よもやま話の最近のブログ記事

食事のことではなく、本のこと。

本の背表紙を裁断し、スキャナーにかけて自分で電子化してしまうことを「自炊系」というらしい。

SFCだと玉村さんが有名。『整理HACKS!』でも紹介されていた。

そんな馬鹿なことをするもんかと思っていたが、スペース問題が深刻。片付かない研究室をどうにかするためには何らかの方法でため込んだものを捨てるしかない。

いきなり捨てろといわれるとプレッシャーが高いが、スキャンしてとっておけるならまあなんとかという気がする。そういう気持ちで候補の本や雑誌をテーブルの上に並べるとけっこうな数になる。

まずは、いらないというより、いつもパソコンに入れておきたいと思う本を選び、裁断機で背表紙をざっくり落とす。すばらしい切れ味で爽快感すらある。それを、少し前から使っているScanSnapで一気に読み込む。

ばんばん裁断はできるのだが、ScanSnapにつないでいるパソコンの性能がいまいちで、本一冊や雑誌一冊を読み込もうとするとメモリが不安定になるようだ。馬力のあるものに変えたほうが良さそう。

思ったほど一気には進まないことがわかったが、やり方は簡単だ。年度末までにはテーブルの上を一掃したい。研究室が片付いたら自宅を片付ける。とにかくすべてをシンプルに。

マクドナルドで本を読んでいた。相変わらず付箋を本にベタベタ貼っていた。一息ついたのでラップトップを広げたところ、近くに座っていた女性が「3分いいですか」と声をかけてきた。

げげ、いきなり宗教の勧誘かと身構える。女性は、「この本に付いている付箋の色に意味はあるんですか」と聞いてきた。色に全然意味はないのだが、よく聞かれる質問だ。本から目をそらさずに付箋を付けるので、いちいち色など気にしてはいない。たまたま手に付いたものを貼り付けているだけだ。

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どうやら女性は修士論文を書いているらしく、どうやって論文を書いたらいいのか分からないらしい。正月からマックで付箋のベタベタ付いた本を読み、ラップトップを広げるのは大学院生だと思って声をかけてきたという(まだ若く見えるのか)。

いろいろ質問を受けた後、「指導教官から指導を受けるコツを教えてください」といわれた。指導教官からまず文献を読めといわれたが、何をどう読んでいいのかも分からず、困っているようだ。

「指導教官は男性ですか」と聞いてみると、やはりそうだった。レナード・サックス『男の子の脳、女の子の脳―こんなにちがう見え方、聞こえ方、学び方―』という本を読んで分かったのだが、先生と学生(生徒)の男女の組み合わせはけっこう難しいらしい。男性の先生は基本的に丁寧なアドバイスを与えたがらず、学生の自主的な取り組みに任せようとする。男子学生ならそれで良いが、女子学生は先生から突き放されたように感じるらしい。

結局3分以上話し込んだが、最後に、「ばんばん投稿論文を書いているんですか」と聞かれた。そうしたいけどできないなあと内心思いつつ、「教える側に回ってしまったので、もうあまりしてませんね」というと、「私の指導もしてもらえませんか」とのこと。それはさすがにね。

彼女にアドバイスをしたのは、たくさん論文を読むということ。論文を読んだことが無い人は論文を書けない。bookishな学生が今は多いから、本のような論文を書こうとする。しかし、論文と本は別のもの。論文が書けても本が書けない人、本が書けても論文が書けない人もいる。

公文俊平先生によれば、村上泰亮先生は、社会科学者は論文よりも本を書けというポリシーだったそうだけど、それは論文を書く能力があった上での話だと思う。日本の学会誌には見るべき論文が多くないということがあるかもしれないけど、海外の学者はちゃんと論文を書いている。売れっ子の学者が本を出す場合、たいていは最初に論争を呼ぶような論文を書いていて、それをふくらませて本にしている。フランシス・フクヤマとかサミュエル・ハンチントンもそう。

