アメリカ大統領選挙の最近のブログ記事
大学の研究室に行ったら届いていました。
土屋大洋「米政権交代——情報通信政策の改革」国際大学グローバル・コミュニケーション・センター編『智場』第113号、41〜48ページ。
週末は暖かかった。日曜日は摂氏8度まで上がり、年末から固まっていた雪がだいぶ溶けた。
ずっと行きたくて行けなかったジョン・F・ケネディ・ライブラリーへ。ボストン湾に突き出た州立マサチューセッツ大学のキャンパス内にある。
ケネディ時代の研究はしていないので、アーカイブには行かず、ミュージアムの展示だけを見る(ここのアーカイブはアポが必要な上に、親切ではないと聞いたことがある)。
ケネディはいろいろなエピソードが知られているし、キューバ危機は国際政治を学ぶ者には必知事項なので、あまり新しい収穫はないが、それなりに楽しい。
大統領就任式のビデオを、オバマと比べながら見ると、ケネディは国際的な視点を持っており、世界の人々に語りかけているのが印象的だった。オバマは現下の情勢からアメリカ国内の話にフォーカスせざるを得ない。
有名なテレビ討論会のビデオも流されている。ニクソンの顔色が悪かったという話だが、白黒画像なので、顔色云々はどうかと思う。ニクソンの人相が悪いといわれればそうだが、若さというか、はつらつとしたところが無かったのだろう。
ライブラリーの中にあるカフェから海を挟んで見えるボストンの景色が良い。ヨット好きだったケネディにふさわしいロケーションだ。こんな景色を見ながら読書ができれば幸せだ。
昨晩、ブッシュ大統領がお別れスピーチを行い、テレビで中継された。
昨日の昼間はいろいろな人のお別れスピーチが行われていた。私がテレビで見ただけでも、ジョー・バイデン次期副大統領が上院でお別れスピーチを行い、その後、ヒラリー・クリントン次期国務長官が同じく上院でお別れスピーチを行った。それと同じ時間にブッシュ大統領がフォギーボトムの国務省に出向き、ここでお別れスピーチを行っていた。駐日大使がなぜあんなに早く離日するのかと思っていたが、これに参加するためだったらしい。
この国務省でのスピーチでブッシュ大統領は、日本、韓国、中国の三つの国と同時に良い関係を持った政権はなかったのではないかと言っていて、苦笑してしまった。この辺のロジックの展開がブッシュのおもしろさだ。
お別れスピーチの裏では、初の黒人司法長官承認のための公聴会が行われており、CIAの拷問問題やNSAの通信傍受の問題を抱える重要なポストだけに注目されていた。たぶん、他にも政権移行に伴う一連の出来事が行われたのではないかと思うが、ニューヨークの墜落事故のニュースで、雰囲気が一気に切り替わった。
墜落事故で犠牲者がなかったこともあり、午後8時からのブッシュ大統領のホワイトハウスでのお別れスピーチは予定通り行われた。
最初にブッシュ大統領のスピーチを生中継で見たのは、2001年8月のステム・セルに関するスピーチだったと思う。
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2001/08/20010809-2.html
このページで見られる映像は、テレビで放送されたものと少し角度が違うと思うのだが(テレビではもっとカメラ目線に近かった)、頼りないなあという印象を持った。たぶん自分で理解していない話を一所懸命話しているという感じだった。
しかし、この後で9/11が起きたことで、大統領の雰囲気はずいぶん変わる。
今日のお別れスピーチも自信たっぷりに見えた。大統領は9/11とイラク戦争で腹が据わったのだろう。ブッシュ大統領の支持率はとても下がってしまったが、将来評価は改善するだろう。確かに安全保障・治安関係ではやり過ぎが目立ったが、大規模なテロを防いできたことも確かだ。オバマ政権になって大規模なテロが起きれば、やはりブッシュはちゃんとやっていたと言われるようになるだろう。
ブッシュ大統領も、自分の決断が万人に評価されないとしても、タフな決断をしたのだと主張していた。彼の決断で多くの人が命を落とした。彼はその評価を歴史に委ねるつもりだが、その責任に耐える鈍感さがないとアメリカの大統領は務まらない。決断をするに臆するところがなく、また意外な決断ができるという点では、まれな大統領であり、最初に受けた印象とは異なって凡庸な大統領とは言えないと今は思う。
