井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

Creative Reading:『絵本作家のアトリエ 3』(福音館書店母の友編集部)

『絵本作家のアトリエ 3』は、絵本作家のアトリエを訪れ、その作家の辿ってきた道やこだわりについて聞き、それをアトリエの写真とともに紹介している本だ。

どの方の話も、それぞれ世界への好奇心と絵への思いにあふれていて面白かった。もの静かに絵本を書いている人もいれば、豪快な人もいた。

豪快といえば、五味太郎さんの話は特に面白かった。つくった絵本は400冊を超えるって、すごい。

五味さんは、そこに「おれがいる」という感覚、それこそが「絵本の仕事を続けている原動力」だという。そして、つくるプロセスについて、次のように語る。

よく、アイデアはどこから来るんですかって聞かれるけど、そんなもの、どこからも来ない。まず描いてみて、なんでこんなものを描くのだろう、と考える。その疑問をつなげていって、あ、ここにおれがいるな、と感じれば本になるし、なければやめちゃうだけ。


そして、何かから「影響を受ける」ときの共鳴について、ほんとその通りだ!と思うことを言葉にしれくれていた。

… 『影響』ってよく言うよね。『あなたの作風に影響を与えたのは?』『だれそれです。』みたいさ。でも、もともとその作品を受け止める資質がこっち側にもあったから、いいと思えるわけじゃない? 本でも絵本でも、自分の中に相手と同じ感覚がもともと準備されていたから、共感できると思うんだ。逆に言えば、その準備ができていない段階で出合っても、良さはわからない。


僕が「書こう」とするときに、本を読みまくるのもそういうことだ。本から何らかのネタを得ようとしているわけではない。そういうセコい話ではない。本に共鳴する自分のなかの思い・考えを探るために読む。自分が言葉にできずにいたことに似たようなことを考えている人の言葉を刺激として、自分の思い・考えにかたちを与えていく。そういうことをするために読んでいる。だから、その文献の ”正確な” 読解ではないし、網羅的に理解しようともしていない。自分に共鳴しない部分はさっと目を通すだけで通りすぎる。書くための読書というのは、僕はそういうものだと思っている。

そういうわけで、書くための読書で、「うぉー!そうなんだよ!」とか「わ〜!この人もこう考えるんだ!」というのを見つけると、うれしくて楽しくて、つい筆が走ってしまう。それでよい。そのために読んでいるのだから。

で、五味さんの話に戻ると、上述の話のあと、こんな面白いことを言っている。

そんなふうに思っているから、美術館に行くと大変だよ。”気が合う”作品を見つけたら『今度お茶でもしませんか?』って絵の前で言っちゃうね。でもいいなと思っても、「この人とはつきあえない」っていう作品もある。音楽で言うなら、モーツァルトと俺の相性はいまいちだろうな


実に面白い。でもその気持ち、すごくわかる。

五味太郎の絵本は基本的には『おれはこういうのがいいと思うんだけど、お前ら、どう?』と言ってるだけなの。まったくぜいたくな話しだけど、ここ十五年くらいは、世界を相手に、おれと趣味が合うやつはどれくらいいるのかなって遊んでる感じだよ


すべての作品が、仕事が、そうであるべきかもしれないと思った。もしかしたら。

そこを、そういう気持ちもない人を説得したり、その気にさせたり、ということは、どこか歪んでいるのかもしれない。

いろんな考え方、いろんな表現があって、それらがたくさん織り合わさって世界ができている。そういう方が幸せな世界なのかもしれない。

だからこそ、次のような気持ちなのだろう。

絵本をずっと作ってきたけど、『幼い子どもに本を与えよう』なんてことには興味がない。本との出合いって個人個人の人生における事件だと思うんだ。その出合いはお見合いみたいなものじゃなくて、もっとドラマチックなものだと思うんだよ。

おれはね、単に、ガキのころの、あの自由な魂をもっとふくらましてやればいいと思ってるんだ。人間には生まれついての『生きていく能力』が内在していると思う。もう持っているのであって、後から与えられるものじゃない。でも、その力は成長する過程で薄れていく。だからその力を守るような、くじけそうなときに支えになるような、そういう本を準備しておいてやりたいなと思うんだよ。それが俺の野望。


与えるのではなく、準備して、手に取れるところにそっと置いておく。本を読んで取り入れるのではなく、自分のなかにあるけれども弱ってしまった力を共鳴させて強めることを支援する。

パターン・ランゲージの役割もそこにあると、僕は思っている。経験がまったくないものは、パターンを読んでも理解できない。頭で理解できても、自分のものにならない(しかし、その視点だけはもつことができるので、未経験のパターンを知ることは、別の効果があるのであるが)。

だからこそ、パターン・ランゲージを用いた対話ワークショップでは、僕は、「子どものころから今までのすべての経験を思い出してください。小学生のときの経験でも、高校の部活の経験でもよいのです。」ということを言っている。

みんな、本当はどこかでかなりのパターンを、多かれ少なかれ実践しているのだ。でも、「大学で行うことだから」とか「仕事だから」ということで、そういう経験は別ものだと決めつけて、切断してしまう。そうやって、自ら「初めてのこと」にしてしまって、わからないからできない気持ちになったり、○○メソッドみたいなやり方に自分を合わせたりする。

そうではなくて、自分がもともともっている小さな経験に意味を与え、それを、今/これからの力にして、実践へと促す。個々のパターンは忘れかけている弱くなってしまった経験を「注目に値するもの」として、それを増幅させ、自分への自信やこれからの実践の支えとなるように強くする。パターン・ランゲージにできることは、そういうことなのだと思う。

五味さんの他の話も、他の作家たちの話も、まだまだ面白い話がたくさんあったのだが、それを取り上げ始めると切りがないので、今回はここまで。読みやすい本なので、紅茶でも飲みながら、ゆったりとした気持ちで読んでみるとよいかもしれない。

PictureBook.jpg『絵本作家のアトリエ 3』(福音館書店 母の友 編集部, 福音館書店, 2014)
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