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April 29, 2006
Jeg er i Bergen
木曜の夜行に乗って、金曜日の朝からベルゲンにいる。いつもどこかに行った時、リアルタイムで日記を書けないのだけど、今回は快適に日本語が使えるパソコン。というわけで、順番にベルゲンの思い出でも書いていこうかな。
思い出1
行きのバスの中で、一つ前の席に座ったお兄さんがパソコンをあけて映画を見始めたので、こっそり覗いていたのだけど、どうやら前編CGの映画らしい。登場人物はアジア系で、サブタイトルがついていたので日本のCG映画かと思ったのだけど、その人物たちがやけにリアル。しわの一つ一つ、髪の毛の一本一本までが丁寧に描かれている。
この前ちょっと見た一番新しいファイナルファンタジーよりも、よっぽど人間らしい人物たち。こんなの見たことないと、もしかしたらバスの中でいつの間にか未来へタイムスリップしてしまったのじゃないかと一人ではらはらしていた。これはドラえもんのび太の日本誕生で、ククルが巻き込まれた時空乱では。すると、画面の中に見たことがある人。一人じゃなくて何人も。しかも、どこかで見たことがあるシーン。中学生、殺し合い、島、アジト......
というわけで、なんてことはないお兄さんが見ていたのはバトルロワイアル2だった。そりゃ見たこともあるし、人物がリアルなのも当たり前だよなあ。本物の人間なんだもん。全編CGの映画を作るにはとんでもないお金が掛かるようだけど、こうやって本物の人間を使ったB級映画を夜行バスで、一つ後の席で見るだけでまるでCGのような映画になるなんて!
と、ベルゲン日記をベルゲンで書いてみました!
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April 27, 2006
川口と草加
夕方、大きな爆発音。
いつものように、学生が花火でもあげているのかと思ったら、
向かいの建物の向かい側から煙があがっている。
そして、少し時間をおいてパトカーや消防車がその煙の場所へ近づいていく。
暇だったので野次馬をしに行って見ると、一台の車が
炎上はしていなかったので、小規模な爆発だったのかな。
ところで、やけに事故の記念撮影をしている野次馬がいた。
さすがに自分を被写体に事故現場をバックにしている人はいなかったけど、
みんな楽しそうだった。
*
明日からノルウェー第二の都市、ベルゲンへ行って来る。
人口は埼玉県草加市と同じくらいの23万人。
ちなみにノルウェーの首都オスロの人口が54万人と、
埼玉県川口市(49万人)と同じくらいなので、あんまり旅行気分になれない。
実際にはバスで8時間かかるから、
距離的にはオスロ→ストックホルムと同じくらいなのだけど、
もう人口のイメージによって川口→草加みたいな想像しか出来ない。
というわけで、いってきます。
草加せんべい探してきます。
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April 26, 2006
中学生の頃は一年前に自分が書いた文や絵を見て、
自分の成長が自分でも実感できていた。
だから、一年前に書いた文章に
手をいれたりすることは絶対にできなかった。
だって、もうそれはすでに思い出になっていて、
触れるものじゃなくて、眺めるものになっていたから。
最近じゃ、そのスパンがだんだん長くなってきている。
一応、自分の中でエポックメイキング的なこと(おおげさだな、また)が
二年前にあったので、それより前のものは懐かしさとともに眺められるんだけど、
一年前のものは別に今との違いをあまり見つけられない。
問題意識もあんまり変わっていない。
どきどきする場所も変わっていない。
こうやって、だんだん自分は自分に埋没していってしまうのかな。
そして、最近やけにまた昔思ったことを焼き返して思い出す。
こういう日常性に埋没しちゃうーって、高校の頃毎日思ってた。
もう老年期かな?
ノルウェー(年寄りのくに)にいるせいかな?