ブッシュ大統領のスピーチはこれで最後になり、主役は入れ替わる。CNNの記者によれば、ブッシュはオバマの船出を心から祝福しているという。この率直さが、ブッシュの(かつての?)人気の要因だった。テロ、戦争、カトリーナ、経済危機といった出来事が続いた時代は歴史にどう評価されるのか。
MITは年内の授業と試験が終わり、大学は休みモードに入っているが、ワシントンは賑やかだ。情報通信政策でおもしろい動きが出てきている。
まず、12月6日にオバマ次期大統領が、大規模なインフラストラクチャ投資計画をラジオ演説とYouTubeでのビデオで発表した。アイゼンハワーが州際ハイウェーに投資して以来の規模になるという。ブッシュ政権の乱費と昨今の金融救済案もあって今年度の連邦政府の財政赤字は1兆ドルを超えると見られ、これまでの最高額の2倍以上になっている。それでもやるというのだ。
景気刺激策という意味ももちろんあるが、古くなり、世界的に見ても遅れ始めているアメリカのインフラを何とかしなければ、ますます競争力が低下するという危機感もあるようだ。
ブロードバンドへの投資も大きな柱となっている。オバマはインターネットの威力を分かっているだけに、力を入れたいところだろう。
As we renew our schools and highways, we’ll also renew our information superhighway. It is unacceptable that the United States ranks 15th in the world in broadband adoption. Here, in the country that invented the internet, every child should have the chance to get online, and they’ll get that chance when I’m President - because that’s how we’ll strengthen America’s competitiveness in the world. (引用元)
そうなると、連邦通信委員会(FCC)の人事が焦点となるが、おそらくブッシュ政権退場とともに辞任するであろうケビン・マーチンFCC委員長に対する批判が吹き出てきている。下院のエネルギー・商業委員会の多数派スタッフがレポートを出し、そのタイトルは「欺瞞と不信:ケビン・マーチン委員長下の連邦通信委員会(PDF)」である。
タイトルほどには中身はすごくなくて、マーチン委員長が自分でマイクロコントロールしたがるので、他の4人の委員や部下たちがやってられないとこぼし、業者たちがぶつぶつ言っているということだろう。最大の問題とされているのは、視聴覚障害者のための資金を集めすぎていて、一般利用者の料金が(わずかに)上がっているということのようだ。
しかし、以前からマーチン委員長は議会の問いかけに応じないなど、問題が積もり積もった結果としてこうした批判が出ていると見た方がいい。FCCは独立委員会なので、行政府の一部のように見えながら、報告義務があるのは議会である。委員を指名するのは大統領だが、議会に対して説明責任を負っている。議会の問いかけに応じないのはやはり問題だ。
マーチン委員長が就任したとき、確か30代後半で、今の私の年齢とさほど変わらなかったはずだ。そんな大役を任されるとしたらぞっとするが、若さ(そんなに若くはないが、政治的には若い?)ゆえに、マイクロコントロールし、成果を出したかったのだろうか。マーチン委員長下のFCCはソ連のKGBのようだという冗談まで出ている。
