Oktober 26, 2005
ゆめゆめ。
睡眠が夢によって左右されている気がしてならない。最近の睡眠時間はとにかく不定である。大作っぽい夢を見ているときは西日が射す頃に起き、小さくまとまった秀作などを見るときは午前中に目を開くことが出来る。
今日は明け方に寝たにも関わらず、午前中に起きることが出来た。目を合わせると他人に厄災を与えてしまう少年の話。その自分をたたって、鏡を開発するという内容。昨日読んだアレクサンドリアの本の影響をそのまま受けているあたりが、夏の午前中と相成ったのか、あっさり目覚めることが出来た。
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上は、2004-08-08 18:57:42から下書きのままになっていたエントリー。まだこの夢は覚えている。というか、覚えている夢の数はかなりある。何度も何度も思い出して焼きついている風景、せりふ、登場人物。いつか、再び会えることの約束のない、夢の中でのものたち。夢こそ一期一会だ。現実なら、たとえ何もかも変わり果ててしまっても、また会えるかも知れないじゃないか。
そういえば最近、見た夢をあまり覚えていない。何語で見たのか、誰が出てきたのか、どんな顔だったのか、思い出せない。かろうじて覚えているのが、夢に出てきた建物。壁の色、柱の形、掛かっていた絵の色、空の鮮度。
でも、人より背景ばかり覚えているって、現実でもそうかも知れない。人の名前を覚えられないで、話していたときに机の上においてあったノートの色は覚えている。だからいつも顰蹙もの。
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August 01, 2005
奇妙な晩餐
家の近くを埼玉高速鉄道というバブルの残滓の見本ともいえる地下鉄が走っている。昨日(日曜の夜)、その駅にはじめて行ってみたのだけど、かなり素敵な光景が広がっていた。
地下鉄なのに、地上3階くらいの「駅」が建てられているのだけど、どこにも誰もいなかった。比喩とかではなく、建物内のどこにも乗客がいなかった。ただエスカレーターだけが動き続け、すぐ側の国道を走る車の音だけが響く。
いくら日曜の夜とはいえ、これはないよね。
考えてみれば、この駅があるまちは典型的な地方都市の条件を満たしている。駅前には、居酒屋チェーン店とマックだけを抱えた小さなターミナル。片道2車線の国道。すぐ近くにはジャスコ、中古自動車屋、大型電気店。シュール!
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夜の色が変わってゆく
横顔が少しだけ欠けて
さっきまでの話まで
意味がぼやかされる
朝がまだ遠い街で
つぶやくゆめ
あといくつ新しい笑顔つむげたら
あの夜に帰れるのだろう
高架に残された
いくつかのことばは
届くべき誰かには辿りつけず
こんな日に振り落とされた
同じようにこのことばも
繰り返してゆく夜に飲まれてしまうんだろう
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Juli 31, 2005
周回遅れ
7月も終わり。同じ季節がめぐってくると、すごく不思議な気分になる。
たとえば一年前のことを、実感としては一年前として処理できない。一年前は、曖昧さや確実さ的に昨日とあまり変わらない。つまり、思い出じゃなくて、まだ記憶の領域にある。自分のカテゴリーの中で思い出って呼べるようになるのは、2年後くらいから。
去年の夏はまだ今年の夏と続いていて、ひとつ前の夏は2年前の夏、というようなねじれた世界を生きている。気分は周回遅れ。一人だけ、去年の夏のことをさも今年あったように感じて。
周回遅れといえば、MT3にしてみた。色々カスタマイズしやすくなっているけれど、結局していない。結局、日付をノルウェー語にしてくらいしか目立った変化はなく。(ブログペットを導入したかったからMT3にしたわけじゃないです。本当です。信じてください。そんなことがバレたら恥ずかしいじゃないですか。)
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Februar 18, 2005
0217
三越のキャパ写真展と東京現代美術館と夢の島の第五福竜丸まで行ってきた。珍しく、少し「活動したな」と自己内省が出来る一日。
別にロバートキャパに興味があるわけじゃないのだけど、第二次世界大戦の写真がやけに生々しいカラーで映ってたから。戦艦の形状や写真の技法にとおい僕なら、「去年、イギリスまで行って撮ってきたんですよ」とだまされても「ああ、そうですか」と普通に流してしまいそうな写真がたくさん飾られていました。
ついつい「ああ、そうですか」と流しそうになるのをこらえて、「この写真は60年前に撮られたんだ」とこころのなかで唱えながら何とかふみとどまりました。
*東京現代美術館 愛、孤独、そして笑い
別にこれは三越からバス一本で行けるから、何の気なしに行ったのだけど、ちょっと一部すごかったです。
強烈だったのが澤田知子というヒト。こんなに笑ったのは辛酸なめ子以来です(ここで「これほどの精神的な感銘を受けたのは岡本太郎以来です」とか言えればかっこいいのに)。
自分を変装させてそれを街角のインスタント写真で400パターン撮ったり、学校の集合写真を数百人の生徒に扮装して撮ったり、普通は思いついても実行に移さ(せ)ないことをやってしまうあたりが、ぶっとんでいて笑いが止まらなかったです。今日が木曜で、入場者が少なくて良かった。