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パラレル
昨日の「誰もおりませーん」は、のび太のパラレル西遊記で、
妖怪化したかも知れないママに「のびちゃん、誰かいるの?」と
下の階で聞かれたときにのび太が答える台詞でした。
このあとドラえもんたちと時代をもとに戻す旅に出るんだよ。
このパラレル西遊記は、一番好きな映画かも知れない。
子どもの頃はじめて見たときは、妖怪が出てくるシーンが怖くて、
録画していたビデオをその部分だけ止めちゃったとかいい思い出。
古代の中国でのび太がミスをしたせいで、
現代の歴史まで塗り替えられてしまった話なんだけど、
何が怖いかって言うと、
現実って実はすごく脆いものじゃないのかって子どもにも気づかせてしまうところ。
いつもどおりの部屋。いつもどおりのママ。いつもどおりの町。
でも、それは昨日と同じ部世界たっていう保証はどこにもないわけじゃん。
不確かな記憶、誰かが(ばかなのび太が)変えてしまったかもしれない世界。
パラレルワールドなんてSFのものじゃんと、
もちろん人はたかをくくることが出来るけど、
それを切実なものと考えたとき、実はすごく怖いじゃん。
ここにいない人、出会ってなかったかもしれない人。
何が転轍機かなんてわからない日々の中で、
もしかしたらいつの間にか世界は妖怪に支配されているかも知れない。
こういうことを、したり顔で難しく言うのは簡単だけど、
でも子ども向けに、しんなりやんわりざっくり伝えるっていうのは
相当な技術がいることで、その点が今でもドラえもんが好きな理由。
というわけで、「おやめなさい、牛魔王!」
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April 25, 2006
ちいさくて大切な
細かいことでも共有できるとうれしいよね。
たとえば「は、はい!」という声マネをわかってくれるのは、今のところ妹だけ。
ドラえもんののび太のアニマルプラネットで、ニムゲの星へ行ったのび太が
他のニムゲに成り代わってばれないか怯えているときに、
返事として使ったせりふなんだけど、こんなの普通わかんないよね。
同じ環境で、同じようなプログラムを見て育ったからこそ共有できること。
もっとも、読む本も見るテレビも、今じゃ住むところも違ってしまったから、
その妹と重なる部分はもうあまり増えていかないのかも知れない。
自分の何人の人とこうやって重なれて、
それを切り分けたらいったいいくつの自分が出来るんだろう。
そして、残る部分、誰とも重なることのないはあるのかな。
仮にあるとしても、この65億人の星じゃ、
そして過去の人も含めると同定作業は不可能だけどね。
だけど、まったく同じ理由でそんな部分はないともいえない。
自分だけの完全のオリジナルな部分。
ということは、結局そんなことを考える意味はあんまりないってことだ。
わかんないんだもん(いや、つきつめればカントさんくらい大きいことがいえるのかもだけど)。
むしろ、大切で、もっとうれしいのは、
適切な場で共有が出来て、適切な場でオリジナルになれること。
どんな場所にもコンテクストはあるわけで。
そのコンテクストと自分がうまく重なれればそれで嬉しいし、意味がある。
ということで、
これは誰かと重なることもあるかな?
