井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

『水うちわをめぐる旅』(水野馨生里)

『水うちわをめぐる旅:長良川でつながる地域デザイン』(水野馨生里, 新評社, 2007)を紹介したい。

『水うちわをめぐる旅』この本を手にすると、まず素敵な装丁に魅せられてしまう。とてもみずみずしく、さわやかなのだ。

そっと表紙をめくってみる。透明感のある写真と、それに添えられた言葉たち。その世界観に浸りながら進んでいくと、「水うちわをめぐる旅」が始まる。

この本の著者、水野馨生里さんはSFC 総合政策学部の卒業生だ(いま卒業3年目)。出身は、この旅の舞台となっている岐阜。テーマになっている「水うちわ」とは、「水のように透けて見える「面」(おもて)をもつうちわで、目にも涼しく、さらに水につけて扇ぐことにより、気化熱の効果によって吹く風をいっそう冷涼に感じることができるうちわ」(p.ii)である。120年ほど前に誕生した、岐阜の伝統工芸品のひとつだ。ここ十年ほど途絶えてしまっていたが、著者も参加している「復活プロジェクト」によって、現在は復活を遂げている。

 「面(おもて)の紙はトンボの羽のように半透明で張りがあり、光にかざすと透明さをさらに増して輝く―――私たちが思い浮かべる“うちわ”という道具の概念を打ち破る美しさをそれは備えていた」(p.9)と、その美しさに魅せられた水野さんは、なぜ岐阜で水うちわが生まれてきたのか、そしてなぜそれは途絶えてしまったのか、という歴史を紐解いていく。その過程で、水うちわは「ものの成り立ちを、そして手仕事の重要性を教えてくれた」のだという。「教科書からでもなく、学校の先生でも親でもなく、水うちわが教えてくれたことはかけがえのないことばかりであった」(p.96)。これは著者の素直な気持ちであろう。そういった気持ちが、本全体から伝わってくる。

 この本に好感がもてるのは、著者の視点と語り口がフレッシュだからかもしれない。地域の歴史を取り上げるときも、目線が読者と同じなのだ。著者が知っていることを書き、読者がそれを読むというのではなく、著者が歩いた「水うちわをめぐる旅」に、僕たちも案内されているような感覚なのだ。そして、小説のような叙述的な書き方も、モノや地域に対するあったかい眼差しを感じさせるのだろう。

 この本を僕が気にいっている点がもうひとつある。基本的には水うちわと岐阜の話をしているのだが、時折一歩引いて、現代について触れられている部分があるという点だ。例えば・・・

「とても身近なものだけど、あまりにも近くにさりげなくあるものだから、それ以上一歩奥へと踏み込むことはこれまでなかった。いや、うちわだけではなくて身の周りにはあまりにもたくさんの商品が溢れていて、その裏にある物語を何も知らずに通りすぎていくことが多い。あらゆる情報が次々と流れ込んでくる現在において、一つ一つの商品に込められた思いを取り出すことなんてそうそうない。・・・・・うちわの歴史や成り立ちを追究して好奇心を満たしていくと同時に、これまでとっても身近にあったうちわのことさえ知らなかった私自身は、生活のなかで出会うあらゆるものやそこに潜んだ物語を取りこぼしてきてしまったのではないかという危惧さえ抱くようになっていた。」(p.12, 13)

「ところで、「繁栄」、「発展」とはいったい何だろうか。アスファルトで囲われ、高層ビルが立ち並び、あらゆる商品がすぐに手に入り、時間を消費する娯楽を提供してくれる場が人々の「繁栄」と「発展」を示しているのだろうか。現代の科学技術の功績を捨てて過去への回帰を促すわけではない。ただ、脈々と続いてきた私たちの生活の背景にあったものをもう一度認識するときが迫っているのではないだろうか。自分の知らなかった故郷の歴史を辿っていくにつれ、そんな思いを抱くようになっていった。」(p.36)

「モノゴトが成立するためにあらゆる条件が満たされているという状況は、実はとても稀なことなのかもしれない。・・・・・一つのモノを継続的に生産・製造する条件、それは素材となる原材料が持続的に供給され、そのモノをつくるにあたって、それにかかわる人々がそれぞれの役割を果たし、さらにそのモノがあり続けるための社会環境があること、である。逆に、その一つのものがなくなる条件は、それをつくる条件のなかのたった一つが消えることである。現にこうしてなくなってきたものは数知れないほどある。」(p.72, 76)

というようにである。水うちわにまつわる活動を通じて得た実感が、現代社会についての考えに昇華している点がすばらしい。こういった記述があることで、単に水うちわと岐阜の話としてではなく、僕らは自分たちのこととして、イメージをふくらませながら読むことができるのだと思う。

 この本を貫いているのは、現にいま在るものの存在を当たり前として見ない視点―――現に在るものも誰かによってつくられ、それを支えるいくつもの条件が重なるときにのみ成立するという視点である。逆にいえば、存在は絶妙なバランスの上に成り立っているのであり、いつでも消えゆく可能性をはらんでいるという視点。そのような視点・感覚によって初めて、かけがえのなさ、に出会うことができる。そういったことを、この本から僕は感じる。

 ぜひこの本で、水うちわと岐阜に親しみを抱くとともに、私たちひとりひとりの「自分にとっての『水うちわ』」、「自分にとっての『岐阜』」を探してみることにしよう。
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