ただ残念なのは、作品の説明やコンセプトがすごい真面目で別に文章も面白くないところ。たとえどんなに真面目な意図があったとしても、こう臆面もなく当たり前のことを言われてしまうと、笑いが冷めて「ああ、そうですか」と流したくもなってしまう。
他の作品は男が子宮を移植してもらって出産するという光景をドキュメンタリー風に描いた映像だったり、普通の主婦が突然壊れ出したり。
そもそもこの展示全体の企画意図がフェミニズム、だったみたいで「ああ、そうですか」と納得。ゲストレクチャーに上野千鶴子や竹村和子を呼んでいたり、ショップにはジェンダー関係の本が学術書を含めて大量に売っていました。
意図を知らされないと意図を創造する前に探そうとしてしまうくせに、意図をやすやすと知らされてしまうと冷めてしまうのは自分勝手ですか。それでも、論文が何万字も費やしても結局読者のこころに残るモノはその中の一部なはずで、それを何万字の論文じゃなくて一瞬で受け手に何かを残す美術のちからをまた信じてみたくなりました。
公式サイト(があったことだけでも驚きなのに)、URLがかっこよくてびっくりしました。d5fってD-51とかよりもよくないですか?いや、同じくらいかな。
小学生が社会科見学に来ていて、なんだか侮蔑的な視線を感じました。こんな時代じゃ仕方ないですね、って簡単に時代のせいにするヒトを構築してしまった時代のせいだと思います。僕は悪くないです。
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そのさきはゆめのしま
おきわすたじだいのゆくえ
まだなにもしらない
ぼくらがあるきそしてめざした
いくど
ふたたびのあしあとを
おなじみちにきざもうと
なにもかもは
もうかわってしまったあとで
なのにおなじものをほしがるから
よけいいびつにゆめはからまる
ほつれてしまったそらは
まだいろをすてていませんか
いつかまた
きみにあうことはありますか
そのときぼくは
なにかかけるべきことばをもてますか
よみかけのほんや
わすれてしまったえほんを
たよりに
あたらしいものがたりを
はなしてあげるあいてをもてますか
ゆめのなか
そしてもういっぽ
いつかゆめをおえ
だからもういちど
ゆめのはなしを
ゆめじゃないどこかで
はなしてみてもいいですか
そんなひを
わすれてもいいですか
わすれないでもいいですか
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Januar 14, 2005
20!
誕生日。
20になるのが怖くて、昨日から寝ていなかったのですが、ついつい授業中に寝てしまいました。
その間に中身が変わって、今記憶だけを受け継いだ新しい人間になってしまっているかも知れません。
ところで、今日はタイタンに探査機が突入した日。5年くらい楽しみにしていたので、他に5年くらい対耐久する楽しみなことをまた見つけないといけません。
++++++++++++++++++++
そして舞い上がる
空は今、
風の中
膜を注ぐように
ひとり
取り戻すように
足跡の意味を
ここから捕らえなおすように
君へ向かい
歩いていた
いつか
光る夢を
頼りに歩ける時代は
もう過ぎて
だから
今日はまだ
置き忘れた
あの日々や傷を
抱きしめたまま
不十分なまま
抱えたまま
ここから行こう
どんなささやかな
空を望み
それなりの
明日を
それなりの
意味を
ここで
探していよう
ここで
世界を
受け入れていよう
それなりに
受け入れていよう
青がまだ
裂けることなく
朝を
掲げていられる
瞬間だから
季節だから
ここから
世界を
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Januar 13, 2005
歩く場所。
最近、学校正面の悪名高いあの階段を使わずに、芝生をななめに突っ切っることにしています。時折感じる学生の目線が気にならないことも無いけれど、時間も短縮できる上にあの階段を使わなくて良いので快適。しかも、中程度攪乱説(全く手を加えない自然よりも、ある程度人間が踏み入ったほうが自然にとってもよいという考え方。例;定期的な間伐など)を信じているので少し自然と一体化した気さえしてしまいます。優先席を誰かに譲る感覚でしょうか。
ところで、今日は少し歩きすぎた気がします。歩くというと屋外や田舎というイメージがあるのですが、街って実は(という程でもないけれど)かなり歩かざるをあえませんよね。たとえば都内の地下鉄は、地下9Fというのもあるくらいの深さをはじめ、駅から駅への距離などその歩かなきゃいけない場所は途方もない距離になってしまいます。
山の中なら「ああ、今日は歩いたな」とか納得できるけれど、なんで駅の中くらいしか歩いていないのに足が疲れないといけないんですか?とうまく体と心が重なりません。なので、駅ももう少し「ここから西口出口まで300歩」や「消費カロリー20」などと書いてくれたらいい気がします。
+++++++++++++++++++++
夜の膜が幾重にも降り注ぐ頃
ささやかな足跡は今離れてゆく
まだ空気や夜が二人を繋いでいるはずなのに
それがうまく分からない
熱狂が押さえきれない時代を
いつまで君は憧れてゆくの
そんなものどこにもないさと
笑う余裕も今はとてもないけれど
どこへ行けば?