夕暮れ、暗い部屋「誰もおりませーん。」
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April 23, 2006
もうそろそろ
もうそろそろ帰る日のことを考えなくちゃ。
ノルウェーでしておくこと、そして帰ってからの日々のこと。
なんか、帰る日がゴールみたいに時々錯覚しちゃう。
たとえば新人賞をとってデビューを目指す漫画家や小説家に
「デビューはゴールではなくスタート」とよくアドバイスがなされるけど、
それと一緒で、帰ってからも制限なく日々は続いてゆくんだよなあ。
しかも、留学11ヶ月、みたいなわかりやすいデッドラインがないぶんだけ、
また散漫な日々がはじまってしまうかもと思うと怖い。
(まあ期間限定だったはずのノルウェーでさえぐたぐたに生きてきたけど)
目標をたてるのは、それに可能性が束縛されてしまうから嫌いだけど、
ひとつ何か未来のどこかに視点を置いてみようかな。
(凡例)
27歳、タンスのかどに足をぶつけなくなる
29歳、夏の大三角が東京の空でも見つけられるようになる
+++
切り抜けてきた転轍機の数は
もはや計り知れない
この風景が間違いなのか
対岸にわずかに像を結ぶ姿を目指していたのか
つなげてみようといえない
あの日時間通りのバスに乗らなかったなら
ここにいない未来は今も少し怖い
夜中の小さな約束
エレベーターの片隅だったね
あきらめてきた人や場所
本当はただ失くしてしまっただけなのかも知れない
重なってゆく光はあと三ヶ月
地上には届かない
そしてまだティリンスには迎えない
優しすぎる線ひとつ
切り替わらない信号
誰も立ち去ろうとはしない歩道橋の下
影がもうすぐ朝を世界とわかつ
夜更けの小さな未来
エレベーターの片隅だったね
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April 22, 2006
ひかり
最近は朝の5時ごろから夜の10時ごろまで明るい。
光の強さも変わった。
光の当たり方で世界は随分と形を変えてしまうようで、
数ヶ月前とはまるで違う場所を生きているよう。
街を歩いて感じる感覚は懐かしさ。
去年の夏と同じような景色を色々な場所で見かける。
(東京にも四季はあったはずなのに、
新宿はいつでも新宿だった気がする。
なのに、ここで、あの冬の街並みと、夏はうまく重ならない。
街の形だって、人の服装だって、
明らかに新宿のほうが姿を変え続けているのに。)
というわけで、照明さんのことを最近少し見直しました。
光なんてスイッチをいれるだけで誰でも当たられるだろと、
照明さんを反射板を持つのが大変そうなADよりも格下に見ていたのですが、
今はともすると照明さんが眩しくて見えません。
街の照明も、イルミネーションのレベルじゃなくて、
建物のデザインを凝るようにやったなら、
面白いことが出来そうだよね。
投稿者 POE : 04:53 EM | コメント (0) | トラックバック
April 21, 2006
2曲
■バブル青田/ジーザス
「日本のバブルを呼び戻す」というコンセプトのもと、青田典子が小室哲哉の97年の未発表曲を歌った企画もののCD。興味深いのは、「97年」と「小室哲哉」というところ。
97年を含めて小室哲哉が流行った時期、それは音楽CDが一番売れていた時期とも一致する。だけど、日本のバブル景気はふつう1980年代後半から1990年代の初めごろまでを指す。音楽が一番売れていた時期というのはバブルの5年もあとなんだよね。
なんで音楽業界のバブルともいえるようなあの熱狂は1990年代中盤にやってきたのだろう。初動10万枚でもオリコン1位がとれて、ミリオンセラーのシングルなんて年に1、2枚しか出ない今とは比べられないような熱狂。
こういうことをきちんと研究している本や人はあるのかな。ふつう、インターネットの普及による違法ファイル交換の増加や、MDやHDDに音楽をあまり劣化なく記録できるようになったことなどがCD売り上げ低迷の原因として語られることが多いのだけど、それだけでもない気がする。
とかまあそんなことよりも、この歌、その音楽時代の全盛期を今でも引きずるものにとって、すごくいいです。キャッチー過ぎるサビなどチープさに泣きそうになっちゃった。昭和大好きっ子や戦争大好きっ子もこんな気持ちなのかな。
■SMAP/Dear WOMAN
女性のための応援歌というからどんなのかと思ったら、すんごく保守的な歌。やけに「日本」と「女性の美しさ」を本質主義的にうたう歌詞(このページで見られます)が印象的。でも、この内容に嫌悪感をしめす自称ジェンダーフリー反対派の人がいて面白いかぎり。
