2008年4月アーカイブ

Berkman at 10

ハーバード大学のバークマン・センターが10周年のイベントを来月開く。キーノートは最近The Future of the Internetという本を出したJonathan Zittrain教授やYochai Benkler教授など。ウィキペディアのJimmy Walesも来るらしい。FCCの元委員長Reed HundtやICANN初代理事長のEsther Dysonらの名前も見える。

Zittrainの本もそうだけど、インターネットが曲がり角に来ているという議論がだいぶ出てきた。どんな議論がかわされるのだろう。

(宣伝エントリーを自分のブログに書くと割引になるそうなので書いてます。)

20080425geneva.JPGジュネーブでの二日目の発表で一番おもしろかったのはTony Rutkowskiのものだ。彼は、100年前に起きたことが繰り返されると言った。100年前、無線電信の技術と標準が入り乱れ、それを何とかするために万国無線電信会議が開かれ、国際的な調整が行われた。やがてこれが国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)へとつながっていく。同じことが今起きており、やがて政府がインターネットを規制し、コントロールするようになるというのだ。

彼の名前は10年以上前から知っていた。Internet Society(ISOC)のExecutive Directorだったからだ。彼はインターネット・コミュニティの役割を支持するのかと思いきや、すでに彼は見限っていて、EFFやCDT、ACLUは必ず負けるとまで言い切っていた。インターネットは政府が支配するところになるというのだ。つまり、歴史は繰り返されるという。

私は彼とは違う主張をしたのだけど、どうなるのだろう。強い政府規制を求める国の政府代表に、「私は政府規制は反対だし、やるとしたらインターネット・コミュニティの支持を得る努力をしたほうが良い、WSISの混乱を見たら分かるだろう」と述べたら、露骨に嫌な顔をしていた(もう呼んでもらえないね)。政府はネットを規制したいようだ。もし彼らが正しければ、私は『情報とグローバル・ガバナンス』を書き直さなくてはいけなくなる。

昨日は国連がこの問題を取り上げてくれたことにのんきに喜んでいたが、考えてみれば、いままでハンズ・オフ・アプローチでやってきたインターネット・ガバナンスに政府規制の手が伸びてきているということだ。デジタル・デバイドは政府介入の糸口となったわけだけど、情報通信技術が国家安全保障に本格的に影響するようになってきた今、黙ってはいられなくなってきたようだ。研究者としてはおもしろいけれども、ユーザーとしてはおもしろくない。

火曜日の夜、肩が痛いまま、ボストンのローガン空港へ向かった。地下鉄でアクセスできる空港はすばらしい。スイス航空に初めてチェックイン。2002年に一度つぶれているが、その後どうなったのだろう。夜の9時半のフライトなのに、食事がどんと出てくるのには文字通り閉口する。その分、早く眠らせて欲しい。しかし、食事が終わっても肩の痛みでよく眠れない。結局、一睡もしないままチューリッヒに到着。乗り換えて30分のフライトでジュネーヴへ。初めてのスイスだ。

空港の外に出ると暑かった。額に汗がにじんでしまう。スーツケースにマフラーと手袋を入れてきたが、バカなことをしたと思った。バゲージクレームのところで手に入れた無料バスチケットを持って5番のバスに乗る。2両連結の長いバスだ。ドアは自分でボタンを押して開ける。6つめの停留所がホテルの目の前だ。周りの人たちを見ると、乗るときも降りるときもチケットを見せていない。ちょっと心配なので降りるときに運転手に見せるが、興味なさそうだ。豊かな国なんだなあ。ホテルにチェックインすると、さらに滞在中全ての乗り物が無料になるチケットをくれた。何なんだ。

少し眠りたいので横になるが、ホテルの改修工事が行われていてうるさい。NHKの国際放送がテレビで見られるようになっていたので、騒音を消すためにつけっぱなしで眠る。1時間ぐらいで目を覚ますと、『プロフェッショナル』をやっていた。トヨタ方式の大野さんに弟子がいたとは知らなかった。山田日登志さんという方の話。無駄を省くって重要だ。

