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5.わがもの顔のポップメディ
アAVと”ハッピークエスターズ”
音響と映像にかんする感覚的でポップな情報メディア(AV系ニューメディア)の誕生は、子供たち(若者:核家族にあっては逸脱者/だから社会化)の圧倒的な支持を受け、子供部屋(=コクピット)を拠点にして家族構造を「核家族から粒子家族」へと誘導していった。
子供たちが自分の部屋を「コクピット」と呼ぶ時、そこは「僕の部屋は東京(TOKIO)よりも、おもしろい」情報空間であり、子供役割から離脱した「自分らしさ」を表現する場になった。コクピットは、シンセサイザーなどのニューメディアを駆使して、自分に似合った音や映像が交響する情報環境を創造・編集する場であり、そこで子供たちは、それまで家族役割に縛られていたさまざまな感覚器官を自由に拡散させ、個としての境界とその環境を融合させ、「子供という社会的役割」から「感覚器官群の共鳴体」へと自己認識をトランスフォームさせていった。コクピットは、すでに粒子家族の情報空間であり、核家族の空間ではなかった。自分の部屋は、核家族では役割分化された子供役割を効率的に遂行する場(子供部屋=勉強部屋)であったが、粒子家族ではそのような固定的な役割から自分を解放して、感覚器官群の共鳴体として新しい自分を生成・編集する場(コクピット)になっていた。
「ポップメディア」とはコクピットにおける情報メディアであり、そのメディアと戯れる子供たち("YOUNG-AT-HEART"をも含む)を「ハッピークエスターズ」と呼びたい。ハッピークエスターズは、孤独な群衆の延長線上に想定されるイメージであるが、孤独な群衆のように、盛り場のような境界領域(ハレの遊び空間)に逃避して安心する逸脱意識をもった大人ではなく、家庭生活の中に自分のコクピットを分有することをなんら不思議に思うことなく、ポップメディアとその情報環境に共鳴している子供たちである。かつての「マスメディアと孤独な群衆」の意味連関は、ここにいたって「ポップメディアとハッピークエスターズ」の意味連関へと変容した。そこに介在するのが、核家族から粒子家族へ家族変動であった。
コクピットはポップメディアによって新しい情報環境を生成・編集する場であり、たとえばそこでの音はサウンドスケープとして自己の感覚器官と融合・共鳴していた。昔の音楽好きのように音響装置の前にじっと座り、そのシングル・メディアとの意識的な関係を追求するといった<主体と客体>の弁別は解消され、サウンドスケープというマルチ・メディアが創る音世界のなかで、自分と音との境界があいまいなまま共鳴しあっている状態が生成されていた。同様に、映像にかんしても、テレビはすでに一つのディスプレイにすぎず、完全に環境映像化していた。
昔のテレビ時代のように情報環境が疑似環境として認識されることはなく、マルチメディアで生成・編集した情報はリアルな情報環境を生成していた。たとえばテレビの映像だけを流し、音は別のメディアをかぶせるといった編集も自在になされ、さらにビデオなどの利用による多様な情報編集も自明なものになり、それによって自分らしいリアルな映像環境が創作されていた。
ポップメディアによる情報のスケープ化は、単にコクピットにとどまらず、他の領域にまで拡散していった。そのシンボルが懐かしいウォークマンである。ウォークマンをかけたハッピークエスターズは、通勤通学などの境界領域をも新しいポップな情報環境へと変貌させた。ニューメディアのおかげでいままで無駄でしかなかった境界領域が一気にサウンドスケープ化し、それ自体で意味を誘発する領域へと変貌していった。
ここには、孤独な群衆が遊びを家庭に持ち込んだのとは逆に、ハッピークエスターズが家庭から外にポップな情報を放出しはじめたという新しい融合化現象がみられた。無駄・無意味だった中間領域が新しい価値を付与されて、粒子家族と共鳴し始めていた。かつてマージナル領域にただずんでいた孤独な(淋しい)群衆が、こうしてテレビと電話を媒介にして核家族に侵入し、そこで新しい価値を創出した時、《粒子家族》への移行は、すでにスタートをきっていた。
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