たいていのコンセプトや発見は、論文の長さがあれば示すことができる。これから研究者になろうとする人は、まずは論文を書くべきだと思う。そのためにはたくさん読まないと。

ついでに言うと、ネイティブでない私が多大な時間をかけて英語の本を読むよりも、エッセンスの詰まった学術論文をしっかり読むほうが、その著者の言いたいことが短時間で分かるかもしれない。話題の本はほとんどが翻訳されるから、少し待てば日本語でも読める。だから、英語のジャーナルに継続的に目を通すほうが大事なんだろうな。すでに誰かが読んで評判になっている翻訳書を読むよりも、自分で原著論文の目利きができるほうが研究者としては有能だろう。

ちなみに読んでいたのは、マーク・ブキャナン(阪本芳久訳)『人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動―』(白揚社、2009年)。『歴史の方程式』とか『複雑な世界、単純な法則』なんかを書いた人。この本も英語で読むと時間がかかりそう。

もう一度、昨年を振り返ると、「やめる、ことわる、さぼる」のに躊躇がなくなってしまうというネガティブな年だった。

頼まれた仕事は基本的に断らない方針でやってきたけれども、それがついに破綻して、長々とお断りのメールを書くことができるようになった。

しかし、そういうのの連続は後ろめたさを堆積させてしまい、仕事全般、生活全般に愚痴ばっかり。ノリがどんどん悪くなる。未処理のメールがどんどんたまり、「ごめんなさい」と「お願いします」というメールを毎朝書き続ける。

今年はとにかくこの状況を立て直す。無理な仕事は受けないようにするとしても、今までのやり方を一新する。帰国してから11ヶ月もたつのに研究室の中の片付けができていない。これはいくらなんでもどうかしている。

周りを見れば、もっと忙しくても楽々と仕事している人もいる。

小山龍介『整理HACKS!—1分でスッキリする整理のコツと習慣 』によれば、「整理」とは英語で「デザイン」というそうだ。いいねえ。

今年はデザインし直すという意味で「リデザイン」。研究も生活もリデザイン。新しいことを試すのに躊躇するまい。

日付が変わってしまった。元旦には何か書いておこうと思い、「昨年の総括と今年の抱負」というのを書いて、数分だけ公開したのだけど、さすがに怒られそうな内容だと思って削除した(でもRSSリーダではちょっと流れてしまったみたい)。

それはそれとして全然別の話。amazonのkindleをここしばらく使っている。周囲では評判が良いのだけど、私はどうもなじめない。そもそも私は本に付箋を付けたり、書き込んだりしておくタイプなので、kindleではそれがやりにくい。もちろん、下線を引いたり、注釈を付ける機能はあるのだけど、あのキーボードで入力するのは面倒。

3Gのネットワークを使って瞬時にダウンロードできたり、価格が安かったり、スペースを節約できたり、検索機能があったりといろいろ良いところがあるのは十分理解できたけど、後々に論文に引用しようと思って読んでいる本には使いにくい。小説なんかを読み流すには良いのかなあ。

まだ試していないのだけど、自分の手元にあるPDFデータも読み込み可能なようなので、自分の英語スピーチ原稿があれば、それを機械が読み上げてくれるはず。うまくいけば練習に役立つかもしれない。スタンダードな発音は教えてくれるはず。これは便利(まあ、でも他のソフトでもできないわけではない)。

気になるのは、まず、私にとっては画面がやや暗く感じるのに明るさの調整ができないこと。確かに明るい屋外でもはっきり見えるのは優れているが、屋内ではちょっと見えにくい。それと、古い本が手に入らないこともつらい。研究として使うときには古い本を参照できることがどうしても必要。今のところ図書館の代わりには使えない。これから過去の本にも守備範囲が広がるのかなあ。

