ネットワークイデオロギー
-Network ideology-
21世紀の最初の10年は、 ネットワーク環境の基盤整備にして、
現代社会が大きく展開する時代である。
本論ではネットワークがもたらす社会生活面での影響について考える。
1. 恋愛至上主義と核家族
2. 第3の絆
3. 脱境界の思考:覗きと露出
4. 豊かさの思考:情報共有
5. ボランティアの思考:情報探索と情報支援
6. 小さな公共性の思考:自己責任と相互了解
7. ネットワークイデオロギー
5.ボランティアの思考:情報探索と情報支援

従来の情報/コミュニケーション論の基本は情報発信/情報所有の考え方にある。つまり情報発信するには情報を所有していなければならず、しかも情報発信に価値を発生させるにはその情報が希少でなければならず、その希少な情報を所有することではじめて情報発信が社会的意味をもつ、という論理である。しかしネットワーク環境では、人々は情報発信を最優先しない。まずここで重要なことは「人は情報を所有していなくても主体的にネットワーク環境に参加できる」という認識である。欲しい情報が手元には何もないという条件がネットワークでのコミュニケーションを始動させる第1歩である。人は情報を所有していないから、ネットワーク環境で情報を求めて探索する。だからサーチエンジンがネットワークでは不可欠なツールなのである。つぎに「自分のほしい情報はネットワークで誰かが保有している」という認識も重要である。しかもその誰かは、情報を保有しているけれど、発信しないでじっと待っているだけである。そしてそこにサーチエンジンを介してアクセスしたとき、自分のほしい情報が得られるという仕組みがネットワーク環境である。

誰もが情報を所有していないから、情報の希少性は問題にならない。情報を保有しているのはアクセス先で、しかもその先方はネットワーク上に無限に散在してじっと待つだけだから、情報を所有する意志はそこにはない。だからすべての先方はネットワーク上に情報を公開しているだけである。とすると、ここから情報は探索行為を支援するために存在する、という関係が発生する。それが情報を共有することで成立するネットワークの精神である。ネットワークにおける関係の基本は、したがって、情報所有と情報発信ではなく、情報非所有と情報探索であり、その行動を支持する情報支援と情報共有の関係である。これは既存のコミュニケーション行動を根本から変革する。

ネットワーク環境では、人はすべて「知りたい、でも知らない、だから、誰か助けて」という意味で弱い人であり、その前提に立脚してコミュニケーションが発動される。だから情報探索がスタートで、情報支援がそれに応えることで、コミュニケーションが成立する。したがって既存の情報発信と情報受容のコミュニケーション図式はもう古い。これは、情報を所有している人と所有していない人の落差を利用して、情報が伝達される図式で、これは対面的で閉鎖した関係に典型的なコミュニケーション・パターンで、ネットワークという非対面的でオープンな環境ではふさわしくない。情報発信ー受信のモデルが、強者と弱者の関係から構成されるのにたいして、ネットワーク環境では『すべてが弱者で、同時にすべてがボランティア』なのである。ネットワークは、相互に情報探索し相互に情報支援する関係をもっとも優先する環境である。これはボランティアそのものである。すべての人が、弱い自分を前提にしてコミュニケーションをするとき、そこではすべての人は必然的にボランティアとして行動せざるをえない。一部の弱者にたいして一部の強者がやさしさを振りまく、という役割分化が確定した関係としてのボランティアではなく、すべての人が弱いことで、その人の心理(やさしいとかのボランティア精神)に関係なく、誰もが社会的な役割関係においてボランティアとして行動する。ネットワークの基本はボランティアのネットワークなのである。