2008年8月アーカイブ

MITの学生たちが、ボストンの地下鉄に関するセキュリティについて分析し、カンファレンスで発表しようとしたところ、それを禁じられるという騒ぎが起きた。EFFがMITの3人の学生を支援するべく法廷で争おうとしている。学問の自由と抵触するというわけだ。MITの学生たちには頑張って欲しい。

EFF Urges Judge to Lift Gag Order on MIT Students

先週、SFCの同僚たちがたくさん来て、MITの寮を視察していった。MITにはおもしろい寮がいくつかあって、例えば、Simmons Hallは窓が6000もあり、内部はうねったコンクリートの壁がむき出しになっている(とても維持費が高いらしい)。建築はMITの売りの一つなので気合いが入っている。

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ジョージタウン大学に留学するゼミ生からちょうどメールが来て、寮に入れてうれしいとのことだった。しかし、私はもう寮に入って勉強したいとは思わない。20代なら喜んで入っただろうな。歳食った証拠だ。

土屋大洋「サイバーセキュリティーが米新政権の課題に」NIKKEI NETネット時評(2008年8月18日)

MITの図書館からDVDを借りてきて、『グッド・ウィル・ハンティング(Good Will Hunting)』を見た。MITが舞台になっている映画である。主人公はMITの学生ではなく、MITの掃除夫の20歳の若者。実はものすごい天才なのだが、人とうまくコミュニケートできない。MITの数学の先生が彼を見出して……、と話は展開する。ヒロインはハーバードの学生なので、ケンブリッジの景色がたくさん出てくる。いつも使っているハーバード・スクエアのカフェも出てきた。しかし、若者言葉は速すぎて、ほとんど理解できない。少しは英語がうまくなったかと思っていたのに残念。

MITの廊下のシーンがあり、聞き間違いでなければ、ビルディング2と言っていた。MITの建物は全て番号で表示されている。ビルティング2はドームの前の芝生を囲むビルの一つで、最も古い建物の一つ。数字の前に何もアルファベットが付いていない建物が古い建物群で、Eが付くとキャンパスの東側になり、同じくWは西側、NWは北西側、Nは北側、NEは北東側になる。

DVDを図書館に返しに行くついでに、ビルディング2のロケーション・シーンを見に行った。ところが、どこにもない。映画ではレンガの壁に黒板がかかっていたが、レンガの壁なんてどこにもない。いったいどこなんだろうと上から下まで歩いて回る。夏休みで人がほとんどいないので怪しまれない。

結局見つからなかったが、噂の地下通路を通って自分の研究室まで戻ることにした。MITの地下は迷路のような地下道でほとんど全部がつながっている。私の研究室があるのはE38で、2→6→8→16→56→66→E17→E25の下を通って行けるらしい。寒い冬には外を歩かなくてすむ。

しかし、本当に迷路のようになっていて何度も迷う。地上の地図を持っていたし、地下の所々に地図が貼ってあるのだが、方向音痴の私は変なところを一周してしまったりする。それでもけっこうおもしろくて、いろいろなオフィスがあるし、パイプやらボンベやらがゴロゴロしていて、「DANGER」と表示された部屋もたくさんある。ついでにお化けも出るらしい。

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MITは危険物をたくさん扱っているので、火事になったらとにかく逃げろというのがポリシーだ。非常口の案内図には、「The Institute policy is to NOT FIGHT FIRES」なんて書いてある。危険すぎで素人に消火活動なんてできないらしい。

探検が終わり、ウィキペディアの英語版で『Good Will Hunting』を調べてみると、大学構内のシーンはカナダのトロント大学で撮影されたと書いてある。な~んだ。カナダのほうがコストが安いので映画の撮影はよくカナダで行われると聞いたことがある。さらにおもしろいのは、主役のマット・デイモンとベン・アフレックが書いた脚本が元になっているということ。マット・デイモンはハーバードの学生だったらしく、授業で原作を書き、二人はこの作品で売れるようになった。ロビン・ウィリアムズもアドリブで撮影を盛り上げたらしい。

もうちょっとディープにMITらしさが出ていると楽しいのになあ。

先週の金曜日の昼過ぎ、研究所の同僚の一人が、「今度はロシアと戦争かな」とぼそっと言った。私は論文のデータ処理をずっとやっていたので何のことかよく分からなかったが、ロシアとグルジアに関する報道が始まっていた。アフガニスタンとイラクを抱えていてアメリカがすぐ参戦するとは考えられないが、今のうちからそういう可能性を考えておくのが東部エスタブリッシュメントの頭の中なのだろう。グルジアとアメリカは近年関係が密になっているので、戦争の可能性が全くないわけではない。