しかし、もうちょっとつきあってみよう。本のデジタル化は必然の流れだ。誰が一番読みやすいシステムやデバイスを作るかだ。

もう一つ、噂されているアップルのタブレット(iSlate?)も気になる。kindleは開発途上のにおいがぷんぷんする割に、ユーザーが機能拡張する余地が全然ない。コンテンツを入れ替えるだけ。たぶんアップルのタブレットは、iPhoneのアプリをそのまま使えるようにするだろうから、かなり拡張性があるだろうし、WiFiその他にも対応するだろう。期待してるぞ、アップル。

ニューヨークの通りを歩いていて地下に続く扉が開いているたびに、ニューヨークの地下世界をのぞいてみたいなあと思っていた。たぶん、『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』の影響じゃないかと思う。

そんな好奇心を満たしてくれる番組を飛行機の中でやっていた。おもしろかった。禁酒法時代に酒蔵を隠していたバーとか、チャイナタウンのギャングの脱走路とか、最初の地下鉄プロジェクトの遺構とか、マンハッタンを防衛するための砦の地下通路とか。

Cities of the Underworld hosted by Don Wildman - History.com

しかし、日本からだとオンラインの動画が見られないのかなあ。今のところうまく再生できない。インターネットの世界でこういう制限は早くなくしてもらいたい。

夏休みは積み残しの課題をこなしている。もういくつか片付けた。残りは二つ。複数の課題が同じ締切に設定されていたので、一夜漬けの仕事はできる状態にない。前倒しで片付けなくてはいけない。

しかし、やりたい仕事から手を付けると、そっちが楽しくて時間を使ってしまい、やりたくない仕事は締切間際にどうしようもない状態になる。やりたくない仕事に早く着手するしかない。このハードルがとても高い。

そのハードルを乗り越えていったんやり始めると頭が動き出す。とうていその課題が終わるはずがない細切れ時間で良いから、その課題について頭を動かすと、他のことをしている時間にも無意識のうちに整理が進む気がする。やってみると自分が思うほど時間がかからないということもある。そうやって締切より前に課題を提出する。

そこで思うのは、締切は不安を打ち消すためのクスリだということ。

たぶん、締切ギリギリに課題を出すほうが達成感は大きい。「やれることはやった」という気分になるからだ。締切よりずっと前に課題を提出すると、「まだやれたのではないか、見落としがあるのではないか」という気になる。不安になる。

早く出すのと、ギリギリに出すのと、どちらのクオリティが良いのかは場合による。しかし、締切ギリギリに仕上げるのは妙な高揚感をもたらすので、締切がないと仕事ができないという状態に陥る。

着実に仕事をこなしていくには、たぶん、締切中毒から抜け出さないといけない。

ところが、締切というクスリが全く効かない人も世の中にはいる。二つタイプがあって、(1)締切が大事という感覚のない人、(2)締切を破る恐れよりも自分の仕事のクオリティに対する不安が強すぎる人。いずれにせよ、クスリの効かない人と仕事をすると自分が損した気分になる。友達関係までやめる必要はないけど、仕事は一緒にしないほうが良い。

 ゴールデンウィークが終わってからようやく調子が出てきたなあと思っていたら、その分、忙しくなってきて、もう息切れ気味になっている。

 週末になって気分転換がしたくなり、読んでいなかったマルコム・グラッドウェルの『ティッピング・ポイント(The Tipping Point)』と『第1感(blink)』を続けて読む。アメリカにいるとき、『Outliers』がベストセラーになっていて(翻訳のタイトルは『天才!』らしい。注文したけどまだ届いていない)、audible.comからダウンロードした朗読版を聞いていた。『Outliers』のおかげで『ティッピング・ポイント』も『第1感』もアメリカの本屋で平積みになっていたので、読みたいなあと思っていた。
 『ティッピング・ポイント』のtipとは傾くこと。物事が一気に傾くところがティッピング・ポイント。創発(emergence)の概念と似ている(たぶん同じだ)。バラバシやワッツが紹介するネットワーク理論の考え方も入っている。インフルエンザが騒がれている今の時期に読むとちょっとおもしろい。きっとコネクターと呼ばれるばらまき屋がウイルスを広めているのだろう。潜伏期間があることを考えると、コネクターが飛行機に乗って世界中を飛び回るのを止めるのは不可能だ。
 『第1感』の最初に出てくるクーロス像と愛情ラボのエピソードはどこかで読んだ気がした。書いてありそうな本を30分ほどあさってみたが見つからない。どこだったかなあと考えたら、ある講演会で紹介されていたのだった。講演会の資料をひっくり返したら書いてあった。私の第1感はいまいち切れが悪い。しかし、「なんとなく」が第1感では重要だ。第1感のアイデアはスロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』に近いが、『第1感』では専門家の能力により力点が置かれている。

