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2007年05月13日
第5回授業レビュー(その4)
【国連決議1701号】
レバノン紛争は、最終的に欧米諸国の仲介によって、国連決議1701号を当事者が受諾することによって、停戦にたどり着きました。この国連決議1701は、安保理決議としてはかなり具体的な文章になっています。その内容は大きく5つに分かれます。
第一は「イスラエル・ヒズボラ双方の敵対行為の全面停止」です。これが国連決議1701の第1番目の原則となっています。第二は、停戦監視のため「南レバノン全土にレバノン政府軍と国連レバノン暫定軍(UNIFIL)を展開」するということです。このイスラエル・ヒズボラを停戦させ、その停戦を担保するために国連がUNIFILを強化し、停戦を監視するという役割になったということですね。
第三は「南レバノンでのレバノン政府軍、UNIFILの展開と並行し、イスラエル軍は撤退」するということです。国連決議1701号には“2.Upon full cessation of hostilities, calls upon the Government of Lebanon and UNIFIL as authorized by paragraph 11 to deploy their forces together throughout the South and calls upon the Government of Israel, as that deployment begins, to withdraw all of its forces from southern Lebanon in parallel”と記述があります。「並行的展開・撤退」というのは、90年代のユーゴ紛争のときに、国連の平和維持部隊とセルビア軍が撤退するプロセスにみられるように、国連が比較的得意としている方式です。このように、軍事的な空白をつくらない形で徐々に撤退していくという形式がとられました。
第四は「レバノン政府軍およびUNIFILを除く武装勢力のリタニ川以南への侵入を禁止」するということです。これはヒズボラの具体的な行動を縛ろうとする文言です。第五は「UNIFILを15, 000人に増強する」という形で、旧来のUNIFILにこの国連決議1701のマンデートを新たに付加するという形で、「停戦監視・人道支援・レバノン国軍支援などを主なマンデートとする」として部隊を増強することになっているということです。
最も多く派遣しているのがイタリアで、次がドイツ、フランスというふうにつながっていって、ここで非常に特徴的なのはトルコが派遣したことです。さらにインドネシア、カタール、そして最近ブルネイが100 名、マレーシアが360 名という、イスラム国家が国際部隊に関与していることがたいへん重要な位置づけになっています。中国もこの部隊に1,000人の派兵を決定し、国連の事務局自体は、さらなるアラブ諸国の参加を慫慂(しょうよう)している状況だということです。この配備の仕方についてもひと悶着あり、レバノン南部だけではなく、シリア・レバノンの国境付近にもこのUNIFILを配備したらどうかというような議論がなされたわけですが、これについてはシリアが、主権の侵害だということで強く非難をして実現をしなかったという経緯があります。いずれにせよ、欧州、アラブ諸国、中国を含む多国間主義がレバノンで成立したということは、高く評価してよいことだと思います。
【国連決議1701号の『選択的履行』】
国連決議1701号は、イスラエル・ヒズボラ(レバノン)関係を、どれほど安定的に管理できるのでしょうか?この問題については、国連決議1701号が十分に達成していないことについて、検討が必要となります。第一は、(イスラエルや米国が当初強く求めた)ヒズボラの武装解除が棚上げされているということです。ヒズボラが1701号をしぶしぶ受け入れた背景は、おそらくヒズボラ自身の武装解除を実行しないという内々の約束が成立していた可能性が高いです。EU諸国も、ヒズボラの武装解除を任務としないことを確認した上で、部隊の派遣に同意をしているようです。すなわち、対立の原因の一つとなった、ヒズボラの戦力の管理について、国連決議は役割を果たしている状況にはありません。
第二に、UNIFILの権限にも大きな限界が存在します。仮にイスラエルとヒズボラのいずれかが停戦違反によって戦闘を再開した場合、UNIFILはこれに対する強制行動を伴う権限やマンデートは必ずしも明確ではなく、かつその装備はイスラエル軍やヒズボラ軍に対抗できるものではありません。特にレバノン国軍は、不幸な内戦の歴史も重なり、その軍事建設・部隊の整備(ミリタリー・コントストラクション)が十分ではありません。レバノン南部に配置されているといっても、その装備と訓練はたいへん未熟な状態です。レバノン南部自体がレバノン国軍によって安定を保っていくには、なお大きな課題があるといえます。
第三は、「残された係争問題」があります。ガザの南部における戦闘をいかに処理するかという問題は、国連決議1701号と併せて、引き続き重要な課題として残っています。また「シェバ農場」の占領問題については、ヒズボラが武装解除を拒否する口実としていまだに残されています。
現在のヒズボラは、(その3)で解説する国連決議1701の合意以降、基本的に1989年に締結された「タイフ合意」の遵守を表明することによって、引き続きレバノン政府の中の既存の政治体制の内側にとどまることを表明しています。但し、現在のレバノン政府のガバナンスやガバナビリティーには、依然として問題があります。例えばレバノン国軍にしても、ヒズボラの武装組織との関係に混乱がみられます。政治体制の中に「タイフ合意」をもって入るといえども、なかなかそれが二重構造、三重構造の中でうまくいっていないというのが現状です。これが平和の定着という点で非常に大きな問題になってくるであろうと思います
【国連決議1701のバランスシート】
この国連決議1701号全体について、イスラエルとヒズボラ双方の「バランスシート」として考えてみましょう。仮に停戦が脆弱な状態だとするならば、その脆弱さはどこにあるのかを見る上で重要な指標となるでしょう。
