創造性(クリエイティビティ)の新しい捉え方
僕の創造システム理論では、「創造」は「発見」(小さな発見、気づき)の連鎖だと捉える。
つまり、ある活動やプロセスが「創造的」(creative)であるというのは、「発見」が次々と生まれているかどうか、だと考えるのである。「発見」が途絶えてしまい、もう生み出されなくなってしまった活動・プロセスはもはや創造的と言うことはできない。
このとき、得られた発見の内容や、生み出した成果が、社会的に見て、新規性があったり、価値があるものか、ということは、ひとまず問わない。それは、創造の観点ではなく、社会的な観点だからである。
なぜそのように考えべきだと考えたかというのを、二つの話でしたいと思う。
ひとつめは、子どもが登場人物である。「積み木」で遊んでいた子が、しばらくしてその積み木でドラムのように音を出したとする。それに合わせて、誰かが歌を歌ったとしよう。この子たちは、創造的だろうか?
僕はその子たちは創造的だと捉える。世界中の保育園でしょっちゅう起きていることなので社会的にみれば新規性はないだろう。しかも、そこに何かの役にたつ付加価値があるわけでもない。それでも、積み木で音を出すことを発想したり、それを音楽だと思って歌を歌おうとしたことは創造的なことだと思うのだ。
もう一つは、孤島に住む研究者の話である。その研究者は数年間の研究の末、誰も解決できなかった理論的問題を解決した。それをもって学会に出向いたところ、同じような論文が1ヶ月前に発表されていたことを知る。彼の方が後の発表なので新規性はない。それでは、彼の研究は創造的ではなかったのだろうか?
僕は、このような場合、研究成果としての社会的価値は下がると思うが、研究自体は創造的であったと考える。つまり、彼は研究のなかで、次々と発見(発想・気づき)をつないでいって、創造をしたのである。
その意味で、「創造的かどうか」ということを、社会的に新規であるか、価値があるかということを切り離して考えたいのだ。
そうだとすると、創造をどのように考えればよいのか。創造性は学問的にはふつう心理学で扱われる。創造的な思考は、認知・心理・意識の観点からどのように説明できるのかということが研究される。しかし、僕はそれとも違う道を行きたい。
というのは、意識・思考のなかにだけではなく、論理展開やコミュニケーションのズレのなかにも、創造的な発見の源があるからだ。人(の意識・思考)が創造的だと捉えるのではなく、プロセスそのものが創造的であるということを捉えたい。
そこで、創造というものを、ひとつの次元として切り出し、社会にも心理(思考)にも還元しないアプローチをとる。創造そのものの成り立ちを考え、そこで起きていることを直球で捉えたい、と思う。
創造のプロセスを考えるとき、何がその創造における「発見」になるのかというのは、その創造のプロセスのなかでの意味づけに過ぎないということに注目する。「アイデア」は、「アイデア」というものがどこかに在るわけではなく、その創造のコンテクストのなかで、ある考えが「アイデア」となるのである。
そう考えると、創造は発見の連鎖で成り立っているが、その発見は、創造のコンテクストに依存して定義されることになる。このような円環構造が創造にはある。そしてそれこそが本質的なのだ。
この円環を、システム理論的にはオートポイエティックな関係という。僕の考えでは、創造は発見を要素とするオートポイエティック・システムなのである。ある発見は次なる発見の前提となり、発見が連鎖していく限りにおいて創造が成り立つのであり、そのことによって要素である発見の生起が可能になる。
創造の要素ではる《発見》とは何かというと、ある「アイデア」がいま取り組んでいる創造に「関連付け」られると「見い出す」ことができたときに生じる。アイデアは外に開かれていて、関連付けはその創造自体を指し示す。このことから、プロセスとしては「閉じ」ながら「開く」ことができるのである。
これが、僕の提唱する「創造システム理論」(Creative Systems Theory)の考え方だ。社会学者ニクラス・ルーマンは、社会というものを意識・思考から切り分け、社会システムと心的システムを定義したが、僕はこれに創造システムを加える。
これら3つのシステムは別の論理・コンテクストで動くが、連動はしている。その観点から捉えると「創造のプロセスは、意識によって心的に転がしたり、コミュニケーションによって社会的に転がしたりする」と捉えることができるようになる。これが、心理次元にも社会次元にも還元しない、創造性の新しい捉え方である。
【創造システム理論について書いた論文・書籍】
"An Autopoietic Systems Theory for Creativity" (Takashi Iba, Procedia - Social and Behavioral Sciences, Vol.2, Issue 4, 2010, pp.6610-6625)
「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」(井庭 崇, 『10+1 web site』, 2009年9月号)
『社会システム理論: 不透明な社会を捉える知の技法(リアリティ・プラス)』(井庭 崇 編著, 宮台 真司, 熊坂 賢次, 公文 俊平, 慶應義塾大学出版会, 2011)第2章
つまり、ある活動やプロセスが「創造的」(creative)であるというのは、「発見」が次々と生まれているかどうか、だと考えるのである。「発見」が途絶えてしまい、もう生み出されなくなってしまった活動・プロセスはもはや創造的と言うことはできない。
このとき、得られた発見の内容や、生み出した成果が、社会的に見て、新規性があったり、価値があるものか、ということは、ひとまず問わない。それは、創造の観点ではなく、社会的な観点だからである。
なぜそのように考えべきだと考えたかというのを、二つの話でしたいと思う。
ひとつめは、子どもが登場人物である。「積み木」で遊んでいた子が、しばらくしてその積み木でドラムのように音を出したとする。それに合わせて、誰かが歌を歌ったとしよう。この子たちは、創造的だろうか?
