ボストンの最近のブログ記事

ファリード・ザカリア(楡井浩一訳)『アメリカ後の世界』(徳間書店、2008年)。

昨年、MITの本屋でThe Post American Worldというタイトルを見て気になっていた。翻訳が出ているのに気がついて読み始めたらあっという間に読めた。ジャーナリストの本なので注もほとんどなく、エピソードがたくさん入っていておもしろい。

著者はインド生まれのアメリカ人で、彼の目から見るアメリカ、中国、インドは新鮮だ。アメリカ人はアメリカの民主主義や政治が世界最高だと思っているけど、インド人から見ると「インドと同じくらい混乱している」ように見えるらしい。確かにそうかもしれない。アメリカ人が自信をなくしている経済は逆に世界最高だといっている。

インドは中国の成功から限定的にしか学べないという。インドは民主主義であり、中国ほど指導者が力を発揮できないからだ。中国では18ヵ月で町を更地にできるけど、インドではできない。インドでは経済成長が進むと与党が選挙に負けてしまうという不思議なことも起きる。

この本の仮説は、アメリカが衰退しているのではなく、「その他の国」が猛烈に台頭してきているので、「アメリカ後の世界」がやってくるというものだ。これはジョセフ・ナイが最初にソフトパワー論を展開した時のロジックと似ている。アメリカが弱くなったんじゃない。アメリカの援助で日本やヨーロッパが復興し、アジアが台頭してきたというわけだ。

常々感じていたことをそのまま言ってくれたのは以下のところ。

 英語の世界的広がりを例にとろう。英語の共通言語化はアメリカにとって喜ばしい出来事だった。なぜなら、海外での旅行とビジネスが格段にやりやすくなるからだ。
 しかし、これは他国の人々にとっては、ふたつの市場と文化を理解し、ふたつの市場と文化にアクセスする好機だった。彼らは英語に加えて北京語やヒンディー後やポルトガル語を話せる。彼らはアメリカ市場に加えて地元の中国市場やインド市場やブラジル市場に浸透できる(これらの国々では、現在でも非英語市場の規模が最も大きい)。対称的に、アメリカ人はひとつの海でしか泳げない。他国に進出するために能力を磨いてこなかったつけと言っていいだろう。(271ページ)

やたらと忙しかった3週間が終わった。先週末、無事ICPCも終わった。

先週の金曜日、イアン・コンドリーの脚本によるライブ・アクション・アニメ「狂ったモクバ工科大学」を北千住の芸大で見てきた。

初めて北千住で下車したが、その昭和っぷりに驚く。西口を降りて芸大方向に続く飲み屋街が、映画のセットかと思えるほど賑やかかつレトロで、芸大の学生はなんて幸せなんだろうとうらやましくなる。

人が集まるのかと心配していた「狂ったモクバ工科大学」だが、フタを開けてみると満席立ち見で、仮設の客席が倒壊するんじゃないかという盛況ぶり。ホストをされていた毛利先生も驚かれていた(毛利先生はMITにいらして講演されたのでちょっと存じ上げている)。私の席の周りはアメリカ人の留学生らしき人がいっぱいで、アメリカに戻ってきた感じが一瞬したが、彼女たちが持っている携帯電話がキンキラに装飾した日本のケータイだった。

監督のトーマス・デフランツと脚本のイアンが踊りながら挨拶して舞台は始まる(何だかダンス漫才みたいだった)。その後、大音響とともにロボットの登場。セーラームーン風のキャラやサムライ風のキャラ、ヲタクなんて名前のキャラも出てきて、ICN(Infinite Channel Network)というメディア会社の陰謀と戦うというのがストーリーだと分かってくる。「動物化するポストモダン症候群」なんてのが出てきたり、鉄腕アトムからマジンガーゼット、ガンダム、エヴァンゲリオンへと続くアニメ史が織り交ぜられていたりして、イアンのアニメ研究が織り交ぜられている。