そのマーチン委員長、一月さかのぼって11月にはテレビの電波の隙間にあるホワイト・スペースと呼ばれる電波の解禁を認める決定をした。この話もよく調べるとおもしろくて、ブロードウェーのアーチストたちが反対に回り、賛成派のグーグルなどと対決していた。ブロードウェーのミュージカルではマイクを使用しているが、ホワイト・スペースが解禁されると干渉するから嫌だというのだ。電波は見えないだけにいろいろ変な話が出てくる。
オバマ次期政権の技術顧問にはケビン・ワーバックなど技術と政策に明るい人が入っている。FCC委員長が誰になるのか見物だ。
10月に大阪で開かれたシンポジウムの続編が東京で開かれる。
(私も本当に出るのか? 自分で心配だ。)
サントリー文化財団「社会と思想に関する特別研究助成」成果発表
The Symposium "Continuity and Change in America"
シンポジウム「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ―大統領選挙後のアメリカ―」
12月5日(金) 午後1時~5時30分
慶應義塾大学三田キャンパス「北館ホール」
拝 啓
秋冷の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、「文明論としてのアメリカ研究会」では、2006年から2008年にかけて、これまでのアメリカン・スタディーズの枠を超えて、歴史、文化、宗教、憲法、政治、経済、安全保障など各方面から、改めてアメリカという文明について考え、議論し、思索してまいりました。
この度、本研究会の成果発表として、「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ」をテーマに、10月に大阪で、12月には東京でシンポジウムを開催する運びとなりました。日本にとってアメリカとは何か。世界にとってアメリカとは何か。そして、将来100年のスパンで見た場合、我々にとってアメリカはどういう意味を持つのか。本シンポジウムで、今後の日米関係の発展に資する、思想的・学問的・実務的な知的インフラを構築したいと考えております。
つきましては、ご多忙のところ誠に恐縮に存じますが、大統領選挙後のアメリカと日米関係を考える東京でのシンポジウムに、何卒ご出席を賜りますようお願い申し上げます。
敬 具
2008年11月
文明論としてのアメリカ研究会
代表 阿川尚之
財団法人サントリー文化財団
理事長 佐治信忠
主催:文明論としてのアメリカ研究会
共催:慶應義塾大学(慶應義塾創立150年記念)
国立大学法人大阪大学(21世紀懐徳堂)
財団法人サントリー文化財団
後援:読売新聞社、中央公論新社
協賛:サントリー株式会社
*日時:2008年12月5日(金) 午後1時~5時30分
*場所:慶應義塾大学三田キャンパス「北館ホール」
〒108-8345 東京都港区三田2-15-45(TEL:03-3453-4511)
*基調講演:午後1時~
リチャード・アーミテージ氏(アーミテージ・インターナショナル代表、元アメリカ国務副長官)「U.S.'s Role in the World」(世界における米国の役割) -同時通訳付-
北岡伸一氏(東京大学教授、元特命全権大使・日本政府国連代表部次席代表)「アメリカと国連と日本」
*研究会趣旨説明:午後2時45分~
文明論としてのアメリカ研究会代表 阿川尚之氏(慶應義塾大学教授)
*休憩:午後3時~
*パネルディスカッション:午後3時20分
土屋大洋氏(慶應義塾大学准教授)
沼波 正氏(日本銀行国際局長)
待鳥聡史氏(京都大学教授)
簑原俊洋氏(神戸大学教授)
コーディネーター:阿川尚之氏(慶應義塾大学教授、文明論としてのアメリカ研究会代表)
*参加方法
お手数ですが、申し込み用紙にご記入のうえ、11月末日までに、FAXにてご返送ください。参加費は無料です。
*ご同伴者の参加について
ご同伴者の参加も歓迎いたします。特に、アメリカ及び日米関係をご研究の方、あるいはこれらにご関心をお持ちの方に多数ご参加いただきたく、お知り合いの皆様に広くご紹介いただければ幸いです。
*お問合せ
〒530-8204 大阪市北区堂島2-1-5 財団法人サントリー文化財団 / 担当:小島
