« Juni 2006 | メイン | August 2006 »

Juli 31, 2006

滑舌(かつぜつ)

滑舌、という言葉を使おうとして気付いた。

ぼくのパソコンは、「かつぜつ」を「滑舌」と変換してくれない。
「しゅうかつ」は「就活」、「ぐろーぶ」は「globe」と変換してくれるケータイでも、
「かつぜつ」は漢字に変換してくれなかった。

不安になって、電子辞書にはいっていた広辞苑で「かつぜつ」を探すも、
そこに「活栓」「豁然」はあっても、「かつぜつ」はなかった。

もしやこれは「あけ口」を「あけろ」と読んでしまうように、
「山田夕一」くんを「たー」くんと呼び間違えてしまうように、
今までいいまつがえてきたのではと、いよいよ不安になってくる。

もしかして「かつぜつ」ではなくて「かっせつ」とかで、
「かつぜつ」と覚えていることこそが、
「かつぜつ」の悪い証拠で、
「かっせつ(仮)」の良い人たちは
「かつぜつ」としか発音できない人を影で笑っていたのではないか。
「かつぜつ」という言葉こそが、「かっせつ(仮)」のよさを計る試金石だったのではないか。

テレビならここでCMに行きたいところだけど、
そんなたいしてもオチじゃなかったので、言っちゃうけど、

滑舌(かつぜつ)という言葉は、確かに日本語社会で流通しているのだけど、
もともとはマスコミで使われていた業界用語。
広辞苑などでは掲載をしていないのは、新語扱いだからかな。

実際、ATOKじゃ変換できるし、新明解だとか載っている辞書もある。
「かちゅぜちゅ」とかじゃなくてよかった。

投稿者 POE : 08:48 EM | コメント (0)

Juli 29, 2006

一ヶ月

いつの間にか、日本へ帰ってきて一ヶ月が経っていた。
まだ辛うじて、足元あたりに違和感はあるけれど、
普段の生活は何事もなかったかのように、一年前と繋がってる。

この一ヶ月で、色々出来事はあった気がするんだけど、
まだ新しいことはほとんどはじめていない。

まだノルウェー処理の途中。
まず、遠くまで箱を買いに行って、友達に迷惑をかけて、
苦労して日本まで送ったcarry on(航空便)はまだほとんど手付かずのまま。

それは、部屋にcarry onの中身をいれる余裕がないから。
部屋にはまだたくさんのモノが置かれたまま。そのままにされたまま。

どれくらいのそのままさかというと、
小学校のときの時間割、中学校のときの予定表がまだ壁に貼ってある。
ホワイトボードカレンダーは2002年12月で止まったまま。

この一年での荷物どころの騒ぎじゃない。
ノルウェーのことを片付けるためには、
まずそれ以前の日々のことを片付けなくちゃいけない。

そもそも片付けるに対しての基本スタンスがこれなので、無理かもだけど。

明日、日本が沈没でもしてくれれば、全てすっきりするんだろうけど、
プレートの関係上、日本を沈没させることは現実には不可能なので、
日本沈没も日本以外全部沈没も願わずに、
この部屋がきれいになることを願いたいと思います。

投稿者 POE : 03:25 EM | コメント (0)

Juli 27, 2006

診療所。

今日は診療所へ。

健康のためにと片道20分を歩いて行ったのだけど、
気付くと途中でアイスを買っていました。
一緒に摂取したウーロン茶がどこまで効いてくれたが気になります。

投稿者 POE : 11:02 EM | コメント (1)

Juli 25, 2006

なにもないの中身

きょう一日を書こうと思ったのだけど、何もない。

起きたらお昼前。
診療所へいきたかったけど、面倒になってやめる。

家で午後は読書とゲーム。
もうゲームってカメラワークだとか脚本だとか
少なくとも映画と同じレベルが要求されていると思うのだけだけど、
人や情報の交流はできているのかなあ。

夕方はわけあって、当期純利益と包括利益について調べる。
メジャーの人には超基本なことだと思うのだけど、
完全な部外者には、comprehensive incomeなんて
言葉を聞いたのもはじめてで楽しかった。

