井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

KJ法のコツ(パターン・マイニングのための収束思考)

井庭研では、パターン・ランゲージをつくる際に、自分たちのこだわりをブレインストーミングによってたくさん出したあと、KJ法によってまとめていく。そのときのコツがあるので、以下に書き出してみたい。

KJ法では、まず、大きなテーブルの上に、模造紙敷き詰める。複数枚の模造紙をテープでつなげて広い平面をつくる。この紙面の広さが、思考の可能性の広さだと考えた方がよい。なので、なるべく広くとりたい。

そして、その上に、アイデア(パターン・マイニングの場合には、取り組んでいるテーマに対するこだわり・コツ)を付箋に書いたものをランダムに貼っていく。この付箋は、その前の段階のブレインストーミングで書かれたものである。

模造紙の上に、貼ってみて、適度に空白のスペースがある方がよい。(ただし、実際問題として、かなり多くの付箋がある場合には、空白がつくりにくい場合もある。次のコラボレーション・パターン プロジェクトでの写真のように。)

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僕らはKJ法は、いつも、立って行っている。座ってしまうと、遠くの付箋が見えない上に、気持ちが落ち着いてしまって、取り組みの姿勢がスタティックになってしまう。立っていれば、テーブルの違う位置に移動して、違う角度から見たりすることもしやすい。

あとは、話し合いや思考を促すような、音楽をかける。音楽に思考を占領されないように、ノリがよくてあまりみんなが知らない曲の方がよい。


KJ法では、付箋に書かれた意味を考え、その意味が近い付箋同士を近づけて再配置する。ぺたぺたと付箋を張り替えるのである。

複数人でKJ法をやる場合には、他の人に、どの付箋とどの付箋がどういう意味で近いと思うのか、を表明し、話し合う。このことで、付箋の意味の再確認ができ、かつ、全員が付箋間の距離についてのイメージが、少しずつわかってくるようになる。

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パターン・マイニングのKJ法では、ひとつの付箋にはひとつのこだわりが書かれているので、付箋間の距離はこだわり間の距離ということになる。だから、付箋と付箋を近づけるというのは、こだわりとこだわりが近いということを確認するということ。

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KJ法をやるときに、一番気をつけなければならないのは、既存の枠組みに当てはめて配置するのではだめだということ。つい、「○○系」とか「○○的」と言って近づけたくなるのだけど、この言葉が出たら危険。当てはめる枠組みを想定して、そこれに所属させようとしている証拠。

KJ法の最初の段階(最初と言ってもここが一番ながい)では、まとまりは見ず、あくまでも二つの付箋の近さという観点で考える。すでに近づけたAとBにCを近づけるときには、Cと「AとBのまとまり」との距離を考えるのではなく、「CとA」の距離と「CとB」の距離を考える。

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この「二者間の距離を積み上げていく」意識はとても重要。これを強く意識してやらないと、あっという間に、形成しつつあるまとまりに、他の付箋を吸着する作業になってしまう。これでは、真に「付箋(こだわり)間の距離」を考えることにはならず、KJ法としては失敗となる。

そして、KJ法では、一度近づいたものもまた離れたり、一度まとまったものもまたばらけたりすることが頻繁に起こる、ということを十分理解することも大切。そうしないと一度考えたことにずっと囚われることになってしまう。すべてが一時的で流動的でありながら、徐々に組織化がなされていく。

なので、中盤でまとまりが認識できるようになってきたとき、早くペンや鉛筆で囲ってしまいたくなる衝動にかられるのだが、そこはぐっと堪えたいところ。まとまりを丸で囲ってしまうと、心理的に安心してしまって、もうそこは不動のものとなってしまう。この安心感も、KJ法の敵である。

まだ場所が定まっていない付箋を、一度場外に出してもよいか、という質問も受ける(場が複雑で読み取りにくいという理由)。僕の答えはNO。すべての付箋は、その空間上に置くべき。変なところに置いてあるのであれば、それが違和感や気持ち(居心地)の悪さを生み、早く動かそうという気持ちを生む。

この「混沌」とした状態からはじめ、「混沌」としたものと徹底的につきあうというのが大切だと思っている。それが川喜田二郎さんの言う「その混沌のなかから、“何とかしなければならない”という意思が生まれてくる」ということだと思っている。

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もうひとつ、付箋を場外に出してはいけない理由は、まだ誰とも近づいていない付箋同士が近づく可能性もあるからだ。場外に出してしまうと、場外に出したものをなかのまとまりに吸着させていく、という作業になりやすい。これは、先ほど書いたようにまずい。

KJ法を進めていくと、すべての付箋はそれが置かれている位置との関係が、ほのかに記憶に残っているもの。トランプの「神経衰弱」やカルタの場合と同様。だから、「あ、似たようなのが、あっちにあった!」というようなことになる。なので、他の人に黙って、勝手に付箋の場所を変えてはならない。

井庭研でやっているなかで、定番となったのは、いろんな色の付箋を使うということ。そうすると、大量の付箋のなかから探すときに、「黄色の付箋だった」というように、色をキーにして探しやすくなる。実際、みんな、言われなくても、自然と色を覚えている。

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あとは、実際に探すときのキーになっているのは、字の特徴や書かれた雰囲気。「○○の書いた汚い字のやつ」とか「大きく○○と強調されている付箋」というように、そういう情報も、ほのかな記憶として、KJ法の作業を後押ししてくれる。

パターン・マイニングの中盤以降は、まとまりを囲っていく。そうすることで、落ち着かせる。その段階にいくまでは、妥協せず、とことん話し合いながら、配置換えを繰り返す。ここを急いではいけない。井庭研のコラボレーション・パターン プロジェクトでは、ここまでに11時間かけた。

次回は、この囲ったまとまりを、その台紙になってる模造紙ごと切って、まとまりの浮遊物をつくり、今度は、それらのまとまり間の距離について考えていく。普通なら、そういう関係性も付箋を貼り直してやるのだけれども、数百枚の付箋があると、実際問題としてかなり難しい。そこで、そうすることに。

パターン・マイニングのKJ法の目的は、一つには、ローカルな距離の考察からボトムアップで全体を組織化していくということがあるが、もう一つ重要な目的がある。それは、パターンの粒度をあわせるということ。このKJ法が終わると、小さなまとまりを1つの「パターンの種」として捉える。

こだわりを出していったブレインストーミングでは、具体的なものもあれば抽象的なものもあり、細かい話もあれば大きな話もある。それをそのままパターンにすると、バラバラなレベルのものができてしまう。なので、KJ法で、それらの粒度や抽象度をあわせる、ということを行っている。

なので、パターン・マイニングのKJ法では、徐々に全体像をつくりながらも、部分の粒度や抽象度を合わせていく、という二兎を追っていることになる。ここがまた時間のかかるところであり、後半戦が大変な理由でもある。

以上が、パターン・マイニングにおけるKJ法で重要なことである。
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