TEL :06-6342-6221 / FAX:06-6342-6220 / E-MAIL:sfnd at suntory-foundation.or.jp(atを@に変えて送信してください。)
プロフィール
リーチャード・リー・アーミテージ氏(アーミテージ・インターナショナル代表、元国務副長官)
Richard Lee Armitage
1945年生まれ。アナポリス海軍兵学校卒業後、ベトナム戦争に従軍。その後、国防総省情報局員、レーガン政権の国防次官補代理、ジョージ・ブッシュ政権下の2001年~2005年、国務副長官を務める。国防戦略の専門家、共和党穏健派の重鎮、知日派・アジア通として知られる。
北岡 伸一氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授、元日本政府国連代表部次席代表)
Kitaoka Shinichi
1948年生まれ。立教大学法学部教授を経て現職。専門は日本政治外交史。2004年~2006年、特命全権大使としてニューヨークに赴任、日本政府国連代表部次席代表を務める。『清沢洌』(サントリー学芸賞)、『日米関係のリアリズム』(読売論壇賞)、『自民党』(吉野作造賞)など、著書多数。
土屋 大洋氏(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授兼総合政策学部准教授)
Tsuchiya Motohiro
1970年生まれ。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター助教授を経て現職。現在、在外研究のため、マサチューセッツ工科大学客員研究員。専門は、国際政治学、情報社会論。著書に、『ネット・ポリティックス』(テレコム社会科学賞)、『情報による安全保障』など。
沼波 正氏(日本銀行国際局長)
Nunami Tadashi
1953年生まれ。日本銀行入行後、ブルッキングス研究所客員研究員、日本銀行ワシントン事務所長、那覇支店長、金融市場局審議役(決済・市場整備担当)、米州統括役ニューヨーク事務所長などを歴任し、2008年6月に国際局長に就任。著書に『私が見た沖縄経済』がある。
待鳥 聡史氏(京都大学大学院法学研究科教授)
Machidori Satoshi
1971年生まれ。大阪大学大学院法学研究科助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て現職。専門は、比較政治・アメリカ政治。著書に『財政再建と民主主義』(アメリカ学会清水博賞)、『日本の地方政治』(共著)、『比較政治制度論』(共著)がある。
簑原 俊洋氏(神戸大学大学院法学研究科教授)
Minohara Toshihiro
1971年アメリカ生まれ。ユニオン・バンク勤務後、神戸大学大学院法学研究科に入学。神戸大学法学部助教授を経て現職。専門は日米関係史。著書に、『排日移民法と日米関係』(アメリカ学会清水博賞)、『カリフォルニア州の排日運動と日米関係』がある。
阿川 尚之氏(慶應義塾大学総合政策学部教授、文明論としてのアメリカ研究会代表)
Agawa Naoyuki
1951年生まれ。ソニー株式会社、米国及び日本での弁護士事務所勤務などを経て現職。専門は米国憲法史、日米関係史。2002年~2005年、在アメリカ日本大使館の広報文化担当公使を務めた。『海の友情』、『憲法で読むアメリカ史』(吉野作造賞受賞)など著書多数。
土屋大洋「帝国の磁力」『アステイオン』第69号、2008年11月、40〜58頁。
久しぶりに原稿を書いた。50音順で名前が並んで私が2番目に来るなんてめったにない。
ちなみに同じタイトルはこちらでも使用。
大統領選挙の翌日、朝寝坊して昼過ぎに地下鉄に乗り込んだ。いつもより車内がきれいだ。何が違うのかと考えると、いつもは散乱しているフリーペーパーが見あたらない。ボストンにはmetroというフリーペーパーがあり、電車の中ではみんなそれを読んでいる。今日は大統領選挙の記念にみんな持ち帰っているらしい。
