ネットワークイデオロギー
-Network ideology-
21世紀の最初の10年は、 ネットワーク環境の基盤整備にして、
現代社会が大きく展開する時代である。
本論ではネットワークがもたらす社会生活面での影響について考える。
1. 恋愛至上主義と核家族
2. 第3の絆
3. 脱境界の思考:覗きと露出
4. 豊かさの思考:情報共有
5. ボランティアの思考:情報探索と情報支援
6. 小さな公共性の思考:自己責任と相互了解
7. ネットワークイデオロギー
2.第3の絆

きょうだい関係は広がりをもつ。「きょうだいは、他人の始まり」という諺があるように、きょうだい関係は、親にも配偶者にも拘束されないから、つねに外部へのつながりをもって家族を維持できる。核家族では、恋愛の絆が男女関係に閉じているので、家族の境界を越えて、家族としての広がりはない。どこまでも閉じることで、核家族は機能する。これにたいして、親子関係からなる伝統的家族では、血縁がその縦のつながりとして、家族を拡張する機能を果たすので、ここに親族が形成される。その親族の最大の拡張として、伝統的な国家が成立するのである。

きょうだい関係は、血縁の縦系列の拡張とは対照的に、横のつながりの拡張をもたらす。家族を超えた拡張性をもつという点では、恋愛の絆とは違って血縁に似ているが、その拡張性の方向にかんして、血縁とは明らかに異なっている。ではそれはどのような特性をもつか。

まず、きょうだい関係はよわい者(フラジャイル)同士のつながりである。したがってこの関係を維持するには、権力(血縁における親)と恋愛の場合ように、所有による関係づけではなく、非所有(何もない、だから助けて)をもとに生成される「探索と支援」の関係に頼らざるをえない。しかもその探索と支援は、狭い家族の領域ではまったく充足されないから、つねに外部へと関係づけが拡張される。自分の家族は、その意味では、非常に弱い拘束しかもたず、その境界は柔らかくならざるをえない。自分の家族は、したがって閉じることなく、外部への依存(探索と支援)を前提として構成される。
 つぎに、きょうだいは性別を問わないから、家族は、男女のカップルを前提とすることはない。ゲイ/レズビアンの家族も、ここでは成立可能である。また通常の弱者である子供や高齢者は、その扶養を外部に委託される存在である。そもそも家族の主たる構成者さえも弱い存在(概念としてであるが)であるから、ここでは、家族全員がみんな弱い者でしかない。とすれば、子供や高齢者を、自分の家族の内部に抱えて面倒をみなければならない、という資格も規範もここにはない。素直に外部との関係で扶養することが望ましい、という論理が導かれる。

最後に、きょうだいの絆である「友情(きょうだい愛)」とは何か。恋愛の愛が相手を奪うことであるのに対して、友情の愛は、相手を支えることである。自分が強いから奪うのと対照的に、ここでは、自分は弱いから相手を支える(尽くす)のである。これはボランティアの精神そのものである。友情(友愛/フレンドシップ/パートナーシップ)は、その意味ではボランティアとしての振る舞いである。つまり友情はネットワークにおける精神そのものである。ネットワーク環境になかで家族を構成しようとすれば、二人は、それが男女関係であっても、恋愛である以上に友愛(ボランティアの精神)の絆を優先して、自分の家族を生成しようとする。

このようにみると、ネットワーク環境と家族との関係では、きょうだいの絆がよりふさわしいかもしれない。そこでつぎにネットワークそのものに言及してみよう。