Vision Cube: 未来の社会をかたちづくる「新しい学問」をつくる
僕は、いま行なっているパターン・ランゲージの研究や社会システム理論 / 創造システム理論の研究を通じて、未来の社会をかたちづくる「新しい学問」をつくることに寄与したいと考えている。
学生時代、当時できたばかりの慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)で学び、研究し、現在はここで教員をしている。SFCという既存学問分野にとらわれない研究・教育の場にいたからこそできる知と方法の探究を、さらに推し進めたい。
未来の社会をつくる「新しい学問」とは、どのようなものだろうか。それを考えるために、ここでは次の3つの軸で構成される空間を考え、位置づけを試みたい。ここでは、この空間を「Vision Cube」と呼ぶことにしよう。
以下、走り書きのようなかたちになってしまうが、いま考えていることをまとめておくことにしたい。
(1) Academic-oriented ←→ Issue-oriented
(2) 狭義の“科学” ←→ 事実/価値を不可分とする新しい学問
(3) 個別学問分野(Discipline) ←→ 超領域的(Trans-disciplinary)
このVision Cubeのなかの黄色で書いた領域こそが、僕が取り組みたい、未来の社会をつくる「新しい学問」の領域である。それは、このCubeの位置付けでいうならば、「超領域的で、事実/価値を不可分とする新しい学問」である。それがどういうものであるかを示すために、それぞれの軸について紹介していく。
まず最初に、(1) Academic-oriented ←→ Issue-oriented の軸から見ていこう。「学問体系の発展」に重心が置かれているのか、世の中のイシューからスタートして「実際の問題解決」が目的とされているのか、ということを表す軸である。 Issue-orientedというのは、現実問題の解決ということでSFCでもずっと言われてきたことである。多くの場合、いくつかの個別科学分野(ディシプリン)の協力によって「学際的」(Inter-disciplinary)に取り組まれることになる。Academic-orientedに行くほど、学問体系の発展のために研究がなされ、Issue-orientedに行くほど、問題を解決するということが優先される、という軸である。
次の軸は、(2) 狭義の“科学” ←→ 事実/価値を不可分とする新しい学問 である。「狭義の“科学”」とは、一般に広くイメージされるいわゆる「科学」(サイエンス)のことだ。つまり、何らかの"客観的"なデータを用いて実証していくことで、何が「真」(true)であるかを明確化するという、近代的な科学観である。これに対し、「事実/価値を不可分とする新しい学問」とは、事実(真)と価値(善)は不可分である = 独立に決めることはできない、という立場をとる。
近代の科学観しか知らなければ、奇妙に見える「事実/価値を不可分」という主張は、長い知の歴史や哲学的潮流から見れば、それほどおかしなことを言っているわけではない。もちろん、近代化以前に戻ろうという話ではない。狭く取り過ぎていた学問の境界を引き直そう、という話である。哲学におけるプラグマティズム(例えば、H・パトナム『事実/価値二分法の崩壊』)や、政策学の価値判断の不可分性の話に通じる。
この点について、パターン・ランゲージを例に、もう少し論じておこう。パターン・ランゲージは、「狭義の“科学”」的な基準ではなく、「事実/価値を不可分とする」ことを重視している(井庭崇 編著『パターン・ランゲージ』第1章参照)。パターン・ランゲージのつくり手は、自らを透明な外部観察者・外部記述者として位置付けたりはしない。その代わりに、「何がよいことなのか」「どういうことがおすすめされるべきか」ということについて、自ら(自分たち)の価値判断をくぐらせる。多くの人がしているからといって、それがよいと思えない(おすすめできない)のであれば、それは共有すべきパターンにはならないだろう(パターンにはしないだろう)。逆に、少数の事例に見出されたものであっても、多くの人に知られるべきであると判断されれば、それはパターンになるだろう(パターンにするだろう)。
このように、自ら(自分たち)の価値判断をくぐらせるということは、「狭義の“科学”」の立場から見れば、もろく危ないやり方に映るというのは理解できる。しかし、事実/価値は本来的に不可分であると考える立場からすれば、本来できないことをできるかのように振る舞うことの方が欺瞞であると思う。
いまパターン・ランゲージについて述べてきたことをより理解するために、ノンフィクションのドキュメンタリー作品をつくるというメタファーを取り上げたい。ノンフィクションであるからには、何らかの「事実」に基づいて作品がつくられるのは当然である。しかし、その事実のどこをどのように表現して伝えるのかは、そのつくり手に委ねられている。より明確に言うならば、そのつくり手の価値をくぐらせることになる。それはネガティブなことではなく、それこそがドキュメンタリーのつくり手の力量であり、特徴となる。ドキュメンタリー作家は、透明な存在ではない。そうではなく、その作家の価値判断を通して取捨選択され、強弱がつけられている(このことは、すべてのマスメディアも同様である)。