 同じようなアイデアが創発して、大きな流れを作り出している気がする。インターネットが出てこなければこれだけネットワークへの注目は高まらなかったかもしれないが、ネットワークの概念はインターネットにとどまらない。

 次は何を読もうかと思いながらスケジュール表をちらっと見ると、これから2週間はメチャクチャ忙しそうだ。業績につながらない締切が少なくとも6つある。授業もある。ICPCもある。第1感じゃなくても危険なことが分かる。

USエアウェイズが1月にハドソン川で事故を起こしたせいか、ボストン=ニューヨーク(ラガーディア)間のUSエアウェイズのシャトル便が激安(1万1010円)だったので、今回はアムトラックではなく飛行機でニューヨークに行った。

ボストンからの便で隣に座ったのはコミュニティ・カレッジで先生をしているというおばあちゃんとその孫娘。私が首にヘッドホンを付けていたので、「あなたは話がしたくないと見えるわね。おまけにそんな書類の束を抱えちゃって」なんて言われてしまう。「これからニューヨークで学会発表があって……」なんて雑談をしているうちに、短いフライトなのでニューヨークに着陸してしまう。最後に、「学会発表は必ずうまくいくわよ。ボストンで最後の時間を楽しんで、日本に帰ったら良いことがまた待っているわよ」なんて言ってくれた。

こちらはあんまり気の利いたことは言えないが、昔ながらの良いアメリカ人がまだいるなあと久しぶりに感じた。気さくで親切で楽天的なアメリカ人をあまり見なくなった気がする。テロと戦争はアメリカを変えてしまったのだろうか。あるいは競争社会と不況のせいか。

翌日の帰りの便。早く帰りたい用事があったので16時にパネルが終わってからタクシーに飛び乗り、ラガーディア空港に向かうが、さすがに17時のフライトに前倒しでは乗れなかった。19時の予約だったが、18時のフライトには乗ることができた。

離陸まで少し時間があり、小腹が空いたのでフードコートへ。しかし、たいしておいしそうなものはない。アメリカに来てから一度もマクドナルドには行ってないので、ハンバーガーでも食べるかという気になった。私の博士論文はマクドナルドで書いた。昔は大変お世話になっていた(カロリーの高いものは食べずに爽健美茶やアイスティーばかり飲んでいた)。

今回は、一番安かったのでビックマックセットを注文(他のメニューは知らないものばかり)。たいして味は変わらないなあと思いつつ、学会でもらったコメントを思い出しながらぼーっともぐもぐ食べていた。ふと、あれっと思う。ポテトの量が少ない。

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写真のポテトはだいぶ食べてしまった後なので実際少ないのだが、もともとの量が少ない。確か、2001年にワシントンのマクドナルドで食べたときは、食べきれないほどのポテトが付いてきて、アメリカ人は食い過ぎだと思った。このときの1年間、負けてなるものかとアメリカでの食事を残さず食べていたら激太りして後悔した。今回はセーブしている。

しかし、目の前にあるポテトは日本のMサイズとおそらく変わらないだろう。これは不況のせいなんだろうか。あるいは『デブの帝国』で批判されたせいなのだろうか。

不況のせいでアメリカで日本が見直されている。過去20年近く、日本が不況の間にどんな政策をとってきたかが議論されているからだ。もちろん、すばらしいというわけではなく、反面教師的なところもあって、無駄な公共事業をやってもダメという引き合いにも使われている。