企業の利益をどうあらわすかの違いなのだけど、
会計基準を世界統一しようとして色々な攻防があるようです。
こころから、どうでもいい。

夜は、留学報告書を書く。
一年も過ごしていれば、その情報量は文字にしようとしたら膨大だ。
しかも、せっかくだから伝えておきたいことも多い。
だけど、新しい街に住むってのはRPGみたいなものでしょ。
発見こそが楽しいのだろうし、伝えすぎるのもはばかられる。
とは思いつつ、結局いろいろ書いちゃった。
だって対象がわかりやすいものほど、書くのが簡単なんだもん。

以上、何もない一日の中身。

投稿者 POE : 10:48 EM | コメント (0)

Juli 24, 2006

におい

東京には匂いがまだある。
比ゆ的な意味じゃなくて、物理的に。

葬列。秋の高校生。シューカツ。
共通点は黒い列。
いったい誰を弔っているんだろう?

「おおすじ、ゲドの意見に賛成しています」
読売新聞の企業CM。
「おおすじ」とか、留保を示す言葉には好感が持てる。

投稿者 POE : 01:21 FM | コメント (0)

Juli 21, 2006

楽しい日。

久しぶりに三田の図書館へ行く。数時間だったんだけど、すごく楽しかった。
何気なく通りかかった棚で、何気なく目があった本が面白かったり、
しかもすぐその場で中身が全部見られるなんて(当たり前なんだけど)、
amazonやgoogle bookよりも優れた点が多い。

テスト前なので図書館内にいる人の数は多いのだけど、
なんだか本ってベストセラー以外は詠まれてないんだなって実感。
奥付に張られた貸し出しシートで、
何人がその本を借りたのかがわかるようになってるんだけど、
あの赤松啓介の本でさえ2、3人にしか読まれていなかったり。

せっかくなので、きれいなままの赤松啓介の全集でも
今月は読んでみようかなー。

自由刑に処されるなら絶対、図書館の中。確信した。

夜は、ノルウェーで一緒だった子と、
日本に来ているノルウェーの人と、
これからノルウェーに留学しに行く子に会った。

何も有益な情報は伝えられなかったけど、楽しかった。
でも、ノルウェーでのことを話したら悲しくなっちゃった。

彼らはこれからノルウェーに行く人で、
僕(ら)は、もうノルウェーに行ってきた場所。

彼らは未来としての「それ」があるのに、
僕たちにはもう過去として「それ」を語ることしか出来ない...

そこまで大げさな図式にすることはないんだけど、
急にノルウェーって場所を境に線が引かれてしまった気がした。

学校でもそうなんだけど、滞在時期が重ならない者同士は
ふつう出会ったりはしない。

2004年に南都化高校を卒業する生徒は、
2004年に南都化高校に入学する新入生に出会わない。
両者は出会うことなく、空いた席に新入生が何事もないかのように座り、
南都化高校はまわっていく。

重ならない場所にいるのに、重なっちゃったから、
自分がいる立ち居地が見えちゃって、
これからそこに行く人が羨ましく思えちゃって、という
ただの「気付き」の問題なんだけどね。

というわけで、耳から血が出ていたので、明日は皮膚科に。

投稿者 POE : 01:32 FM | コメント (0) | トラックバック

Juli 19, 2006

スペースシャトル

スペースシャトルが無事に帰ってきた。
広報活動に躍起なNASAの面目も辛うじて保たれたわけだけど、
実はシャトルはあと5年もしない2010年までに退役が決まっている。

スペースシャトルの開発が始まったのが1970年代中盤、
初飛行が1981年だから「やっと」という言葉が本当は相応しいくらい、
実はスペースシャトルというのは「古い」ものなので、驚くことじゃないんだけれども。

スペースシャトルを、宇宙開発史に汚点を残すくらいの大失敗とする見方もある。
実際この25年で本体が木っ端微塵になる大事故を二回も引き起こし、
それにより輸送コストも上がってしまい世界各国にそっぽを向かれる始末。

そもそも、「宇宙に安くモノと人を運ぶ!」っていうのがシャトルの基本コンセプトで、
はじめは毎週シャトルを打ち上げるぞ!ってNASAはすごく張り切っていた。
世界も、それまでの使い捨てじゃない翼のついたロケットに新時代を感じたりしていた。

