論文など
- 対話/小熊英二・赤坂憲雄「近代史の中のアジア」(『東北学Vol.9』)
- 「共有地の開拓者たち」(『本とコンピューター』2003秋号)
- 「戦後思想の巨大なタペストリー」(上野千鶴子との対談)『週刊読書人』2003年1月17・24日号
- 「柳田の経世済民の志はどこにいったのか」(谷川健一との対談)〜『理戦』71号(2002年冬号)、実践社、2002年12月
- 「近代日本のナショナリズムとグローバリゼーション」〜慶応義塾大学SFCフォーラム事務局編『日本復権の構図』(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス、2002年6月)
- 「図式はナショナリズムとの共犯関係/グローバリゼーションの光と影」〜毎日新聞、2002年3月4日
- 「作家はよくわからん」(日印作家キャラバン)〜『群像』2002年3月
号
- 「同時多発テロと戦後日本ナショナリズム」(島田雅彦との対談)〜『小説トリッパー』2001年冬季号
- 「『日本の常識』を問い直す―家族と教育を中心に―」〜『「日本のかたち」2000年度研究会報告書』(政策科学研究所、2001年)
- 「<在日文学への挑戦>それで僕は”指定席”を壊すために『GO』を書いた」(金城一紀との対談)〜『中央公論』2001年11月号・12月号
- 「新しい公民教科書」を読む---その戦後批判を点検する〜『理戦』66号(2001年9月)
- 「首相は不満の噴き出し口
改憲は派手に見えても安直」〜朝日新聞、2001年7月28日
- 危険な大衆煽動主義/近代以降の勝手なアジア観〜朝鮮新報、2001年3月16日(「新しい歴史教科書」について)
- 「『ヤマト言葉』で小説が書けるか」〜『すばる』2001年4月号
- 「人類史的転換期のなかの歴史学と日本社会」〜『神奈川大学評論』38・39号(2001年)(網野善彦へのインタビュー。聞き手、小熊英二)
- 「なぜ石原知事が支持されるのか」〜『現代日本論』(実践社、2001年)
- 書評論文『ナショナリズムとジェンダー』(上野千鶴子)〜『社会学評論』51巻3号、2000年12月
- 文庫判解説「『根元的』な問いがもたらすもの」〜『日本人論に関する12章』ちくま学芸文庫、2000年
- 「戦争と記憶」〜特集「戦争と暴力」『神奈川大学評論』36号(2000
年)(阿部浩己、藤原帰一との座談会)
- 「日本の言語帝国主義―アイヌ、琉球から台湾まで―」〜三浦信孝ほか編『言
語帝国主義とは何か』藤原書店、2000年9月
- 「グローバリゼーションと日本ナショナリズム」〜国分良成ほか(編)『グローバル化した中国はどうなるか』新書館、2000年9月
- 「戦後保障が問い直すもの」〜沖縄タイムス2000年8月7日
- 「『平和か経済か』の限界」〜朝日新聞2000年7月18日夕刊
- 「『日本』からのエクソダス」(村上龍との対談)〜『文學界』2000年8月号(『存在の耐えがたきサルサ』文春文庫、2001年6月、にも収録)
- 「『起源』と歴史---戦後55年と社会の変動」〜沖縄タイムス2000年4月14日
- 「『異邦人』の靖国神社」〜『新曜社 総合図書目録
30周年特別号』(2000年4月)
- 「『植民政策学』と開発援助」〜稲賀繁美(編)『異文化理解の倫理にむけて』(名古屋大学出版会、2000年)
- 「『日本型』近代国家における公共性」 (Publicity and the
Formation of a "Japanese Style" Modern State)
〜『社会学評論』2000年3月、第50巻4号
- 〜朝日新聞2000年3月17日
- 「いま歴史教育に何が求められているか」〜房総史学編集委員会編『房総史
学』第40号(千葉県高等学校教育研究会歴史部会、2000年3月)
- 「沖縄アイデンティティの行方」〜太田昌秀ほか(著)『ウチナーンチュは何処へ
沖縄大論争』実践社、2000年
- 「日本人排斥と『黄禍論』」〜総力特集「韓国支配へ」、『週刊20世紀』第49号(朝日新聞社、2000年1月6日)
- 「多文化主義の歴史から考える日本語教育のあり方」〜『月刊
日本語』1999年7月号
- 「崩壊する日本語−台湾統治初期における日本語教育論議−」〜西川長夫・渡辺公三(編)『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』(柏書房、1999年)
- 「虚妄の『アジア』−岡倉天心におけるアジア像の変遷」
(The Myth of Asia - The Evolution of Okakura Tenshin's Image of Asia)〜学術文献刊行会(編)『日本史学年次別論文集
近現代3−1997年』朋文出版、1999年(初出
『立命館言語文化研究』8巻3号、1997年)
- 「『左』を忌避するポピュリズム 現代ナショナリズ厶の構造とゆらぎ」(「自由主義史観研究会」から「新しい歴史教科書を作る会」へ。90年代前半のアモルフなポピュリズム運動は、保守系のナショナリズムへと回収され、ついに「大東亜戦争」肯定論に行き着いた。彼らの議論は粗雑だが、日本経済の失速と日本社会の心の闇の広がりによる共同性の喪失を考えると、問題は相当深刻だ−−。)−−特集「新『国粋主義』の土壌 なぜ『戦争論』にひかれるのか?」(◆時代錯誤?グロテスク?マンガだから放っておけ?それでも売れるこの現象をどう見るか。半分疑問、半分ひかれるあなたに贈る)〜『世界』1998年12月号
- 「躓いた純血主義−優生学系勢力の民族政策論」〜『ナショナリズムを読む』(情況出版、1998年)(初出:『情況』1994年12月号)
- 「朝鮮生れの日本人」〜在日朝鮮人研究会編『コリアン・マイノリティ研究
第1号』新幹社、1998年
- 「柳田国男と『一国民俗学』」〜アエラ・ムック『民俗学がわかる。』朝日新聞社、1997年
- 「『日本』への道」〜田中克彦ほか(編)『言語・国家、そして権力
ライブラリ相関社会科学4』新世社、1997年
- 「<国民の歴史>の制度疲労 「面白い話」に共鳴した教師たち」〜毎日新聞
1997年4月15日
- 「日本人という牢獄−第日本帝国における朝鮮人の戸籍と国境」
("Japanese" as the Jailhouse - The registoration system of Koreans in modern
Japan) 、『情況』、8巻3号、1997年
- 「有色の植民帝国 1920年前後の日系移民排斥と朝鮮統治論」
(The colored Imperialism)
〜酒井直樹ほか(編)『ナショナリティの脱構築』
(柏書房 1996年)
- 「神話をこわす知 歴史研究のモラルとは?」〜小林康夫ほか(編)『知のモラル』
(東京大学出版会 1996年)
- 「忘れられた民族問題−戦後日本の「革新ナショナリズム」−」〜『相関社会科学』第5号
(1995年)
- 「市民と武装−アメリカ合衆国における「武装権」試論−」〜『相関社会科学』第4号
(1994年)
- 「差別即平等−日本植民地統治思想へのフランス人種社会学の影響−」〜『歴史学研究』第662号
(1994年9月)
- 「国民化」という支配−多民族帝国としての「日本国民」概念−」〜<われわれ>と<かれら>(近代史部会)
- 大隈義人「戦争機械と飛行のテクノロジー」〜『インターコミュニケーション』第1号(1992年夏)
- ほか