Todorov, Tzvetan
トドロフの思想とは、一言でいうと「中庸」の思想である。そして中庸の見定めは、あくまでも討議することによって、行なわれる。その意味で対話者の関係の中で、暫定的な真理が生まれてくると言えよう。しかしそれはあくまでも暫定的であって、決して絶対的=不変不動の真理ではない。むしろ絶対を標榜し、議論を排する態度こそ、トドロフにとってはもっとも排すべき考えである。また対話によって真理を見定めてゆくということは、相対主義、すなわち、干渉しない複数の真理が並び立つということを戒めるという意味でもある。そして対話の原理は、彼のバフチン論にその起源を求めることも可能であろう。
Mémoire du mal, tentation du bienの第4章Les usages de la mémoireでも、「記憶」利用の2つの極端なあり方、sacralisationとbanalisationを排し、歴史における記憶の位置づけについて検討を重ねている。
トドロフは「記憶それ自体は、良いものでも、悪いものでもない」という。しかし、それが極端な二つの方向、sacralisation「思い出を根本的に分離すること」か、banalisation「現在と過去を過度に同質化すること」のどちらかに傾く危険があることを指摘する。
ではsacralisationの問題とは何か。まず、sacralisationは出来事の唯一性とは異なる。出来事の唯一性が問題なのではなく、その出来事が、別格のものとして、他の出来事との関係づけ、比較、検討も許されない、「触れられない絶対的な出来事」として祭り上げられることが問題なのである。それは理解の不可能性、表象の不可能性ということばで語られるが、これは実際には理解や表象を「禁止」しているのである。それによって、人類は、その唯一の出来事から教訓を引き出すことがもはや不可能となる。
出来事のsacralisationはどのような事態をもたらすのか。トドロフが指摘するのは、現在と過去の遮断である。「ホロコーストを忘れるな」と叫ぶそのそばで、ルワンダの虐殺に対しては無関心である現実をトドロフは批判する。
一方banalisationとは何であろうか。その危険性は、現在の固有の出来事が、過去と同一化されることによって、その固有性を失う点である。たとえば、ある人物を、「現代のヒットラーだ」と安易に形容することによって、現在の特殊性を等閑視してしまうという態度である。
過去がそれ自身では善でも悪でもないということは、過去と現在との関係において、過去における<悪>が、現在において<善>を生むどころか、新たな<悪>を生む下地となる、という逆説的な事実からも言える(言わざるをえない)ことである。非抑圧者は、それによって善を備えた人物となるわけではない。トドロフはいくつかの例を出しながら、この事実を指摘する。簡単に言ってしまえば、「他者の過ちから何も学ばない」ということである。それが「復讐の連鎖」という事態を生む。その最たる例が、イスラエルの場合であり、過去の経験というものが、現在の政治の正当化に利用され、結果サイードのいう「犠牲者の犠牲者」が生まれている。その意味で、トドロフにとっては、20世紀末におけるアルジェリアの暴力は、それまでの120年に渡る植民地化での暴力のトラウマの結果であり、悪が容易に消えるのではなく、むしろ悪の波及という現実があることのひとつのヴァリエーションである。
こうしてトドロフは、歴史の教訓とは、過去からそのまま引き出されてくるものではなく、現在における政治的・倫理的確信から生まれてくるものであると言う。
ここでトドロフはひとつの問いを立てる。「記憶よりも忘却の方が望ましいのではないか」と。そして、記憶の問題として、トドロフは「復讐」の問題を取り上げる。つまり、過去を記憶によって喚起することが、復讐のきっかけになっており、新たな悲劇の到来は、この「許さないこと、忘れないこと」から起こることも確かである。しかも、「復讐」とは、我々にとって、決して無縁のものではない。それは、死刑という制度に根強く残っている。死刑をめぐって、トドロフは、復讐を法の正義と対置する。復讐とは、許しと同じく個人的なものであり、それに対して、法とは非人称なものである。しかし、たとえ抽象的かつ非人称的であるとはいえ、法こそが暴力を減じる唯一の方策であるとトドロフは言う。