実際は、一回の目標打ち上げコスト30億には遠く及ばない、
800億円が毎回の打ち上げにかかっている始末。(桁さえ違うし)
毎週どころか最近は毎年にさえ打ち上げられていない。
考えてみれば、翼だって着陸時にしか使わないんだから、
わざわざ宇宙まで持っていく意味もわからない。(かっこいいからいいけど)

最近のシャトルのお仕事は、国際宇宙ステーション(ISS)の建設なんだけど、
これも打ち上げ中断が長すぎて完成できるかどうかもわからない。
そもそも冷戦が終わる前にレーガンくんが言い出した建設なんだけど、
1992年だった完成目標は延期され続けて、規模も縮小されて、
今でも2010年を目標に作り続けている曰くつきの大公共事業。

しかも言いだしっぺのアメリカは、もう手を引きたがってて、
2010年にスペースシャトルを退役させた後は、
ISSに人員輸送も行わないつもりでいる。

,,,飽きたから、もうまとめちゃうけど、
こんなのが今のアメリカの宇宙開発をとりまく状況。
うっかりすると忘れそうになるけど、今ってもう21世紀で2006年なんだよね。

想像していた未来とは違う場所を、
でも想像と同じ年号が毎年訪れていくって、
シニカルな気分になれていいと思う。

投稿者 POE : 12:51 EM | コメント (0) | トラックバック

Juli 17, 2006

日記日記日記。

土曜日は、居心地のよい場所で居心地のよい人たちに会う。
一年ぶりだったのだけど、すごく楽しかった。

人と出会うこと、人と話すことは嬉しいことだって思い出す。
色んなことを知っている人と話すのはわくわくする。

日曜日は、頭痛を訴えて一日中横になる。
考えてみればただの二日酔いかも。
この2週間お酒なんて飲んでなかったし。

今日、月曜日もぼーっとしながら過ごす。
一年ぶりにゲームなんてしちゃって。
セーブデータの続きからはじめるってことは、
一年前の自分を引き継ぐってことだけど、
全然引き受けることが出来なかった。
資料館?刑務所?ライフル?もう何もわからなかった。

逆に、漫画なんかが一年間読んでなかったものでも、
内容をばっちり覚えていて、楽しめないことが多いのに。

そういえば今日は10年目の海の日。
何十年間にも及ぶ陳情活動の末、祝日化された海の日。
その署名総数はなんと1000万。

もし祝日にならなかったら、
署名が日本人口を超えてしまう日もあったのかな。
そんな情緒的なこと考えてしまう海の日。

頭がまだ痛いです。

投稿者 POE : 07:38 EM | コメント (2) | トラックバック

Juli 15, 2006

今日の意味だとか

塩が人類が食べる唯一の岩であること。

そのことに気付けただけでも今日に意味はあったかな?

今日は、日吉まで健康診断に行く。
参加者も一桁程度なので、並ばずに一時間に満たないで終了。

健康診断に血液検査がないことは知っていたにも関わらず、
待合室に張ってあった「血液検査後の消毒は3分間」という表示を見ただけで
心拍数が上がってしまって、心拍だけがやけに高い数値(平均値の三倍)になってしまい、
担当の人に心配されてしまった。

で、そのあとは図書館で塩について調べる。
別に塩じゃなくて砂糖でも佐藤でも良かったのだけど、
何せサラリーの語源にも関わってくるくらいメジャーなので塩にしてみた。

まあ、色々わかったことはあるんだけど、
塩が岩だって言う当たり前の事実が今日の中でのエポックポイント(誤用)。

これは一昨日知った、食器につく汚れで一番落ちにくいものは
卵の黄身、ご飯粒、カレーの三つで、
自動食器洗い機を日本で開発するときは、この三つのクリアが第一関門、
ということくらいと同じくらい自分の中で大切なこと。

このどうしようもなさは、どこへつながっていくんだろう。ね。

投稿者 POE : 12:52 FM | コメント (0) | トラックバック

Juli 12, 2006

いわゆるバリアフリー

わけあって、学校までキャリーバッグ片手に向かう。
あの、がらがらがついたバッグ。

川口から新宿を通って湘南台まで。
思ったよりも段差が少なかったのが印象的だった。

交通バリアフリー法が施行されて5年。
たとえば、日本中の路線バスは施行から10年後、
つまり5年後までにノンステップバスかワンステップバスにならなくちゃいけない。
他にも一定規模以上の駅は、エレベーターなどをつけないといけないなど、
色々厳しめにインフラの整備を促した法律。