なにを望めば?
そんなことはどうでもいいさよ
どうやって君に納得させよう
どこへ行けば
なにを望めば
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Januar 10, 2005
実際に、成人式
久しぶりにかなり落ち込みました。
1 式に対する不満
進行がぐたぐたでした。もっと騒ぐかと思ったらざわめき程度の新成人だったのにも関わらず。確かに一応、恙無くは進行したけれども、本当にそれだけ。もっと頭使って式を構成したほうがいいんじゃないか、と少し不安になりました。もしくは、前提に欠陥があって、成人式の式としての構造的な成功は有り得ないのかも知れません。
ただ好感が持てたのは、市長が小学生に語りかけるように絶叫調で、語彙も少しで、非常に単純な祝辞を述べたこと。今の20歳像を象徴していて、その開き直りが気持ちよかったです
でも紅白でさえ進行がうまくいかない昨今、これは式全体を使った「大人になんてならなくてもいいんだよ。大人とか言ってもこんなもんだよ。ごめんね、ぐたぐたで。」というメッセージだったのかも知れません。これからも安心して堂々ととACを標榜したいと思います。
2 人ごみ
これも主催者側に原因があるんだけど、出身中学校別の部屋や場所が用意されていなかったために、懐かしい友達を探しまわったり、待ち伏せたりで人がおかしな込みあい方をしていました。所詮、成人式の意味は同窓会程度でしかないのだから、肝であるそこを疎かにするあたりが、致命的でした。
(成人式が同窓会になっている以上、もしまだ地域にちからがあるのならば、小学校や中学校を会場に学区単位で行うのが理想な気がする。)
3 なつかしい顔
でも、久しぶりに会う人たちに、ただの立ち話だからかも知れないけれど、あまり魅力を感じませんでした。いや、変わってしまったのがどっちか、変わらなかったのがどっちか、そういうことはわからないけれど、軽く優しい思い出を壊されました。みんな、もっと面白かった気がするんだけどなあ。
4 自分の痛さ
SFCにいたら、別に許容されるような言動も、普通の20歳的にはかなり痛いみたいです。しかも中学校の頃からこのキャラだったようで、みんなの一歩ひいた目線が印象的でした。やっぱりあのキャンパスは居心地が良すぎて、いつの間にか甘えてしまっていたようです。
やっぱり成人式とか向いてないのかな。
どよーん。
++++++++++++++++++++++
こんな悲しい場所が
世界の中にあることを
忘れていたのかも知れない
どこまでこの人々を
通り過ぎれば
それともどこかに
埋もれることが
出来たのならば
一人は消えてしまうのかな
一人を消さず
誰かと生きる
そんなことも
この場所じゃ無理なのかもね
遠く離れる空の下で
訪れてしまった積み重ねは
わかりあえるはずもなく
欠落の後の突然の再開は
青を幾重にも乱反射させてしまう
こんな悲しい時間が
こんな街にあることさえ
忘れていた代償ならば
笑ってまた全てを振り下ろそう
笑ってまた全てをあきらめよう
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Januar 01, 2005
2005
ついに2005年らしいです。臆さずに「2003年おめでとう!」とか言えればいいのですが、若年性痴呆や素人心理学者も流行の昨今、軽々しく恥ずかしいことはいえません。
世論調査とか見ていると、日本をときどき脱出したくもなるけれど、他に行きたい国も無いので、今年は生きたい場所を少し探したいです。もしもそれが24世紀のTOKYOだったり19世紀のイギリスとかだったら、自殺でもして輪廻転生を願わないといけないんでしょうか。新年早々自殺はないですね。
*2005
人や街を
薙ぎ倒した波は
やがて海へ戻ったけれど
人や思想を
洗い流した時は
いつか過ぎてしまうけれど
微笑みの価値や
闘うことの意味や
殺し合いの規則も
2005年前と大した違いはない
君が頑なに守った操縦桿は
もう壊れてしまったまま
縦横に詰め込んだ軌跡の行方は
凍えそうな空の果てへと続く
針の上の楽園でその場所は見えない
風は穏やかに悲しみを拭ってゆく
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Desember 10, 2004
午後2時
最近、休みの日は決まって午後2時に起きます。
昨日は早々とDの嵐も見ずに(恥ずかしいので見ていることはそっとしておいてください。でも面白いと思うので来週の水曜の夜中の日テレでやってますので、恥ずかしながらでも見てみてもいいのじゃないでしょうか)、やっとアマゾンから届いた地球防衛家のヒトビトも読みかけで(朝日新聞の夕刊の4コマ。これだけをメディアセンターで1時間くらい朝日の夕刊を見つづけたことがあります)寝てしまったのにも関わらず、です。