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途中休憩を挟んで45分。呆然としているうちに終わり、最後に出演者たちとの質疑応答。「モクバ工科大学のモクバって何なの?」って質問が出る。略称が「MIT」になるようにMで始まる言葉を選んだのだけど、ガンダムに出てくるホワイトベースが「モクバ」と呼ばれているところからとったという。そういえばそうだった。私はガンプラを一所懸命作った世代だけど、もう忘れたよ。そもそも何でロボットなのかというと、女の子にもてたくてロボットの着ぐるみを作ってしまった学生がいて、彼が授業やイベントにそれを着て現れたのがきっけかなのだそうだ(しかし、本当にもてるんだろうか)。

駅へ帰るためにまた飲み屋街を歩きながら内容を思い起こすと、確かにいろいろ織り交ぜてあって、案外よくできたストーリーだったと思う。たぶん、字幕を出すために台詞が固定されていて、アドリブが使えないのが窮屈そうだったけど、演劇を見るのは久しぶりで楽しめた。スタッフのTシャツには「ワールド・ツアー」って書いてあったが、フランスあたりでやると受けるのかもしれない。出演者には良い思い出になっただろうなあ。こんなの成功させてしまうなんてトムもイアンもえらいよ。

MITの友人のイアン・コンドリーからイベント告知のお知らせをもらった。MITから学生が来て「ライブアクションアニメ」を披露する。イアンの本の翻訳も完成したので、その関連イベントもある。「モクバ工科大学」というのはMITのもじりなのだろう。

イアンに直接メールするのが面倒な方は私にメールください。

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マサチューセッツ工科大学の助教授イアン・コンドリーです。どうもお世話様です。

東京で行うアニメパフォーマンスイベント (5月29日、30日)とジャパニーズヒップホッップのパネルディスカション (6月6日)の告知をさせてください。

また私の本、『日本のヒップホップ』の日本語版が出版されましたので、ご案内いたします。
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001949

MIT Dance Theater Ensemble presents:
"LIVE ACTION ANIME 2009: MADNESS AT MOKUBA"
マサチューセッツ工科大学ダンスシアターアンサンブルの演劇
「ライブアクションアニメ09年:狂ったモクバ工科大学」

場所:東京芸術大学北千住キャンパス第七ホール
足立区千住1-25-1
JR・地下鉄等北千住駅下車徒歩5分
http://www.geidai.ac.jp/access/senju.html

日時:5月29(金) 5月30日(土)@ 19:00
入場料無料
問い合わせ電話:050-5525-2751(担当:毛利嘉孝)


「ライブアクションアニメ」とは、MITの学生がアクターで、僕がシナリオを書いた、現実とアニメの世界をリミックスしたパフォーマンスです。監督はMITの教授のThomas DeFrantz。ダンスや台詞、コスプレが入り混じった、ユニークで実験的なプロジェクトです。巨大ロボット、死神、浪人、ゲームヲタなどのようなキャラクターが総出演。主人公はジャパニーズスクールガールの制服を着てるアメリカ人。舞台は虚構のアメリカのモクバ工科大学。全部で1時間弱のミステリーです。台詞は英語ですが、日本語の字幕が付きます。老人から子供までが楽しめるダンス演劇です。土曜日のパフォーマンスの後、芸大で懇親パーティーも予定しています。

入場料は無料です。予約は不要ですが、席の予約をしたい方は僕にメールをお願いします。金曜日か土曜日か希望曜日、人数をメールでご指定ください。mailto: condry at mit.edu

早稲田大学
6月6日@18:00~20:00
パネルディスカション
「日本のヒップホップ:文化グロバリゼションの<現場>」コンドリー(著)(2009、NTT出版)についての対談

私が英語で書いた本「Hip-Hop Japan: Rap and the Paths of Cultural Globalization" (2006, Duke University Press)の日本語版が出ました。
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001949

パネルディスカションに出演者:

イアン・コンドリー MIT大学(著)
田中東子 早稲田大学(訳)
山本敦久 上智大学(訳)
磯部涼 (ヒップホップライター)
梅原大 / UMEDY (Miss Mondayのプロデューサーや元ラッパー)
上野俊哉 和光大学(監訳)