20080424geneva01.JPG気を取り直して夕ご飯を食べに行く。またもや5番のバスに乗り、レマン湖を渡るまで乗ってみる。途中、国連欧州本部の前を通り、UNHCRの前も通る。鉄道の駅を通り、繁華街を通り抜け、レマン湖から流れ出る川を渡ったところで降りる。なかなか良い雰囲気だ。湖岸を少し歩いて散策する。ヨーロッパの都市は川沿いにあることが多いが、湖畔にこれだけ大きな街ができているところは他にあるのだろうか。

市街で食事。フランス語で分からないものを食べる元気がないので中華料理屋に入る。味はまあまあだけど、高い。何で3000円もするんだ。


20080424geneva03.JPG20080424geneva02.JPG帰りは歩いてホテルまで戻る。途中、国連欧州本部の前を通る。門の前に大きな椅子のオブジェがあり、足が1本かけている。その下にある解説を読むと、対人地雷防止条約の批准を呼びかけるためのものだそうだ。最初はよく分からなかったが、意味が分かるとインパクトがある。とにかく大きい。周りにはITU(国際電気通信連合)やWIPO(知的所有権機構)がある。こういう位置関係は現場に来てみないと分からない。グーグルのストリートビューを使ってもこの距離感はまだつかめないのだ。

国連欧州本部はもともと国際連盟本部だったところだ。日本は国際連盟の創設から常任理事国だった。しかし、自ら脱退してしまった。なぜそうなってしまったのだろう。

翌朝4時に目が覚める。時差ぼけだ。やはり東に行くと時差ぼけになりやすい。6時半まで寝直す。

ジュネーブに来た目的は、国連欧州本部で開かれる「情報通信技術と国際安全保障」というセミナーで話をするためだ。こういうテーマで国連がセミナーを開くなんて、今までやってきて良かったなあと思う。陽の目を見ないテーマでもいつか出番が来るものだ。聞き手は各国政府代表部の方々や本部のスタッフの方々など(一般にはオープンになっていない)。

20080424geneva04.JPG8時半にホテルを出て、国連欧州本部の裏口へ歩いていく。受付で2日間有効なIDを作ってもらい、中へ。会場はCouncil Chamberだ。ここは国際連盟時代の本会議場というわけではないだろうが、かなり大きな部屋で、天井と横壁に大きな絵が描いてある。開始前に日本代表部の人が声をかけてくれ、ロシア代表部の人も紹介してくれる。このセミナーを企画したのはロシアなのだそうだ。ロシアはこの分野に関心を強く持つようになっているという。意味深だ。

オープニング・セッションは国連側とロシア側の挨拶。セッション1の最初のスピーカーが私だ。トルコで話した内容をアップデートし、短くしたものを話す。今回はまじめな会議なのでジョークは控えたのだが、笑ってくれても良いようなところでもしーんとしている。笑ってくれるのは政府代表ではないパネリストだけだ。国連の会議というのは拍手がない。誰が話してもしーんとしていて、伝わったのかどうか分からない。話が終わった後の休憩時間やランチタイムにいろいろコメントをもらって、おもしろかったと言ってくれた人が多かったのでほっとする。

他のパネリストたちも、インターポールやスウェーデンの研究機関、ケルン大学の人などで、おもしろい話が多い。初日で一番おもしろかったのは、最後のセッションの最後の発表者。某国からオンラインで攻撃された国の研究者が、その時の分析を発表した。相手国の名前は一言も発しなかったので、知らない人には何が何だか分からなかったらしい。だけど、その相手国の代表がかなりむきになって何度も発言を求めたのだ。発表者の国の政府代表も負けじと発言する。表面的には穏やかな言い方なのだけど、緊張した40分だった。外交の現場を見た気がする。これを見られただけでも来た甲斐があった。明日はどんな話が聞けるのだろう。自分の出番が終わってしまうと気が楽だ。

先週はかなり研究をした。東京にいるときは一つのことに3時間まとまって使えれば良いほうだったが、こちらでは用事がないので、集中すると一日中ずっとできる。平日はいくつかの仕事をがっちりやって、土曜日の夜、奇跡的にとれたレッド・ソックスの試合を見に行った。松坂が前日に投げてしまっていたのが残念だが、ほぼ完全に売り切れているレッド・ソックスのホーム・ゲームなのだから贅沢は言えない。試合は最後に逆転ホームランで勝つという劇的な展開だった。あいにく岡島の出番もなかったが、ブルペンで調整する姿を間近で見られたのは良かった。