いったい、体内時計はどうなってしまったのでしょうか。どうにかして欲しいものです。でも、寝てるって無駄に見えて、スリリングや夢を見たり、難しい世界とは別の次元で進んでいる感じが好きなので、致命的に後悔したりは出来ません。
ただやっぱり午後2時なら、午前10時でもいいかなという気もしてきます。願わくば、午前7時くらいで夢を切り上げられたら、、、、もうすこし前向きな一日を送れたかなという気さえします。
でもまあ午前2時に起きたあとにやったことといえば、チョコを食べたり、チョコの袋をあけたり、毎日新聞を読んだり、地球防衛家の続きを見たり、その程度なので寝ていても起きていても、どうせ無為には変わりないので、これでいいのかも知れません。
ただ、同じチョコを食べて漫画を読む休日だったとしても「今日は朝から雨。チョコを食べながら読書。たまにはこういう休日もいいな★」みたいな日記も書けるような荒んでいないこころを持つには、午後2時よりもはやく起きる気持ちも必要かなと思ってみたり。
この日記の脈絡のなさもきっと午後2時のせいかも知れません。みなさんも午後2時には気をつけてください。
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Oktober 29, 2004
散歩
終点の5つ前の停留所で降りて、終点とは違う駅へ向かって歩いてみた。
こんなまちじゃ、何も新しい発見なんてなかった。
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Oktober 21, 2004
北上してゆく雲
今日は、久しぶりに天気が良かったので散歩がてら診療所に行ってきました。
背が低いまちなので、空の体積が大きくて、北上してゆく雲や切り拓かれてゆく空たちが気持ち良かったです。
診療所では、待合室でアンパンマンの映画を子供たち向けに流していたのだけど、おじいさんが真剣に見ていました。平和なまちでの、平和な一日でした。
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August 07, 2004
髪の毛
いま起き抜けにテレビをつけたら、いきなり子供たちがひたすら髪の毛を数えていた。なんでも、人間の髪の毛の数を人力で数えようという企画らしい。夥しい数の子供が、夥しい数の髪の毛を、神経質そうにその本数をカウントしていた。
朝っぱらから(この部屋時間)、こんな映像を見てしまって、気分も萎える。でも、髪の毛にどうして、ネガティヴなイメージを持ってしまうんだろう。一部の中年男性には守り抜きたいものであって、憧れでもある髪の毛なのに、どうしてスープの中やご飯の中に見つけると、言い得ない嫌悪感が噴出するんだろう。
。。。。。。髪の毛一本で、同じ遺伝情報をもった人間が作られる時代。つまり、髪の毛さえも、それは立派な家系図なんかよりもすばらしいデータで、そのことを無意識にこころが理解していて、だめだ、このようなものを食べたら!とシグナルを発するのだろうか。
。。。。。。でも、髪を撫でるって行為は、日常的なもので、それがくせになっている人もいる。ただ髪を舐めるっていうのが癖っていう人はあまり見かけない。同じように、指遊びは大人でもやるけれど、指しゃぶりをする人はあまり見かけない。ということは(飛びすぎ。朝だから)、髪はある程度、指や他の身体と同じように認識されているのかな。
指がスープに入っていたら、ちょっとした三面記事ものだし、指を数える企画(字面と意図する絵は違います)なんてあったら、それこそサリアリズムの世界だし。まあ、要するに、髪を気持ち悪いと想ってしまうのは、それが体の一部だという認識と、それなのに夥しい数のそれが存在するというジレンマが関係しているからでは、と想ったところで、やっとテレビの中身が変わった。良かった、良かった。
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August 06, 2004
学校。
今日、この暑いのに、二時間半もかかるのに、わざわざ学校まで行ってきた。修理に出していたパソコンが戻ってきたらしい。わずか一週間。壊れてから修理に出すまで躊躇い恥らっていた一ヶ月強の日々が、懐かしく思い出される。
そして同時に、修理から戻ってきたパソコンをバッグに格納し、1キロあまり重量が増えたバッグに、ラップトップなしでやってきた日々に衰えた筋肉を痛感した。
