伊東俊太郎
まずは12世紀の南仏の愛の形式を語る前に、11世紀末に書かれた『ローランの歌』の内容を概括し、「粗野で無骨な、戦闘的なゲルマン民族の一途な騎士魂の発露というものが見られ」るが、「女性への愛や雅の精神のひとかけらも」見られないと指摘する。
その上でトゥルバドゥールの検討にはいるが、伊東はまず、トゥルバドゥールの語源オック語のtrobarの起源を、アラビヤ語のtariba「喜びや悲しみにより心が動かされる」(p.250.)ではないかと推測する。また吟唱のために用いた学期luteもアラビア語が語源であるとする。 そしてジョフレ・リュデルやベルナール・ド・ヴァンタドゥールを取り上げて、その伝記に描かれる「命を賭ける愛」というテーマが、ギリシア、キリスト教世界にもなく、トゥルバドゥールに淵源をもつものであるとする。
伊東は、このような「ロマンティックラブ」の出現は、「アラビアに発してスペインのカタルーニャから南仏のラングドック、プロヴァンスへと伝えられたため」(p.259.)と推定している。実際にアンダルシアからスペインの東海岸に沿って、トゥルバドゥールに近いものがすでに存在していた。
ひとつの具体例として、13世紀前半の『オーカッサンとニコレット』が挙げられ、主人公の設定、名前にアラビアとヨーロッパの混淆がみられること、形式の上で、韻文と散文が交互に現れることがアラビアの韻文の形式に似ているなどのことから、「アラビア的色彩がきわめて強い作品において、典型的なロマンティック・ラブの物語が現れてきた」ことが指摘される。
実際に重要なことはアラビア文化のヨーロッパへの影響は、「十字軍と同一視」(p.264.)できるものではなく、上述のロマンス語圏がひとつながりとなって、文化を形成しており、「騎士道とか婦人に対する礼儀の理想は、イスラム教下のスペインで、一足先に作られていた」という事実である (p.264.)。
ではイスラムの騎士道とはどのようなものであったのか。イスラムにおいては、すでに「道徳・倫理上の準則があり、武術や馬術も立派な芸術」となっていた。11世紀から12世紀にかけてのスペインでは、すでに華麗な宮廷生活がなされており、貴族はすでに詩歌を評価していた。より具体的には、コルドバ生まれの詩人イブン・クズマーンが、アンダルシアで目覚ましい発展を遂げた叙情詩の形式の名手として知られ、女性をたたえた愛の歌は、その韻の踏み方においてトゥルバドゥールに影響を与えたと言われている(p.267.)。
また形式だけではなく、両者には、内容の上でも共通する点があった。「官能的な恋愛」、「恋人を守るために自分の身を犠牲にする男性の心情を歌うこと」、「女性への尊敬と奉仕」である(p.267.)。そして、このトゥルバドゥールは、スペインで発祥し、アラビア楽器のリュートとともに北上していったのである。一方武勲詩においては、ロマンティックな要素もなく、またオウディウスのラテン詩の伝統においては、「恋の手練手管」を語るものであり、トゥルバドゥールとは大きく異なっている。つまりは、アラビア世界に早くから存在していた伝統につらなっているのである。
そもそもアラビア世界には、ロマンティックな愛の観念の伝統があり、リュデルの歌った「遥かなる愛」は、『アラビアン・ナイト』680話にも見いだすことができ、さらに古くは、ウズラ族には、純潔の恋を歌う伝統がある。それをイブン・ダーウードは『花の書』にまとめている(p.272.)。
こうしたイスラムの愛の伝統を11世紀において受け継ぐのがイブン・ハズムの『鳩の頸飾り』である。第4章「噂に始まる愛」では、「噂を聞いただけでその女性が好きになり、熱烈な恋に陥るタイプの愛」を取り上げ、また第12章「愛の秘匿」では、恋愛の相手の名前は言ってはいけないというトゥルバドゥールと同じ戒律を述べている。伊東は、この書を「11世紀のスペインのハティバで書かれた、このアラビアの指南書が、その後のヨーロッパの同種の書の起源となると同時に、12世紀のトゥルバドゥールの思想に、何らかの仕方で少なからぬ影響を与えた」と結論づける。
さらに13世紀のはじめにはスーフィー神秘主義者の一人であるイブヌル・アラビーの愛の叙情詩集『渇望の解釈者』では、愛の象徴と宗教思想をつなぐものとして女性が描かれている。ダンテのベアトリーチェへの愛は、トゥルバドゥール的愛にこの形而上学的愛が重なったものとして解釈される。こうして最終的に、ダンテとペトラルアによってトゥルバドゥールの愛の形式は完成をみる。
最後にまとめとして、次の4点が「イスラムにおける愛の伝統がトゥルバドゥールの発生を刺激した」として述べられている。
- 時代的地理的関係
- 詩には歌がともなったが、それはリュートによって奏でられた。
- 詩の形式が、スペインで盛んであった詩の形式の似ている(ロマンス語の混入したザジャル体の詩)
- 詩の内容