以上のように、パターン・ランゲージは、「狭義の“科学”」では行うことができない、「事実/価値を不可分とする新しい学問」を志向している。
Vision Cubeの三つめの軸は、(3) 個別学問分野(Discipline) ←→ 超領域的(Trans-disciplinary) である。ここで、「学際的」(Inter-disciplinary)と「超領域的」(Trans-disciplinary)は異なるものである、という認識が重要である。
「学際的」(Inter-disciplinary)とは、個別学問分野(Discipline)の組み合わせを意味する。「国際的」(Inter-national)が、「国」(nation)の「際」(inter)という意味であるのと同じように、「学際的」(Inter-disciplinary)とは、「個別学問分野」(discipline)の「際」(inter)なのである。ここで注意が必要なのは、「学際的」(Inter-disciplinary)においては、個別学問分野(Discipline)の存在は前提とされ、また変わらず存在し続けるという点である。このことは、複数の個別学問分野(Discipline)をつなぐ「multi-disciplinary」と言ったところで同様である。
これに対して、「超領域的」(Trans-disciplinary)というのは、個別学問分野(Discipline)を超えた領域を指している。哲学や数学、システム理論などはこのような超領域的な学問であり、パターン・ランゲージもここに位置すると僕は考えている。
この区別をしっかりと理解した上で、Vision Cubeに戻ると、先ほどよりも、軸の取り方の意味がよりわかると思う。「超領域的」(Trans-disciplinary)は軸の一方向になっているのに対して、「学際的」(Inter-disciplinary)は軸には正式には書かれていない。あくまでも、「Issue-oriented」に補足するかたちで添えられているにすぎない。
また、よくよく見ると、Vision Cubeには、「モード1」「モード2」という言葉も添えられているのに気づくだろう。これは、マイケル・ギボンズが『現代社会と知のの創造』のモード論に対応している。そこでは、「Academic-oriented」かつ「個別学問分野」の従来の学問が「モード 1」と呼ばれ、「Issue-oriented」かつ「超領域的」な知の生産様式を「モード 2」と呼ばれている。
ここでもう一度、Vision Cubeを載せておこう。
(1) Academic-oriented ←→ Issue-oriented
(2) 狭義の“科学” ←→ 事実/価値を不可分とする新しい学問
(3) 個別学問分野(Discipline) ←→ 超領域的(Trans-disciplinary)
この3つの軸で構成される空間において、黄色で描かれた領域が、僕の取り組みたい「新しい学問」ということになる。それが、「超領域的で、事実/価値を不可分とする新しい学問」である。
(2)(3)は片側に寄ったかたちになるが、(1)の軸である「Academic-oriented」「Issue-oriented」は、どちらにもかかったかたちで領域が取られている。つまり、「Academic-oriented」でも「Issue-oriented」でもある得るということである。
パターン・ランゲージを例にとると、「建築」「ソフトウェアデザイン」「学び」「プレゼンテーション」「企画」「料理」「認知症とともによりよく生きる」など、現実世界の個々の問題・課題ごとに、それを解決できるように研究・制作・実践していく。これはパターン・ランゲージの「Issue-oriented」な研究である。
これに対して、パターン・ランゲージの「Academic-oriented」な研究もある。それは、方法論に関する研究であったり、哲学的な位置づけに関するものなどがここに当たる。つまり、パターン・ランゲージの学問体系を発展させる研究がここにあたる。
パターン・ランゲージは、単なる知識共有のひとつの方法というふうに捉える人が多いかもしれないが、僕は、このような「超領域的で事実/価値を不可分とする新しい学問」のプラグマティックな実践であると考えている。そして、それこそが、社会や学問における縦割りの閉塞感を打ち破り、未来をのびやかにかたちづくる道だと、僕は信じている。
SFCでこれからも、未来の社会をかたちづくる「新しい学問」をつくっていきたい。
井庭 崇 編著, 中埜 博, 江渡 浩一郎, 中西 泰人, 竹中 平蔵, 羽生田 栄一, 『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語』, 慶應義塾大学出版会, 2013
マイケル・ギボンズ, 『現代社会と知の創造:モード論とは何か』, 丸善, 1997