アフターパーティーは下北沢Heavenで22:00~朝まで。イアンのDJデビューもあるかも。

宜しくおねがいいたします。

では、

イアン

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もうすぐ私のMITでの研究期間が終わり、帰国しなくてはならない。名残惜しい気もする反面、とっとと帰ってしまいたい気もする。

とっとと帰ってしまいたい気にさせるのは、研究環境としては日本にいてもアメリカにいてもあまり大差ないということを実感したからだろう。無論、ケンブリッジにはMITやハーバードがあって、連日のようにおもしろい講演会が開かれていて、知的な刺激に溢れている。ちょっと電車や飛行機に乗ればニューヨークやワシントンにも行ける。

しかし、そうした情報へのアクセスも、インターネットとジェット機の時代にはそれほどありがたみのあるものでも無くなってきている気がする。

東京からボストンまでは15時間飛行機に乗らなくてはいけないとはいえ、一昔前よりは短縮されているし(直行便が欲しい!)、航空運賃もずっと安くなっている。何より、大きなカンファレンスなどはネット中継・録画があり、論文のほとんどはオンラインのデータベースにほとんど載っていて、本もオンライン注文すればすぐに日本にも届くし、デジタル化される本も増えている。ダウンロードして聴くオーディオ・ブックも便利だ。

福澤諭吉やアレクシス・ド・トクヴィルがアメリカを訪れたときには、すべてのものが新鮮だった。今回、アメリカに来る前に、いろいろな人のアメリカ滞在記を読んだが、山崎正和や江藤淳、藤原正彦がアメリカに来た時代とも大きく異なっている。彼らの時代には3泊5日で一時帰国するなんてことは考えられなかっただろう。この一年近くの間、毎月、友人・知人・家族が来てくれた。気軽に太平洋を越える時代になっている。

不満に感じたのは、日本の学術情報へのアクセスが難しいことだ。日本の学会誌に論文を書いたのだが、既存研究のカバーが足りないという査読コメントがあった。英語文献は簡単に手にはいるが、日本語文献はなかなか手に入らない。

アメリカ人の研究者の中には外国語がよくできる人もいるが、たいていは英語だけで生活している。しかし、私のように外国人としてアメリカに来ている人は、程度の差こそあれ、アメリカ生活に適応するのに苦労している。それを通じて実感したのは、私たちは二つの世界を生きているのだということだ。英語の世界ともう一つの世界。この二つを複眼的に見られることは、実は大きなアドバンテージである。

ケンブリッジは研究都市としては世界でトップクラスだ。しかし、元気さという点では劣る。ここに一年も住むと、アジアの元気さがなつかしい。不況に苦しんできた日本でさえ、ずっと元気なような気がする。大不況下、アメリカは元気を失いつつある。そろそろアジアに帰って元気になりたい。

そういうわけで、しばらく休みに入ります。メールの返信も遅れると思います。日本の携帯も解約してあるので、以前の番号は使えません。あしからずご了承ください。

だいぶ春めいた陽気になってきた。

気分転換に屋外のベンチに座って『シャーロック・ホームズの冒険』を日本の文庫本で読んでいた。すると、白人の中年男性が近づいてきて、「英語分かる?」と聞いてきた。「分かるよ」と答えると、「今読んでいるのは中国語?」という。「日本語だよ。」「日本語も縦に読むの?」「そうだよ。」「ジョークを聞いたんだけどさ。英語は左から右へと横に読むでしょ。だからアメリカ人はいつもノー、ノー、ノー。中国人は縦に読むからいつもイエス、イエス、イエス。」「ははは、おもしろいね。」彼は突然きびすを返して無表情のまま行ってしまった。

いったい何だったのだろう。ジョークの実験台にされたのだろうか。ノーなのに何でもイエスと答えてしまうのは中国人より日本人ではないだろうか。

シャーロック・ホームズは小学生の頃に何度も読んだはずなのだけど、全然内容を覚えていないので楽しめる。初版の訳が昭和28年(1953年)のせいだろうけど、ホームズがコカイン常習者になっているのがおもしろい。翻訳には賞味期限があるというが、今ならどうやって訳すのだろう。ロンドンのアヘン窟の話も出てくるなど、時代背景がずいぶん違う。