僕はその子たちは創造的だと捉える。世界中の保育園でしょっちゅう起きていることなので社会的にみれば新規性はないだろう。しかも、そこに何かの役にたつ付加価値があるわけでもない。それでも、積み木で音を出すことを発想したり、それを音楽だと思って歌を歌おうとしたことは創造的なことだと思うのだ。
もう一つは、孤島に住む研究者の話である。その研究者は数年間の研究の末、誰も解決できなかった理論的問題を解決した。それをもって学会に出向いたところ、同じような論文が1ヶ月前に発表されていたことを知る。彼の方が後の発表なので新規性はない。それでは、彼の研究は創造的ではなかったのだろうか?
僕は、このような場合、研究成果としての社会的価値は下がると思うが、研究自体は創造的であったと考える。つまり、彼は研究のなかで、次々と発見(発想・気づき)をつないでいって、創造をしたのである。
その意味で、「創造的かどうか」ということを、社会的に新規であるか、価値があるかということを切り離して考えたいのだ。
そうだとすると、創造をどのように考えればよいのか。創造性は学問的にはふつう心理学で扱われる。創造的な思考は、認知・心理・意識の観点からどのように説明できるのかということが研究される。しかし、僕はそれとも違う道を行きたい。
というのは、意識・思考のなかにだけではなく、論理展開やコミュニケーションのズレのなかにも、創造的な発見の源があるからだ。人(の意識・思考)が創造的だと捉えるのではなく、プロセスそのものが創造的であるということを捉えたい。
そこで、創造というものを、ひとつの次元として切り出し、社会にも心理(思考)にも還元しないアプローチをとる。創造そのものの成り立ちを考え、そこで起きていることを直球で捉えたい、と思う。
創造のプロセスを考えるとき、何がその創造における「発見」になるのかというのは、その創造のプロセスのなかでの意味づけに過ぎないということに注目する。「アイデア」は、「アイデア」というものがどこかに在るわけではなく、その創造のコンテクストのなかで、ある考えが「アイデア」となるのである。
そう考えると、創造は発見の連鎖で成り立っているが、その発見は、創造のコンテクストに依存して定義されることになる。このような円環構造が創造にはある。そしてそれこそが本質的なのだ。
この円環を、システム理論的にはオートポイエティックな関係という。僕の考えでは、創造は発見を要素とするオートポイエティック・システムなのである。ある発見は次なる発見の前提となり、発見が連鎖していく限りにおいて創造が成り立つのであり、そのことによって要素である発見の生起が可能になる。
創造の要素ではる《発見》とは何かというと、ある「アイデア」がいま取り組んでいる創造に「関連付け」られると「見い出す」ことができたときに生じる。アイデアは外に開かれていて、関連付けはその創造自体を指し示す。このことから、プロセスとしては「閉じ」ながら「開く」ことができるのである。
これが、僕の提唱する「創造システム理論」(Creative Systems Theory)の考え方だ。社会学者ニクラス・ルーマンは、社会というものを意識・思考から切り分け、社会システムと心的システムを定義したが、僕はこれに創造システムを加える。
これら3つのシステムは別の論理・コンテクストで動くが、連動はしている。その観点から捉えると「創造のプロセスは、意識によって心的に転がしたり、コミュニケーションによって社会的に転がしたりする」と捉えることができるようになる。これが、心理次元にも社会次元にも還元しない、創造性の新しい捉え方である。
【創造システム理論について書いた論文・書籍】
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