グランド・ストラテジーを考えるの最近のブログ記事

 Foreign Affairsの最新号に出ているNiall Fergusonのエッセイがおもしろい。

 帝国はダラダラと衰退してサイクルを描いたりするものではない。帝国は複雑システムであり、崩壊は突然やってきてあっという間に進むといっている。米国は衰退フェーズのどこにあるかなんて考えるのは時間の無駄だそうだ。

 歴史学者はやたらと長期間で物事を考えすぎで、歴史学者の視点で政治家たちは考えられないという指摘もおもしろい。歴史はスポーツカーみたいなもので、一気にクラッシュしてしまうかもしれないのだそうだ。

ファリード・ザカリア(楡井浩一訳)『アメリカ後の世界』(徳間書店、2008年)。

昨年、MITの本屋でThe Post American Worldというタイトルを見て気になっていた。翻訳が出ているのに気がついて読み始めたらあっという間に読めた。ジャーナリストの本なので注もほとんどなく、エピソードがたくさん入っていておもしろい。

著者はインド生まれのアメリカ人で、彼の目から見るアメリカ、中国、インドは新鮮だ。アメリカ人はアメリカの民主主義や政治が世界最高だと思っているけど、インド人から見ると「インドと同じくらい混乱している」ように見えるらしい。確かにそうかもしれない。アメリカ人が自信をなくしている経済は逆に世界最高だといっている。

インドは中国の成功から限定的にしか学べないという。インドは民主主義であり、中国ほど指導者が力を発揮できないからだ。中国では18ヵ月で町を更地にできるけど、インドではできない。インドでは経済成長が進むと与党が選挙に負けてしまうという不思議なことも起きる。

この本の仮説は、アメリカが衰退しているのではなく、「その他の国」が猛烈に台頭してきているので、「アメリカ後の世界」がやってくるというものだ。これはジョセフ・ナイが最初にソフトパワー論を展開した時のロジックと似ている。アメリカが弱くなったんじゃない。アメリカの援助で日本やヨーロッパが復興し、アジアが台頭してきたというわけだ。

常々感じていたことをそのまま言ってくれたのは以下のところ。

 英語の世界的広がりを例にとろう。英語の共通言語化はアメリカにとって喜ばしい出来事だった。なぜなら、海外での旅行とビジネスが格段にやりやすくなるからだ。
 しかし、これは他国の人々にとっては、ふたつの市場と文化を理解し、ふたつの市場と文化にアクセスする好機だった。彼らは英語に加えて北京語やヒンディー後やポルトガル語を話せる。彼らはアメリカ市場に加えて地元の中国市場やインド市場やブラジル市場に浸透できる(これらの国々では、現在でも非英語市場の規模が最も大きい)。対称的に、アメリカ人はひとつの海でしか泳げない。他国に進出するために能力を磨いてこなかったつけと言っていいだろう。(271ページ)

イスラエルは行ってみたい国候補の上位に入っていた。カンファレンスだけで帰るわけにはいかない。

カンファレンスの最終日、知り合いになった地元の日本人が、ヤッフォという港町まで夕飯に連れていってくれることになった。他にシンガポール人2人とドイツ人1人も一緒で計5人。シンガポール人男性とドイツ人男性が、異様に仲が良いのがおかしい。すでに夜だったので簡単にヤッフォを見て歩いてから、テルアビブの夜景が見えるレストランで夕食会。帰りの車を途中で降りた2人はどこへ行ったのやら。

翌日は金曜日。イスラムの休日。おまけに9月11日。毎年この日になると複雑な気分になる。自分の仕事も何となく振り返ってしまう。

この日は無理をお願いして、車でエルサレムとベツレヘムに連れて行ってもらった。金曜のイスラムの休日と、土曜のユダヤの安息日は避けるらしいのだけど、週明けまでイスラエルにいるわけにはいかない。

まずは一度見てみたかった死海文書のミュージアムへ。ここには最近できたばかりのユダヤの第二神殿時代の巨大屋外模型もある。エルサレム旧市街の発掘調査ができないので想像の部分もあるらしい。お目当ての死海文書は、一番良いところだけ展示されているそうだが、当然さっぱり読めない。しかし、ようやく本物を見ることができてうれしい。

次に、イスラムのお祈りの時間を避けるため、オリーブ山へ。ここからはエルサレムの旧市街が一望できる。この日は特別空気が良かったそうでラッキーだった。旧市街からは大音響でイスラムのお祈りの声が聞こえてくる。