今回の移動経路はその法律の適用先そのものだったので、
まあ当たり前といえば、当たり前なのだけど。

どこに一番苦労したかと言えば、大学。SFC。
スロープがあるにはあるんだけど、殆どがこじつけたような場所で、
しかも整備されていないから使いにくい。

エルゴノミクスの研究室とかがある学部なのに、どういうことなんだろうね。
小さいキャリーバックでこうも使い勝手が悪いということは、
たとえば大学にベビーカーが来るなんて状況を想定してないんだろうなあ。

投稿者 POE : 11:32 EM | コメント (1) | トラックバック

Juli 11, 2006

茨城

茨城に読み仮名をふると、

いばら き
茨   城

となるっていう当たり前のことに今日はじめて気付いた。

つまり、今まで「茨城」なんて、表面的な記号としてしか見ていなかったのだけど、
考えてみれば「茨(いばら)」の「城(しろ)」。

実際の語源はいくつかあるんだけど、
常陸国風土記にも「茨の城」説が載っている。

茨の城なんて、ちょっとしたファンタジーにも出てきそうな、
ちょっとお洒落な名前だよ、と一人で茨城を見直していた。

投稿者 POE : 11:32 EM | コメント (0) | トラックバック

Juli 10, 2006

一ヶ月前日記

一ヶ月前はそういえばプラハにいた。
時計仕掛けみたいに、嘘っぽい街だった気がしていた。

やけに開かれていて、
街には人があふれていて、
道を教えてくれる人は優しくて。

ふつう地図があれば道に迷うことはないんだけど、
プラハじゃずっと迷っていた気がする。
行きたかった場所から北西へ3キロも離れたところへたどり着いてしまったり、
ランドマークにしていたお城が急に消えてしまったり。

だから何度も何度も高い場所へのぼった。
だけど、のぼってものぼっても、少しも全体が把握できなかった。

あの熱も何もかもが嘘みたいだ。
何もかもが、ここにいたらこうやって薄れていくのかなあ。

動き出した夜を
君の側で見送っている
届きそうな空では
ただの星が決まりきった運行

少しだけ話せるようになった
長い間立ち止まらずにいられた

逃げ出さないでいい
もうこの街は終わらない
1970年
君が見た出来事はもう
活字になってアジアにさえ届いた

さびつかない時計
今はただの機械じかけ
誰も歩く広場に
経も9時 死神のダンスが

笑っても大丈夫な悲しみ
遠く離れ戻らずにいられた

走り切れはしない
風へと続く線路たち
2017年
なくなったネジが見つかり
君はそして日々を終えるのだろう

逃げ出さないでいい
もうこの街は終わらない
1970年
終わることのなかったような
夜空の動きが少しずれたとき

投稿者 POE : 04:10 EM | コメント (0) | トラックバック

Juli 09, 2006

日曜日

一日中、ぼけーっとしてた。横になって、DVD見て、夢の中でラクロスを見に行って、お茶漬けを食べて、シュークリームを食べて、carry onを開けようとして、またやめて。

色々、帰ってきたらやりたいことはあったはずなのに、どれにも取り掛かれていない。まず、机をきれいにして、というところから始めないといけないのはわかっているのだけど、それがなかなか出来ない。別に忙しいわけじゃないんだけど、時間がないわけでもないんだけど、何だか動き出せない。

こんなぐだぐだな時間を過ごしていると、どこかに戻りたいとか帰りたいっていう気分は薄れてくる。きっと、どの場所まで戻れてもこんな風に時間を散漫にしか過ごせないんだろうなあって。

see you in somebody's dream
see you in the edge of nowhere

たとえば一瞬だけすれ違った
a girl we met at the first gray of dawn
a boy dancing out of our eyesight

その時どんな顔で
二人は笑って、泣いて、明日さえ約束しあって
without our knowing it

how far can you keep on walking this way
over the street hubbub ?