今年は、壊れる前から、学校にラップトップをほとんど持っていってなかった。その祟りで壊れたのかと疑ったりもしたけれど、やっぱり自分のライフスタイルに、ラップトップは必要無い気がする。そりゃ、暇な授業中はぱかっと開いてメッセンジャーとか、電車内でぱかっと開いてビジネス人気取りとか、持っていたら持っていたで用途はそれなりにあるけれど、むしろそれしかない。
授業中は授業を聞くか、教室を出ればいいし、電車の中では軽さ50パーセント減(精神比)の本を読めばいい。
漫然と、リンクをたどっていろいろな場所を垣間見たり、わけない話を文字でやりとりするのはそれで楽しい。でも、それは、1キロと電源ケーブルの重さの秤にかけたとき、負けてしまうものだと感じて、今学期はラップトップを持ち歩かない日々を送ってみた。
そして逆に、他のひとは、ラップトップを開き何をしているか、いち時期はまって観察してみたこともあるのだけど、果たしてサイトを漫然と見ている人と、あと課題らしきものをやっている人が多かった。そう、課題。課題。
なんか、まだ書きたいことがある気がするけど、これ以上書くとせっかく治ったばかりのラップトップが、また何物かに呪われてしまいそうなので、このへんで。
Juli 31, 2004
怖い夢
最近、電車の中で怖い夢を見ます。
<夢の内容>
ありえないくらいくらいに、よだれをたらしている。場面は電車の中。隣の人に一瞬、あざけるような目線を向けられた気がする。そして夢だからいいやと目を閉じる。
そしてリアルに目をさますとよだれは消えているので、夢だと思うのですが、とても怖いです。この夢、疲れているときによく見ます。電車の中でよだれをだらだらなんて恥ずかしいので、夢でうれしいです。バッグについていた染みは、見なかったことにしています。
Juli 23, 2004
テスト
今日はテストが2枚あったのだけど、赤の字が消えるペンに緑のシートを使いながら受験生のような勉強をしていたら、隣に座っていたけだるそうに肩肘をつきながら授業のレジュメを斜めに読んでいた大学生風の人に軽く笑われた気がした。被害妄想かも知れないが、さすがに自分でも少し恥ずかしいと思いつつ、また今回もこんな勉強方法をとってしまった。
まず多言語社会コミュニケーション。去年の問題の断片はこのようなテストの感想を書いた日記いくつかから掴んでいたんだけど、まさか同じ問題が出るなんて。しかも、くだらないと鼻で笑って答えを調べなかった問題が出るなんて。
「トクピジンでpinisの意味は?」
出題者の遊び心なのかも知れない。でも、遊び心だけなら去年と同じ問題は出さない気がする。だから、試金石のような気がしてきた。こんな問題を答えられたあなたは、さては去年の過去問を見てテストに臨みましたね、そうですか。というような。
ほかの問題は、呆気ない系が多かった。緑シートまで使う必要はなかったかも知れないと、少し気づきかけてしまう。
そして次は近代史。毎度の覇気のない問題構成。でも、今学期手でノートをとっていたせいか、大量の字を書く答案にもあまり疲れなかった。
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Juli 21, 2004
蜃気楼
蜃気楼みたいな街だった。
だから、自分も暑さも幻のような気がして、
歩いていられたし、
何だかうれしかった。
意外とパソコンを修理に出すために学校に行ったのに、
保証書も詳しい人に見てもらう約束もとりつけたのに、
肝心のパソコン本体を忘れたことも、
何でもないような気がした。
投稿者 POE : 02:11 EM | コメント (0) | トラックバック
Juli 19, 2004
東京湾景
今、見ているドラマ。東京湾景。
東京湾を舞台っていう設定がうれしくて、原作じゃイメージに頼っていた東京湾の景色が見られて、湾岸好きにはたまらないのだけど、見つづけていくには大きな問題が今立ちはだかっている。
つまらない。なんか在日とか、そんなテーマを盛り込んだことはいいんだけど、場面が過去と現在になったり、この演技はないんだろ、みたいな連続だったり。見続けていくことが困難な気がする。
原作を読みながら、東京湾のイメージビデオでも見ようかな。でも、そんなビデオすぐにはきっとないから、とりあえず、テレビの音を消して、今ドラマを見ています。回想シーンはいいですから、東京湾をもっと垂れ流してください。
投稿者 POE : 09:31 EM | コメント (0) | トラックバック
Juli 17, 2004
感動
僕は今、感動しています。
リカバリに、です。そう、パソコンを出荷時の設定に戻すリカバリです。わずか、30分の作業で、こんなにも動作が機敏に!