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オリーブ山の急な坂道を徒歩で下る。途中にはユダヤ教徒のお墓が並んでいる。下に降りると、礼拝に向かうイスラムの人たちでごった返している。旧市街の中に入ってもイスラムの人たちの人波が続いている。ラマダンも重なっていて、大きな礼拝がある日だったそうだ。

ユダヤの嘆きの壁を見て、迷路のような道をたどって、キリストが十字架を背負って歩いたとされるビア・ドロローサをたどる。狭い道だ。そして、磔になったゴルゴダの丘があったとされる聖墳墓教会を見る。複雑に入り組んだ教会で、人で溢れている。おもしろいのはこの教会のカギを管理しているのはイスラム教徒だということ。一歩脇道にそれるとアルメニア人の教会もある。

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対立しているはずの宗教を背負った人々が背中合わせで暮らしている。エルサレムは不思議な場所だ。

そこからまた車に乗って30分程でベツレヘムへ。ベツレヘムはキリストが生まれたところだが、今はパレスチナ自治区の中になっている。車に乗ったまま自治区に入ると景色が変わる。道路の質が悪くなり、鉄条網がいたるところにあり、ゴミが多くなる。別世界だ。

基本的にユダヤ人は自治区に入れないそうだが、キリストの生誕教会には外国人観光客が押し寄せている。あまりにも長い列ができていて、地下にあるキリストが生まれたという場所には時間の関係で行けなかった。

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帰り際、駐車場でちんぴら風の若い男たちに囲まれた。言葉は分からないし、何を求めているのかも分からない。何かを話しかけてきているが、友好的な雰囲気ではない。そのうちの一人が握手を求めて手を差し出してきたが、その手を握り返すまでずいぶん時間がかかってしまった。たいした会話はせずに車に乗り込んで事なきを得たが、彼らは何を言いたかったのだろう。イスラエルが作った壁に囲まれて暮らす若者は、どんな思いで成人していくのだろう。

自治区を出て、ホテルのあるビーチへ戻ると、楽しそうな人で溢れている。親子連れが海水浴をして、若者はサーフィンをしている。老夫婦はチェアに座って雑誌を読んでいる。大音響で音楽をかける屋外スポーツジムまである。インストラクターのかけ声で何十人も一緒にバイクをこいでいる。黒服の敬虔なユダヤ人もイスラエルにはたくさんいるが、世俗的で享楽的といっても良いユダヤ人も多い。このギャップの存在を受け入れるのは、部外者である私にも容易ではない。

帰国するため、テルアビブからウィーン行きの飛行機に乗る。午前6時45分発で、セキュリティのために3時間前に来いとのことなので、午前2時半に起きて、3時にホテルを出発する。ヨーロッパ便は夜中に着いて、早朝に出発するスケジュールになっている。

ウィーンまでの機中、たくさんの黒服のユダヤ人たちがいた。少年も混ざっている。もみあげが長くて編んだようになっている。離陸前、もう動き出しているというのに何やら立ち上がってお祈りらしい動作をする人、食事前のお祈りなのか座席で頭を激しく前後に振る人、着陸時に拍手喝采する人。違和感は否めないなあ。

往復の機中、ポール・ジョンソンの『ユダヤ人の歴史(上・下)』を読む。カール・マルクスはユダヤ人として生まれながらキリスト教に改宗したために、激しい自己矛盾を抱えていたそうだ。そして、彼が破壊しようとした資本主義とは、金貸し・投資家として資本主義を発展させてきたユダヤの伝統だというのも考えさせられる。

IDCとかICTとか言えば、これまでの私ならInternet Data CenterとかInformation and Communications Technologyのはずだが、今回は違う。

イスラエルのテルアビブ郊外にあるIDC(Interdisciplinary Center)のICT(International Institute for Counter-Terrorism)によるWorld Summit on Counter Terrorismというカンファレンスに参加した(発表はなし)。このカンファレンスは2001年の9月11日に第1回が開かれるという因縁めいたカンファレンスで、今年で9回目になる。

イスラエルで開かれるテロ対策のカンファレンスということで、少し敷居が高く、参加にあたっては簡単な審査がある。私は昨年日本から参加した方に紹介していただいた。

イスラエルは日本のメディアを通してみると物騒な国というイメージが強い。実際、テロもあるし、ガザ侵攻もある。しかし、そうした現場以外では一見すると平穏で、テルアビブの西に広がる地中海の海岸線はとても美しい。ホテルから見える日没は写真では伝えきれない。この国は治安の問題がなければきっとすばらしい観光大国になるだろう。

