旅: 2008年6月アーカイブ

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リトルロックに着いたのは月曜日の夜中、荷物がホテルに届いたのは水曜日の午後。その間、必要品を揃えようと思って街を歩いたけど何もない。ワシントンやボストンではいたるところにある薬局兼雑貨屋のCVSもない。ついでにボストンではうじゃうじゃあるダンキン・ドーナッツもない。南部は別の国だ。

リトルロックは州都なので行政都市である。大きくて無愛想なビルが並んでいるだけで、繁華街と言えるものが見あたらない。リバー・マーケットというアーカンソー川沿いのエリアが観光ガイドには書いてあるが、ちょっと物足りない。

ここに来た目的はクリントン・ライブラリー(William J. Clinton Presidential Library)での公文書探し。外交文書は公開まで30年かかるので、クリントン時代の外交文書公開はまだまだ先だ。そのためか、文書アーカイブは閑散としている。しかし、内政に関する文書は、差し支えなければ公開されている。また、情報自由法(FOIA:アメリカでは情報公開法を情報自由法と呼ぶ)で公開が決まったものも出てくる。恒例のエリア51ロズウェル事件についてはもう文書が公開されていた(好きな人がいるんだなあ)。

本当に欲しかった文書はまだ見つかっていないが、関連するものは見つかった。クリントン政権の中堅幹部だった人にワシントンでインタビューしたことがある。その人が教えてくれた会議の議事録が出てきて驚いた。文書には「sensitive」とスタンプが押されているが、非公開にはなっていない。外交にも少し関係する文書なのだが、そのままあっさり出てきた。閲覧室には私しかいないことが多いので、アーキビストが私の動きをじっと見ているのだが、良い文書が出てくると思わずにやりとしてしまう。

しかし、一番欲しい情報はどうも見つかりそうにない。アーキビストに相談したところ、FOIA請求してみてはどうかとのことだった。10年前にFOIAがデジタル対応したことについて調べて書いたことがある(『ネットワーク時代の合意形成』という本に入っている)。いよいよ自分でFOIA請求するとはと思うとちょっと興奮したが、手続きは実にあっさりしたものだった。紙一枚に連絡先と欲しい情報を書くだけ。出てくるといいなあ。最短で1ヵ月ぐらいは待たないといけない。

クリントン・ライブラリーに行こうと思っている人のためにちょっとアドバイス。上述の通り、外交・安全保障関連の情報、大統領自身についての情報はほぼ全く公開されていない。内政についての情報はだいぶ出ている(基本的にはホワイトハウスの補佐官たちが保有していた書類が中心)。福祉政策関係の情報はかなり出ているようだった。アポは必要ないものの、事前にコンタクトをもらった方がスムーズだとアーキビストは言っていた(せっかく行って何もないとつらい)。きちんと調べるテーマが決まっていないと追い返されると思う(簡単には入れない)。一番近いホテルはCourtyard Little Rock Downtown(521 President Clinton Avenue)。ここからなら歩いていける。ホテルの隣にあるFlying Fishのなまずのフライがおいしい。

今日の教訓:やってみれば意外に簡単なこともある。

ボストンからワシントンDC経由でアーカンソー州リトルロックへ。ここはビル・クリントンの本拠地だ(ヒラリー・クリントンはなぜかニューヨークが地盤)。

この時期のアメリカは天気が悪く、トルネードやサンダーストームが暴れまくる。ボストン発の便はほぼ定刻に離陸したものの、予定時間になっても着陸しない。ワシントンDCが天候不良でダレス空港に着陸できないのだ。1時間ぐらい旋回し続けた後、ようやく着陸。

乗り換え時間が30分ぐらいしかないので心配だったが、どうせ出発便も遅れているに違いないと思って電光掲示板を確認すると、案の定、1時間遅れ。機内で食べようと持ってきた夕ご飯をコンコースで食べる。しかし、天候悪化で、他のフライトがどんどんキャンセルされていく。私のフライトも遅れていく。

ゲートの前で待っていると、私のフライトの表示が消えてしまった。げっ、アナウンスを聞き逃して飛んでしまったか!と思ったが、しばらくするとまた表示され、元のフライトから4時間遅れになっている。待っている間もどんどん他のフライトがキャンセルされていく。

ワシントンDC市内に近いナショナル空港で一泊するのなら楽しみはいろいろあるが、市内から遠いダレス空港だと何もない。何とか飛んでくれ~と神頼みをしていると、搭乗のアナウンス。やれやれと乗り込むと、今度は滑走路が大渋滞。ゲートを離れてから離陸するまでに1時間。機長のアナウンスによると、この飛行機はシャーロッツビルに行く予定だったが、リトルロック行きに振り替えたとのこと。そりゃありがたいのだけど、嫌な予感がする。窓の外を見ると、空港職員が飛行機から荷物を引きずり出している。おそらくシャーロッツビル行きのカバンを出しているのだろうけど、リトルロック行きのカバンはどうなっているのだろう。

離陸すると、飛行機は西に向かい、私の席は左の窓側だったのでお月さんがきれいに見える。周りに明るい星も見える。星を見たのは何ヶ月ぶりだろう。ボストンでは夜はほとんど出歩かないので星なんか見ていない。お月さんの下にある雲が時々ぴかっと光る。何事かとじっと見ていると雷だった。積乱雲の固まりの中で雷がぴかっ、ぴかっとやっているわけだ。音が聞こえないので変な感じだ。こんなに雷をじっとみるのも久しぶりだ。写真を撮ろうと思ったが、暗すぎて何も写らない。ビデオで撮っておきたかった。

リトルロックは中部時間なので、ボストンと1時間時差がある。ボストン時間の夜1時、リトルロックの夜12時に着陸。予想通り、カバンは出てこなかった。しかし、予想外は航空会社の職員が誰もいないこと。もう真夜中だもんなあ。みんな帰ってしまった気配である。他にもカバンのない人が10名ほど。関係ないTSA(運輸保安局)職員にみんなで詰め寄ると、航空会社の人を引っ張り出して来てくれた。しかし、私の仕事じゃないわよーという顔をしている。アメリカ的だなあ。ここで怒っていると疲れるだけなので、みんな順番にクレーム用紙を渡していく。

さらに嫌な予感がして、ダッシュで空港の外に出る。最後のタクシーが一台止まっている。と思ったら先客がいた。交渉して相乗りさせてもらうことにした。助かった。リトルロック時間の午前1時にホテル着。荷物はないが、ホテルの人が親切にいろいろ出してくれた。良かった。

おそらく、朝早くボストンを出て、昼にリトルロックに着くフライトならここまでひどいことにはならなかったのではないか。知人と朝ご飯を食べて、家で昼ご飯を食べて、ゆっくり出かけたのが敗因だ。

今日の教訓:田舎に着くときはなるべく早いフライトにせよ。田舎の夜は早い。

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