20080419fenway.JPG 20080419okajima.JPG試合そっちのけで岡島を見ていて興味深かったのは、他のピッチャーはいきなり投球練習を始めるのに対し、彼はゴムを使って手首の運動から始め、少しずつ体をほごし、負荷をかけていく。丁寧に体を作っていくのが印象的だった。良い仕事をするには準備が重要だと思う。

ところが翌日曜日、私の体はがちがちに固まり、特に左肩に痛みが走り、寝返りがうてなくなった。平日に無制限に仕事し続け、ナイターが寒かったせいだろう。さらにはベッドが柔らかいせいも大きい。年明け以降の疲れが出てきたのかもしれない。とにかくひどい痛みだ。床のカーペットにシーツを敷き、日曜日は休むものの、痛みはとれない。日曜日の夜はほどんど眠れなかった。

月曜日、マサチューセッツ州はパトリオット・デーで休日である。この日はあのボストン・マラソンが開かれる。沿道で観戦するのを楽しみにしていたのだが、外出できる状態ではない。テレビで観戦。しかし、中継方法が原始的であまりおもしろくない。日本のマラソンや駅伝中継はよくできていると気づく。

痛みが引かないので、医者に診てもらおうと、ウェブを使ってアポの申し込みをする。アメリカではアポがないと基本的に医者には診てもらえない。月曜日は休日なので診てもらえないとは思っていたが、月曜日と火曜日のできるだけ早い時間に診てもらいたいと申し込む。意外にもアポの返事はすぐに来た。しかし、設定日は来週の月曜日である。月曜と火曜が良いと書いたので、水曜日以降の日程は無視されたのだろう。でも来週じゃないんだけどなあ。

そして、整形外科の申し込みをしたのに、まずは主治医の内科医に会えという。整形外科はこの主治医の紹介がないと会ってもらえないのだ。一週間先に内科医に会って、それから整形外科に行けというのはのんびりしたものだ。整形外科のアポはさらに先になるのだろう。もちろん、救急患者は診てもらえるのだが、どうやら高く付くのだそうだ。

聞いてはいたけれども、アメリカの医療制度はやはりおかしい。日本であれば好きな病院にすぐに行って、どんなに遅くてもその日のうちには診てもらえるだろう。しかし、アメリカでは保険の適用範囲が決まっているので、勝手にかかりつけ以外の病院に行くと法外な診察料をとられる。その上、保険料が高いから、多くの人が健康保険に入れない。外国人研究者は国務省の規定で入らなくてはいけないから私はカバーされているが、アメリカ人で入れない一般の人はかなりいる。仮に入っていても、これでは痛いときにすぐには診てもらえないだろう。

日本の医療制度が完璧だとは思わない。不必要な薬が出たり、病院が社交場のようになっていたりするかもしれない。しかし、選択の自由があり、すぐに診てもらえる医療制度はやはり優れていると思う。もちろんそれはただではなくて、給与天引きですごい額が徴収されているからできることも確かだ。

大統領選挙で医療制度(健康保険制度)が重要な政策イシューになることも実感できる。自分でリスクをとり、カバーするのがアメリカらしさなのかもしれないが、もうちょっとどうにかなるだろうという気がする。

研究者の体も自己管理しなくてはならない。同僚のO先生がやはり1年間の在外研究に出たとき、「自分が疲れていることに気づくのに半年かかった」と言っていた。本当にそうかもしれない。毎日、岡島のような入念なウォーミングアップが必要なのだ。

土屋大洋「邪魔者はつぶしてしまえ?」産経新聞【ねっと系】スクロール(2008年4月16日)。

船便の荷物が届いた。太平洋を渡ってきたというのに箱はほとんど汚れていない。ヤマトさん、ありがとうございます。これで生活も落ち着くだろう。そろそろちゃんと研究モードに入らないと。

John Maeda, The Laws of Simplicity, Cambridge: MIT Press, 2006.