記憶が復讐の原因になることがあるとはいえ、忘却がよしとされるわけではない。ここで取り上げられるのが精神分析で言われるところの抑圧である。それは過去を回復(recouvrement)することをめざす。喪の作業と同じく、過去を忘れるのではなく、その位置、イメージを変えることによって、その過去から解放されることが目的となる。では公のレベルではどうだろうか。トドロフがここで主張するのは、やはり「変化」ということである。この場合の変化は、ある個別の出来事から一般的な行動基準への変化である。具体的には、そこから公的正義の基準、政治的理想、倫理的基準を引き出すことである。この抽象化は、個別のケースから離れるということであり、上述の非人称の抽象化を経ることで、法は到来するのである。
従って過去を思い出すこと、再生産することが記憶の利用の目的ではない。その目的は、我々の価値の選択によるのであって、思い出に忠実であることではない。そのときに重要となることは、個人のアイデンティティを正当化し、近隣者の死を悲しむことは十分真っ当なことである。しかし、他者の不幸へと自らを転じるとき、そこにはさらにおおきな尊厳と価値があるとトドロフは言う。ユダヤ民族の大虐殺から、黒人奴隷の問題へと転じたシュワルツ=バール、アルジェリアでの拷問を前にして職を辞した、収容者Paul Teigenなどの例が出される。
「記憶の義務」と言う時、それはえてして、過去を回復し、その過去の事実を解釈していく営みではなく、むしろある事実を選び取ることの正当性を訴え、善悪を固定化することに通じてしまう。したがって、必要とされるのは、ポール・リクールが言うように、「記憶の作業」である。この作業とは、それだけでは何の価値や意味もない歴史的過去を問い直し、判断していくことを意味する。トドロフは最後に、「理性の鍛錬」、「討議の試練」に過去をさらし、自らの利益ではなく、他者にとっての倫理とすること、ここに記憶の利用がかかっているとする。
本書の意図は、啓蒙の時代の様々な思潮を、現代に生きる我々が批判的に受け継ぐために、検証することにある。今「批判」ということばを用いたが、このことばこそ、啓蒙の時代をそれ以前・それ以後からわけ隔てる根本的な人間の思想的態度であり、またトドロフの考え方の根本でもあると言える。批判をするとは、もちろん、自分とは異なる立場・意見を否定することではない。そうではなくて、絶対的な存在、絶対的真理、そして絶対であるゆえに人間から超越した存在というものを前提としないということである。そしてそれゆえに自律する人間が、おのおの価値を吟味するとともに、他者の価値をも吟味することによって、そのつどそのつどの暫定的な「真理」を作り出していくこと、つねに批判・吟味にさらされる合意を形成していくことである。啓蒙主義がその最終目的として、完全なる幸福の世界をユートピア的に描いたとすれば、トドロフが描くのは、相対主義に陥らない、多様性の尊重であろう。みなが賛成するような世界は一種の全体主義である。その具体的な現れが植民地主義における"bombes humanitaires"(p.106)であろう。また他方お互いの伝統文化を絶対的に他者が理解できない領域として批判を棚上げしてしまうのは、相対主義の悪しき形態である。たとえば死刑や、拷問への批判は人間の権利という、共通のノルムに則って、否定される。全体主義と相対主義を両極としながら、トドロフは、批判という動的な人間の思考の動きによって、決してその両極へと陥らない思想的態度をとる。
トドロフが本書で特に依拠しているのは、モンテスキュー、コンドルセ、ルソーである。特にコンドルセのAutonomieを持った人間を形成するための教育の意義には深く納得されられるものがある。
Le but de l'instruction n'est pas de faire admirer aux hommes une législation toute faite, mais de les rendre capables de l'apprécier et de la corriger(p.44)
このように評価をしながらも、それを絶え間なく改善していこうという姿勢、これこそがよりよき社会を形成するのだというコンドルセの考え方は、権力の維持のために教育によって、絶対的価値を国民うえつけようとする教育(これは教育ではなく、訓練であろう)と真っ向から対立するものであり、公教育を考えようとした当時の人々の最良の部分を明かしだてるものであろう。それ以外にもなぜヨーロッパで啓蒙主義が最も明白な形で現れたのか(この地域に様々な国が並立していること、それによって、国が違えば、常識が違うというような現実に接触していたこと)、など、示唆に富む見解が得られる書物である。
コンドルセに関しては
富永茂樹『理性の使用』(みすず書房)
フランスの公教育に関しては
コンドルセ他『フランス革命期の公教育論』(岩波書店)