだけど、寒い。9両編成の静かな電車が街を縫うように走っているのだけど、寒い。

まず国立美術館。ノルウェーとの国力の差をまざまざと見せ付けられた気がする。蒐集物の多さ、多様さはノルウェーとは比べようもなかった。なんか、建物も階段も全て大きかったもん。展示方法がうまいのだとも思う。照明の使い方、順路の設定の仕方にセンスを感じた。

監獄博物館。かつての監獄をホテルと美術館にした、というありがちな場所。60年前に放棄された場所なんだけど、日本の今の刑務所よりも豊かな気がした。一泊4000円くらいだと思うので、スウェーデンにお立ち寄りのさいは是非。ボクは嫌です。

なんとか塔。高さ155メートルのテレビ等。スカンディナヴィアで最も高い建物らしい。一応入場料は取るのだけど、展望台までは普通のエレベーターで普通にのぼる。夜景がすごい静かだった。日本のように**メートル以上の建物は赤色ランプを点滅せよみたいな法令(廃止されたんだっけ?)がないから、光は全然動かない。

なんかね、オスロよりも活気があった。街が輝いていた。広かった。高かった。

大きな鳥籠揺らしながら
色を失くしてゆく街を見てた
羽ばたこうとしない夢たちが
薄い灰色の闇へと消えた

夜の淵に置き去りにされた未来を
いつか誰かが取りに戻る日を今日は信じて

眠りたい
あたたかい場所で
空のない
世界にもしもまだ
そんな場所が
残されているのならば

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Februar 10, 2006

だらだら

●空に雲がない。少しだけ不安になる。

*

旅立ちにふさわしい
風がいつもより冷たい
3度目の季節は当たり前にここを去る


空きビルに差し込む優しい街の灯
くたびれた世界をゆるく流した
色んな夢をためらいながら守ったものでも
この手の中残せるとはかぎれない

泣き顔をこらえるような笑顔が
とても似合っていたよね

旅立ちにふさわしい
夢がいつもより優しい
明日にとって涙はどのくらいの意味を持つ?


国道へ続いた渋滞を通り過ぎ
7曲目いつものように流した
色んな夢をためらいながら守ったものでも
今ではそれ自体夢と変わらない

見えなかった明日がとても愛しい
明日の予定は9件

旅立ちにふさわしい
空がいつもより蒼い
明日にとって答えがあるとしたら賭けていい?

あの日に交し合った
問いに意味が持てたと
そして季節のようにまた出逢える日があると

旅立ちにふさわしい
夢がいつもより優しい

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Februar 08, 2006

ただ日記

朝7時に起床。

まだ暗かったので、昨日図書館で借りた村上春樹のアフターダークを読む。6、7つしか読んだことがないから偉そうなことは言えないんだけど、この人の日本語って英語みたい。主語がわからないこともないし、言い回しも英語の翻訳みたいなものが多い。そして、やけに日本の風俗(manner)についての説明が丁寧。日本のラブホテルの仕組みなどを登場人物に語らせたりしている。翻訳しやすそう。

で、読み終わったらまた寝る。起きたらお昼の1時。昨日の夜寝る前に読んだ本で思い出した、ノーベルピースセンター行きたかったのに。明日の学校の帰りにでも行こうかな。で、結局そのあとは日本のドラマを見る。1リットルの涙。やけに明るい雨のシーンが多い。無理して降らせる雨でもないと思うのだけど、1リットルも涙を流すには雨でも使わないと無理ということでしょうか。(こう書くとコメディーみたいだな)

今は夜の9時。歌詞を聞き取りたくて同じ曲を3時間くらい繰り返していたら気持ち悪くなった。鬱になってくる。何してるんだか。明日の予習でもしようかな。1960年以降の日本の企業史。TOYOTAとか?