レビューの(その1、2)でみたように、イスラエル側は①ヒズボラ戦力の武装解除(できれば解体)、②「(サブ・広域)リージョナル・リンケージの打破」、③グローバルな対テロ戦争の含意ということを、戦争の目的としていました。ところが、国連決議1701号で達成できたことは、必ずしも多くありません。イスラエル北部と南レバノンの安定については、同決議によって相当担保されたのではないかと評価できる一方で、UNIFILがどれほど抑止力として働くかという問題が残されています。さらに、「ヒズボラ組織の武装解除・解体」については全く達成できず、場合によっては将来さらに強化される可能性も残してしまったということだろうと思います。従ってイスラエルにており、実はイスラエル国内で満足できるものはあまり達成されていない、と言わざるを得ない状況です。
それでは同決議でヒズボラが何を実現できたか、あるいは将来的に何を定着できたかということを考えてみると、必ずしもヒズボラが中長期的に勝利を得たとも言えない状況にあります。ヒズボラの武装闘争は、イスラエル側の大規模な攻撃を招き、レバノン全土に大きな被害を与えました。そのため、これまでのヒズボラ路線に対する支持についても、レバノン国内で大きく揺らぐ可能性もあるでしょう。また、「レバノン南部の解放」「反イスラエル占領・抵抗・武装闘争を継続」していくという従来からの路線を、共存路線に転換できるのかということについては予断を許しません。 「ハマスとの連帯支援」ということにつきましても、イランとヒズボラとの結びつきをさらにハマスに連携させて、強化するということについては、まだ多くの困難が伴っているという指摘もあります。
「バランスシート」として考えて、どのアクターも十分な利益を得ていない。イスラエル国内で「一体この34日間は何だったのか」という疑問は、当然起こり得るものでしょう。またヒズボラ側も「勝利とばかりは言っていられない状況」ということになります。その全体構造を考えても、国連決議1701号の脆弱性はいまだに残されています。しかし、この現状を打破して新たな戦争を起こすほどの利益を双方にもたらすわけではありません。双方の信頼は大きく損なわれ、また将来への恐怖は残されたまま、という状況において、レバノン紛争は停戦しています。
(第5回レビューおわり)
第5回授業レビュー(その3)
【レバノン紛争の軍事的側面】
レビュー(その2)では、なぜイスラエルがレバノンを攻撃したのかということについて、いくつかの見方を提示しました。それがイスラエルの「比例原則」による反撃以上の大きな意味を持つということは、レバノン紛争の軍事的側面をみることによって、よりはっきりとすると思います。
レバノン紛争の緒戦における特徴は、イスラエル空軍がレバノン全土に対する大規模な空爆を実施したことです。授業で使用したスライドでも示したように、イスラエルのレバノンに対する空爆は、南部に関しては、ヒズボラのさまざまな基地、トレーニング施設、物資の集積基地などを狙い、北部のトリポリでや、中部のベイルートも含めて、さまざまな形で空爆を行うなど、レバノン全土にわたりました。
授業中の写真でみたように、南部レバノン諸都市やベイルートは、多くのビル・建物が破壊され、凄惨な状況となりました。ところが、これほど大規模の空爆にもかかわらず、イスラエルが十分にヒズボラの戦力を削減させたとは、いえない状況にあるようです。さらに、ヒズボラの戦力や関連インフラの復興は、急速に進んでいるというのが実態のようです。
その理由は、さまざまなところを爆撃しても、ヒズボラの多くの集積施設自体が地下施設であったことと、ロケット弾もたいへん素早いスピードで移動し、無人発射できるような時限発火式のロケット弾など、かつてよりも洗練され、生存性の高い兵器体系を配備していたからでした。イスラエル軍がどれほどこれらの戦力を除去できたかについては諸説ありますが、ヒズボラのロケット弾が多く見積もって13,000発だとするならば、3,000~4,000発位の破壊にすぎなかったともいわれています。
今回の34日間の紛争をとおして、多くのインテリジェンスや軍関係者は、ヒズボラの戦力に対する評価が予想以上であったことを、実際の戦闘を通じて実感したものと思われます。今回、イスラエル側が「ヒズボラの戦力を可能な限り多く削いでおくことで、短期的にも、中期的にも散発的な攻撃を防止する」ことを軍事的目的に置いていたこととは裏腹に、「ヒズボラは、イスラエルの攻撃に対する持久力を身に付け、かつイスラエルにより効果的な攻撃をもたらしうる兵器を蓄積していた」ことが判明したのです。
今回のヒズボラ側の攻撃で主役となったのはロケット弾ですが、イスラエルがいくら空爆をかけても、停戦に至るまで、ヒズボラは1日数百発ものロケット弾をイスラエル諸都市に撃ち続けました。ロケット弾は短距離・中距離に分かれていますが、その中にはカチューシャ、ファジル3と5及びゼルザル2という、射程が夫々40km、70km、150 kmと言われているロケット弾が含まれます。「ヒズボラのロケット弾(種別・射程)」(BBC資料)によると、仮にレバノン南部のラインをベースに射程を見てみると、大体45km圏がハイファ、100km 圏でテルアビブまで到達します。そして仮にゼルザル2の射程が最大で200kmに達するとするならば、これはイスラエルのほぼ全土、ガザ地域北部にまで達することになります。
これをアジアとのアナロジーとして考えてみると、北朝鮮が今、アメリカの介入を抑止している兵器体系はいったい何かということを突き詰めて考えてみると、実は核兵器でもなく、スカッドミサイルでもなく、実はDMZ(Demilitarized Zone:非武装中立地帯) 付近の山中に配備されている長距離火砲です。その長距離火砲がソウルを1万発近く攻撃できる。TNT 火薬であっても1万発撃ち込めるという即応状態にあることが、実はアメリカ軍の介入を妨げている最も大きな抑止だと評価されています。もちろん北朝鮮がこれに対して、スカッドのB・Cミサイル、ノドン、テポドンを含めて、核を運用可能な形で実戦配備可能にするとするならば、北朝鮮にとっての抑止体系というのはまさに多層的になるわけです。
