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3.脱境界の思考:覗きと露出
のぞき趣味は悪いと、誰もが思っている。同じように露出狂も一種の狂気だろうから、誰もが悪いことだと確信している。なぜ誰にも見せたくないことを、のぞき見したくなるのだろうか。なぜ誰もみたくないことを、見せたくなるのだろうか。この2つの行為には越えてはいけない境界を越えるという共通点があり、その越境がいまの社会的なルールでは悪いというレッテルを貼られる行為なのである。ここには、プライベートな世界という明確な境界があり、それを外から了解なく侵害することは許されないし、また外のパブリックな世界が求める「あるべき姿」に違反して、寝間着姿で公式パーティに出席するように、本来プライベートな世界に封じ込めておくべきことがらを、節操なく外に露出することははしたない、というルールがある。これが公私(内外)のルールである。
しかしネットワークの環境では、このルールはもはや無効である。最近流行のCCDカメラをネットワークにつなげて楽しんでいる場面を考えてみよう。自分の私的な部屋にCCDカメラをセットすると、通常ならばドアを閉じれば、そこは完全に私的な空間になるけれど、ここでは外部から部屋の様子を覗くことができる。インターネットのホームページにこうやってカメラをつなげているサイトはたくさんあって、それなりに新しいのぞきの環境が提供されている。これは、あきらかに自分の部屋と外部との境界を曖昧にすることで、新しい世界を生成している。この環境では、昔ならばプライベートな自分の世界に封じ込めるべきことを、そのまま外部に公開して、そのことで、新しい自分のあり方を表示している。自分という個人を、プライベートとパブリックに明確に区分することで、自己の存在を証明する(つまりアイデンティティを確認する)のではなく、積極的に境界を曖昧にすることで、新しい自己のありかたを追求している。自分の毎日の日記をネットワーク上で公開する、ということも同じような試みである。ここには私的な世界を外部に露出することで、また外部も積極的に私的な世界に踏み込むことで、自他の社会関係を根本から変革する。のぞきも露出も、ネットワークの環境ではそれなりに許容された新しい関係である。
ネットワーク環境では、境界の概念が欠落している。従来のように、まずは境界を設定して内と外を確定し、その前提にもとづいて内部調整(分化と統合)と外部調整(交換と権力)をはかる、という方法論がネットワークでは欠落している。ネットワークには、まずは境界ありきの発想はない。あるのは「まずはリンク」である。まずはどことでもいいから「つながる」ことが最優先される。そこでは内も外もないから、従来のような内/外を前提としたルール化がなされず、したがって「覗きや露出」に相当する行為が許容される。これは主体/システムの境界設定を前提にする既存の考えを根本から変革する重要な思考方法である。
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