今まで、面倒くさがって、2年間も、重いと嘆きながら、数々の障害を抱えながら、生きてきた日々が嘘のようです。
起動に5分もかかっていたのが、今はわずか20秒。
でも、重く苦しい日々も、今はもう軽やかに笑ってすませることができます。いいね、リカバリ。ああ、りかばり。
投稿者 POE : 12:15 FM | コメント (0) | トラックバック
Juli 13, 2004
アルコールの代わりに
突然訳なく気分が高揚したり、嬉しくなったり、「生きているってすばらしい、ラリホー」って叫びたくなったりする。今も、すっごく楽しい。別に課題やらなきゃって家のパソコンに向かって、ネコミのページを見て、課題用に買った本を読んで、音楽を聴いてるだけなのに、本当にすっごく幸せ。さっきまでとても不安だった未来のことも、あの消したい会話も振る舞いも、全部愛しくなる。
逆に急に、今日の朝は哀しくなった。最後の授業で、いつもどおりの終わりなのに、またいつか2学期がはじまって、再来年には卒業してしまう自分がもどかしくて、どうしようもなくなった。死にたい、ってことは、「時間を止めたい」ってことなんだ、と急に悟って、この前の野沢尚の自殺の原因を一人で勝手にわかった気になったり。
って、なんだか飲みながら書いたみたいな、支離滅裂な文章になってしまったけど。でも、幸せ!きゃほー!
投稿者 POE : 07:29 EM | コメント (0) | トラックバック
トンボ入門
おそらくこの授業がなければ一生買わないし、もらっても誰かにあげてしまうような本を買ってしまいました。ランドスケープエコロジーの課題に使うんです。
不思議なもので、とても今この本を重宝しています。わかりやすい。ああ。トンボについてこんなにわかりやすく書いてくれるなんて。。。
投稿者 POE : 12:15 FM | コメント (0) | トラックバック
Juli 10, 2004
文字充足
ネコミの掲示板に、この数日で一万文字以上書き込んで、なんだか書きたい願望が充足してしまって、何か徒然。持ちネタ少ないからなあ。
別に書き続けることに意味があるかどうかわからないし、こんなの覚書にしかならないかもだけど、うん、なんなんだろうね。意味のないことの意味って。
とにかく、まあ、今は眠いです。それだけが、もう真実です。
投稿者 POE : 11:52 EM | コメント (0) | トラックバック
Juli 07, 2004
口語
どうやら口語が苦手みたいです。
いや、別にどもるとかじゃくて、文法とか語彙がとても貧弱なものになる。
しゃべってるときって、本当にどうしようもない語彙で会話してる。「みたいなもの、このくらい、すごい、かんじ、あの、あ、まあ」頻出。代名詞とかがやけに多くて、一見かわいそうな子みたいで。
そしてこの口語と文語を混ぜた感じの文章も、どうやら悲壮とまではいかなくても、いくばくかの悲しみを孕んでるわけです。難しい漢字使ってもだめです。あー。
投稿者 POE : 11:56 FM | コメント (0) | トラックバック
Juli 06, 2004
日記
これからやらなくちゃいけないこと。
プレゼン 3つ
課題 3つ
テスト 2つ
なんだ、全然余裕じゃん。いいな、10コマぴったりの授業。余裕がある。ただ、余裕とやる気は残念ながら永遠と幸福とか、SFCとギャルみたいに相性がよくないみたいで。
しかも、レポート書くのに超時間かかるんだよなあ。でも続日本紀は面白かった。
何度も見た映画の続き
ノイズがかぶさるセリフを
一人呟いて?