この歌詞が「日本はこれから労働力不足が深刻になりますが、外国人労働者はあんまりいれたくないんです。なので女性の皆さんには労働市場に参加して欲しいんですけど、男と同じになって欲しいというわけじゃなくて、女性としての美しさも保っていただきたい。たとえば育児とか介護とかもお願いしたいんですよ。女性は美しいものなんですから、美しい女性として安価な労働力の提供と、家族を守る良妻賢母としての活躍をお願いします」のメタファーだと感じるのは、いぶかりすぎかな。
投稿者 POE : 04:06 EM | コメント (0) | トラックバック
April 19, 2006
なんて、いってみる。
がんばっている人がいると思うと、自分もがんばりたいと思う。
そんな単純で当たり前のこと、ふだんは口には出さないんだけど、
つい初心を思い出す。あの日、廊下を走りながら思ったこと。
http://welcome.sfc.keio.ac.jp/welcome/
投稿者 POE : 08:19 EM | コメント (0) | トラックバック
共感できる破滅型
先月でたglobeのアルバム(誰も知らないだろうけど)で、[SHINE ON YOU]という歌があるのだけど、少しすごい。歌詞を素直に読むと(まあ素直にしか読めない歌詞なんだけど)、ホリエモンと本人(小室哲哉)を重ねながら、
「共感できる破滅型かも
デストロイ ハプニングス
サプライズ ビッグニュース
そんなことを期待しているのかも」
と歌っている。いつものように一ヶ月もせずに熱がさめてしまったハプニングだけど、ホリエモンの「破滅」を「共感できる」と言ってしまうってすごいよね。相当の目立ちがりやさんかつ、マキャベリストくんじゃなきゃ出来ないよ。
時代の寵児になったものたちは、かたや最後までメディアとともに崩壊していって、かたやひっそりとバラエティー番組に出て昔の曲を提供したりと地味に生きていて。色々思うこともあるのかな。
投稿者 POE : 06:45 EM | コメント (0) | トラックバック
April 18, 2006
生還
ナムソスという、日本語で検索しても十数件しか関連ページがヒットしない場所から帰ってきました。結局、最後までイースターが何かはわからなかったけど、楽しかった。みんな信じられないくらい優しかった。
アカデミックなペーパーじゃないので、個人的に感じたことを書かせてもらうと、ノルウェーって、どうせならもっと広げて言うと、北欧型福祉国家というのは「年寄りのくに」なんじゃないかと思った。
中島みゆきが「若くなくなったわたしたちはどんな顔をして行きかえばいいの」と歌っているけれど(誰も知らないだろうけど)、その若くなくなったとき、どんな顔をして行きかえばいいのかを知っている人たち。
朝8時から働いて、3時過ぎには仕事が終わる。家の側に住む友人や親戚たちとお茶をして、映画を見て、散歩して。楽しみは、家のリフォームや、休暇に出かける別荘。子どものように雪とはしゃぐけど、だけどその限度を知っている。よく教育を受けているし、知識もある。
きっと、この世界のひとつの選択肢であるんだと思う。何かと元気なくにや、また一花咲かせようとしてからまわりしているくにを横目に、ながくて豊かな老いを享受している。まあ色々問題もありつつ。
投稿者 POE : 08:03 EM | コメント (0) | トラックバック
April 07, 2006
お出かけ
あしたから友達の家へ行くので、荷造りをしようと思いスーツケースを8ヶ月ぶりくらいに開けてみたら、爪きりが出てきました。何かの暗示でしょうか。
というわけで、10日間ほど北のほうのノルウェーへ行って来ます。地方のノルウェーがどんな暮らしをしているのか観察しにいきつつ、観察されてきます。もしも、10日以上たっても音沙汰がなかったとしたら、少しだけ北の空に思いをはせてみて下さい。日本からじゃ北は、朝鮮半島かロシアだろうけれど。
*
東経24度
風は北北西。
子午線上の街。
浮かんだ空。
切り刻んだ光。
その先に続く雲海。
まだ遠い有明を
反射させるような響き。
北緯57度
空は黒鳶色。
旅立ちの温度。
もう戻らない部屋に
置いたままにしたいくつかの未来。
隣にいたかも知れない
誰かを思い描く始発前のホーム。
もう隣にはいない誰かを
あきらめて歩き出す瞬間の熱。
どこまで戻れるなら
この場所は変わるのだろう。
踏み出す足を変えたならば
あの景色は変わるのだろう?
