旅: 2008年7月アーカイブ
いくつか用事があって一泊二日でニューヨークへ行く。朝7時15分にボストンのサウス・ステーションを出るアムトラックの特急アセラに乗り込む。アセラはファースト・クラスとビジネス・クラスしかないのだが、座席指定ができない。座席数以上の予約はとらないので全員座れるのだが、どの席に座るかは自由である。おまけにどのホームから発車するのか、発車10分前にならないと分からない。乗客は待合いホールでブラブラしていて、アナウンスがあると(電光掲示板でも表示される)発車ホームに殺到するというひどいシステムだ。
何とか座って3時間半の列車の旅である。アセラは電源がとれるのでパソコンが使えるのが良い。さすがに無線LANはない。昼前に到着し、連絡してあったJ先生とペン・ステーションで待ち合わせをする。
ニューヨークは暑い。地下鉄のホームがサウナのように暑くてしんどい(ボストンの地下鉄はなぜかそんなに暑くない)。地下鉄の車内は冷房がきいているが、電車が来るのを待っている間に汗が出てくる。おまけに路線が複雑で、ローカル電車に乗ったはずなのに駅をすっ飛ばすことがある。放送をしっかり聞いていないと変なところへ連れて行かれてしまう。J先生と電車で話しているうちに乗り過ごしてしまい、そのおかげで思いがけず世界貿易センターの跡地を見ることになった。
これまでテロのことについてそれなりに書いてきたし、テロ後も何度もニューヨークに来ているが、今まで一度も近づいたことがなかった。単なる見物で行くべきところではないような気がしていたし、当時の自宅近くにあったペンタゴンのすさまじい光景を見てからはますます行く気がなくなった。しかし、7年が経って、今回は時間があったら見に行こうと思っていた。
跡地は再開発工事の真っ最中だった。しかし、高いビルに囲まれてぽっかりと空いた空間は、いろいろなことを考えさせる。いまだに泣き崩れている人がいるのも悲しみの深さを感じさせる。あれからずっとアメリカは戦争をしている。戦争中であるという雰囲気はあまりないけれども、戦争がもうすぐ終わるという感じもない。ローマ帝国のヤヌスの神殿は戦争中は開けたままにしておいたそうだけど、アメリカにそんなものがあったとしたら7年間近く開きっぱなしだ。
それにしても、ニューヨークは人が多い。車も多い。ボストンの調子で歩いていると轢かれそうになる。東京からニューヨークに来てもどうということは思わなかったのに、今回は人と車の動きと高層ビルにくらくらする。何度も見たはずのエンパイア・ステート・ビルに見とれてしまう。ふと自分が都会離れしてしまったのだと気がついた。ボストンにだって高層ビルはある。しかし、ケンブリッジ側に住んでいると、それは遠くから見るものになっていて、高層ビルの間に住んでいる感じがない。ボストンの運転の荒さは全米で最悪だと言われるが(すぐにクラクションを鳴らすのをやめて欲しい)、やはりニューヨークよりはのんびりしている気がする。ニューヨークのアパートの値段を聞いてびっくりしてしまうし、この街には住めないなと思う。きっと東京に帰ったらしばらくはくらくらするのだろう。
二日目、東京から来ているHさんとSさんと一緒にフリーダム・ハウスを訪問したり、研究者に会ったりする。フリーダム・ハウスは1941年にエレノア・ルーズベルトが作った非営利団体で、民主主義のための調査や支援活動を行っており、近年は報道の自由に関する指標を作っている。インターネット規制についても調査を行っているので、その辺を聞くことができて有益だった。実は面談相手は5月のニュー・ヘブンのカンファレンスで知り合った人なのだが、今回改めて話してみると、私がお世話になったY先生の娘さんとクラスメートだということが分かった! 世の中狭すぎる。たまたま知り合った人の交友関係を深く調べることができたら、こんな偶然はもっと見つかるのだろう(あまり他人のSNSの友人リストをのぞく気はしないけどね)。
全ての用事を終え、再び汗をかきながらペン・ステーションに戻る。夕方6時の電車を待つが、平日のラッシュ時に重なったこともあって駅は乗客でごった返している。予約した電車は30分遅れの表示が出ている。しかし、6時半が近づくとアナウンスを待つ人たちが電光掲示板の下に集まり、なんだか殺気立ってくる。そして、ワシントンDCから到着した乗客がエスカレーターを上がってくると、そこが発車ホームに違いないと人だかりができる。アナウンスされたときには列も何もなく人が殺到している。まるで発展途上国のようだ。アメリカは世界で最も豊かな国という割には、こういう原始的なところが残っている。絶えず移民が入ってくる国ではこうならざるを得ないのだろうか。