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カンファレンスは、「ワールド・サミット」と言いつつ、アラブ系の人はいないし、各国首脳が来るわけでもない。初日の夜の主賓はアメリカの下院議員とイスラエルの野党の党首だった。野党と言いつつ、議会では実は第一党で、連立工作に失敗したために、野党になっているらしい。

話がイスラエルと中東の話に偏っているけど、それなりにおもしろいカンファレンスだった。リピーターが多いのも特徴だ。昨年は1100人も参加者がいたらしいが、今年は金融危機の影響か、800人らしい(しかし、本当に800人もいたのかなあ。水増しされている気がする)。

ミスター・アルカイダと呼ばれているシンガポールの人がいて、彼の発表はアフガニスタンとパキスタンの国境付近の詳細な地図と写真がいっぱいでとてもおもしろかった。他にもテロリストがどうやってインターネットを使っているかとか、欧米のメディアがハマスやヒズボラのメディア戦略に引っかかっているとか、おもしろい話が聞けた。ただ、全体としては、イスラエルと米国の意識合わせ&諸外国へのパブリック・ディプロマシーという感じが強い。イスラエルの立場をこれでもかと主張する論者が多い。

中東はこれまでチュニジアとトルコしか行ったことがなかったので、初めてのイスラエル経験はおもしろかった。

しくじったのは入国審査。飛行機を降りたらいきなりセキュリティにつかまって質問されてしまったので、入国審査で別紙にスタンプを押してもらうはずが、すっかり忘れてしまった。イスラエルと国交のないアラブの国は、イスラエルのスタンプがあると入国を拒否する。そもそも、乗り継ぎを含めて20時間のフライトの後、夜中の1時(日本時間の朝7時)に到着というのがいけない。しっかりパスポートにはイスラエルのスタンプが押されていた。これでシリアには行けなくなりましたよ、O先生。

先月26日には、同僚の清水さんにお誘いいただき、海上保安庁の観閲式へ行く。船が大好きな学部長と高汐さんも一緒。海保の観閲式は『海猿』人気以来、なかなか入手が困難だそうで、うれしい限り。乗船したのは割とおおきな「やしま」という巡視船。

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MITでお世話になったリチャード・J・サミュエルズ教授の『日本の軍事大戦略』の翻訳がもうすぐ出版されるが、彼は海保の役割に注目している。その影響もあって、海保についてもっとよく知りたいと思っていた。海保は国土交通省に所属しており、自衛力の一角を担うわけではなく、警察庁の下にはないが、海上における警察力を担っている。しかし、海難救助や環境保全、災害対応、海洋調査も担っているというから幅広い。

海上自衛隊の観艦式は相模湾沖までかなりの時間をかけて行くが、海保の観閲式は羽田沖なので移動時間が短いのが良い。晴海からレインボーブリッジをくぐって船が出て行くと、右舷に見える東京の街並みがマンハッタンのように見える。

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告知されていなかったようだが、特別観閲官として麻生首相が乗り込んできた。現役の首相をこんなに間近に見るのは、首相官邸で開かれた研究会に鞄持ちで付いていったとき、小渕首相を見て以来だ。テレビの中で見ている人は、実際に見てみると意外に小振りであることが多い。麻生首相もそんな印象だ。船内ではテレビで見る弁護士や軍事アナリストも見かけた。

眺めの良い場所に陣取ることができ、途中までは巡視船やヘリコプター、航空機を楽しんだが、途中から風が猛烈に吹き始め、艦上のアナウンスも聞こえなくなる。プログラムも変更があったようだ。風は吹いても陽が当たっているせいでそれほど寒くない。3年分の風に吹かれた気分で爽快だった。終了間際には海の向こうにうっすらと富士山も見えた。

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田中恭子『シンガポールの奇跡—お雇い教師の見た国づくり—』中公新書、1984年。

たまたま古本屋で見つけた本を出張中に読む。著者は、1973年にシンガポール大学文学部助教授になった(現在は南山大学総合政策学部のようだ)。現在のシンガポール「国立」大学は、当時のシンガポール大学と南洋(ナンヤン)大学が統合されてできた。南洋大学あったところには現在は南洋工科大学がある。70年代のシンガポール大学はイギリス統治を受け継いだ英語で教える大学、それに対し後発の南洋大学は華語で教える大学として作られたそうだ。しかし、英語が話せないと良い職に就けないという問題が顕著になり、リー・クアン・ユーが介入して両大学は統合されたという。