過去20年近く、アメリカには言われっぱなしだったのだから、ここは日本側からいろいろ言ってもいいのではないか。ま、喜んで聞いてくれるわけではないだろうけど、無駄をなくして適度なサイズにしなさいというのは良いアドバイスだと思う。

ISA

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ニューヨークで開かれているISA(International Studies Association)に参加。全4日の日程のうち、最初の2日間しか出席できなかったが、初日にポスター発表、2日目にパネル発表をこなした。

ポスター発表はたぶん初めてやった。多少不安があったが、グーグルで指定の大きさに合ったフォーマットのパワーポイントをダウンロードして、コンテンツを埋めて、キンコーズに持ち込んで印刷してもらった。かなりの大筒を持って飛行機に乗らなくてはいけなかった。案の定、開けて中身をチェックされたらしい。

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普通、ポスターは学会の間ずっと掲示されていて、指定時間にポスターの前に立って説明するというスタイルだが、ISAではポスター発表はまだ実験段階のようで、指定時間だけ掲示して、そこに立っていれば良い。指定時間が終わったらはがしてしまい、掲示板は次のポスター発表に使われる。

実際に始まるまでは、1時間45分は長い気がしたが、やってみると割とすぐに終わってしまった。インテリジェンスに関連する発表だったのだが、Fのビューローに17年いたとか、Cのエージェンシーに35年いたとか強者がいろいろ現れて、私の研究発表をするよりも、こちらからインタビューする感じになって、けっこう楽しかったし、いろいろ聞けて良かった。それと、ポスター発表になれていない人が多いらしく、「ポスター発表ってどうやるの?」と後でポスター発表する人から質問を何回か受けた。

翌日のパネル発表はサイバーテロに関して。日本の国際政治学会もそうだけど、ISAもまだパワーポイントを使う文化が無くて、わざわざホテルと交渉しないとプロジェクターを持ってきてくれなかった。実際、3人のパネリストのうち使ったのは私だけ。

そもそも5人のパネリストがいたのだが、2人がドタキャン。国際学会はno showが多い。私以外の二人はヨーロッパの大学の同僚同士なので、何となく分が悪い。二人はお互いの研究をよく知っているからリファーしながら発表している。しかし、ヨーロッパの人は飾りっ気なしで、とうとうと話すスタイルがいまだ主流のようだ。

サイバーテロについてのパネルといいつつ、あまり中身の話はなくて、聞いている人は若干つまらなかったのではないかと思う。他の二人のうち一人は予告と違う内容で、テロリスト系ウェブサイトの静的な分析、もう一人はYouTubeでテロに関するどんなメッセージが流されているかという話だった。欠席した一人はペーパーだけ出したのだけど、彼の結論はサイバーテロはただのハイプだというもの。それはちょっと言い過ぎで賛成できない。現に起きているわけだし、使われる技術は核兵器と比べたら実に簡単でどこでも手にはいる(だから軽視されているともいえる)。

ま、私の発表はやはり準備不足の感は否めないが、まあまあだろう。終わった後にポーランドの先生から自分が編集している雑誌に載せるからペーパーを送ってくれと頼まれた。ちょっとうれしい。

今回の大きな収穫は、実積寿也先生の紹介で福田充先生とお知り合いになれたこと。地元ニューヨークのコロンビア大学で在外研究をされている(実積先生もコロンビア大学にいらしたがすでに帰国)。研究の関心が重なる部分もあり、大いに刺激を受ける。私のプレゼン中の写真まで撮っていただいた。

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7月以来のニューヨークはやはり楽しい。寒い季節のニューヨークのほうが良いと思う。

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研究のための時間が足りない。予定していたことは全部できそうにないことがほぼはっきりしてきた。だから、取捨選択をしなくてはいけなくなっている。