米軍の再編が東アジアでなされるときに、その最大の対象となるのは第二歩兵師団です。現在38度線の非武装地帯(DMZ) 付近に配備されている第二歩兵師団を、長距離火砲の届かない南部に移動させるわけです。韓国漢江(ハンガン)の南側は長距離火砲が一応届かないと言われていて、そこに新しく平澤(ピョンテク)という基地を構え、それが第二歩兵師団を人質に置かない形で、北朝鮮に対して外科的攻撃(サージカル・ストライク)をかけるときの一つの担保になるわけです。つまり、長距離火砲が、ソウルは撃てるけれども第二歩兵師団を撃てないという形にしておくことが、アメリカにとっての先制攻撃の一つの大きな担保になるというのが東アジアにおけるアメリカの考え方です。
仮に同じようなアナロジーがあてはまるとするならば、ヒズボラが攻撃力の強い火砲およびロケット弾を大量配備するということになりますと、イスラエルの軍事行動を将来、かなり強い形で抑制することが可能になるような軍事体系が整備される可能性さえ含んでいます。その意味はたいへん大きいのです。例えばイランは、自らの攻撃によらずとも将来のヒズボラの戦力を連動させることによって、イスラエルのイランに対する攻撃を抑止することができるかもしれません。これまで比較的ローカルに局限されていたヒズボラの戦力評価が、ここでも「リージョナル」な意味を持ち始めているのです。つまり、イスラエルの安全保障にとって「リージョナル」な次元からも中長期的な戦略目標としてたいへん大きな意味を持ち始めたということです。ヒズボラの戦力が十分に形成されないうちに、彼らのロケット弾とさまざまな兵器体系をどれだけ削ぐことができるか、ということが安全保障という視点から見た場合の、イスラエルの問題意識であったのです。
さらにマニアックな部分を見ていきますと、今回ヒズボラは、ロケット弾以外の多様な兵器体系によって、さまざまな攻撃を仕掛けました。対戦車砲では、ロシア製のRPG-29を中心としてイスラエルの戦車に予想以上のダメージを与えました。また携帯型の地対空ミサイル(SAM)によってヘリコプター等に対する攻撃を仕掛けました。さらに多くのインテリジェンスを驚かせたのが、ヒズボラが対艦巡航ミサイルを7月12日に発射し、レバノン沖約16kmの海上哨戒中のイスラエル海軍ミサイル搭載コルベット艦INS Hanitに命中させたことでした。つまりヒズボラが、かつてのようなゲリラ的な戦術ではなくて、かなり多層的な攻撃を仕掛けてくる軍事組織として成長したことが実証されたわけです。
【ヒズボラに対するイランの関与】
ヒズボラは過去3~4年間、一体どのような方法で能力向上をはかったのでしょうか?ここで登場してくるのがイランとの関係です。ヒズボラ-イラン関係については、明確な資料・証拠が少なく、断定的にいえることが限られた状況にあります。しかし、近年のヒズボラの戦力を考える上で、特に2002年以降の流れは、今後も解明されなければなりません。
多くの分析者が指摘しているのは、イランからシリア経由、イラン⇒イラク北部⇒シリアというルートで大量の武器がヒズボラに供与されてきたということでした。兵器供与の内容としては、先程申し上げたようなロケット弾、対空砲、対艦砲など様々な武器が供与されていて、かつ、戦術面に関するトレーニングを供与しているといわれています。戦術面での支援の内容については、よく判明していません。しかし、今回のヒズボラの攻撃の仕方を見ていますと、かなり組織的に、かつ連続的に行われている。しかも、できるだけヒズボラの幹部や、指揮・命令系統を秘匿する形で行われているという点においては、かなりヒズボラが戦術面についても多くの訓練を受けているのは事実だと考えられます。
(つづく)
第5回授業レビュー(その2)
【イスラエルのヒズボラ攻撃の背景】
2006年7月になぜイスラエルはヒズボラを大規模に攻撃するに至ったのでしょうか。ヒズボラ側でさえ「まさか今回の兵士2名の拉致がこれほど大規模なイスラエルの反撃・攻撃を生むとは考えていなかった」と8月17日の声明で述べていたほどです。イスラエルの攻撃が比例原則(proportionality)を越えて実施されたとすれば、その先に現状を打破する目的があったと考えるのが妥当です。その背景を考えてみましょう。
第一の背景として、ヒズボラはイスラエルに対して「継続的な武力抵抗運動」を実施し、それがイスラエルにとって深刻な問題であった、ということです。イスラエル側にもいくつもの問題がありました。2000年5月のイスラエルの南レバノンの完全撤退以降も、シェバ農場を含む農村地区の占領を続けました。その過程でヒズボラの武装闘争路線が勢いを増し、イスラエルへの散発的な攻撃を継続していました。イスラエル側にとっては、ヒズボラの存在意義を支えるマニフェストが「イスラエルの国家としての存在を否定する」(共存拒否)ことを原則としていたことは大きな脅威であり、ヒズボラとの共存は不可能という認識を深めていたことも背景にありました。
第二の背景は、「2003年以降ヒズボラの攻撃能力・軍事能力が著しく向上してきた」というイスラエル側のインテリジェンス(情報機関)評価が、イスラエルの政策決定に大きく影響したということです。2003年以降に、ヒズボラは多くて13,000発といわれる数のロケット弾を調達していて、その一部は射程をイスラエル中南部にまで伸ばし、イスラエルの安全保障にとって大きな脅威として出現しました。さらにロケット弾の種類を見ても、これまではどちらかというとTNT 火薬型のロケット弾、クラスター爆弾型のものが中心だったのですが、いまやレーダー誘導型ミサイル、クルーズミサイル、対艦ミサイルを含む、さまざまな種類のミサイルの保持が確認されています。ヒズボラはかつてないほどに攻撃能力を高め、レバノン南部に、地中深く隠れたり移動したり、サバイバビリティー(生存性・秘匿性)の高い形で配備されていることが、イスラエルにとっての大きな脅威認識であったということです。
第三の背景は、(その1)でも述べた「リンケージ」の政治学です。「サブリージョナルなリンケージ」としては、「ハマス・ヒズボラ」に対する二正面作戦がとられたことです。同年6月末にガザ地区でハマスとの南部戦線が展開され、その数週間後にレバノン侵攻が実施されたことは、ハマス・ヒズボラとの共時的な攻撃が重要だったということが強く示唆されています。ハマス・ヒズボラ間の連携については、明確な情報がなかなかでてきません。ガザ地区でヒズボラ勢力がハマスを支援しているという説や、ハマスにヒズボラが物資を提供している、などの見方もあります。「広域リージョナルリンケージ」としては「イランとヒズボラの関係、そしてシリアとヒズボラ・ハマスとの関係の遮断」がイスラエルのもう一つの問題意識でした。