笑っちゃうくらい切実に
指先で結んだ未来
runs like water through your fingers
千切れそう

see you in somebody's dream
see you in the edge of nowhere

because we will
この世界じゃ出会えない

at the very least,
see you in somebody's dream

投稿者 POE : 10:13 EM | コメント (0) | トラックバック

Juli 07, 2006

星願

日本に戻ってきて今日で一週間目。

11ヶ月のブランクが嘘のように、
毎朝のバスの時間も、ケータイでのメール打ちも、
新宿駅で埼京線から小田急まで最短で向かうために乗るべき埼京線の車両の位置も、
色んなことを当たり前に思い出して、当たり前に日々を送ってる。

記憶は場所に蓄積されるものなのかも知れないね。
そもそも歴史的に、記憶術っていうのは、
場所と人を対応させて記憶を定着させるということから始まったものだし。

だから逆に、今度オスロに行っても、
当たり前にまた地下鉄にも乗れるし、買い物も出来るんだと思う。
(いや、これくらいは初めてそこに行った観光客でも出来るだろうけど)

きょうは七夕。
恒星(たとえば太陽は表面でも6000度)に住める上に、
何十光年もの距離を一晩で移動できるという能力を持つ織姫と彦星。
こんな二人の伝説なんだから、願いも叶いそうな気がしてくる。

投稿者 POE : 10:21 EM | コメント (2) | トラックバック

Juli 06, 2006

今こんなことしてます

人生に張りを持たせようかなと思って、
ちょっとシュウカツ的なことをしている。

文法をまったく知らないスーツだけはどうも慣れないんだけど、
色んな人が自分の話を聞いてくれるのは楽しい。

こんなハタチやそこらの人間の話を、
オトナがきちんと無料で聞いてくれるんだから、
人生相談カウンセラーとかに有料で通う人は
シュウカツでもすればいいのにと思った。

あと、スケジュールに
予定が埋まっていく感覚が新鮮。
今までは6月学校、7月休み、
みたいに一ヶ月単位で動いていたのが、
日単位になって、午前午後単位になって。

シュウカツって立派な通過儀礼になりうるのかもね。
誰か人類文化学者がきちんと調査したことはあるのかな。
でもなんでシュウカツがあるのに、
成熟しない人が多いと言われてるんだろう。
また一個、いつか勉強したいことが増えた。

朝から地上波のテレビじゃ、ミサイル、ミサイル、ミサイル。
別に自分の国のそばに落としただけじゃんね。

落ちた場所が、日本海なんていう名前がついてるから、およよって思っちゃうけど、
地図ひっくり返せばわかりやすいんだけど、
日本海って名前が適切かって議論がずっとあるくらい、
別に日本だけの海ってわけじゃないし。

ミサイルの話が大事じゃないとは思わないし、
こうやって話の種にはもってこいだけど、
他にも大切なニュースはごろごろしてるのに。

「ウオータージャンプ」が所沢の西武園ゆうえんち に7日オープンとか。

投稿者 POE : 12:44 FM | コメント (0) | トラックバック

Juli 03, 2006

久しぶりの大学

久しぶりに大学に行く。

場所としてのそれは殆ど変わっていないけど、
知っている人とはもうあまり会えなかった。

場所に、人は集う。
でも人は、人と出会う。
あの人のいない場所は、もうあの場所じゃない。

でも何人かの懐かしい顔とは偶然会えた。
一年じゃ何の違いもわからないや。

ノルウェーを立ってからそろそろ一週間。

駅の構内で人とぶつかっても歩き続け、
お店でモノを買っても黙ったままそこを立ち去り、
まるで自分以外の世界中が他人みたいな顔で行き急ぐことにも、
そろそろ慣れてきてしまいそう。

投稿者 POE : 11:49 EM | コメント (2) | トラックバック

Juli 02, 2006

7月

いつの間にか7月になっていた。
月をあらわす言葉が数字って言うのは潔くて嫌いじゃない。

一応、文月っていう呼び方もあるけれど、
これは旧暦に対応しているだけあって、
今の7月の肌感覚にはあわない。

文月ってのは七夕とも対応していて、
七夕ってのは秋の行事だった。

行事さえ、季節の壁を乗り越えてしまうなら、
数字が季節を跳んでゆくなんてそんな難しいことじゃないと思う。

だから、もう少し過ごしやすい7月を、
この場所にも与えて欲しいなあ。

投稿者 POE : 03:40 EM | コメント (0) | トラックバック