井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

ある一人の研究者の転換点をめぐるメモワール

いまから振り返ると、2008年から2010年あたりの僕には、研究における大きな変化があった。

そのあたりの経緯については、あまり語ったことがなかったので、ここで覚え書きとしてまとめておくことにしたい。

2008年は僕にとって、まず最初の特別な年だった。2009年度の僕のサバティカル(研究休暇)に向け、研究会の新規募集を止めた。そのときいた1〜3年生のメンバーは、翌年僕がいない1年間を過ごすことになるので、僕がいるうちに伝えられること・一緒にできることをすべてやろうと思った。

そうして2008年は、僕も自分の個室ではなく、学生が集う共同研究室に常駐するようにした(いまの井庭研のスタイル)。何もなくても、学生と同様に、共同研究室でひとり作業をすることも。なんでもないやりとりも含めた密接な立ち位置。

2008年は、学習パターン(ラーニング・パターン)を制作した年。春から学生たちが取り組んでいたが、なかなか難航していたので、夏から僕も本格参戦した。メンバーはみんな自分の個人研究を抱えながら、それとは別の活動として学習パターンの制作に取り組んだ。今から考えると相当すごいこと。

これが僕にとって、初めての本格的なパターン・ランゲージの制作経験となった。それまで博士論文で、シミュレーションための「モデル・パターン」というのを書いていたが、学習パターンは本格度とつくり方がまったく違った。僕がパターンについて語ることは、このときにつくりながら学んだことが多い。


このころ、僕や井庭研にとってパターン・ランゲージは研究・実践のひとつでしかなく、井庭研の主力はネットワーク分析や「カオスの足あと」などの研究であった。ネットワーク科学国際学会でバラバシ教授に初めて話しかけ、自分たちの研究(楽天ブックスのデータ分析)を紹介したのはなつかしい思い出。

初めて、国際的なCGなどのカンファレンスであるSIGGRAPHに行った。「カオスの足あと」(のちに、ChaoticWalkと呼ぶ)の発表をして、まったく違う領域にも踏み込んでいた。

いろいろ迷いながら、サバティカルで行く先をMITのCenter for Collective Intelligenceという研究所にした。Peter GloorさんがCollaborative Innovation Networkという視点で新しいネットワーク分析をしていた。

このころ、サバティカルで行く先をいくつか迷っていて、ネットワーク科学の中心のバラバシラボも考えたりした。実際会いにいっていろいろ話したりもしたけれども、自分がガチであの手の解析だけで行くのかというのに迷いがあった。創造性やその支援ということに当時も興味があったから。

もうひとつ、MITメディアラボも魅力的だった。ミッチェル先生やレズニック先生など、いくつかの研究室を見学させてもらって話もしたけれども、やはりものをつくるという側面が大きく、僕の抽象的なメディア観と合いにくい(僕があまりにも門外漢すぎる)というのを感じた。
(もちろん、何のツテもないので、アポをとって、現地に行き、自分が何者で何をしたいのかを説明し、相手側がやっていることを聞き、その接点を探るということをしていくのであって、僕が行きたいから行ける、というわけではない。)

こうして、いろいろ迷った挙げ句の果て、Peter Gloorさんのもと、MIT Center for Collective Intelligenceに行かせてもらうことにした。このセンターの所長は『The Future of Work』の Thomas W. Malone教授。

こうして2009年3月からMIT Center for Collective Intelligenceで1年間の研究を始めることになるわけだけど、到着時はまだ学習パターンが完成しておらず、ボストン-日本間でskypeとメールをしながら、学習パターンの仕上げをした。これが最初。

MIT Press Bookstoreという僕の大好きな小さな本屋さんがあるのだけど、そこで当時出たばかりの二冊の本に出会った。ひとつは、スチュワート・カウフマンの『Reinventing the Sacred: A New View of Science, Reason, and Religion』、もうひとつは『How Mathematicians Think: Using Ambiguity, Contradiction, and Paradox to Create Mathematics』

当時、僕の予想では、「カオスの足あと」の研究をウォルフラムみたいに研究したいということと、Wikipediaのコラボレーションのネットワーク分析と、構造と意味の両方を分析できるネットワーク分析手法・道具の開発に取り組むつもりだった。

そんなわけで、2009年の春は、ばりばりプログラミングばかりしていた。Chaoticwalkerをつくったり、Wikipediaのデータからネットワーク分析をするプログラムなど、久々に自分でプログラミングできることに喜んでいた。

そうそう、そのころ『Refactoring: Improving the Design of Existing Code』を買い、他の人が書いたパターンは、かなりためになるという実感もした。自分のプログラムの改善に役立った。

で、朝から晩までプログラミングをしていたとき、さきほどの『Reinventing the Sacred』に本が出ているのを見つけた。この本で、複雑系の熱が再燃して、日本語訳だけもっていた複雑系の本の原著を買い集めることに。やっぱり面白くて、これで原点回帰することになった。