ちょうどその晩、オリンピックの開会式の録画がNBCで放送された。アメリカ時間だと金曜日の朝に行われたことになるが、朝のニュースではスタジアムの中は見せず、録画を午後7時半から夜12時まで流した。インターネット時代に録画放送はないだろうと思ったが、視聴率を稼ぐためには仕方ないのかな。

マスゲームを見ていたアナウンサーが驚いて「あごが落ちちゃう(jaw dropping)」と言っていたのには笑った。中国に秩序があるところを見せたかった中国の気持ちも分かるけど、アメリカ人は多様な個性を称賛するから、アメリカ人はたぶん違う受け止め方をしてしまったと思う。その辺の感覚のずれを感じるなあ。

この日、小島朋之先生の最後の著書が届いた。国分良成先生の巻頭言を読み、小島先生の圧倒的執筆量に改めて驚く。きっとオリンピックもごらんになりたかっただろうな。先月末の偲ぶ会に出席したかったが、諸事情あって東京には戻れなかった。今書いている論文が終わったらこの本を読もう。

小島朋之『和諧をめざす中国』(芦書房、2008年)。

ケンブリッジ(ボストン)は雨ばかり。気温も上がらず、このまま秋になってしまいそうだ。今日は冷房も止まり、薄手のコートを着ている人もいた。暑そうな北京とはずいぶんなちがいだ。

ぼやっとしているうちに、ブッシュ政権がインテリジェンスに関する大統領命令12333を改正し、議論を呼んでいる。

オリジナルの大統領命令12333はレーガン政権の時に出されたもので、インテリジェンス機関の活動を規定している。大枠は法律で決まるが、詳細は大統領命令で決められる。この大統領命令は、秘密だらけで訳の分からなかったインテリジェンス機関の法的制約を明らかにする画期的なもので、CIAによる暗殺を明示的に禁じたものとしても知られている。

改正された大統領命令には、オリジナルには入っていなかった以下の文章がある。

米国政府は、連邦法によって保証されている自由(freedoms)、市民的自由(liberties)、そしてプライバシーの権利を含む、あらゆる米国民の法的権利を完全に守るという厳粛な義務を負っており、この命令の下でのインテリジェンス活動の実施において継続しなければならない。

わざわざこんなことを追加して書くとは、近年のさまざまな問題は何なのだろうと勘ぐりたくなる。しかし、わざわざ書くのは前進だという見方もある。

ブッシュ政権は最近、大統領命令はこっそり改正できるという法律的立場をとっていることが分かり、問題になっている。アメリカは法律社会だというが、法律に準ずる大統領命令が、誰も知らない間に無効になっていたり、書き換えられていたりしたら、法治国家ではなくなるだろう。ますますインテリジェンス機関をコントロールできなくなる。

今回の大統領命令の改正は、近年のインテリジェンス・コミュニティの改革を反映するためのものだが、これをこっそり書き換えられるとすれば、形式的な改正でしかないのか。

ウォール・ストリート・ジャーナルの社説が連邦通信委員会(FCC)のケビン・マーチン委員長を徹底的にこき下ろしている。

"FCC.politics.gov," Wall Street Journal, June 30, 2008, Page A14.

書き出しはこうだ。

悪い人事決定がブッシュ政権にはつきまとってきたが、最大の失望のうちの一つは連邦通信委員会委員長のケビン・マーチンである。メディア・ユニバースの主としての最後の半年で、彼はインターネットの政府規制を拡大しようとしているようだ。

ネットワーク中立性に関連してマーチン委員長は、「中立性を確保するための」規制を導入しようとしている。この中立性の議論はなかなかねじれているが、「ネットを中立にしておくために規制が必要」とする人たちと、「ネットを自由にしておくために規制は不要」という派に収斂しつつあるようだ。「ネットを中立にしておくために規制は不要」や、「ネットを自由にしておくために規制は必要」というオプションはなくなってきている(ややこしい上に、どれも議論としては成り立ちそうだ)。

伝統的に共和党は規制反対のはずなのに、マーチン委員長(共和党)は、他の4人の委員のうち民主党の2人と組んで規制を導入しようとしている。

この記事は、言うことを聞かないコムキャスト社をこらしめるためにマーチン委員長が規制を導入しようとしているという政治的な意図を示唆している。しかし、その結果として政府の規制が拡大するのはけしからんというのが同紙の立場だ。記事の最後はこう締めくくられている。