ボストン・グローブ紙で何気なく読んだジョン・マエダ教授に関する記事が気になっていた。最初は日系の名前を持つMIT教授が気になっただけだが、「単純さ(simplicity)」にこだわる彼の考え方がおもしろい。マエダ教授はMITメディアラボのデザインの先生だが、6月にMITを去り、Rhode Island School of Designの学長になることが決まっている。SFCでデザインをやっているWさんに聞いたところ、良いデザイナーとして知られているとのこと。本の途中で別のSFCの同僚の名前が出てきた。世界は狭いなあ。

SIMPLICITYにはMITが隠されている。

この本は、彼が普段考えていることを10の法則にまとめたものだ。しかし、彼自身まだ思考の途中であることを認めている。ノウハウ本ほど実践的な役には立たない。しかし、考え方はとても参考になる。MITの人たちがどんな考え方をするのかを知る上でもおもしろい。特に、彼がMITでどうやって授業をしているかという話がおもしろい。

学生に勉強させるときに重要なのは、難しい課題を出して解かせることだと思っていたけど、10年間教師をしてみて分かったことは、BRAINなのだそうだ(次の五つの文章の頭文字)。そうかもしれないね。

  • BASICS are the beginning.基礎が始まりである。
  • REPEAT yourself often.何度も繰り返しやる。
  • AVOID creating desperation.絶望を作り出さないようにする。
  • INSPIRE with examples.例示でひらめかせる。
  • NEVER forget to repeat yourself.繰り返すことを忘れない。

同じテーマにじっくり取り組み、プレゼンを繰り返して聴衆を説得しようとする学生はうまくなる。複雑なこと、新しいことにやたらと飛びつき、すぐに飽きてしまう学生は伸びない。

教師の側も同じだ。毎年同じ授業をやっている先生のことを最初は「飽きてしまわないのか」と思ったらしいが、しかし、よく見てみると、同じ話を毎年しながら少しずつ工夫して、単純にすることでエッセンスを伝える努力をしていることに気がついたという。基礎の基礎に焦点を絞ることで分かりやすくなる。繰り返すことによって重要なことが身につく。(ついでの話として、ブッシュ大統領が再選できたのは、「テロ、イラク、大量破壊兵器」を徹底的にスピーチで繰り返して、単純にしたからだという。みんなだまされたものね。)

また、メディアラボのニコラス・ネグロポンテ前所長がマエダ教授に、レーザー・ビームになるより電球になれと言われたそうだ。レーザーのような正確さで一点を明るくすることもできるが、電球で周りにあるものすべてを照らすこともできる。

MITでは何か複雑なシステムを学ぶとき、分からないことがあったら「RTFM」というのだそうだ。「Read The F*cking Manual」である。マック・ユーザーの私はマニュアルなしでコンピュータは使えなくてはいけないと思っているので、マニュアルを読むのが大嫌いだ。しかし、正しく、素早く理解するためにはやはりマニュアルが大事というわけだ。

一番良いなと思ったのは次のところ。

In the beginning of life we strive for independence, and at the end of life it is the same. At the core of the best rewards is this fundamental desire for freedom in thinking, living, and being. (p. 43)

以下は最初に読んだ記事。
Scott Kirsner,"Running a college on the avant garde," Boston Globe, February 10, 2008.

20080407dower.jpg日本の占領期を描いた『敗北を抱きしめて』でピューリッツァー賞を受賞したジョン・W・ダワーが、MITのキリアン・アウォードを受賞し、記念講演を開いた。キリアン・アウォードというのは、MITの第10代学長で多大な貢献をしたジェームズ・キリアンを記念した賞で、毎年MITのファカルティから1人選ばれる。分野を問わずに優れた業績を挙げた人が選ばれる。慶應で言えば、福澤賞・義塾賞に相当するものかな。ちょっと違うのは、キリアン・アウォードを受賞すると、「Killian Award Lecturer」という肩書きが一年間与えられ、講演をすることになっている点だ。

講演のタイトルは、「Cultures of War: Pearl Harbor/Hiroshima/9-11/Iraq」というもので、歴史的な裏打ちもなく、パール・ハーバーや広島の原爆の話と、9-11やイラク戦争の話が対比的に語られるのは良くないと指摘していた。また、意外にもインテリジェンスの話が出てきて、インテリジェンスの失敗というのは、歴史的なイマジネーションの失敗でもあると強調していた。歴史を知らずしてインテリジェンスを語るなということだろう。戦争とは文化なんだという指摘もおもしろい。

http://web.mit.edu/newsoffice/2008/dower-tt0402.html
"Dower to deliver Killian Award lecture April 7," MIT News, April 2, 2008


http://web.mit.edu/newsoffice/2008/dower-tt0409.html

"Dower probes 'cultures of war' in Killian award lecture," MIT News, April 9, 2008