駅の売店の新聞もすっからかんになっている。セブンイレブンやCVS(ファーマシー)の新聞売り場は一部も残っていない。通りに置いてあるコイン販売機の新聞も空っぽだ。NYタイムズもボストン・グローブもUSAトゥデイもない。ハーバード・スクエアの大きな新聞販売店ならあるかと思ったが、ここも選挙結果について報じた新聞はすべてない。完全に出遅れてしまった。
おまけに駅に置いてある新聞紙リサイクル用のゴミ袋までからっぽだ。半透明の袋なので、外から中身がうかがえるのだが、何も入っていないものが多い。
これだけデジタルが発達しているといっても、記念に残る紙の新聞の需要は意外に大きかった。こんなことは滅多にないだろうが、オバマ当選のインパクトは、ケンブリッジでは甚大だったのだ。昨日のテレビによるとNYのタイムズ・スクエアやカリフォルニアのバークレーでは夜中まで若い人たちが騒いでいたそうだ。きっとハーバード・スクエアでも同じだっただろう。
大統領選挙が終わった。ボストン在住の方々のブログでも一斉にコメントが出ている。今回の大統領選挙が印象的だったことがうかがえる。実際、これほどおもしろいエンターテイメントはなかった。下手なリアリティ・ショーよりもずっとおもしろい。無論、さまざまな点でショーアップされているのだけど、エンターテイメントでショーアップは不可欠だ。それも含めて楽しむのが良かったのだと思う。
オバマのネット戦略は実にうまかった。当初、不明にも私は彼のネット戦略をあまり評価していなかった。というのも、今さらSNSはないだろうと思っていたからだ。しかし、実名で行われているSNSは、選挙戦略と実にディープに絡まっていて、高い効果を発揮したようだ。日本のSNSでは実現できないような深いコミットメントが可能になっていた。
ネットと政治ということでは、2004年の民主党予備選で一世を風靡したハワード・ディーンが思い起こされる。11月4日付のNYタイムズの記事では、当時のディーンの担当者が、自分たち[ディーン陣営]がライト兄弟だったとしたら、彼ら[オバマ陣営]はアポロ11号だ、とコメントしているのが印象深い。それだけ一気にネットの政治利用が進んだのだ。それに乗り遅れたマケインに勝機は無かったと、後知恵では思える。
私は選挙当日何をしていたか。もちろん投票はできない。せっかくこの時期にアメリカにいるのに、忙しくてあまり大統領選挙はウォッチすることができていなかった。選挙当日ぐらいはちゃんと観察しようと思い、自宅から一番近い投票所を見物に行くことにした。
この投票所、近所の中ではちょっと危ない通りとして知られているところにある。妻の友人が夜間に強盗に遭ったことがあるらしい。しかし、昼間だし、投票所には人もたくさんいるだろうと思って、歩いていく。
投票所は通りから少し奥まったところにあるが、目立つところにオバマ陣営のプラカードを抱えた二人が立っている。私がきょろきょろしていると、「投票に来たのか!」と声をかけられた。「外国人だから投票できないんだけど、興味があるから見に来たんだ」というと、「投票所はあっちだ。じっくり見ていきなよ」と言ってくれる。
はたして投票所は、地域のコミュニティ・センターみたいなところで、さして大きくない。入口に案内の看板があるだけだ。警官がうろうろしているので、中に入って良いものか思案したが、ここで引き返してはつまらないと思い、追い返されるまで行ってみようとドアを開ける。
小さなロビーになっていて、投票を終えた人たちが数人たむろしている。投票のための行列はできていないが、次々と人がやってくる。さすがに投票する部屋までは踏み込めなかったが、外から中の様子を撮影できた。誰にもとがめられることもなく、日本の投票所のような緊張感も漂っていない。ずいぶんのんびりした雰囲気である。
入口の脇に投票用紙の見本がかざってあった。現物は両面印刷になっており、大統領選挙、上院議員選挙、下院議員選挙の投票欄の他、Councillor(ローカル政府の役職?)、Senator in General Court(州議会の上院議員?)、Representative in General Court(州議会の下院議員?)、Register of Probate(遺言検認裁判官の登録?)といった役職の投票欄があり、さらに三つの法律に関する賛否を問う質問が印刷されている。