以上のように、2名の兵士の拉致問題をきっかけに、イスラエルは自らの安全保障をめぐる三つの大きなアジェンダに向かって、今回のヒズボラ掃討作戦を1ヵ月間展開したと分析することが可能だと私は考えています。
【ヒズボラの政治・社会的地位の変化】
ところが、今回のレバノン紛争はイスラエルの思惑とは裏腹に、今回のレバノン紛争はこの三つの目的を達成したとは、到底いえない状況に終わりました。なぜなのか・・・?その意味を考えてみましょう。
その第一の理由は、レビュー(その1)の「第一の構造変化」と密接にかかわります。すでに述べたように、ヒズボラの政治的・社会的地位の変化の重要な視点として、ヒズボラがかつてなく国民国家や地域コミュニティに「埋め込まれた」(embedded)存在となったことが挙げられます。すなわち、仮にイスラエルがヒズボラをレバノンという国家や、南レバノンという地域から乖離させようとしても、それが不可能であることを今回の紛争は証明したのではないか、と私は考えています。
ヒズボラの発祥は1982年の、イスラエルのレバノン侵攻の前後に、当時、最大の政治・軍事組織であったアマル運動から離脱したシーア派の一部がイランと関係を深めながら多くの民間組織を結成し、これが後に融合していくというプロセスに遡ります。この期間に、米国務省はヒズボラを米国およびその同盟国に危険な存在であるとして、テロ組織指定がかけられました(*)。その後、積極的なゲリラ闘争や、ハイジャック・誘拐事件、欧米施設へのテロ攻撃などの活動を展開してきました。
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* 尚、ヒズボラ全体をテロ組織として認定しているのは、イスラエル、米国、カナダの3ヵ国だけです。ほかの国、例えば西側諸国を見ると、「ヒズボラの中にテロリストのコンポーネント(例えば対外諜報組織)がある」という言い方をして、「ヒズボラ=テロ組織」という形で区分けしている国々との間に、ヒズボラ観といいますか、ヒズボラをどう位置づけるのかという点で差異があります。イギリス、オーストラリア、オランダはそのような形で、ヒズボラの中のコンポーネントを分けて、テロ組織としています。
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ところが、1990年代に入り、ヒズボラは政党および社会団体として大きく組織的な変容を遂げることになります。ヒズボラは1992年のレバノン総選挙に参加し、現在ではレバノン議会・議席数128 のうち14議席をヒズボラが占め、閣僚ポストも二つ有するまでになりました。つまり正規の政治団体として、レバノンの政治的なアクターとして確立したわけです。さらにヒズボラは、傘下に数多くの社会福祉団体を持っており、それらが貧困支援、医療、教育、住宅に関する支援などのコミュニティー支援をしていて、特にレバノン南部の福祉を支えるアクターとしても台頭したわけです。
この状況は、東南アジアにおけるジェマア・イスラミーヤ(JI)の展開と類似しているところがあります。1980~90年代にイスラム過激派の一部(アルカイダ系含む)が、パキスタン等を経由して東南アジア、タイ、マレーシア、インドネシアに浸透していきました。現地のイスラム教のモスク、聖職者協会等、様々なアソシエーションを通じて若者をジハーディスト候補としてリクルーティングしていきました。その傍ら、ファンド・レージングを目的としたビジネスを行い、これを元手に、インドネシアやタイ南部の村(カンポン)に教育施設、宗教施設、医療施設などをつくり、青少年の教育・保健を事実上ジェマア・イスラミーヤが担う形が散見されました。つまり地域コミュニティー形成と一体化するかたちで、テロ活動が支援される形態がつくられたわけです。こうした「コミュニティーとテロ組織が表裏一体の形で成長していく」のが東南アジア、特にインドネシアの特徴でした。ヒズボラのここ10年の成長の仕方、特に南レバノンのコミュニティーへの密着度は、でコミュニティーに「埋め込まれる」(embedded)という表現が適当だと思います。
特にイスラエル占領に対しての抵抗運動として、レバノン国内でも(かつての非合法活動への非難は根強いものの)ヒズボラの運動が幅広い支持をも生むようになりました。そのため、90年代から2000年に至って、ヒズボラを社会の外縁部へとマージナライズさせることが、きわめて難しくなりました。たとえば、仮にイスラエルが「ヒズボラ殲滅」を掲げようとすれば、それはコミュニティの破壊なくしては、達成できないということになったわけです。そのために、人道的危機を含むような攻撃をしなければ、ヒズボラは殲滅できない・・・という論理になってしまいます。これが、イスラエルの攻撃を大規模化させ、かつその結果管理を困難にさせた大きな理由です。
(つづく)
第5回授業レビュー(その1)
第5回授業は「民族・宗教・国家建設をめぐる紛争I」と題し、そのケース・スタディとして「レバノン紛争」を取り上げました。本当は冷戦後のユーゴスラビア紛争(ボスニア紛争・コソボ紛争)を取り上げようか悩んだのですが、より「現代の紛争」に即して授業をすすめるという主旨から、レバノンを選びました。また、前々から予告していたアフリカの紛争については、次回にじっくりと学んでいきましょう。
【「空間軸」からみたレバノン紛争】
今回のレバノン紛争は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻につづく「第2次レバノン紛争」とも呼ばれています。ことのはじまりは、2006年7月12日にヒズボラ(レバノン南あ部を中心に活動するシーア派系イスラム勢力)が、レバノン領内からトンネルを掘ってイスラエル領の駐屯地に侵入し、イスラエル兵2名を拉致したことがきっかけでした。前月にも、ガザ地区でハマス(パレスチナ地区で活動するイスラム主義団体)によるイスラエル兵拉致事件が発生した直後の出来事でした。イスラエルは即時の報復措置として、ガザ地区に地上軍による侵攻を開始し、レバノンに対する空爆を実施しました。その後、8月14日の停戦までの累計34日間にわたって、さまざまな局面で戦闘が繰り広げられました。そして、8月11日に国連安保理決議1701号が採択され、現在は紛争の収束をどのように図り、そのプロセスを恒常化するかという状況にあります。