『シャーロック・ホームズの冒険』の中の「ボヘミアの醜聞」におもしろいホームズの言葉がある。

資料もないのに、ああだこうだと理論的な説明をつけようとするのは、大きな間違いだよ。人は事実に合う理論的な説明を求めようとしないで、理論的な説明に合うように、事実のほうを知らず知らずに曲げがちになる。

この部分、ある先生の博士論文の冒頭に引用されていた。自戒も込めてメモしておこう。

USエアウェイズが1月にハドソン川で事故を起こしたせいか、ボストン=ニューヨーク(ラガーディア)間のUSエアウェイズのシャトル便が激安(1万1010円)だったので、今回はアムトラックではなく飛行機でニューヨークに行った。

ボストンからの便で隣に座ったのはコミュニティ・カレッジで先生をしているというおばあちゃんとその孫娘。私が首にヘッドホンを付けていたので、「あなたは話がしたくないと見えるわね。おまけにそんな書類の束を抱えちゃって」なんて言われてしまう。「これからニューヨークで学会発表があって……」なんて雑談をしているうちに、短いフライトなのでニューヨークに着陸してしまう。最後に、「学会発表は必ずうまくいくわよ。ボストンで最後の時間を楽しんで、日本に帰ったら良いことがまた待っているわよ」なんて言ってくれた。

こちらはあんまり気の利いたことは言えないが、昔ながらの良いアメリカ人がまだいるなあと久しぶりに感じた。気さくで親切で楽天的なアメリカ人をあまり見なくなった気がする。テロと戦争はアメリカを変えてしまったのだろうか。あるいは競争社会と不況のせいか。

翌日の帰りの便。早く帰りたい用事があったので16時にパネルが終わってからタクシーに飛び乗り、ラガーディア空港に向かうが、さすがに17時のフライトに前倒しでは乗れなかった。19時の予約だったが、18時のフライトには乗ることができた。

離陸まで少し時間があり、小腹が空いたのでフードコートへ。しかし、たいしておいしそうなものはない。アメリカに来てから一度もマクドナルドには行ってないので、ハンバーガーでも食べるかという気になった。私の博士論文はマクドナルドで書いた。昔は大変お世話になっていた(カロリーの高いものは食べずに爽健美茶やアイスティーばかり飲んでいた)。

今回は、一番安かったのでビックマックセットを注文(他のメニューは知らないものばかり)。たいして味は変わらないなあと思いつつ、学会でもらったコメントを思い出しながらぼーっともぐもぐ食べていた。ふと、あれっと思う。ポテトの量が少ない。

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写真のポテトはだいぶ食べてしまった後なので実際少ないのだが、もともとの量が少ない。確か、2001年にワシントンのマクドナルドで食べたときは、食べきれないほどのポテトが付いてきて、アメリカ人は食い過ぎだと思った。このときの1年間、負けてなるものかとアメリカでの食事を残さず食べていたら激太りして後悔した。今回はセーブしている。

しかし、目の前にあるポテトは日本のMサイズとおそらく変わらないだろう。これは不況のせいなんだろうか。あるいは『デブの帝国』で批判されたせいなのだろうか。

不況のせいでアメリカで日本が見直されている。過去20年近く、日本が不況の間にどんな政策をとってきたかが議論されているからだ。もちろん、すばらしいというわけではなく、反面教師的なところもあって、無駄な公共事業をやってもダメという引き合いにも使われている。

過去20年近く、アメリカには言われっぱなしだったのだから、ここは日本側からいろいろ言ってもいいのではないか。ま、喜んで聞いてくれるわけではないだろうけど、無駄をなくして適度なサイズにしなさいというのは良いアドバイスだと思う。

先週、友人とともにボストンのジャズ・カフェへ。ここに来るのは2回目。ジャズといってもファンク・ジャズとかいう分類らしくて、激しいジャズである。諸事情あって控えていたアルコールを再開。音楽のせいか、アルコールのせいか、何だか頭の中がしびれる。

