Condillac, Etienne Bonnot de

Apr
06
2009

イェルペルセンは、その著書『言語』の冒頭で、「言語の科学」の始まりは、言語が複数存在していること、言語の起源、言葉と物の関係などの問いが生まれたときであると述べている。この部分が、古代の、科学未満にとどまる言語考察の書き出しであるとはいえ、言語について考えを押し進めてゆくと、この始まりと有契(縁)性(motivation)をどうしても考えざるをえないのではないか。『言語』の第二部が子ども、第三部の第一章が外国人であるのは、最初は驚くが、子どもは言語を話し始めてゆく起源の問題、外国人は言葉と言葉が接触によって生まれる「誕生」と「歴史的変化」についての考えの反映なのではないだろうか。
 西洋の18世紀は、まさに「言語の起源についての試論の時代」である(Droixhe, linguistique..., cité par Berbounioux, «L'origine du langage : mythe et thérie», p.20)。そして言語の起源をintrospection(感覚表現による言語の形成)と、interation(人間同士の伝達の必要性からの言語の誕生)の大きく二つに分類すれば(Cf.Bergounioux)、コンディヤックの言語起源論は前者の代表的著作と言えるだろう。1746年に刊行された『人間認識起源論』である。第二部第一章「言語の起源と進歩について」は、表題通り、言語の起源とその言語の変化を追っている。この言語の考察における感覚論をもっともよく表しているのは、コンディヤックが引用するロックの『人間知性論』の次の一節だろう。
 「もし全ての単語をその源まで遡ることができるとすれば、どの言語の場合でも、感官にとらえられないような事物を表すために使われる単語が、その起源においては感覚的な観念から引き出されてきたということが、疑いもなく分かるであろう。そしてそれが分かれば、初めてこういう言語を話した人々がどのような類いの概念をもっていたのか、それらの概念はどこから彼らの精神にやってきたのか、そして彼らがそれらの事物に付けた名前そのものが、いかに雄弁に人間のあらゆる知識の起源や原理を問わず語りに示唆しているか、といったことがらについて、我々は推測を巡らせることができるのである」(p.133)。
 これはコンディヤックが魂の運動を物体の運動の間に、人間が連関を見出していった過程について述べた箇所につけた注に載せられたテキストである。
 

まず物体の運動を受容し、認識する人間の感覚の働きがある。しかし人間の感覚の対象となるものは、外界の具体物だけではない。人間は、その外界の物体の運動と魂の運動とのアナロジーによって、分節音からなる抽象的な言葉を生み出していった。したがって、「もっとも抽象的な言葉といえども、それは感覚的な対象につけられた最初の名前に由来する」(p.132.)のだ。

 このようにあらゆる名前が、起源においては具体的な形象をもっていたとするのが、コンディヤックの感覚論における言語発生論の基盤となる考えである。そして自己の魂の中でうまれているものにたいし、人間が名前をつけるのは、身体と深く結びついた「欲求」(besoin)による。
 「感覚論」に根幹を置くコンディヤックの言語起源論であるが、しかし、よく読んでみると、そうとも言い切れない、様々なニュアンスを含んだ言語論であることがわかる。たとえば、冒頭第一章の言語の起源では、「情念の叫び声といくつかの知覚とが結びつく」ようになり、叫び声が、知覚の自然な記号となったと言うが、そのように魂が働くためには、二人の子どもが「相互に交渉しあう」(p.17.)ことが前提となっている。確かに、他者の苦しみを見るという知覚の働きから苦しみを感じ、その欲求から叫び声や身振りの言語が生まれてくるというとき、そこには感覚の受容があることは間違いがない。また、何かを伝えるという主体の意志がその動因となっているわけではない。しかし言葉の生まれる現場に他者が介在しているということは、言葉を生む人間は孤独な詩人のように単に外界のオブジェを、それへの反応としてのことばと結びつけるだけではないだろう。
 進歩とは、叫びと身振りという、状況や対象と密接に結びついた言語から、恣意的な言語の発生への変化である(p.20.)。そして最初は叫びであった音は、抑揚をもった声へと進歩し、それが感情を素朴ではありながら表現することになる。そしてこの素朴な段階とは、模倣の段階である。
「様々な動物に付けられた最初の名前はおそらくその鳴き声を模倣したものであっただろうと付け加えることができよう。そしてこのことは、風や川、そして物音を立てる全てのものに付けられた名前についても等しく言えるであろう。こういう[物音の]模倣をするためには、非情にはっきりした音程差でもって音声が語られたであろうということは明らかである」
 つまりここには自然を模倣し、その音そのものが言語となるというオノマトペとの親縁性を認めることができるのだ。
 コンディヤックの言語論は言語一般についての考察だけではない。「風土」や「国民性」の問題も扱われている。たとえば、「北方に住む冷淡で粘液質の人々がこのようなアクセントや音節の長短を保持し続けることは、その気候[風土]が許さなかった」(p.83.)は、風土の違いによる言語の特質の違いという関係を前提としているし、第十五節は「諸言語のそれぞれの特質について」と題され、風土と政体による気質の決定について、モンテスキューの『法の精神』よりも2年前に説いていることは特筆に値する。またこの節では、その国民の国語の特質が、偉大な作家の助けを借りることなくしては、開花するに至らないとして文学言語の言語一般への影響を問うていることにも注目しなくてはならないだろう。メショニックが指摘するように、ここには典型的な「言語を問うことは文学言語を問うことと等しい」という命題の具体例を認めることができる。
 最後に指摘しておきたいのが、言語と物の関係の進展である。まず身振りの言語の段階では、表現とは模倣でしかなく、細かい部分にわたって表現することは無理であった。したがって、人々は「貧しい言語」を使って、比喩にたよるしかなかった。冗語法は、適切な言語がないことから人々がたよった欠陥であったが、それは「粗雑の精神」には他に頼るものがなかったのである。つまりコンディヤックの描く言語の進歩とは音節言語の進展にともない言葉が豊となり、語彙が増え、観念と言語の一致が果たされることを意味するのだ。「必要な観念にそれぞれぴったりと合う単語が十分に整い」(p.96.)は、そうしたコンディヤックの言語観を集約した表現であると言える。そしてその意味でも言語の起源には詩と音楽が、社会的伝達の手段として人々の間に存在していたということが言える。文字の誕生は、そうした音楽や詩の機能を実用から喜びへと変化させる役割を担ったのである。

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