この34日間の様々な戦闘において、、レバノン側で兵士と民間人の死者が1,000人以上、負傷者は3,500人以上にのぼりました。もっとも、この数字は算定手段や情報源によって大きな幅あります。また、インフラ損失は、これも計算の仕方によっていろいろ違いますが、主な建物、公共施設、橋、インフラを含めて150 億ドル以上にのぼると言われています。イスラエル側では死者が200 人以上、負傷者が1,000人以上にのぼりました。近年としては、比較的規模の大きい武力衝突が1ヵ月間にわたり展開されたのです。
この1ヵ月間のレバノン紛争プロセスを「安全保障と国際紛争」で学んだ「空間」と「時間」の概念をあてはめてみると、どのようなことが分析できるのか。一緒に考えてみましょう。
まず授業で紹介したように、中東紛争には第一次世界大戦以降のアラブ独立とシオニズム(それに遡るキリスト教世界とアラブ世界の対立も含む)の長い歴史と、民族、宗教、国家主権をめぐる根深い対立が存在してきました。1947年のパレスチナ分割決議とイスラエル建国に端を発する第一次中東紛争以来、イスラエル・パレスチナ・アラブ諸国は4度にわたる紛争のほか、多くの散発的な衝突を繰り返してきました。イスラエルの国境と、パレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地域、ゴラン高原、ガザ地区)、さらにはユダヤ教・イスラム教双方の聖地である東エルサレムなどが係争地となり、その帰属問題はイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)・PLOと一戦を画す諸団体との対立を中心に、パレスチナ情勢を著しく複雑にしてきました。
このパレスチナ紛争を一旦収束させたのが、冷戦後の米国・クリントン政権が推進した中東和平プロセス(パレスチナ・トラック)でした。1993年9月にはパレスチナとイスラエルが「相互承認」(共存)を前提として、パレスチナの暫定自治原則を認める「オスロ合意」が成立しました。この合意に基づいてどのように恒常的な平和プロセスのロードマップを敷いていくか、ということが中東和平における重要な前提でした。ところが、このオスロ合意の「相互承認と共存路線」が近年脆弱性を増して、それぞれのアクターが「相互否認」に傾く破綻リスクがかつてなく高まってきたのです。なぜなのか・・・?を考えることが、レバノン紛争を考察する鍵となります。
そこで、こうしたパレスチナ問題の構造変化を授業で用いた「空間軸」をつかって考えてみましょう。第一の構造変化は「当事者間」すなわち「イスラエル・パレスチナ対立」です。たとえば「ヒズボラ」は、従来より米国にテロ組織と指定され、これまで政治のアクターとしては周縁部(periphery)に置かれていました。ところが、現在では正当に選挙されたレバノン議会で議席を確保し、閣僚ポストも有する、れっきとした政治・社会組織になりました。また「ハマス」も2006年1月のパレスチナ評議会選挙で多数党となり、民主主義のプロセスを経たアクターに変貌しました。すなわち、かつての周縁アクターが内なる正当化のプロセスを経て、正規アクターとして浮上したわけです。いわば国家の、ネーション・ステート(nation state)としてのシステムに内部化されるプロセスが生まれてきた、というのが一つの大きな変化です。
第二の構造変化は「リージョナル」な連携関係の強化です。これは、各アクター間の「相互承認」と「相互否認」の交錯する動向のなかで、「相互否認」を前提とする勢力同士がお互いにネットワークを組み合うことを意味しています。「現状否定(共存拒否)勢力同士の連携」ということでは、特に(イラン-シリア-ヒズボラ)関係、(シリア-ハマス)関係が重要です。この関係につきましては後程改めて問題提起してみようと思います。前段の構造は「レバノンとヒズボラとシリアとイスラエルとの関係」という、二国間あるいはサブリージョナルな関係として見た場合のレバノン紛争でした。しかし、第二の構造は広域中東における「イスラエルの伸長とイランの勢力拡大をめぐるリージョナルコンフリクト(regional conflict:地域紛争)、イスラエルとイランの代理戦争的な意味を持った地域紛争 が今回のレバノン紛争の本質なのである、というふうにとらえる見方もできるわけです。
そして第三の構造変化は、「グローバルな対テロ戦争」の一環としてレバノン紛争をとらえる見方です。つまりイスラエルが対テロ戦争の一環としてヒズボラを位置づけているグローバル・コンフリクトであるという捉え方です。ヒズボラ・ハマスについては、反イスラエル運動というローカルな団体であり、グローバルなテロネットワークとは無関係である、という立場をとる論者もいます。しかし、ヒズボラがソマリアにおけるイスラム武装勢力の反政府闘争を人員・物資両面から支援し、その先にアルカイダへの関与が考えられる・・・、ヒズボラとイランとの関係強化によって、イランが支援する他の団体とのリンケージも強化された・・・、という情報が飛び交う背景には、ヒズボラがレバノン南部のローカルな団体ではなく、グローバルな志向性をもった国際組織であるという位置づけがみてとれます。こうした情報についての裏づけは、十分とはいえません。しかし、イスラエルやアメリカの保守派の一部が、「対テロ戦争」という名目で今回のレバノン紛争を捉えていたならば、この紛争の「グローバル」な空間軸についても、十分に検討がなされなければなりません。
(つづく)
2007年05月02日
国際紛争に関する映画・ドキュメンタリーの紹介
すっかり春らしい日になりました。ゴールデン・ウイークはいかがお過ごしでしょうか。「安全保障と国際紛争」は、第4週を終えて、紛争のケーススタディへと入ろうとしています。といっても、なかなか紛争の姿を授業や本のなかで感じ取ることは難しいと思います。そこで、授業のテーマに関連する、いくつかの優れた映画・ドキュメンタリーを紹介したいと思います。
映画のなかには、かなり忠実なノンフィクションと、かなりフィクション化されたものに分かれます。しかし、紛争地での人間の生活、国家や企業の関与、戦闘、利害、心情など、いろいろなことを想像できるかもしれません。ゴールデン・ウィーク中に、ひとつでも関心のある映画を手にとってみてはいかがでしょうか。よい休日を!