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Februar 07, 2006

失うことを恐れて手に入れようとしないのも勝手だけど、何もしなくても失われていくものはあまりにも多いから。失うことは怖いよね。でももっと怖いのは、失うものさえも持っていないと気付いてしまうことかな。だから、たいしたものじゃなくても大事そうに抱えてみせて、手放すことを恐れるふりをしているのかも知れないね。

失という漢字のもともとの意味は、手の中のものが横へすり抜けてしまうということ。この手に何を握っているのか、もしかしたら何も握っていないんじゃないのか、それが怖くて手を握り締めたままでいる。強く握りしめて壊してしまうことよりも、確かめることのほうが怖いからかな。

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Februar 05, 2006

それでもね。

昨日から粉雪。雪の結晶が見える。ノルウェーの粉雪。でも雪で思い出す歌がtrfのwinter groove。少しもおしゃれじゃない。

朝の色に染まった風が
今日も人を灰色に映している

傷の跡に沁みる夢が
いつか見ていた場所はどこに行ったかな

鮮やかに紡がれた
理想を解いたら
無傷の私が笑ってた

明日を語る言葉も借り物だった
期待なしの生き方も当たり前だった
そんな私が


日々の隙に覚える不安
生きる意味を問い尋ねた幼い頃

日々の隙を覆った日常
生きる意味を忘れたまま走り出す

孤独に苛まれて
変わってしまった夢は
今でも取り戻せるかな

鏡に映る笑顔もうまくなっていた
気付かずには涙も流さなくなっていた
そんな私でも

誰かに笑う基準も預けていた
希望なしの未来さえ諦めていた
そんな私でも

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チャンスと祟り

きっかけやチャンスなんてきっと信じられないくらいどこにでも転がっている。その鍵を握っているのは道を通り過ぎて行く誰かか、ひと事だけ会話を交わしたあの人か、通り過ぎてしまったページかはわからない。だけど、人生を変えうる出来事なんて探せば一日の中にも何度か隠れている、と思う。

だけど、まず間違いなくチャンスなんて見逃してしまうものなんだよね。見識眼のなさ、知識のなさ、思い切りのなさによって。チャンスを見つけるのなんて簡単じゃない。多くの人は一生のうちに何度かしか、もしかしたら一度も、見つけられないんだろう。

すごく特別のことじゃない。きっかけはきっと劇的ではない。ただ、なんとなく交わした会話の一端や、気にも留めない言葉の切れ端が、いつの日にかのどこかへとつながりうるだけで、はじまりはなんでもないことばかりなんだろう。笑ってしまうくらい、どうでもいいような。

出来ることは、ただ準備をすることだ。それは神を祀ることに少しだけ似ている。ふいに訪れる祟り神に対して、先取りをして祀りごとをしてしまえば、祟り神は予定通りの客として守り神たりうる。(詳しくは折口信夫のまれびと論参照)

まだまだ準備すべきことは多い。祟りを祀れるようになるために、少しでも、一つでも多くのチャンスへ近づけるようにね。

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Februar 04, 2006

今日の自殺方法「三原さん行き」

前回から半年以上のときを経ての連載再開、今日の自殺方法の時間だよ。時間が空いたのは誰かの自殺とは何の関係もないから、安心してね。

今回ご紹介するのは1933年以降に大流行した「三原さん行き」です。なんと軽やかな名前でしょうか。はじめてこの名前を聞く君たちは、にわかにはその意味が想像できないと思います。三原さん家に押し入っての集団自決なのか、それとも日本酒で有名な広島は三原でのアルコール事件なのか。

では答えの時間だよ。東京の実践女子専門学校の生徒が伊豆大島の三原山噴火口で自殺をしたのを皮切りに、その後追い自殺を含め三原山での自殺が大流行した一連の出来事のことです。よい子のみんなは正解できたかな。三原さんという人名じゃなくて三原山なんて、諸島マニアじゃないとすぐには思い浮かばないよね。まあ実は「三原山行き」と表記するほうが多いらしいのだけど、はなしの導入にいいかと思ってひらがなにしちゃったよ。

昭和8年だけで、男804人、女140人が三原さん行きを決行したらしいよ。これは未遂を含む数字だからテストのときのひっかけ問題には注意してね。そして三原山は自殺の名所として、観光客の増加にも成功したんだ。一日で1400人が訪れる日もあったらしいよ。「三原山時代」という劇まで上演もされたんだ。