またもや訃報である。内山秀夫先生が亡くなった。慶應の法学部政治学科に入ったとき、面接試験があった(今もあるのだろうか)。その面接官二人のうちの一人が内山先生だった。どんな本を読んだかとか、尊敬する人は誰かなんてことを聞かれた気がする。

勢い込んで入学したものの、日吉キャンパスは遊ぶところになっていて、まじめに勉強したいと思ってもあまりできなかった。必然的に勉強以外のことにのめり込むことになるのだが、一年生の授業で一番おもしろかったのが内山先生の政治学だった。同期のほとんどの人たちは、並行して開設されていた別の先生の政治学を履修していたが、私は大教室にまばらにしか人のいない内山先生の政治学が好きだった。

授業はほとんど内容が分からなかった。教科書が一冊指定されているが、毎回2~3ページしか進まない。教科書の行間に書かれていることを解説しながら、内山先生の話は大きく脱線していく。その脱線具合があまりにも大きくて、受験勉強に慣れ親しんだ頭にはさっぱり入らない。

それでも毎回、頭の中をぐるぐるかき回される思いだった。なんだかよく分からないけど、授業に出ていって聞いていた。履修者が少なく、さらに出席してくる学生も少ないのだが、出てきている学生も時々退屈しておしゃべりを始めてしまう。すると内山先生は突然話を中断して、「たのしーかい、おじょーちゃん」と軽い調子で声をかける。みんなびくっとして教室が静まりかえる。内山先生は、そこに学生なんかいないかのような調子で、時に退屈そうに、時に興奮しながら独演していく。(これはもしかしたら私の記憶違いかもしれないけど)日吉の大教室の「禁煙」と書かれている張り紙の下で、内山先生はおもむろにホープ缶からたばこを出してを吸っていた。「キース・リチャーズみたいだな」と思った記憶がある(ホープではなくて、たばこを吸っている姿の話)。

どうやら内山先生は、だんだんおとなしくなりつつあった学生たちに不満を持っていたらしい。学生運動の時代へのノスタルジーもあったのかもしれない。内山先生なりのやり方で、学生を挑発しようとしていたのだと思う。本当は、「先生、禁煙て書いてあるじゃないですか。何でたばこを吸うんですか」と言って欲しかったのだろう。でもそんな勇気は私にはなかった。

二年生が終わる頃、ゼミを選ばなくてはいけなくなったとき、内山ゼミに入ろうと思っていた。しかし、内山先生は新潟国際情報大学の初代学長として転出されることになり、ゼミは開講されなくなってしまった。私は行き場が無くなり、迷いに迷って、新任の薬師寺泰蔵先生のところへ行くことにした。結果的に私の人生にはこれで良かったのだと思うけれども、あのとき、内山先生のゼミに入っていたら、ぜんぜん違う人生になったような気がする。

薬師寺ゼミに入ったとき、意外にも内山先生に興味があるゼミ友が何人かいたので、一緒に内山先生を誘って、新宿の居酒屋で飲んだことがある。内山先生は、熱燗ではなく、「ぬる燗」にこだわっていた。居酒屋チェーンのお店だから、ぬる燗なんてものは作れない。店員さんが困って、いったん作った熱燗に冷たいお酒を足していたらしい。内山先生はぜんぜん食べなくて、お通しで出てきた小皿のもやししか手を付けなかった。それなのにぬる燗をがぶがぶ飲むものだから、帰る頃にはフラフラで、われわれより酔っぱらってしまっている。軍国少年だった頃に覚えた敬礼の仕方をわれわれに教えてくださったのだが、いくら真似してもダメ出しされてしまったのが懐かしい。