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【アフリカの紛争】
「ブラッド・ダイアモンド(Blood Diamond)」:2007年(公開中)
1990年代後半のシエラレオーネにおける内戦をテーマに、ダイアモンドの不正な取引をめぐるさまざまな抗争を描く。
「ナイロビの蜂(The Constant Gardener)」:2006年
アフリカにおける製薬会社の利権、癒着などをテーマに、NGOの女性と英外交官の恋を描く物語。
「ホテル・ルワンダ (Hotel Rwanda)」:2006年
1994年のルワンダ内戦、ツチ族・フツ族の対立から生じる大虐殺のさなかで、1200人以上の命を救ったホテル副支配人の姿
”Ghosts of Rwanda” (PBS, Frontline):2006年
PBS・フロントラインのルワンダの虐殺に関するドキュメンタリー
「ロード・オブ・ウォー(Lord of War)」:2005年
ウクライナから移民として米国に渡り、リベリアを舞台に武器商人となる主人公の運命を描く。ソ連の崩壊後の兵器取引とアフリカとの関係など、興味深い。
「ブラックホーク・ダウン(Black Hawk Down)」:2002年
1993年のソマリアにおける国連平和維持部隊(米軍)とゲリラとの市街戦(モガデシオの戦闘)を描いた傑作。
【ボスニア紛争】
「ビューティフル・ピープル(Beautiful People)」:1999年
イギリスに移民としてわたった旧ユーゴスラビアの民族間の出来事を描くライトコメディ
「ウェルカム・トゥ・サラエボ(Welcome to Sarajevo)」:1998年
戦火のサラエボで活躍するイギリス人ジャーナリストの葛藤を描く物語。実写映像も多く、ロケも戦争中に現場で行われた
「パーフェクト・サークル(Le Cercle Parfait)」:1997年
ボスニア戦争中、サラエボのある詩人の物語。難民の小さい兄弟を助けるため、なんとかサラエボから脱出するルートを探る
「ボスニア!(Lepa Sela Lopo Gore)」:1997年
旧ユーゴの民族紛争を、ひとりのセルビア人青年の目から描いた作品
「ブコバルに手紙は届かない(Vukovar Poste Restante)」:1996年
民族紛争のさなかでのセルビア人とクロアチア人の恋人の物語
【その他】
「イノセント・ボイス―12歳の戦場―(Voices inocentes)」:2006年
内戦状態のエルサルバドルで賢明に生きる少年の姿を描く
【テロリズム:ドキュメンタリー】
”Al Qaeda’s New Front” (PBS, Frontline)
Dispatches: ”At Home with the Terror Suspects” (米国、Channel 4)
【イラク戦争:ドキュメンタリー】
”The War Behind the Closed Door” (PBS, Frontline)
”Hijacking Catastrophe: 9/11, Fear and the Selling of American Empire”
”Inside Iraq: The Untold Stories” (Ostrow and Company)
”Gangs of Iraq” (PBS, Frontline)
第3回授業レビュー(その2)
【米国と対テロ戦略の形成】
米国は、1970年代頃よりテロリズムを国家安全保障の重大な脅威と位置づけていましたが、その脅威の烈度は比較的限定されたものとして捉えてきました。テロリズムの歴史を振り返ってみても、世界を動揺させた1988年のリビアのテロリストによるパンナム機爆破事件の死者が270人、その10年後の1998年にケニア・タンザニアで同時に米大使館がアル・カイダによって爆破された事件の死者が223人と、比較的その規模は限定されていました。ところが、9.11事件では世界貿易センター(NY)と国防総省(DC)で合わせて3000人以上の犠牲者がでる、大規模なテロ攻撃であったばかりでなく、先進国の戦略中枢を破壊できることが実証されたのです。
この9.11事件は、先進諸国の安全保障政策を支える論理自体に、大きな転換をもたらしました。従来の国家対国家の比較的合理的な対応が可能であるという前提で組み立てられた安全保障政策が、非合理で(テロリストの合理性については<その2>で述べます)かつ大規模な被害をもたらしうる(大量破壊兵器さえも使用しかねない)対象を、脅威の中核の一つとして再構成されることになったからです。
米国は9.11事件後に、国内セキュリティを担当する本土安全保障省(Department of Homeland Security)の設置、北米の防衛を担当する北方軍(North Command)の設置、対テロ対策のための重点的な予算配分、そのための軍事ドクトリン・兵力構成・兵器調達の見直しなどを矢継ぎ早に実行し、対テロ戦略が米国の安全保障政策の中軸となって浮上したのです。
【アメリカの対テロ対策】
米国では9.11事件以降、国民のテロリズムに関する関心が著しく高まり、米政府もテロリズムに関する情報を米国市民に浸透させる努力を行っています。例えば、2004年に作成された国土安全保障省におけるホームページ「READY.GOV」はT.V.コマーシャルを通して広く米国市民にテロリズムに関する知識を浸透させ、テロ時の対応方法を詳細に記しています。本土安全保障省のHPでは、現在の米国のテロ脅威について5段階で表示し、米国民にテロの脅威の度合いについてリアルタイムで情報を提供しています。また、米国国務省では、テロリズムに関する年次報告を行っており、世界中のテロ活動を統計化・分析したPatterns of Global Terrorismをはじめ、テロ組織の名称やテロ活動のクロノロジー等を記したFact Sheetを刊行しています。その中でも、米国ホワイトハウスが2003年2月に打ち出した「テロリズムに対抗するための国家戦略」(National Strategy for Combating Terrorism) は、現在の米国の対テロリズム戦略を知る上で必読の資料です。(2006年に改訂された最新のバージョンはこちら)