スプートニクの夢も
スカイラブのかけらも
この星をもう照らさない。
誰もいなくなった星の街。
そのはるか西できらめく空。
東経24度
風は西南西。
胎動の聞こえる場所。
投稿者 POE : 08:31 EM | コメント (4) | トラックバック
April 06, 2006
ちょっと。
よく戦後処理の文脈で語られることなのだけど、たった一つの真実なんてものは存在しない。正確に言うならば、そんなものは後から再現できるものじゃない。世界中がくまなく映像に残されるようになれば別だけど、人の記憶が完全ではない以上、集合的な記憶も完全になるわけがない。(その実存的でありながら、集合的な点が記憶を考えるときの面白いところだと思うけど)
だけど、その記憶が集合的なものになるとき、せめて真摯にはなるべきだよね。今を通して、感情経由でしか、たとえアクセスできない曖昧なものであったとしても。疑うことも疲れるけど、どちらかの蓋然性が高まったときにあらわれる失望。
いや、戦時下犯罪とかそういう話じゃなくて、ごく個人的な話として。
投稿者 POE : 12:40 FM | コメント (0) | トラックバック
April 05, 2006
ぐらぐらぐら
ドイツとは逆なあたりが興味深い。ホロコーストやナチスを正当化したり、なかったと言い張ることをドイツやオーストリアは禁じていて、今でもたまに逮捕者が出たりする。
そして今回のこの記事。さきの大戦を侵略戦争だと授業中にビラとともに批判してくびになった先生のはなし。東京新聞の記事(と、それを基にした記事)しか見つけられなかったので、詳しいことはわからないけれど、気持ち悪い。さして大きなニュースにもなっていないあたりが余計気持ち悪い。
たてまえでは、教育は中立の立場で行えということになっているけれど、少し考えてみればわかるように「中立」なんて無理なはなし。せいぜい出来るのはバランス感覚をとることくらい。それとも、授業をほとんどしないで自分の主義ばかりをあまりにも語っていたということなのかな。
だけど、たとえばつくる会や修正主義の人でさえ、教科書の内容をそのまま教えるんじゃなくて、つくる会の教科書を使おうが教師が好きなように歴史を教えればいいと言っている中で、免職っていうのはどういうことなんだろう。
日本とドイツの戦争処理を対比させたときに、今の隣国との関係を見てどちらが賢かったかが明らかになりつつある中、いつまでこんな迷走は続いていくんだろう。迷走ならまだいいか。おかしな方向に一直線で進むようになってしまったときが本当に怖いんだから。(最近のglobeもこんなかんじです)
投稿者 POE : 10:02 EM | コメント (0) | トラックバック
April 04, 2006
朝から。
きちんと朝食をとろうと思って、学校に行く2時間前に起きたのに、鍋を焦がす。仕込んで、火をつけるところまでは味付けまで良かったのに、しばらくしてキッチンへ行くと真っ白い煙。そして黒く焼け爛れたさっきまで食物だった肉と野菜。
さいわい、火災報知器には気付かれなかったんだけど、今もキッチンが少しだけ煙たい。鍋は黒いまま。こんなことならいつものようにおとなしくチョコを食べてれば良かった。
投稿者 POE : 08:19 FM | コメント (2) | トラックバック
April 01, 2006
帝国機械製作所
帝国機械製作所(公式ウェブサイト)。
投稿者 POE : 04:31 EM | コメント (3) | トラックバック
この三日
木曜日にオスロにも春到来。
穏やかな風が吹く中で、太陽を見つめてにやにやしている人々。
半そでで汗をかいている人までいる。
気温自体は5度くらいなので、半そでは謎だけれども、
そんなこともすぐには気付かないくらいの一日。
金曜日は再び雪のオスロ。
空がおかしな光り方をしていた日没時。
そして今日、土曜日はまた晴れ。
少し寒いけど、アイスも溶け出して道も歩きやすい。
ぽかぽか陽気の日常性丸出しの雰囲気は嫌いだけど、
雪がとけて、もうずっと昔のような、冬がはじまる前の景色が
再び見えるようになってきて、久しぶりとでも声を掛け合いたい気分。