ヒラリー・パトナム, 『事実/価値二分法の崩壊』, 法政大学出版局, 2011
学生時代、当時できたばかりの慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)で学び、研究し、現在はここで教員をしている。SFCという既存学問分野にとらわれない研究・教育の場にいたからこそできる知と方法の探究を、さらに推し進めたい。
未来の社会をつくる「新しい学問」とは、どのようなものだろうか。それを考えるために、ここでは次の3つの軸で構成される空間を考え、位置づけを試みたい。ここでは、この空間を「Vision Cube」と呼ぶことにしよう。
以下、走り書きのようなかたちになってしまうが、いま考えていることをまとめておくことにしたい。
(1) Academic-oriented ←→ Issue-oriented
(2) 狭義の“科学” ←→ 事実/価値を不可分とする新しい学問
(3) 個別学問分野(Discipline) ←→ 超領域的(Trans-disciplinary)
このVision Cubeのなかの黄色で書いた領域こそが、僕が取り組みたい、未来の社会をつくる「新しい学問」の領域である。それは、このCubeの位置付けでいうならば、「超領域的で、事実/価値を不可分とする新しい学問」である。それがどういうものであるかを示すために、それぞれの軸について紹介していく。
まず最初に、(1) Academic-oriented ←→ Issue-oriented の軸から見ていこう。「学問体系の発展」に重心が置かれているのか、世の中のイシューからスタートして「実際の問題解決」が目的とされているのか、ということを表す軸である。 Issue-orientedというのは、現実問題の解決ということでSFCでもずっと言われてきたことである。多くの場合、いくつかの個別科学分野(ディシプリン)の協力によって「学際的」(Inter-disciplinary)に取り組まれることになる。Academic-orientedに行くほど、学問体系の発展のために研究がなされ、Issue-orientedに行くほど、問題を解決するということが優先される、という軸である。
次の軸は、(2) 狭義の“科学” ←→ 事実/価値を不可分とする新しい学問 である。「狭義の“科学”」とは、一般に広くイメージされるいわゆる「科学」(サイエンス)のことだ。つまり、何らかの"客観的"なデータを用いて実証していくことで、何が「真」(true)であるかを明確化するという、近代的な科学観である。これに対し、「事実/価値を不可分とする新しい学問」とは、事実(真)と価値(善)は不可分である = 独立に決めることはできない、という立場をとる。
近代の科学観しか知らなければ、奇妙に見える「事実/価値を不可分」という主張は、長い知の歴史や哲学的潮流から見れば、それほどおかしなことを言っているわけではない。もちろん、近代化以前に戻ろうという話ではない。狭く取り過ぎていた学問の境界を引き直そう、という話である。哲学におけるプラグマティズム(例えば、H・パトナム『事実/価値二分法の崩壊』)や、政策学の価値判断の不可分性の話に通じる。
この点について、パターン・ランゲージを例に、もう少し論じておこう。パターン・ランゲージは、「狭義の“科学”」的な基準ではなく、「事実/価値を不可分とする」ことを重視している(井庭崇 編著『パターン・ランゲージ』第1章参照)。パターン・ランゲージのつくり手は、自らを透明な外部観察者・外部記述者として位置付けたりはしない。その代わりに、「何がよいことなのか」「どういうことがおすすめされるべきか」ということについて、自ら(自分たち)の価値判断をくぐらせる。多くの人がしているからといって、それがよいと思えない(おすすめできない)のであれば、それは共有すべきパターンにはならないだろう(パターンにはしないだろう)。逆に、少数の事例に見出されたものであっても、多くの人に知られるべきであると判断されれば、それはパターンになるだろう(パターンにするだろう)。
このように、自ら(自分たち)の価値判断をくぐらせるということは、「狭義の“科学”」の立場から見れば、もろく危ないやり方に映るというのは理解できる。しかし、事実/価値は本来的に不可分であると考える立場からすれば、本来できないことをできるかのように振る舞うことの方が欺瞞であると思う。
いまパターン・ランゲージについて述べてきたことをより理解するために、ノンフィクションのドキュメンタリー作品をつくるというメタファーを取り上げたい。ノンフィクションであるからには、何らかの「事実」に基づいて作品がつくられるのは当然である。しかし、その事実のどこをどのように表現して伝えるのかは、そのつくり手に委ねられている。より明確に言うならば、そのつくり手の価値をくぐらせることになる。それはネガティブなことではなく、それこそがドキュメンタリーのつくり手の力量であり、特徴となる。ドキュメンタリー作家は、透明な存在ではない。そうではなく、その作家の価値判断を通して取捨選択され、強弱がつけられている(このことは、すべてのマスメディアも同様である)。