National Strategy for Combating Terrorismは、まず、「テロリズムの構造」を、①指導者、②組織、③国家、④国際環境、⑤テロ発生条件、の5つのヒエラルキー的な階層から成り立たせています。テロリズム発生の根源的原因として、貧困、汚職、宗教紛争や民族紛争などを挙げ、テロリストはこれらを活用・解決するための手段としてテロ行為を正当化し、支持を取り付けていると分析されます。
このようなシステム化されたテロ組織はその活動枠を3つの空間軸、すなわち①グローバル・レベル、②地域レベル、③国家レベルの3つのレベルにおいて、情報、要員、技術、資源などの面で直接的に相互協力を行い、間接的に共通のイデオロギーを共有し、テロ活動の「正当性」を訴える国際的なイメージの創出に協力し合っている、というのが米国の考えるテロ組織・活動に関する概念です。このテロ組織の「連結性」という特質をから、地理的領域を横断してテロリストを追尾し、組織間の連結を断絶させていくことに主眼を置いているわけですね。
このような分析に基づいて、米国の対テロに対する戦略的目標は以下の4つに集約されていきます。まず、第一に、地球規模のテロ組織の安全区域、指導部、指揮命令系統、通信、物質的及び財政的支援体制に対する攻撃を行い、その打倒を図ることが企図されます。その結果、組織は地域レベルに分散化、縮小化すると想定されているわけです。そこで地域的パートナーと協力して脅威を局地化させ、その後は個々の国家に対する軍事、法執行、政治的及び財政的支援を供給することが掲げられています。
第二に、国際テロ組織に対する対処法を主権領域内で定めるよう各国に促し、テロリストに対する支援や安全区域の提供を阻止することが挙げられています。そして第三に、国際社会の支持を取り付け、テロリストが活用するような根源的状況の改善を図り、最後の第四に、脅威を早期発見し無力化させるために本土防衛、防衛力の展開を積極的に行い、国内外の米国市民と国益を保護するというのが、その全体構想です。
そして、これら4つの戦略目標を達成するために、米国は「4D戦略」(Defeat, Deny, Diminish, Defend:打倒、拒絶、削減、防衛)を打ち出しており、その中で下記のような説明を加えています。
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国家戦略は、国力の全ての要素(外交、経済、情報、金融、法執行、諜報、軍事)の継続的かつ組織的な適用によってのみ成功が得られるとの現実認識を反映している。我々は、執拗な行動によって地球規模のテロ組織を「打倒」し、彼らが生存するために必要な支援や安全区域の供給を「拒絶」し、人々の絶望と破壊的な政治変革への思想を助長するような根源的状況を「削減」し、米国及び米国市民と国益に対するテロ攻撃を「防衛」するためにあらゆる可能な手段をとる。
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すなわち、長期的に継続して国家の持てる権限を行使し、テロ組織の活動に必要と考えられる要素へ包括的に圧力を加えながら、国際テロ組織に対する防衛戦略を打ち出しているといえるでしょう。
(つづく)
第3回授業レビュー(その1)
【国際テロリズムの「空間」】
第1回目の授業でも紹介したように、「新しい脅威」は従来の安全保障政策の「空間軸」と「時間軸」に変容をもたらしました。「空間軸」という点でいえば、従来のような国家対国家のプリズムで支えられてきた勢力均衡(Balance of Power)という概念が、「新しい脅威」の下では意味を成さなくなっています。
例えば9.11事件を起こした首謀者であるオサマ・ビン・ラディン(OBL)と、彼が主宰する組織である「アル・カイダ」はどのような組織なのか、以下でおさらいしましょう。授業中の概念図でも説明したとおり、「アル・カイダ」は通常の近代型組織にみられるようなヒエラルキー型の組織ではありません。
OBLを中心とする幹部と、各地域に点在する準幹部、そして異なる組織間との連携といった、ネットワーク型指導体制をとるとともに、その指導体制をとりまく「セル」(集団活動単位)がグローバルに張り巡らされています。ひとつの「セル」と別の「セル」との関係も明確ではありません。場合によっては各地域間の「セル」は密接に連携していることもあれば、ほとんど無関係に活動している独立型「セル」も存在します。
さらに「セル」同士を仲介させる人物や「ハブ・セル」とも呼ばれる単位も確認されています。さらに、組織とは関係のない特定の人物や集団をアルバイトとして雇い、テロ活動に従事させるなど、特定困難な活動形態をとることも往々にしてあります。こうした「セル」とそこに集う人々が、例えば各地のイスラム教寺院であるモスクなどを通じて、情報の共有や指揮・命令を行っているケースがみられます。
こうした「アル・カイダ」の組織はいわば「アメーバー型」または「プラナリア型」組織と呼んでもいいかもしれません。仮にアル・カイダのテロ活動を防止する場合、OBLや他の幹部を捕獲する、有力な資金源を絶つ、アル・カイダを支援する国家や組織を破壊する・・・等々のどれが決定打になるのか、明確な答えが出しにくいのです。まったく想定されない「セル」が実はアル・カイダへのシンパシーを持ち、新たなテロ活動を行うことも考えられるわけです。また、一見普通の生活を送っている人が、実はディープなテロリストな場合も多々あります。