演奏しているミュージシャンの一人は日本人だった。私のテーブルには他に3人アメリカ人がいたのだが、全員日本語がペラペラで、そのミュージシャンがテーブルの脇を通り過ぎたとき、いきなり全員から日本語で話しかけられて面食らっていたのが愉快だった。バークリー音楽院で勉強しているという。

翌日、MITの「日本のポピュラー・カルチャー」という授業で話をする。担当のイアン・コンドリー准教授が日本に来たとき、私の授業で話してくれたこともあり、アメリカの教壇に初めて立つことになった。授業自体が1年ぶりである。といっても少人数のゼミ形式の授業なので楽しみながら話すことができて良かった。普段接しているアメリカの大学院生は一癖ある人が多いが、学部生は素直な子が多い。議論で相手を負かそうという雰囲気でもなく、率直に自分の意見を述べている。ほんのわずかな時間だったが、良い経験だった。

授業が終わった後、女子学生二人が雑誌を見てキャーキャー言っている。ジャニーズの写真満載の日本語の雑誌だった。ほとんど読めないらしいが、少しは分かるらしい。ジャニーズに慶応出身の子がいるんだよと言ったら「知ってる!」と言っていた。たいしたもんだ。

写真は12月のMIT。ここ数日とても暖かかったので雪はほとんど溶けた。道路脇にかちんこちんになった固まりが残っているだけ。摂氏11度まで気温が上がった日、半ズボンで地下鉄に乗っている人がいてあきれた。さすがに寒そうだった。

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週末は暖かかった。日曜日は摂氏8度まで上がり、年末から固まっていた雪がだいぶ溶けた。

ずっと行きたくて行けなかったジョン・F・ケネディ・ライブラリーへ。ボストン湾に突き出た州立マサチューセッツ大学のキャンパス内にある。

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ケネディ時代の研究はしていないので、アーカイブには行かず、ミュージアムの展示だけを見る(ここのアーカイブはアポが必要な上に、親切ではないと聞いたことがある)。

ケネディはいろいろなエピソードが知られているし、キューバ危機は国際政治を学ぶ者には必知事項なので、あまり新しい収穫はないが、それなりに楽しい。

大統領就任式のビデオを、オバマと比べながら見ると、ケネディは国際的な視点を持っており、世界の人々に語りかけているのが印象的だった。オバマは現下の情勢からアメリカ国内の話にフォーカスせざるを得ない。

有名なテレビ討論会のビデオも流されている。ニクソンの顔色が悪かったという話だが、白黒画像なので、顔色云々はどうかと思う。ニクソンの人相が悪いといわれればそうだが、若さというか、はつらつとしたところが無かったのだろう。

ライブラリーの中にあるカフェから海を挟んで見えるボストンの景色が良い。ヨット好きだったケネディにふさわしいロケーションだ。こんな景色を見ながら読書ができれば幸せだ。

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大統領就任式はMITの研究所の会議室で、同僚たちとランチをとりながら見た。午前11時からCNNのネット・ストリーミングをプロジェクターで投影し、隣に音声を切ったテレビでFOXの中継を見る。ネット・ストリーミングはテレビより35~40秒ほど遅れていて、LIVEと出ているのに何か変な感じだ。

11時45分ぐらいにCNNのストリーミングがかなり乱れた。世界中から一気にアクセスが増えたのだと思う。しかし、その後はかなり安定していて、見事なものだった。MITの回線が太いことも良かったのだろう。MITではキャンパス内の5カ所ぐらいの大きな部屋で中継していたらしい。個人的に見ていた人もいるだろうし、よくCNNのサーバーはパンクしなかったものだ。

就任式を通しで見るのは初めてで、かなりおもしろかった。元大統領や現職大統領、その他の要職にある人、家族たちが順番に呼ばれて登場する。座っているだけで良いブッシュ大統領は余裕綽々だ。チェイニー副大統領が車椅子に乗っているのは知らなかった。オバマの娘二人が登場したとき、研究所の黒人女性スタッフは「かわいらしい~!」と実にうれしそうだった。

