IBALOG - Concept Walk 日本語版

新しい社会の捉え方を探して。井庭 崇のblogです。

モバイル時代の英語力強化法:日本にいながらの環境構築(2)

1. 米国での研究生活で感じた自分の英語力の低さ

1 . 1 スピーキング

米国滞在中、何が最も難しかったかというと、それは何といってもスピーキングだろう。これは、相当厳しい。まず、言いたいことが文としての体をなしていない。構造が明らかに変、単語がきちんと選べていない、時勢はめちゃくちゃ、論理的でない。内容が知的であるとか、説得的であるとか、魅力的であるということ以前の問題である。言いたいことを言葉にしようとした途端、まるで幼稚園児のようなレベルになってしまう(いや、幼稚園児の方がよっぽど口が達者かもしれない)。旅行で使う英語や、「自分は何をしたい」とか「○○はどこ?」という会話にはあまり問題を感じなかったが、概念的な説明や論理的に主張をしようとすると、途端に破綻する。これまで国際学会で口頭発表をしたときの「出来た」感は、一体何だったのか?

結局のところ、その場で話をつくり出せるほど、自分のなかに英語の言い回しのストックがないということなのだ。英語表現におけるパターンといってもいい。話しをするときには、自分のなかにある表現のパターンを即興的に組み合わせながら、言いたいことを構成する必要がある。かつてWalter J. Ong [5] が論じたように、口承伝承の語り部は、物語のパターンをたくさん覚えていて、それらを即興的に組み合わせながら語っていた。英語で何かを話すときにも、まさにこの語りのパターンが必要なのだ。母語である日本語では自然に身に付いているパターンも、第二言語である英語ではそうはいかない。滞在中は、自分には英語でのオーラリティーが圧倒的に足りないと、日々痛感していた。

それに加え、発音やイントネーションの問題で通じないことも多い。自分の専門に直結する基本単語でさえ通じない。例えば、私の場合、"pattern" や "theory" という単語が通じなくて苦労した。"Pattern Language" や "Systems Theory" を専門にしているにもかかわらず、である。特に通じにくかったのは、自分の研究を交えて自己紹介するときである。相手は私がどの分野でどのような研究しているのかをまったく知らず、どのような言葉が出てくるのかを事前に想定し得ない場合である。そのような状況では、より正しい発音/イントネーションで話さないと、通じないのだ。これまで学会などで話が通じていたのは、学会のコンテクストや、発表スライドに書かれた文字のおかげだったのだろう。最終的には、これらの基本単語は、地域のボランタリーなESL クラスで、正しい発音を直接教えてもらうことで少しは矯正できたかもしれないが、不安な単語はまだまだたくさんあり、道のりは長い。

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1 . 2 リスニング

次に、リスニングについて。途中からだいぶ改善されたが、特に最初の半年は苦労した。なぜリスニングが難しいのかというと、いくつかの理由が考えられるが、そのなかでも、事前にはあまり想像していなかった難しさがあったので、その点について触れておくことにしたい。それは、米国で英語を話している人は、必ずしも英語が母語の人ではない、ということだ。ボストンは米国のなかでも特に国際的な街であり、研究者も学生も実に多様な国から来ている。そのため、訛りも多種多様であり、ときには「これは本当に英語?」と耳を疑ってしまうほどのこともあった。このような経験をすると、これまで私が日本で触れてきた英語は、英語ネイティブの「発音のきれいな」英語だったと気づいた。しかも、たいていの場合、日本人の癖や傾向を知った上でわかりやすく発音してくれている、日本人に聞き取りやすい英語だったのである。この「発音のきれいな」英語でなんとか聴き取れるかどうか、というレベルだった私には、この多様な訛りの英語を理解するのは、きわめて困難なことであった。しかし、これこそがグローバルな時代の英語なのだろう。

私の経験では、このリスニングの問題は、「慣れ」によって解消できる。スペイン語ネイティブの人はこの音がこう聞こえる、ドイツ語ネイティブの人はこの音がこう濁る、中国語ネイティブの人はここがこうなる、というように徐々にわかってくる。こういう感覚的なものは、おそらく経験の中で把握していくしかない。滞在中に大学の授業をまともに受けたわけではないので、リスニングの機会も限られていたが、それでも、1年間で最も伸びたのはリスニングの力だと思う。日頃、リスニング力が一番伸びにくいと思っていたので、これは意外なことであった。まさに「習うより慣れよ」である。毎日、カフェで周囲の人のおしゃべりが自然と耳に入ってくる。そういった「言語のシャワー」[6]を浴びることで、英語を音として聴くための回路が、自分のなかでつくられていくのだ。

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1 . 3 ライティング

そして、ライティング。向こうでも英語で論文を書くことになるわけだが、これはこれで苦労した。もちろん、いままでも英語で論文を書いた経験はあるが、以前にも増してきちんとした英語で書きたい、説得的で魅力的な文章を書きたい、という思いが強くなったため、苦戦することになった。特に昨年は、自分にとって新しい分野の論文を書くことにしたため、その分野の本や論文を徹底的に読み、言い回しを勉強しながら書く必要があった。分野/テーマが変われば、そこでの特有の言葉遣いや言い回しを身につけなければ、説得性や魅力を出すことはできないだろう。振り返ると、この遠回りはかなり重要であり、それがその後の研究自体をもドライブしたと思われる。書くことは考えることであり、書くスタイルは、考えるスタイルにもつながるのだ。これは重要な気づきであった。

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1 . 4 リーディング

米国滞在中は、本や論文は英語で読んでいた。内容を学ぶために読むこともあれば、表現を学ぶために読むことも多かった。すでに書いてきたように、スピーキングにしてもライティングにしても、言い回しが身についていないのは、これまで英語で読む量が圧倒的に少なかったからである。結局のところ、書籍については、日本では多くのものが翻訳されているので、それらを読むことで事足りてしまう。論文も、内容がわかればいいという感じで、アブストラクトや重要部分を中心につまみ食いしながら読みがちである。また、そのとき、何に注目して読んでいるかというと、ほとんどの場合内容の方であり、表現の方にはあまり意識がいってなかったように思う。文章の表現を意識的にみるということをしないと、表現のストックはたまらないのである。

聞くところによると、韓国のエリート養成では、高校生が年間に何十冊も洋書を読むという。どのような本なのかは定かではないが、数週間に1冊のペースである。これだけの量を、今の日本の大学生・大学院生や教員が読んでいるかというと、まったくもってあやしい。実際、私自身は、渡米前はそれだけの量を読んでいなかった。昨年からは、英語で書かれた本を読む量を圧倒的に増やし、英語での読書も楽しくなってきた。すでに邦訳でもっている本も、原著を買って読み直した。内容はすでにわかっているので、英語の表現に注目しながら読むことができるので、これは効果的だったように思う。「内容を知るための読書」ではなく、「英語での表現を学ぶための読書」である。

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(つづく)

[5] Walter J. Ong, Orality and Literacy, 2nd Edition, Routledge, 2002
[6] 学習パターンプロジェクト, Learning Patterns: A Pattern Language for Active Learners at SFC 2009, 慶應義塾大学SFC, 2009 ( http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/ )

※「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」(井庭 崇, 『人工知能学会誌』, Vol. 25, No. 5, 2010年9月)をベースに加筆・修正
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