テストでは1930年代の日本という時代・場所とからめて出題されるかも知れないから歴史も要復習だよ。噂によると、出題者の先生は庶民の歴史が好きらしいから、司馬遼太郎を読んだだけで昭和をわかった気になってる子は要注意かな。

ちなみにヒントを出しておくと、1933年という時代は埼玉と群馬で水争いが起きたり、夏はコレラを避けるために生魚は敬遠されていた、そんな日々だったんだ。複数の時代感覚を忘れないでね。

え、前回としゃべるトーンが違う?大丈夫、担当者には何の異常もないからね。さようなら。

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Februar 02, 2006

なれない。

学者や研究者にはなれないなあと最近つくづく思う。厳密性がないんだもん。主語や主体はぼかせるものならぼかしたい。理論の穴も一瞬じゃ見破れない。**地方における**の**可能性みたいな論文のための論文みたいなものにも興味がない。接続詞もその意味よりも、響きを優先して使う。表紙の文字の配置に時間をかける。

欲しいのは、広さを見晴るかす言葉や道具。研究者なんかになれっ子ない。学部なら許されても、入院なんかしちゃだめだ。だけど、まだ欲しいものはぜんぜん足りない。本を読むたび、誰かの話を聞くたびに落ち込む。なんで、そんなことを今まで知らなかったんだろう。なんで、そんなことを思いつかなかったんだろう。なんで、そんなことをいつからか忘れていたんだろう、って。

---とかね、悩む自分が大好き。なんか30年前の大学生ってこんなんだったのかなあと思って。

夜明け間際の国を
抜けた先にいくつか続く地平線

あといくつの夜は続き
あといくつの朝はここまで届くのだろう

誰かが愛を囁き 誰かが夢を語り
誰かが別れを嘆き そして誰かが明日を信じているのか
知らない言葉ばかりが
知らない場所で通り過ぎてゆく


濡れた夜更けの街で
聞いた歌は生まれた部屋に似ていた

まだ僕らが何も知らず
ただ微笑み朝を待ち焦がれていた温度

いつしか夢を描き いつから夢を忘れ
それでも夢を抱えなおし そして誰もが今日を生きていくのか
知らない生活もまだ
知らない顔のぶん残されて


あといくつの夜が残り
あといくつの朝がここから消えるのだろう

誰かが愛を諦め 誰かが夢を遠ざけ
誰かが別れを受け入れ だけど誰かが明日を信じているなら
知らない言葉だけの
知らない場所も歩いてゆける?

世界が空に落ち込む 地平が遥か揺れる
一人で歩いたはずのこんな道にも 数え切れない足跡が
知らない人でさえも
知らない僕と歩いてきた

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あたらしいT-bane

osloを走るT-baneという地下鉄に新車両が導入されはじめた。何でも、今走ってる車両の多くは1960年代から使ってるものらしくて(まじで?)、久しぶりの新しい車両のよう。赤い70年代の丸の内線のような車体から、銀色の90年代のような車体への転換。

ただ今年から来年にかけて順次切り替えてゆく計画のようで、まだ新車両は1台か2台が走っているだけ。

昔、東武バスがはじめてワンステップバスを導入したときに、なんとかそのバスに乗るために一日バス停で待とうと試みたり、そのバスの姿を捉えようものなら、たとえその行き先がどこであろうとも飛び乗っていた小学校の頃のほろ苦い思い出があるのだけど、久しぶりにその気持ちがよみがえってきた。

バスほど鉄道に興味はないのだけど、さすがに半年も40年前の車両(本当なのかな、確かにとんでもなく古いけど)に乗せられていると、満を持して登場したと思われるその新車両をまじまじと見てみたいと思ってくる。今日はじめて肉眼で見たときは、反対車線だったので乗ることは出来なかったのだけど、次同じホームで遭遇したらその行き先がどこでも乗ってしまう気がする。

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