驚いたことに、大統領候補欄には6組が印刷されている。オバマ=バイデン、マケイン=ペイリンの他、消費者運動で名をはせたラルフ・ネーダーなどが立候補していた。マスメディアではほぼ全く無視されていたといってよい(ネーダーが立候補したニュースは確かに見た)。
電子投票(機械による電子的な投票:ネット投票ではない)が取り入れられるという話だったが、この投票所には入っていなかった。
外に出ると、ちょうど同じアパートに住むおばちゃんと出くわした。同じく見物に来ているフランス人親子と一緒に投票に来たそうだ。話をしていると、オバマ陣営のボランティアの横に小学校のスクールバスが止まった。ここが停留所の一つらしい。ドアが開くと子供たちがわっと出てきて、「オ、バ、マ!!! オ、バ、マ!!!」と大合唱が始まり、オバマのボランティアも看板を振りながら踊り出す。ちょうどこのストリート近辺は黒人の子供たちが多いので、彼らにとってオバマは希望の星なのだろう。
自宅に戻り、テレビで速報を見る。夕方になって開票が始まると、最初だけマケインがリードしたが、次の開票で一気にオバマが逆転し、どんどん差が付いていく。事前予想通り、大差の勝利だ。ただし、得票率と得票数ではそれほど差がない。勝者総取りが結果を大きく左右する。
マケインの地元のアリゾナまでオバマがとるのではという話もあったが、さすがにそれはなかった。しかし、2004年と比べて、民主党支持に変わった州が確かに増えている。ヒラリーとの予備選で大票田に弱かったオバマだが、民主党の地盤はもれなく取っている。
夜11時半頃にマケインの敗北宣言が行われた。マケインはさばさばと国民の団結を訴えたが、支持者たちはオバマ政権に不満のようでブーイングしている。オバマに対する根強い反発はなかなか消えないだろう。
しかし、上下両院の選挙で圧倒的な勝利を収めたことがオバマにとっては最高の贈り物だ。下院は民主党優勢が伝えられていたが、上院は拮抗すると見られていた。ところが上院も民主党が完全な優位に立った。オバマが変革を進めていくための法案審議には優位に働くだろう。
注意すべきは、議会を制する民主党議員たちとどうやって渡りを付けるかという点だ。彼らはオバマの人気に便乗しながらも、オバマをコントロールしようとするだろう。オバマは2004年に連邦上院議員になったばかりで、その前は州議会の上院議員だ。逆に議会をどれだけコントロールできるか、そして中間選挙までの最初の2年間でいかに成果を挙げるかがカギだ。それができなければ、ネットで集まった支持者たちはあっという間に批判者に転じるだろう。
先週の後半、テキサス州ヒューストンに行ってきた。正確にはそこから車で1時間半ぐらいのカレッジ・ステーションという町である。レンタカーを借りて片道4車線ほどあるフリーウェイを走り続ける。テキサスはまだまだ暖かくて気持ちがよい。気温は27度くらいあるらしいが、乾燥しているせいか、不快感はない。
途中、牧場が続く田舎道を通るのだが、道はナビに任せて(ようやくアメリカでもナビが普及してきた!)、ちらちらと横を見ていると、マケインとペイリンの名前が入った看板が目立つ。オバマ陣営の看板を出しているところは無かった。やはりブッシュ家の牙城なのだろう。
カレッジ・ステーションには、その名の通り、テキサスA&G大学という大学がある。巨大な大学で、スポーツが盛んらしい。スタジアムやフィールドや体育館がずらっと並んでいて、車がないとキャンパス内も移動できないのではないかという感じだ。
このテキサスA&G大学のキャンパス内にパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)のライブラリーがある。すっかり私は大統領図書館のファンになっており、レーガン、クリントンに続いて三つ目である(もっと行きたいが、たぶんこれで打ち止め)。なぜこんなところに作ったのかと元大統領はよく聞かれるらしいが、展示の最初に見せられるビデオでは、「分からないと思うけど、この雰囲気が好きなんだ」と言っていた。
