続・期待と幻滅と。
“教育しようなんて考えを、僕は捨てることにした。”
昨日、僕は、こう書いた。
心からそう思ったし、その気持ちは今日も変わらない。
もう何年も、そして特にこの半年、ずっと考えてきたことだ。
ずっと考えてはきたが、未だ実践には移せていないこと。
誤解してはいけないのは、それが意味するのは、
授業をちゃんとやらないとか、学生の面倒をみないとか、
そういうことではない、ということ。
「教え育てる」なんて考えを捨てる、と言っているのだ。
だからといって、ただ放任するというわけではない。
それではあまりにも無責任だろう。
今、僕が、大切だと考えているのは、
無理に相手を自分に合わさせないこと。
無理に自分を相手に合わせないこと。
異なる人間同士なのだから、異なるままでも仕方がない。
これが大前提。
しかし、異なるからこそ、コミュニケーションが必要だ。
言葉は、ほとんど何も運べないけれども、
それは、自分の世界の一部になり、相手の世界の一部になる。
人が変わるか変わらないかは、その人次第だ。
心のどこかで持っていたい、ほのかな期待は、
「教え育てた」結果の「良い」状態へのものではなく、
その人なりの成長があること。
ただそれだけの(おそらく本当は当然である)ことを、
僕はいまさら確信し、実践しようとしている(に過ぎない)。
でも、これがすごく難しいことなのさ。
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