そう、今もう孤独。
一人という言葉を発明した日から
もうずっときっと孤独。
遠ざかる波音が
朝凪と重なってゆく
空の色を重ねるように
君の声は待ちぼうけ
もう戻れない風景に
今使えない言い訳ばかり
隣にいるだけじゃだめなのに
隣にいたいと思ったり
信じるだけじゃだめなのに
信じなきゃだめだったり
言い聞かせて欲しかった
すれ違わずに話したかった
見かけの笑顔は切なさを
精一杯の泣き顔は悲しさを
複雑に絡めては
とにかく今日を信じてみたくなる
軽くなったバッグに
詰め込む荷物はないけれど
捨てられないものが
こんなに増えていくように
遠ざからないで
きらりヘッドライトが
線路を照らしていく
送電線が月を震わす
窓際の琴線は居場所を告げる
忘れてしまった背中の熱に
意味がもうないように
この線路はもう
どこへも続いていかない。
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Juli 04, 2004
おばけやしき
七夕祭におばけやしきをやった
ありえなかった。理性的にかなり怒っている。あきれている。もうやりたくない。疲れた。何の自分の得にもなってない。うれしくない。面白くない。なんで、12時間も準備を手伝って、6時間も、人をおどろかさないといけないのか。
自分がすごくいい人で、ぎりぎりの状況にたっている自分だけは好きだということはわかったのだけど。
<おまけ>絶対にありえないけど、公的な人に聞かれた場合のお化け屋敷の感想。
お化け屋敷は、計画に鑑みると失敗でした。人員は足りない、アクターも3人しかいない、コースは出来上がらない。最悪です。しかしSFCの推奨する実験する精神というものがありますが、実験結果としては失敗でした。しかし、実験自体は成功だったのではとも思えるのです。
当初は、SFCらしい数々の分野が関わりあったSFCらしいお化け屋敷をしようと考えていました。認知科学の分野で目線研究・心理研究による怖さの体現、文系的なアプローチによるストーリー分析、ネットワークを使ったサービス。全部出来ませんでした。
しかし、当日のお客さんは子供たちばかり。それにあわせた臨機応変な展開ができたのです。少ない人数ながら一人が何度でも脅かせるようにコースを変えました。そして「お化け屋敷ワークショップ」と銘打って並んでいるひとから、脅かしたい人を募集してアクターをやってもらったりもしました。その意味で、実験から派生したひとつの新しい実験が生まれたという意味での成功です。
投稿者 POE : 04:56 EM | コメント (0) | トラックバック
Juni 30, 2004
どきどき
一応の復旧をみた、このラップトップなのですが、依然突然電源が切れるという危機をはらんでおります。よって、今この文章も気分としては、崖の側をメールをケータイで打ってるという、緊張感はあるのだろうけれど、やっている行為は少しもかっこいいものではないという状況です。
でも、やっぱりこのキーボード打ちやすい。なんだか、好きだよ。でも突然切れるのはやはり怖いので、何をするかといえば、すぐに必要であろう課題メールなどはプリントアウト。おかげであたりは紙がたくさん。そして、ぼちぼちと学校のディレクトリにファイルを送りながら、容量を気にしながら。
ハードディスクの音が少しするだけで、はらはらして心臓に悪いので、おやすみなさい。
最近、どきどきしてばっかりだなあ。今日の午前中もどきがむねむねして痛かった。
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Juni 29, 2004
夏と梅雨
今年の梅雨は雨が少ない。
梅雨なのに晴れ、というのが気分的によろしい。
夏なら晴れで当たり前。どんなに快晴だったとも、それは真夏日などという「そこまで暑くならなくても。。。」という否定的な文脈で描かれることも少なくない。
ところが梅雨ならどうだろう。たとえば30度を越える、痛いほどの暑さでも「梅雨の中の快晴、真夏日」という、雨上がりの西の空みたいな、歓びのイメージがそこにはある。
だから、思うのだけど、もう梅雨明け宣言をいっそ10月くらいにしてみたらどうだろう。「確かに、晴れの真夏日は続くのだけど、ほら、次の台風がそこまで来ていて梅雨明けと言いきってしまうのは、なにか不安なんですよ」と、巧妙に梅雨を伸ばしつつ「さあ、今日は梅雨なのに真夏日です」と、ネガティヴの中のポジティヴを演出。
「今年はついに夏が来ないまま、秋になってしまいましたね」というセリフも、何か心動かされる。何かが始まって、胸踊って、傷付いて、ぼろぼろになってしまうのは大抵夏だとTUBEも歌っているように、夏は疲れるのだ。夏の疲れを秋に残さないために、夏をたまにはなくしてみたらいかがでしょうか。
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Juni 26, 2004
パソコンが起動できない
「モニター壊れたの?この時期に大変だね」と、友達にこころのない励ましをかけていた先週のことが懐かしく思い出されます。
「またパソコン壊したの?」と、パソコンを壊すことは半ばネタだと思っていました。でも、同じ状況を共有して、はじめてその痛さに気がつくみたいです。そう考えると戦争も難民も発展も在日も何もかもが、想像以上に難しい問題に思えてきます。