で、もうひとつ、『How Mathematicians Think』は僕のなかで大きな変化をもたらした一冊(僕の人生を変えた10冊のなかに入っている)。この本は、ロジカルな数学というのを生み出す数学者は、生み出す過程ではロジカルではなく創造的なのだ、という話を書いた本。サブタイトルをみれば、それがわかる。『How Mathematicians Think: Using Ambiguity, Contradiction, and Paradox to Create Mathematics』(William Byers)。とても刺激的だった。

この本が、ambiguity、つまり、「多義性」というかある種の「曖昧性」のようなものが創造において重要であるということを意識するきっかけになった。そして、それまでコラボレーションにおける創造性を考えていたけれども、個人のなかでの創造性も面白いと思った。


それまでは創造的なコラボレーションを、どのように社会システム理論(ルーマン)で説明できるかを考えていたが、『How Mathematicians Think』のように、創造において何が起きているのかを考えるべきだと考えるようになった。個人でもチームでも、創造とは何か、という。


このころ2つの発表の機会があった。ひとつはPeter Gloorさんが中心に組織化しようとしていたカンファレンス、Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs)である。この年初年度で、僕も運営側で手伝った。

もうひとつは、建築系のWebマガジン、10+1 web(テン・プラス・ワン)。こちらは、たしか、社会システム理論によるパターン・ランゲージの理解のような依頼だったと思う。

そこで、この2つの論文で、日・英で、自分の創造性の理論というものを書いてみようと考えた。2009年の夏頃の話。

まず考えたのは、創造性にとって重要な要素は何か。ひとつめは『How Mathematicians Think』にあったAmbiguityであることは決めていた。他にも、Analogyは絶対重要だろうと考えた。2つ出たので3つ目はなんだろう?しかもA始まりの言葉だと素敵だと考えた。

いろいろAから始まる言葉を考えてみたが、これまで自分が大切だと思ってきた概念で、しっくりくるものはなかなかなかった。そして、延々考えていった挙げ句に、ふと、AutopoiesisもAから始まる言葉であり、創造には不可欠な気がしてきた。しかし、ほかの2つの言葉とレベルが合わない。

そう考えていると、Autopoiesisこそが絶対的に重要なのではないか、つまり3つのキーワードではなく、Autopoiesisで説明すべきではないかと考えた。そこで、ルーマンの社会システム理論を参考に、創造システム理論というものを考えてみようと考えた。

ルーマンの社会システム理論などの本で重要な箇所を抜き出し、それを「社会システム」ではなく、「創造システム」の話といてパラフレーズして書いていく。そうすると、ルーマンの思考の型を使って、社会ではなく創造を考えることになる。そういう作業を進めた。

「社会」と「創造」は本来違うものなので、一筋縄ではいかない。単に、横滑りさせればよいというものではなく、なぜルーマンは社会をこのように捉えるのかや、なぜこの概念をもってくるのかなどの背後の意図や機能について考えざるを得なくなる。

このときは、本当にルーマンの理論の理解が進んだ。その理論を学んで理解する立場としてではなく、つくる側として理論に向き合う(もちろん本人ではないので僕なりの想像による解釈にすぎないが)、ということができた。これこそ「つくることによる学び」である。

こういう作業をしながら、書き上げたのが、10+1 webの原稿。この原稿は本当に苦しかった。書いたあとも、「なんかわかりにくい変な論文になってしまってすみません」と編集者にメールをしたのを覚えている。



でも、この原稿が書けたことで、大きな一歩を踏み出せた気がした。ここで書いたことをベースに、より詳細に考えていこう、と考えた。そこで、creativityに関する文献も読み始め、なぜ新しい理解が必要なのかについて考えを深めようとした。

それが、COINsカンファレンスで発表した論文。30分の発表の後、とても反応がよかったのは、意外にもデザイン系の人たちからだった。意外というのは、オートポイエーシスのシステム理論の話だったからだ。「詳細はわからないが、感覚と合う」という話だった。これはうれしかった。




この論文を書くためには、いろいろ言い回しを学ばなければならなかった。ルーマンを英語で読み直し、creativityについての文献を読み、そこでの言葉遣いを学ばなければならなかった。この論文も相当苦しい戦いになった。

これらの思考を深めていくときに、根本的なところで依拠していたのがニクラス・ルーマン。彼の「社会」を人から引き離して捉えるという発想が、僕の「創造」を人から引き離して捉えることの唯一の土台。この年、僕はルーマンから離れたように見えるが、実際にはより深くコミットしたといえる。

この創造システム理論は、もっと詰めたいと思っている。実は2010年のCOINsカンファレンスでは、"Autopoietic Systems Diagram for Describing Creative Processes" (Takashi Iba) というのも書いている。

(ルーマンの研究計画「社会の理論:30年」というのを真似て、「創造の理論:30年」というのを言ったら、同僚の某T先生に「そんなにかかるんじゃ、誰も待てないよ」と言われたので、急いでがんばらないといけないのです!w)

そして、久しぶりに、創造システム理論について語ったのが、こちら。



今年は、創造システム理論について深めていきたい。
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