アーカンソーのクリントン・ライブラリーでは、そこそこの資料は見つかったものの、大ヒットはついに出てこなかった。FOIA(情報自由法)請求はしてみたものの、まだ結果は来ない。私が調べているテーマは国家安全保障にも絡むので、ほとんどの文書が非公開になっている。
ブッシュ・ライブラリーにも事前にメールを送って問い合わせてあったが、「あまりないよ」というつれない返事だった。だから、それほど時間は必要ないだろうと短めの日程を組んでいた。
ヒューストンのホテルで朝寝坊したせいで、レンタカーを借りてカレッジ・ステーションに着いたのは昼過ぎだった。アーキビストも私のテーマを聞いて、気乗りしていないのがありありと分かる。失敗だったかなあという思いがよぎる。
結局、欲しいと思っていた大統領時代の文書はほとんど何も出てこなかった。しかし、「ブッシュ大統領は、CIA長官だったこともあるよね」とふと言ってみると、「その時代の資料なら少し公開されているわよ。見てみる?」というので、是非見たいと頼んだ。これが、私にとっては宝の山だった! その重要性に気づいたとき、手に汗がにじんでくるのが分かった。来た甲斐があった。
一日目の夜、テキサス・ビーフを食べようと、安っぽいステーキハウスに入った。大繁盛していて少し待たされたので観察してみると、店員がパリス・ヒルトンみたいな雰囲気の若い女性しかいないのが異常だった。ボストンなら体格の良い中年女性や男性もたくさん働いている。食事に来ている客を見ると白人ばかりだ。バーに座っていた黒人男性一人と私だけが、見える範囲で白人ではなかった。テキサスってこわいなあ。多様性を重んじるアメリカには思えない(ヒューストンのような大都市ではもちろん違うだろうけど)。こういう州が共和党政権を支えているのだろう。
二日目、閉館間際に展示も駆け足で見る。ブッシュ家はテキサスというイメージが強いけれども、パパ・ブッシュの父親(現大統領の祖父)はオハイオ州出身、母親はメイン州出身、自身はマサチューセッツ州で生まれている。テキサスとのつながりは、大学卒業後に石油ビジネスに身を投じてからだ。ブッシュがテキサスで政治の世界に進んだとき、今では想像も付かないが、テキサスは民主党が圧倒的に強かったらしい(共和党員は飲んだくれて選挙に行かなかったのだとブッシュは言っている)。息子のジョージ・W(現在の大統領)は父親がイェール在学中にコネチカット州で生まれているから、テキサスとブッシュ家のつながりは、新しいものだと分かる(息子も後にイェールに進学)。息子のブッシュ大統領が休暇を過ごしにテキサスの牧場に行くのも、州知事だったとはいえ、政治的なポーズなのかもしれない。
ライブラリーからヒューストンへ戻る際、金曜日の夕方の渋滞にはまってしまう。フリーウェイで車が動かなくなってしまった。ふと前の車の窓を見ると、オバマのステッカーが貼ってある。おおっと思ってよく見ると、「STOP OBAMA EXPRESS」と書いてあった。やっぱりアンチ・オバマらしい。ボストンではマケインのステッカーを貼っている人は見たことがない。やはり土地によってはっきりしているようだ。
まだ暑かったアーカンソーから戻ると、ケンブリッジは秋になっていて、紅葉が始まっていた。近所のスーパーはハロウィーンに向けてどこもカボチャがいっぱいになっている。
慌ててまだ見に行ってなかったレキシントンの古戦場跡へ紅葉狩りを兼ねて出かける。コンコードと並んでアメリカ独立戦争が始まったところとして知られているが、今はただの原っぱだ。一番興味深かったのは近くに立っているフリー・メイソンの建物。中には入れないようだったが、秘密結社というイメージとは少し遠い。
近くのNational Heritage Museumをのぞくと、やはりフリー・メイソン関連の展示が充実している。ジョージ・ワシントン初代大統領はじめ革命の志士たちはこの結社に参加していたが、よく分からない組織だ。そして、ボストンの中華街に行くときにいつも前を通るビルが、実はフリー・メイソンのマサチューセッツ本部(グランド・ロッジ)だと知ってもう一度驚いた。エマーソン・カレッジの横に普通に立っていて、確かに変な装飾がされているのだが、風景にとけ込んでしまっている。後日、その前を通ると確かにそこに立っていた。