最初の笑いが起きたのは、オバマが登場するときに「Barack H. Obama」と呼ばれたため。「フセイン」というミドルネームを使うかどうかに注目していたのだが、「妥協したんだね」とみんなにやにやしていた。

次の笑いは、オバマが宣誓の言葉を言いよどんでしまったとき。彼でもさすがに緊張するんだなあ。

スピーチそのものは、それほどインプレッシブではなかったように思う。研究所のみんなも、あれ、終わったのという反応で、拍手もなかった。

演説の後の国歌斉唱では、元CENTCOMの司令官ウィリアム・J・ファロンがすっくと立ち上がり、半分ぐらいの人が立ち上がって一緒に歌う。しかし、さすがリベラルなケンブリッジ。立ち上がらない人もけっこういる。

日本のニュースで見ると大統領の宣誓と演説ぐらいしか見られないが、副大統領の宣誓や、アレサ・フランクリンの歌など、いろいろおもしろいものも見られた。なんと言っても詰めかけた群衆がすごい。オバマの姿は全く見られなかった人も多かったはずだが、あれだけの人が集まるのは大変なことだ。銅像や木によじ登っている人も多い。

パレードが始まる前、少しハーバード・スクエアを歩いてみたが特に何もなく、地下鉄に乗るとき政治集会のビラをもらったぐらいだった。レストランではいろいろサービスをやっていたらしい。リーガル・シーフーズではメインの料理を頼むと第44代大統領にちなんで名物のクラム・チャウダーが44セントだったとか。

帰宅してパレードを見ると、装甲車のような車からオバマ夫妻が出てきて、ペンシルベニア・アベニューを手を振りながら歩き出した。このときが一番感動的だった。シークレット・サービスは嫌がっただろうが、オバマ夫妻の覚悟が伝わってきた。

本当はワシントンで見てみたかったが、テレビで通しで見られただけでも良かった。アメリカに新しい時代が来た。日本の首相がいちいちこんなイベントやったらお金が続かないし、人も集まらないかもしれない。任期が決まっている大統領制だからこそできることだ。

アメリカではクリスマスはほとんどの仕事が休みになる。レストランもほぼ全部休みになり、日本のようにクリスマス・ディナーや忘年会で盛り上がることはない。ほとんど人も出歩かず、道路もすいている。一つの宗教に基づく休日は政教分離に反するのではないかと思うが、とにかくほとんどの人が仕事をしない。サンクスギビングは友人・知人を呼んでパーティーという人が多いが、クリスマスは家族水入らずというところが多いような気がする。クリスマス・イブはラストミニッツの買い物客がいるが、クリスマスになると街はとても静かだ。

CVSという薬局兼雑貨屋は開いているというので、デジカメの写真を印刷しに行った。隣にあるダンキン・ドーナッツも開いていて、かなり人が入っていた。他に行くところがないのだろう。CVSにはキヨスク端末が置かれていて、自分でデジカメの写真を印刷できる。これまでも何回かやっていて問題なかったので、今回も大丈夫だろうと踏んでいた。CVSの店内も、いつもよりも人が入っている気がする。やはり他に行くところがないのだから、案外かき入れ時かもしれない。

キヨスクはいつも通りの様子だったので、タッチスクリーン式の画面で写真と枚数を指定して、印刷の注文を出した。普通なら1分以内に写真が出てくる。しかし、今回は出てこない。画面を見ると、小さなエラーマークが出ているので、クリックすると、「インクリボンがない」と出ている。近くにいた店員に、「インクリボンがないと出ているのだけど、直してもらえますか」と聞いた。

「それ、今日は動いてないから。」でたでた、アメリカ的対応である。「機械は動いているし、注文しちゃったよ。」「担当者がいないから。」これもアメリカ的。「じゃあ、どうやってキャンセルするの。」「ワン・セカンド」といってその人は店の裏へと消えていく。しかし、待てど暮らせど帰ってこない。これもアメリカ的。

