2006年7月

Jul
23
2006

 本書の意図は、啓蒙の時代の様々な思潮を、現代に生きる我々が批判的に受け継ぐために、検証することにある。今「批判」ということばを用いたが、このことばこそ、啓蒙の時代をそれ以前・それ以後からわけ隔てる根本的な人間の思想的態度であり、またトドロフの考え方の根本でもあると言える。批判をするとは、もちろん、自分とは異なる立場・意見を否定することではない。そうではなくて、絶対的な存在、絶対的真理、そして絶対であるゆえに人間から超越した存在というものを前提としないということである。そしてそれゆえに自律する人間が、おのおの価値を吟味するとともに、他者の価値をも吟味することによって、そのつどそのつどの暫定的な「真理」を作り出していくこと、つねに批判・吟味にさらされる合意を形成していくことである。啓蒙主義がその最終目的として、完全なる幸福の世界をユートピア的に描いたとすれば、トドロフが描くのは、相対主義に陥らない、多様性の尊重であろう。みなが賛成するような世界は一種の全体主義である。その具体的な現れが植民地主義における"bombes humanitaires"(p.106)であろう。また他方お互いの伝統文化を絶対的に他者が理解できない領域として批判を棚上げしてしまうのは、相対主義の悪しき形態である。たとえば死刑や、拷問への批判は人間の権利という、共通のノルムに則って、否定される。全体主義と相対主義を両極としながら、トドロフは、批判という動的な人間の思考の動きによって、決してその両極へと陥らない思想的態度をとる。

 トドロフが本書で特に依拠しているのは、モンテスキュー、コンドルセ、ルソーである。特にコンドルセのAutonomieを持った人間を形成するための教育の意義には深く納得されられるものがある。

Le but de l'instruction n'est pas de faire admirer aux hommes une législation toute faite, mais de les rendre capables de l'apprécier et de la corriger(p.44)

 このように評価をしながらも、それを絶え間なく改善していこうという姿勢、これこそがよりよき社会を形成するのだというコンドルセの考え方は、権力の維持のために教育によって、絶対的価値を国民うえつけようとする教育(これは教育ではなく、訓練であろう)と真っ向から対立するものであり、公教育を考えようとした当時の人々の最良の部分を明かしだてるものであろう。それ以外にもなぜヨーロッパで啓蒙主義が最も明白な形で現れたのか(この地域に様々な国が並立していること、それによって、国が違えば、常識が違うというような現実に接触していたこと)、など、示唆に富む見解が得られる書物である。

コンドルセに関しては
富永茂樹『理性の使用』(みすず書房)

フランスの公教育に関しては
コンドルセ他『フランス革命期の公教育論』(岩波書店)

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