規制者たちは、通信市場全体を競争的にしておくことに集中することで良い仕事をするだろう。もしコムキャストの顧客が同社のネットワーク管理方針が気に入らないのなら、ベライゾンやAT&T、その他のインターネット・サービス・プロバイダーに乗り換えるのは自由だ。ケビン・マーチンと彼の政治的な友達が運営するワールド・ワイド・ウェブは、粗末の質の数少ない選択肢しかわれわれに残さないだろう。

マーチン委員長の本心がどこにあるかは分からないが、この議論はよく分かる。日本でネットワーク中立性の議論がそれほど盛り上がらなかったのは、ユーザーに選択肢があるからだ。NTTが変なネットワーク規制をしたなら、KDDIにでもソフトバンクにでも切り替えれば良い。ISPなら他にもたくさんある。問題は日本でもアメリカでも、選択肢の少ない過疎地で、そこでの選択肢を確保できるようにすることが政策的に必要なことだろう。

全米社会学会はいろいろ用事があってフルに参加できなかったけど、視点の違いが見られておもしろかった。政治社会学者(political sociologist)と政治学者(political scientist)は協力できるのかというパネル・ディスカッションでは、「やってられない」という人と「できるよ」という人がフロアを交えて議論していて、聞いていると苦笑してしまう。

社会学者から見ると政治学者は価値や制度にコミットしすぎているそうだ。例えば、民主主義は良いものだということを前提として議論している。社会学者は良いかどうかの判断はさておいて、人々がどうやってインタラクションしているかに関心があるので、民主主義がどうなっても構わない!

まあ、そうかもしれない。社会学の議論を聞いていると、とっかかりがないという気がする。「それで?」と聞いてみると、「それだけ。それがおもしろい」という答え。

政治学は社会のデザインとか批判ということを重視しているから、自分が依拠する立場に自覚的でありながらも、特定の価値を持つことを躊躇しない。リアリストでもリベラリストでも構わない。立場の違いに過ぎない。

社会学は何でも相対化してみて、自分たちに埋め込まれた価値からできるだけ中立的であろうとするみたいだから、何でもぶった切ろうとするマクロな一般論と、一般化を拒否するミクロな個別論に分かれていて、両者をつなぐ議論がなかなか出てこない。

政治学はアリストテレスまでさかのぼる伝統があるくせに節操が無くて、いろいろな分野から知見や手法を借りてきてしまって恥じるところが全然無い。社会学者は新興勢力だからか、社会学らしさにこだわりつつ、まだそれが誰にもよく分からない。

いずれにせよ、事前登録参加者だけで4900人を超えるという大きな全米社会学会である。優勢な学問分野であることには変わりない。

越境

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自分で決めてしまった、あるいは誰かに決められてしまった境界を越えて探検するのは、しんどいものでもあるが、楽しいものでもある。SFCにいると、「自分は○○学者です」と名乗るのはけっこう恥ずかしくなってくる。聞かれると私は「国際政治学者です」と答えているが、他人から見るとそうは見えないかもしれない(総務省関連の仕事が多いし)。最近は大学院のインターリアリティ・プロジェクトで社会学をかじってみたりした(ウェブは全然更新されていないけどね)。

今週末、ボストンで全米社会学会(ASA)が開かれている。二度と全米社会学会に参加する機会なんてなさそうだからと思って参加している。おもしろいことに、「私は社会学者ではありません」と自己申告すると参加料が割引になる。全米政治学会(APSA)並に大きな学会だ(こちらも今月末にボストンで開かれる)。

昨日は、社会学の成果が軍事政策にどうやって応用されているかというテーマのワークショップに参加した。「ミリタリー・ソシオロジー(軍事社会学?)」という言葉は初めて聞いた。国防総省はいろいろな形で社会学者を雇っているようで、軍隊という一つの社会で起きる問題についてアドバイスをしているらしい。しかし、そうした研究成果は敵を利することになる可能性があるということで公開されない。そうした社会学者たちの研究成果は軍の中だけで消化されている。

このワークショップで一番驚いたのは「social network analysis(社会ネットワーク分析)がサダム・フセインを捕まえるのに使われた」という話。なるほど、彼がどこに隠れているかを探すために彼の持っていた社会的ネットワークを分析すれば、誰がかくまっているのかが推測できたのかもしれない。政治学より社会学は役に立っているではないか。

現在のアフガニスタンとイラクでの作戦では、1976年と2006年に発表された社会学の研究が応用されているという。越境するとおもしろい風景を見ることができる。

(考えてみると、SFCでも自衛隊の社会学的研究がけっこう行われている。防衛研究や政治学の研究として自衛隊を取り上げるのもおもしろいが、社会学から見るのもおもしろいだろう。SFCでの先駆的なものとしては、今は一橋大学にいらっしゃる佐藤文香先生の研究だろう。)

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