ラップトップがうまく起動しなくなりました。
多分、物理的な問題っぽいので、CNSコンサルタントなどに泣きつけば、治るかもという淡い期待も捨てていないのだけど、それでも痛いです。
さあ、どうしよう。
セーフモードですら起動しないや。
修理に出すのか、それとも何とかやっていけるのか。
家のパソコンにもイラレいれとけば良かったなあ。
悲しい話になってきたので、最後にひとつ、こころあたたまる今日の絵文字を。
むつ
↑ スヌーピー
投稿者 POE : 02:15 EM | コメント (3) | トラックバック
Juni 23, 2004
6キロ
この冬から太った体重の総量ではありません。
昨日のボクのバッグの重さです。
6キロです、6キロ。この21世紀に。
<内訳>
パソコン1キロ
本4キロ
ペットボトル1キロ
まず、本がどうしようもなく重いですね。いつになったらパソコンは本を兼ねられるようになるのでしょうか。そうじゃないと、本+パソコンという、パソコンを持ってない人よりも重い毎日を生きていかないとならないのです。トレーサビリティもいいですけど、持ち物の重さについて誰か真剣に考えてくれないと、そろそろ肩が壊れます。
そしてペットボトル。
とても水分をよく飲むので900mlのペットボトルを持ち歩いているのだけど、それも1時間目には切れます。本当は1.5リットルを持ち歩きたいのですが、それだと電車の中で堂々と飲めません。何か、困っている人みたいになってしまいます。
マラソンの水分補給所みたいに、街中に水分の補給を促してくれる人を置いて欲しいです。そしてもらったカップはその場に捨てても、ディズニーランドのようにすぐに回収みたいな、夢の町に住みたいです。
三田にも帰りに寄ったのだけど、あのケイオーの包むバッグ率が多くて羨ましかったです。ほぼ手ぶら(推定重量300グラム)なんて。リュック率の多いSFCとは大違いです。32度を越えた都心の照りつけるアスファルト、その中で重いを馳せながらとぼとぼ歩く人間と、感じないほどの荷を携えて歩く彼らとの間に、湘南と三田以上の距離を感じたのでした。
投稿者 POE : 01:59 EM | コメント (3) | トラックバック
Juni 21, 2004
乙女
昨日の夜、薬を吸ってから(喘息の)、心臓がおかしい。推定200回毎分の割合で心臓が打つ。手が震える。何かに寄りかかると震えてしまう。
寝ておきて覚めたら出来上がってると信じていつも生きているんだけど、今度は今朝おきてからも、心臓のどきどきはとまらなかった。
でも、もう世界はふらついていなかったんで、学校に行ったけど。台風好きだし。
恋する乙女は大変だね。いつもこんな風にドキドキ胸打ってるんでしょ?そりゃ、狂言とか妄想とかも起こしたくなるよ。
投稿者 POE : 08:38 EM | コメント (0) | トラックバック
April 18, 2004
かる鬱
新学期らしさがやっとこみ上げてきた。
このやるせなさ、久しぶり。
去年は感じる余裕もなかったし、
おととしは受験の存在感が大きかったから、
実に3年ぶりかな。
まず特徴としては次の休みばかり気になる。
日曜日は憂鬱になる。
日曜日に考えることは、月曜日も火曜日のことでもなく、次の休みのこと。
そして、いつも聞かない音楽が聞きたくなる。
歌詞カードを見ながら聞きたくなる。
あと、ニュースがやけに見たくなる。
遠い世界の出来事の羅列に癒されるから。
この生ぬるい温度が余計、何年か前のあの頃を重なねてしまう。
温度、香り、外の景色がとても生ぬるくて、遅くて、ゆるやかで、散漫で緩慢に悲しくなっていく。
なんて。
終わらせたい願い
携えて背中が重い
画像の操作が途中で
倒れそうな銅像
そんな微笑みで
事件を終わらせないで
傷付くなんて
簡単だから
闘うなんて
簡単だから
戦争なんて
簡単だから
だって君は何度も
センソウしてきた
横顔を眺めて
明日の終結はあきらめて
明後日の笑顔も
とりあえずあきらめて
涙を忘れないで
せめて歩き出して
かさばる願い
それでも携えて
投稿者 POE : 08:58 EM | コメント (3) | トラックバック
Mars 28, 2004
ネットテレビ
気が付けば、インターネットの使い方がテレビ的になっていた。
検索キーワードをいれるのは、一番初めだけ。
場合によっては、お気に入りから選ぶだけ。
そこからリンクをどんどんたどっていき、関係ないページを何分も見つめている。
そしてまた、頻度の低いお気に入りを増やしていく。
これって圧倒的に受動的で、テレビのチャンネルザッピングと大して変わらない。
リンクをたどってどこまでもいけるというのは、すばらしいこと。
どこまでも、どこまでも行けるのはすばらしいこと。
その意味で、ネットワークは量的にテレビを越えた。
でも、どこでも行けることに、意味がないことも多い。
総じて質的にテレビにかなわないことが多いネットワークじゃ特に。
意味の浪費とまではいかないけど、時間の浪費にはなっている気がする。
まあ、散漫とネットとつながっていなくても、だらだら本を読んだり、ぶちゅぐちゅ絵を描いたりで、濃縮された時間なんて、こんなうららかな休みの日々には、あんまり有り得ないんだけど。