大学はどんどんサービス産業化しつつあり、内山先生のような人間くさい授業はもうやりにくい。私がSFCで内山先生のような授業をやったら、授業評価でどんなコメントが学生から来るのだろうか。予備校的な授業になれてしまっている学生は、すぐに要点を教えてもらおうとする。しかし、答えなんてそんな簡単には見つからないし、テストのために覚えた知識はほとんど役に立たない。私にとっては内山先生の授業が原点のような気がする。あの授業を聞いていて、自分がたくさん知らなくてはいけないことがあるということを自覚して、学問をちゃんとやろうと思い直した。どうせやらなくちゃいけないなら、ああいう授業をやってみたい。

内山先生の名講義(復活!慶應義塾の名講義:2006年6月24日)
痛々しいお姿の上に、声が聞き取れないのが残念だ。

ボストンはここ数日天気が悪かった。暖かくはなってきているが、しとしと雨が降った。私は寝違えた首が痛く、やり残してきた二つの仕事をやっているがなかなか進まない。

20080405bostonglobe.jpg天気だけではなく、景気も悪い。テレビや新聞では悪い方向に進んでいるという調子のニュースが多い。景気は気分みたいなものだが、どことなくアメリカに元気がない。間が悪いことに、クリントン夫妻が大統領退任後の8年間に1億ドル(約100億円以上)も稼いだという記事が出ている(写真は4月5日付ボストン・グローブ紙の一面)。現職大統領が再選を狙うときは、思い切った景気てこ入れ策で景気を強引に上向きに持っていく。しかし、退任の決まっているブッシュ大統領にとってはそこまで頑張るインセンティブはないのだろう。

ところで、日本から車の無事故・無違反証明(英文)が届いた。早速、ジップカー(Zipcar)の申し込みをした。数年前にハーバードにいたKさんからも聞いていたし、こちらに来てからも何人かに言われていた。毎日車を使うわけではなければ、ジップカーで良いのではということだ。車を購入すると、代金の他に、車の登録料、保険料、毎月の駐車場代、ガソリン代がかかってくる。中古車市場が発達しているので、車はまた売ればいいのだが、維持費はけっこうかかる。

ジップカーというのは、簡単に言うと、車を会員で共有するシステムで、ボストンから始まったらしい(MITかハーバードの学生が始めたとも聞いた)。車はボストンだけでなく、東海岸と西海岸の大都市を中心にたくさんあり、ボストンにはうじゃうじゃある(ここでボストンをクリックすると見える)。ウェブで予約をすれば、置いてある車を勝手に乗り回していいのだ。料金は利用時間に応じてクレジット・カードから引き落とされる。レンタカーと同じくらいの料金設定だが、1時間単位で借りられ、ガソリン代はかからない。ガソリン・スタンドで無料給油できるカードが車内にあり、足りなければ勝手に足し、十分残っていれば、そのまま乗り捨てていける。

20080405zipcar02.jpg私の住んでいるアパートの駐車場にも1台置いてあり、最寄り駅の駐車場にも2台置いてある。写真はアパートの駐車場のジップカー専用スペースである。ここにいつも同じ車が止まっている。先のKさんは私と同じアパートに住んでいたのだが、ジップカーで十分だったらしい。

ジップカーに申し込むには無事故証明が必要なので、それが届くのを待っていた。届いてから、オンラインでクレジット・カードを使って登録し、無事故証明をファックスした。すると、その日のうちに承認の連絡が来て、3日から1週間でジップカードが届くという。ところが、地元ボストンのためか、翌日にはカードが届いてしまった。何のことはないただのプラスティック・カードなのだが、おそらくICチップが埋め込まれている。このカードに書かれている番号をウェブでアクティベートして私の情報とひも付けすれば、準備完了である。

20080405zipcar01.jpg試しに買い物にでも行こうかと土曜日の午後に4時間分の予約を入れた。予約時間が間近になったので駐車場に行くと、車がない。いきなりこれかよと思ったが、ギリギリまで待ってみようと思って立っていると、時間ギリギリに車が戻ってきて、駐車場の所定の位置で止まった。中から出てきた人は、さっと降りて、駅の方向に歩いていってしまう。どうやらアパートの住人ではないらしい。 20080405zipcar03.jpg車自体の鍵は、ジップカーの中にある。ハンドルの脇にひもでくくりつけてあるのだ。鍵を持って車の外に出ることはできない。ジップカーのメンバーは、自分のジップカードを取り出して、運転席の窓に付いているカード読み取り機にカードをかざす。すると、ドアのロックが解除される。そこで中に入り、ぶら下がっている鍵でエンジンをかけるという仕組みだ。降りるときは、鍵を抜き去り、ぶらさげておいて、同じくカードでドアをロックする。