10月7日、3回目の大統領候補討論会が開かれた。前回よりも静かな戦いだったという印象。タウンホールミーティング形式だが、反応してはいけない聴衆を相手にしてやりにくそうだ。どちらも、過去の記録を見ろという。あいつはこうした、こう言った、過去を見ろという。聞いている方もあまりおもしろくない。この二人は現在のアメリカが有する本当にベストな二人なんだろうか。最高峰のリーダー二人なんだろうか。マケインはやはり年齢を感じさせ。彼が倒れたらペイリンか、という思いは誰にもあるだろう。
数日して旧友がサンフランシスコから来たので、一緒にボストンのダックツアーに乗る。第二次世界大戦時の水陸両用車を使った観光ツアーで、世界中の都市で見られるようになっている。ボストンの場合は当然ながらチャールズ川へどぶんと入る。川の中からMITが見られると期待していたが、そこまでは行ってくれずに引き返してしまったので残念。
その後、急遽、またもやワシントンDCへ。今回一番おもしろかったのはアメリカ科学者同盟(FAS)というところ。もともとは核兵器が開発されたときに科学者たちがその軍事利用に反対するために組織したようだ(オッペンハイマーの伝記を読むとその辺の事情が分かる)。ここでSteven Aftergood氏が政府の秘密に関するプロジェクトを行っていて、Secrecy Newsというニュース配信を行っている。インテリジェンス・コミュニティの研究をする人には必読だ。
10月15日、3回目の大統領候補討論会はワシントンのホテルで見る。追い込まれたマケインの笑顔がぎこちない。どうも未来を語れないマケインは相手の批判ばかり。目がパチパチしているのが動揺に見えてしまう。しかし、二人ともユーモアがなく、おもしろくない。レーガンは確かに歳をとっていたけど見栄えがするしユーモアのセンスがあった。マケインが議論に口を挟みすぎで、感情を抑えきれなくなっているように見える一方で、オバマはわざと抑制的に話している。オバマは、ヘルスケアの話で、ここぞというときにカメラ目線を使う。毎回作戦を少しずつ変えながら調整しているのがうかがえる。それにしても、マケインは「ジョー」の話にこだわりすぎで説得力を欠いた。CNNで画面の下に出していたグラフでは、見ている人は全く反応していない。いよいよ決まった感がある。副大統領候補討論会を含めて4連勝のオバマが当選しなかったら、アメリカのデモクラシーはうまく機能してないということになるだろう。
ワシントンでは合間に知り合いと食事をしたのが楽しかった。KストリートのSichuan PavilionでYさんとIさんと麻婆豆腐をつつき、OさんとThai Kingdomでグリーン・カレーを楽しむ。もうしばらくワシントンには来られない。
ボストンに戻ってきて空港に降り立つとかなり寒い。すでに最高気温が摂氏8度、最低気温が摂氏2度という日もある。日本の感覚ではすっかり冬だ。先週末はチャールズ川でレガッタをやっていた。きれいに晴れた日で、競争するボートを眺めているのは楽しかった。ボストンの冬空は意外にも見事な快晴続きで、本家のイングランドとは異なるらしい。
MITのキャンパスを歩きながら、ふと、そうか、オバマは無限の帯域を活用したのかと気づいた。かつての大統領選挙といえばテレビが勝敗を決めた。両陣営ともいまだにネガティブなコマーシャルを流しまくっている。しかしテレビ電波の帯域はものすごく高い。資金力が重要だった。ブロードバンドではオバマ陣営が払うお金は接続料だけだ。あれだけのブログのエントリーを垂れ流しているのだからけっこうな回線接続料だと思うが、テレビよりは安い。前回までの選挙では十分なネット利用者がいなかったが、今回はアメリカでもブロードバンドが普及している(日本から見れば数メガはミドルバンドぐらいだけど)。マケインはそれに全然乗りきれなかった。今回の選挙でテレビが死んだんだ。
しかし、こうやって書いてみると実に当たり前の話だ。それに今頃納得しているなんて疲れている証拠だ。とにかく眠い。