そこで、ケンブリッジ界隈でちょっと話題になっているらしいSeth GodinのThe Dipを読む。薄い本なのですぐ読める。dipという言葉はいろいろな意味があるが(例えば、「能なし」という意味もある)、たぶんここでは「くぼみ」というのが一番良いだろう。

新しい仕事やプロジェクトを始めると最初はうきうきしている。新しい研究テーマに取り組むときもそうだ。しかし、しばらくすると行き詰まる。このままで良いのか。ちゃんと終わるのか。意味があるのか。悶々とし始める。この状態がdipである。

選択肢は二つ。頑張って続けるか、やめるか。Godinは「やめろ」という。とっととやめるのが賢い。一流の人はそもそもそんな仕事は始めもしない。一流になれないと分かったら手を出さない、手を出してしまっていても一流になれないと分かったらすぐやめろという。

普通は、成果が出るまであきらめるな、頑張れ、というところだ。Godinはそれはバッド・アドバイスだという。

仕事やプロジェクトには三つのパターンがある。努力をしていると最初のうちは容易に成果が上がる。しかし、そのうち成果が上がらなくなり、くぼみにおちこむ。あるいは壁にぶち当たる。その壁を乗り越えると多大な成果が手にはいる。これがDipのパターン。

二つ目のパターンは、Cul-de-Sac(袋小路)。努力を続けてもたいした成果が上がらない状態がずっと続いて袋小路に至る。

三つ目のパターンは、Cliff(断崖絶壁)。最初は努力の分が報われるが、そのうち成果は全く上がらなくなり、奈落の底に落ちる。

ここの図が分かりやすい。
http://www.lifeevolver.com/strategic-quitting/

Godinは、自分がやろうとしている仕事、やっている仕事が、この三つのうちどれなのかを見きわめろという。Cul-de-SacあるいはCliffであると分かった瞬間に「やめろ」というわけだ。

そして、それがDipであり、自分が乗り越えるべき壁にぶち当たっているなら、やめてはいけない。くぼみから抜けだし、壁を乗り越えたときに報酬が待っている。オバマが得た報酬は実に大きい。

凡人は、壁を前にしてやる気をなくし、やめてしまう。逆に、Cul-de-SacやCliffにしがみついている。見きわめがついていない。

卒論、修論、博論を書くのもこれと同じ。やめれば良いのになあというテーマにしがみついている人や、もう一踏ん張りすれば良い成果が出るのにあきらめてコロコロとテーマを変えてしまう人。

なんで学位くれないのですかという人がいるが、課題を乗り越えているのかもう一度考え直すべき場合が多い。簡単に手に入るものは意味がない。Godinも言っているように、落ちこぼれる人、やめる人がいるからこそ、資格には価値が出る。誰でもMBAやロースクールを簡単に出られるなら、多大な努力と投資をする意味はない。簡単にとれるものにありがたみはない。もっと意地悪な言い方をすれば、すでに学位を持っている人たちにとって仲間は少ない方が良い。だから、試練をちゃんとくぐり抜けた人にしか学位は出せない。

Dipから抜け出ることをゲームのように楽しめる人は強い。イライラしているとバンカーはいつまでたっても抜けられない(ゴルフをしたことはないけど)。早く抜け出る方法はあるはず。学術でもスポーツでもビジネスでも、努力を惜しまない、努力を努力と思わない人がDipを抜けられる。楽しければ簡単に感じられるだろう。楽しいと思えないものに努力は傾けられない。

Godinによれば、一流の人は自分がthe best in the worldになれるテーマに集中し、なれないものは戦略的にやめてしまう。簡単にやめられる人が一流になれる。やめてばっかりだと嫌われるかもしれないけどね。

自分を振り返ってみると、やったことを後悔している仕事・プロジェクトもある。見きわめができてなかった。ちょっとシニアの同僚から、帰国したら人のために使う時間を増やしなさいと言われている。そのためには仕事の棚卸しをして、集中すべき仕事の見きわめをしなくてはいけない。しかし、時間がもっと欲しいなあ。