車のメンテナンスはジップカー社がやってくれることになっているので、普通に使う分には問題ない。中もほどほどにきれいで問題ない。普通のレンタカーレベルだ。車の調子はというと、ブレーキが軽くてふわふわしている一方、アクセルが重たいのが気になったが、それでも許容範囲だ。4時間、あちこちの店を回って食料品その他を買い込んだ。時間までにもどさないといけないのが大変と言えば大変だ。次の人が予約を入れて待っているかもしれない(遅れるとどうなるのだろう)。十分たくさん車があり、好きなときに乗れるのなら、ジップカーは良いシステムだと思う。

何かを皆で共有するという発想はアメリカ資本主義的には何となくおかしいような気もする。希少な資源を共有するというのは何となく共産主義っぽい。しかし、エコフレンドリーであることをアメリカ人が気にするようになってきているのはとても良いことだ。スーパーでもレジ袋をなくす傾向にあるようだ。エコフレンドリーで頑張っているホールフーズマーケットではレジ袋をプラスティックではなく紙に一本化し、マイバック持参を推奨している。ホールフーズマーケットの書籍コーナーにはアル・ゴアのInconvenient Truth他、エコ関係の本が揃えてある。リサイクル可能なボトルを使った商品などは高いけど、ちゃんとたくさん棚に並んでいる。ジップカーも、やたらと車を乗り回すのではなく、必要なときだけ乗ればいいじゃないという発想なのだろう。

ここでもウェブとインターネットが重要な役割を果たしている。拙著『ネットワーク・パワー』(NTT出版、2007年)では、海運・空運という輸送システムと、情報通信ネットワークの組み合わせがパワーを生み出す(経済学的には生産性の向上か)と指摘した。陸運は視野に入っていなかったが、アメリカという広大な国では、陸運は重要だろう。ヨーロッパでもかつてモルトケが鉄道の戦略的重要性を指摘している。どこに車があるか、いつ使えるかがすぐ分かり、思い立ったらすぐに予約ができるシステムがなければ、ジップカーは成立しなかっただろう。レンタカー屋に行って、面倒な保険の説明を聞いて、高い料金を払い、ガソリンを満タンにして返すのは面倒だ。いつも同じ車が同じ場所に置いてあり、ガソリンのことを気にせず乗れるのは気分が良い。少し離れた別の場所に行くと、違う車に乗れるのもうれしい。トヨタ、ニッサン、ホンダ、マツダ、スバルなどの代表的な車が揃っているし、ピックアップトラックにも乗れる。

ジップカーがどこまで大きくなるか、そもそもビジネスを継続できるか、注目していきたい。しばらくは乗り続けてみよう。

6日目にしてもう日本食を食べてしまった。Oye先生に教えてもらったPorter SquareにあるPorter Exchangeというビルには日本食材店のKotobukiyaの他に、数店の日本料理屋(屋台と言った方がよいかもしれない)が入っている。ここではカツ丼やラーメンも食べられる。これで日本に帰らなくてもいいやという気がしてくる。食べる予定はなかったのだが、ちょっと食べてみるかということで、ホッケ定食を頼んでみたのだが、ボリュームたっぷりな上に味も良い。独身でボストンに来る人はPorter Squareに住めば問題なし。

ところで、ようやく自宅がネットと電話につながった。実は2月末に日本からネットでコムキャストにトリプルプレイを申し込んであった。コムキャストはケーブルテレビ最大手(?)で、ケーブルモデムによるブロードバンド(といっても数メガしか出ないらしい)+ケーブルテレビ+固定電話(VoIP)という三つのサービス(トリプルプレイ)をセットにして売っている。不動産屋さんが、今割引でやってますよというので安直に申し込んだのだ。