日本でアル・カイダ系テロリストのリオネル・デュモンが潜伏していたというニュースは日本国内を震撼させましたが、日本は短期間に事業(例えば中古車輸出業や部品製造業等)で資金を集められる点においては、格好の資金調達地です。このように、現代のテロリズムはグローバル化した環境の下で、縦横無尽にネットワークを張り巡らせ、責任の所在も明確ではない形でネットワーク型の組織を形成し、情報・資金・兵器を調達していると捉えられます。
【テロリズムの現段階】
このように、アルカイダは「階層型組織」ではなく「自律分散化組織」で、複数の幹部と、それを取り巻くセルが複雑に結びつき、ミュータント的に再組織化される特徴を持っています。なぜA国内のセルとB国内のセルが結びついているのか、どのように武器や爆弾が移転されているのか、その全貌は十分につかめていません。あるセルは幹部と密接に結びつき、他のセルは全く幹部とつながりがないにもかかわらず、共通の行動をとったりもします。また、各セルをとりまくサポーター(スリーパー・セル)や、アルバイト的な実行役の存在・・・これがアルカイダの複雑な特徴です。
2001年以降に起きた、さまざまなテロ事件(マドリード、バリ、ロンドン等)を通して、現在のアルカイダがどのような状況にあるのかを類推することは、今後の対テロ対策を考えるにあたり、きわめて重要です。私自身の見方は以下の4点です。
- アルカイダは組織的に弱体化し、幹部の指令機能が低下し、有力セル間のネットワークも相当遮断された状況にある
- 通常兵器・高性能爆弾の保有・移転・調達には依然として優れているが、大量破壊兵器の調達には成功していない
- しかしながら、分散化したセルが能力を向上させ、散発的にテロを起こす構造が強まっている
- そして「新世代テロリスト」が組織化され、旧来のセルとの結びつきを深めるという新しい現象が起きている
【都市内包型・新世代・ファンドレイジング型のテロリズム】
2005年ののロンドンのテロリズムを読み解くキーワードは、「都市内包型」「新世代ソーシャル・ネットワーキング型」「ファンドレイジング型」の3つである、と私は考えています。
「都市内包型」とは、(先進民主主義国の)都市住民が、都市内部に潜伏、組織化、武器の調達、テロ計画を行うタイプを指します。ニューヨーク(9.11事件)やマドリード(列車爆破事件)のように、都市郊外でテロが計画・組織化され、都市中心部を狙うタイプとは異なり、まさに都市内部で生まれ育った住民が、自爆テロリストとなるケースが出現したことが、今回の特徴でした。
「新世代ソーシャル・ネットワーキング型」とは、もともと「自律分散型」であったアルカイダから、若年世代によるミュータント的な再組織化が始まっていることを示します。先般のG8の共同声明にも「新世代テロリスト」の組織化への懸念が表明されていますが、14日のロンドン警察の発表により18歳・22歳の英国中部在住の英国籍男性が特定されたことは、こうした懸念が表面化したことを意味しています。彼らのアルカイダ系幹部や他のセルとの結びつきは現時点ではよくわかりませんが、欧州系アルカイダの過激化の一方で、新しい若手の再組織化が始まっているようです。これまでの説では、アルカイダ系セルのリクルートには、イスラムモスクのコミュニティが一定の役割を果たしていましたが、「新世代」のセルはインターネットによるソーシャル・ネットワーキング(SNS)のような、緩やかな組織化の傾向が現れているようです(インターネット・サイトで知り合った人々の間のコミュニティ形成に近いモデルが、アルカイダにも浮上している)。
最後に重要なのは「ファンドレイジング」です。多くの専門家によれば、2001年以来の世界規模での対テロ戦争の結果、アルカイダ系組織の弱体化も一般傾向となっているようです。幹部・各地域組織(セル)・連絡組織・実行組織がネットワーク化しているのがアルカイダの特徴ですが、近年の掃討作戦の結果、指令機能を果たす幹部が顕著に弱体化しているようです。また、グローバルなリクルート、訓練、武器調達などの役割を果たす「ハブ・セル」同士の結びつきが遮断され、その結果として「セル」は各地に小規模分散化しているという見方が強まっています。
そのため、アルカイダの組織的な資金獲得がきわめて難しくなり、各地域セルが散発的なテロを繰り返しながら、ファンドレイズを行っている構造が浮上している模様です。つまり、スポンサー(テロリスト・パパ)が、資金を落とす場所として、昔は有力幹部だったのが、今は「テロを実行できる個人・グループ」に変わったということですね。有力セル同士のネットワークが遮断され、各セルが分散化すれば、当然個別のセルは自己財源に頼る。対テロ戦争の現段階は、「有力なグローバルネットワークは遮断されつつあるが、各地に分散化したセルが散発的にテロを起こす」状況と理解できるかもしれません。
以上の仮説が正しければ、規模は小さくても欧州・中東・北米・アジアにおいて、今後も小・中規模のテロが頻発する可能性は高いといえます。テロを繰り返しながら、テロに親近性を持つ富豪や企業等からの資金を集めるという手法が、今後も繰り返されると考えられるからです。
もうひとつ、今回のロンドンの地下鉄・バスを狙ったテロリストが用いたのは従来型の爆弾であり、核・化学兵器・生物兵器等の大量破壊兵器(WMD)ではありませんでした。9.11事件以降、アルカイダ系組織の大量破壊兵器使用の可能性は常に指摘されてきましたが、、地下鉄という格好の環境に合わせたテロ(東京の地下鉄サリン事件を参照)にも関わらず、依然として同時爆破という手法にとどまっています。今回のような組織性・計画性の下でもWMDが使用されないということを鑑みれば、国際社会の大量破壊兵器の開発・移転阻止は現在のところ一定の成果を挙げている(?)と評価できると思います。
(つづく)