今回、シンガポール国立大学に行ったり、南洋工科大学の先生に会ったりしたが、そんな歴史があるとは知らなかった。この本の中でイギリス流の教育が大学に残っていると書いてあるが、それがまだ残っているらしく、授業は1時間半の講義と30分の演習がセットになって、2時間もやるそうだ。

この本には中国語(華語)を話せない中国系シンガポール人の話が随所に出てくる。先祖が同じでもずいぶんとライフ・スタイルは変わってしまうものだということを考えさせられる。国の政策が大きな役割を果たした例としてシンガポールは位置づけられる。

ニューオーリンズあたりのハリケーン被害がすさまじい。アメリカ版の津波というのもうなずける。まさに緊急事態だ。ワシントンDCの街中では特に反応は見られないが、新聞によれば、救助に動き出しているグループもあるようだ。ガソリンのいっそうの値上がりが懸念されている。長期的には経済全体にも影響が出ることは必至だろう。

ところで、今回の調査ではいろいろなことを聞いているが、そのうちの一つが『イノベート・アメリカ(Innovate America)』、別名パルミサーノ・レポートのことだ(NEDOワシントン事務所の松山さんのレポート[pdf]参照)。パルミサーノとはIBMの会長の名前で、たくさんの専門家を集めたCouncil on Innovationというところが作成した(しかし、なぜか、昨年12月に出たファイナル版はウェブから削除されている)。1980年代に日本の挑戦に対応するためにヤング・レポートというのが出されたことがあるが、それと重ね合わせてみる向きが強い。

おもしろいのは、シリコン・バレーの人は一人も知らなかったこと。「知らないね。ワシントン的な発想のレポートだな」という人が多い。ワシントンDCの人はたいてい知っている。あまり政党色は出していないものの、若干、民主党色が出ているため、ブッシュ政権はほとんど反応していない。ヤング・レポートのように本格的に議論されるのはもう少し先なのかもしれない。

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今日は午前中に潜水艦と護衛艦の内部を見学。当然のことながら写真撮影は制限されているが、見られるだけでもいい。

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潜水艦内部は映画で見るような感じで、パイプやコードなどがむき出しになっている。これはすぐに原因究明・修理ができるようにするためだそうだ。それほど圧迫感はなかったが、やはり狭い。あらゆるものがコンパクトに作られている。特に船室と船室をつなぐドアが密閉できるように小さく作ってあるため、移動がやや大変(もちろん慣れればどうということはないのだろう)。潜望鏡の精度に感心。

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護衛艦は、かつて戦艦大和が造られた造船所の隣に停泊していた。140人乗りだが、艦長は全員の名前と顔を覚えているそうだ。艦長の任期は意外に短く、1年から1年半ほどだという。艦長は命令が下ればすぐに出航できるように、港にいるときでも呉から離れられないそうだ。招集がかかれば乗員は1時間で集合し、45分で出航できるようになっている。

なぜ旧海軍は呉に軍港を造ったのか聞いてみると、内海で防衛がしやすく、港の水深が確保されていて、飲み水が確保しやすいからだそうだ。

1泊2日だったが非常に充実していた。現場を見ることで分かることがたくさんある。自衛隊と聞いて眉をひそめる人もいるが、現実に存在しているものだし、その実態を見ておくことは議論をする上でも重要なはずだ。

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江田島の後、対岸の呉で大和ミュージアムを見学。呉市が戦後60年をねらって建てたミュージアムだ。目玉は戦艦大和の10分の1の模型。けっこうな迫力だ。上のフロアに行くと宇宙戦艦大和の展示コーナーもある。

このミュージアムには50万人も訪れたそうだ。日本は右傾化しているのか……な。

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広島の江田島に来た。海上自衛隊の第1術科学校があり、旧海軍兵学校があったところだ。

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この煉瓦はその昔ロンドンからわざわざ取り寄せたそうだ。さわるとツルツルしている。

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若き自衛官たちは五省で一日を振り返る。

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これが有名な教育参考館。残念ながら内部は撮影不可。東郷元帥やネルソン提督の遺髪まで保存されている。

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F君が見上げるのは戦艦陸奥の主砲。とにかくでかい。

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江田島自体は思っていたよりも大きい。海軍兵学校はもともと東京にあったそうだが、都心の繁華街を避けるために江田島に来たという。

江田島は第二次世界大戦の際にも米軍は直接攻撃せず、戦後はしばらく米軍に接収されていたため、建物もよく残っている。戦前の状態を知るには格好の素材といえるだろう。

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