コムキャストのウェブで申し込みをして、終わったかと思うと、「チャットが始まりました。」「ジェニファーがログインしました」というメッセージが画面に出てきた。なんだこりゃと思って返事をしてみると、コムキャストのオペレーターとチャットをしながら、申し込みの確認をして、工事日を設定し、電話番号まで決めてしまおうというのである。これを電話でやられると言語に自信がない私としては困るのだが(電話というのは対面と違ってかなり情報量が減る)、チャットなら何とかなる。これは良いサービスだと思った。1ヶ月前に工事日が確定し、電話番号も決まってしまうと、後々のスケジューリングがやりやすい。

問題は、ちゃんと工事日の指定時間に来てくれるかどうかである。配送がダメなのと同じで、こういう工事もうまくいかないことが多い。これまた昔と比較してしまうが、ワシントンで電話がつながらなくなったとき、約束の時間に電話会社がぜんぜん来てくれなくて困ったことがあった。今回もそうなるのではないかと不安な一方、ボストンに来てからはほぼ順調(家具の配送が遅れたぐらい)なので、ちゃんと来てくれるのではないかという期待もあった。

約束の時間は午前8時から11時。ちゃんと8時には朝食を取り終わり、パソコンと電話機、そしてテレビを用意して待ちかまえているが、気配はない。コムキャストのバンはすぐ分かるので、来ないかと思って窓から外を見ているが、ぜんぜん来ない。10時半を過ぎ、ああ、やっぱりダメだったかと思った。午後一番に大学でアポが入っていたので、遅くなると困るなあと思った。

ところが、10時半を少し過ぎたところで、ゴンゴンゴンと扉をたたく音がする。開けてみると、腰に工具をぶら下げた学生風の若い男性が立っている。おおおっ、ようやく来たか! 彼は配電盤を開けたり、ケーブルをつないだりしててきぱきとセットアップしていく。問題はケーブルモデムだった。どうも何か特別な調整が必要らしく、私の日本語パワーブックに苦戦している。「何度もやってきたからアイコンで分かるんだけどさ」とはいうものの、日本語でポップアップメッセージが出てしまうと、「これ何?」って聞いてくる。しばらく携帯で何かやりとりをした後(ネイティブの若者言葉を聞き取るのは至難だ)、ようやくつながった。

いったん大学へ行き、研究所の所長であるRichard J. Samuels先生に挨拶する。日本語ぺらぺらの日本研究者なのだが、ここは米国なので英語で会話。彼は2メートルはあろうかという巨漢の割にきちっとした性格で、研究室はびしっと片付いている。古い雑誌のコレクションが趣味らしく、Time誌や日本の戦前の雑誌などがきちんとファイリングされて飾ってある。昔、京都の知恩院のそばに住んでいたそうで、文字の入った古瓦までコレクションとして飾られている。一つ釘を刺されたのは、ちゃんと研究所に出てくるということ。日本の研究者は、名前だけ在籍していてこちらのアカデミアと交わらず、どこにいるのか分からないまま帰ってしまうことが多い。成果の報告を折に触れてするようにとのことだった。肝に銘じておこう。

夕方帰宅して、今度はアップルのAirMac Expressで無線LANのネットワークを構築することにする。これがあれば、自宅でどこにいてもつながるし、イーサーネットのケーブルに縛られずにウィンドウズのラップトップもつなぐことができる。ところが、つながらない。設定のところでエラーが出てしまい、AirMac Expressのランプが点滅し続けている。設定をいろいろ変えてみるがうまくいかない。いったん有線に戻し、検索してみると、このページが見つかった。この人は申し込み時点のチャットでうまくいかなかったらしい。さらに下を読むと、AirMac Express とコムキャストのケーブルモデムの接続の対処法について書いてある。ここからたどって出てくる英語の投稿の対処法を読んでその通りにやってみると、なんとつながった。意味不明だが、電源を抜き差しする順番が問題らしい。このエントリーに付いているコメントを読むと、コムキャストのケーブルモデムがMACアドレスを読み込んでしまうのが問題だという。

コムキャストはあまりユーザー・フレンドリーでないことで知られていて、ネットワーク中立性ではいつもやり玉に挙がる。P2Pの制限もしているらしい。日本のブロードバンドほど速さは感じないが、それでも使えるレベルのスピードだ。 割引で年間契約してしまったので使い続けるしかない。いろいろ試してみよう。

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