仕方ないので、別の人をつかまえて同じことの繰り返し。その彼は店の裏へと消える代わりに、「チッ」と舌打ちをした後、カギを取り出してキヨスクを開け、リボンの交換を始める。これもアメリカ的。こちらも黙って作業させる。すると、先ほど店の裏へ消えた男が、着替えて何知らぬ顔で帰っていく。これもまたアメリカ的。

作業を終えた男はばたんとキヨスクを閉めてあっちへ行ってしまう。写真がバラバラと出てくる。時間はかかったが目的は達したのでよしとしよう。クリスマスに仕事している彼らも楽しくはないのだろう。

今日の教訓:アメリカのクリスマスは家でおとなしくしているべし。

こんなことがあってから家に帰って、トーマス・フリードマンのクリスマス・イブのコラムを読むと、「アメリカをリブートせよ」と言っている。アメリカには才能ある人が集まっているけど、インフラストラクチャもサービスも全然ダメじゃないかと言っている。その通りだと叫びたくなる。

CVSのキヨスクと同じで、便利なものを設置したのは良いものの、ちゃんとメンテナンスが行われないで放置されている社会インフラストラクチャが多すぎる。道路や電車、空港、建物、みんなそうだ。古いものが良いとされるのはイギリスに任せておいた方が良い。歴史の長さが違うのだから。アメリカは金ピカで新しい方が似合う。アメリカは疲れてしまっている気がしてならない。

そして、サービスも悪すぎる。ワシントンDCに住んでいる人は、ボストンの店員がにこやかだと驚く。確かにそうだ。しかし、ボストンでもCVSの店員のようなのはゴロゴロいる。チップをもらえるレストランやホテルの従業員だけがきびきび動く。

先日の東京のシンポジウムでこうした点を批判したら、私は日本での生活にスポイルされているというコメントを頂戴した。日本のクオリティは確かに高すぎるかもしれない。しかし、アメリカが期待よりもただ低いのだと思う。アジアの都市では(暑いのと人が多いのをのぞけば)もっと快適に過ごすことができる。

アメリカは世界一の国だとアメリカ人は言うが、必ずしもそうだとは思えない。フリードマンが別のコラムで書いているとおり、もうアメリカと中国の差はぼけてきている。自慢の資本主義も政府の助力がないとダメになってしまった。他国の産業が政府に保護されているのを批判していたのだから、アメリカの自動車会社をアメリカ政府が救済するのは筋が通らない。エンロンのような不正会計があったと思ったら、マドフ・ファンドのようなネズミ講が社会的信用のある人によっておおっぴらに行われていた。

アメリカは本当にリブートすべきだと思う。よれよれになった社会をさっぱりと新調して欲しい。オバマ大統領就任まであと1カ月足らず。期待しすぎてはいけないと思いつつ、期待してしまう。

とここまで書いて、ブログに上げるのが面倒で放置していた。そして、クリスマス明けに近所のスーパーで買い物。翌日、大学時代の友人夫婦が自宅に来るので準備を開始したところ、買ったはずの品物が見あたらない。レシートを確認すると確かに支払っている。このスーパーでは商品を店員が袋に入れてくれるのだが、入れ忘れたようだ。リターン(返品)はありだとしても、入ってなかった(と客が主張する)商品はどうなるのだろう。

このまま泣き寝入りも悔しいので、レシートを持ち、スーパーに戻った。入っていなかった商品を手に取り、カスタマー・サービスへ。「こんにちは。」「こんにちは。どうされましたか。」「昨日、ここで買い物をして、この商品の支払いをしたのですが、家に帰ったら袋にこの商品が入っていませんでした。」「ああ、そうですか。今日はこれからまたお買い物ですか。」「いいえ、今日はもう買い物はありません。」「それでは、どうぞ。」と出口を指さされた。

ううむ。こちらの言い分を100%聞いてくれたのはありがたいが、いいんだろうか。レシートすら確認しようとしなかった。アメリカ経済が本当に心配になる。

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