以上のように、パターン・ランゲージは、「狭義の“科学”」では行うことができない、「事実/価値を不可分とする新しい学問」を志向している。
Vision Cubeの三つめの軸は、(3) 個別学問分野(Discipline) ←→ 超領域的(Trans-disciplinary) である。ここで、「学際的」(Inter-disciplinary)と「超領域的」(Trans-disciplinary)は異なるものである、という認識が重要である。
「学際的」(Inter-disciplinary)とは、個別学問分野(Discipline)の組み合わせを意味する。「国際的」(Inter-national)が、「国」(nation)の「際」(inter)という意味であるのと同じように、「学際的」(Inter-disciplinary)とは、「個別学問分野」(discipline)の「際」(inter)なのである。ここで注意が必要なのは、「学際的」(Inter-disciplinary)においては、個別学問分野(Discipline)の存在は前提とされ、また変わらず存在し続けるという点である。このことは、複数の個別学問分野(Discipline)をつなぐ「multi-disciplinary」と言ったところで同様である。
これに対して、「超領域的」(Trans-disciplinary)というのは、個別学問分野(Discipline)を超えた領域を指している。哲学や数学、システム理論などはこのような超領域的な学問であり、パターン・ランゲージもここに位置すると僕は考えている。
この区別をしっかりと理解した上で、Vision Cubeに戻ると、先ほどよりも、軸の取り方の意味がよりわかると思う。「超領域的」(Trans-disciplinary)は軸の一方向になっているのに対して、「学際的」(Inter-disciplinary)は軸には正式には書かれていない。あくまでも、「Issue-oriented」に補足するかたちで添えられているにすぎない。
また、よくよく見ると、Vision Cubeには、「モード1」「モード2」という言葉も添えられているのに気づくだろう。これは、マイケル・ギボンズが『現代社会と知のの創造』のモード論に対応している。そこでは、「Academic-oriented」かつ「個別学問分野」の従来の学問が「モード 1」と呼ばれ、「Issue-oriented」かつ「超領域的」な知の生産様式を「モード 2」と呼ばれている。
ここでもう一度、Vision Cubeを載せておこう。
(1) Academic-oriented ←→ Issue-oriented
(2) 狭義の“科学” ←→ 事実/価値を不可分とする新しい学問
(3) 個別学問分野(Discipline) ←→ 超領域的(Trans-disciplinary)
この3つの軸で構成される空間において、黄色で描かれた領域が、僕の取り組みたい「新しい学問」ということになる。それが、「超領域的で、事実/価値を不可分とする新しい学問」である。
(2)(3)は片側に寄ったかたちになるが、(1)の軸である「Academic-oriented」「Issue-oriented」は、どちらにもかかったかたちで領域が取られている。つまり、「Academic-oriented」でも「Issue-oriented」でもある得るということである。
パターン・ランゲージを例にとると、「建築」「ソフトウェアデザイン」「学び」「プレゼンテーション」「企画」「料理」「認知症とともによりよく生きる」など、現実世界の個々の問題・課題ごとに、それを解決できるように研究・制作・実践していく。これはパターン・ランゲージの「Issue-oriented」な研究である。
これに対して、パターン・ランゲージの「Academic-oriented」な研究もある。それは、方法論に関する研究であったり、哲学的な位置づけに関するものなどがここに当たる。つまり、パターン・ランゲージの学問体系を発展させる研究がここにあたる。
パターン・ランゲージは、単なる知識共有のひとつの方法というふうに捉える人が多いかもしれないが、僕は、このような「超領域的で事実/価値を不可分とする新しい学問」のプラグマティックな実践であると考えている。そして、それこそが、社会や学問における縦割りの閉塞感を打ち破り、未来をのびやかにかたちづくる道だと、僕は信じている。
SFCでこれからも、未来の社会をかたちづくる「新しい学問」をつくっていきたい。
井庭 崇 編著, 中埜 博, 江渡 浩一郎, 中西 泰人, 竹中 平蔵, 羽生田 栄一, 『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語』, 慶應義塾大学出版会, 2013
マイケル・ギボンズ, 『現代社会と知の創造:モード論とは何か』, 丸善, 1997
ヒラリー・パトナム, 『事実/価値二分法の崩壊』, 法政大学出版局, 2011
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