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Februar 29, 2004

ファミレス毒物殺人事件

サイゼリアなどで出されるフォークやスプーンなど一式が納められたカゴ。

あれは客が(おそらく)使わずに、かごの中に残したままのものは洗わずにまた別の客に出されるらしい。

ということは、かごの中の綺麗そうなスプーンに毒物などを塗っておけば、無差別殺人などが起こるのでしょうか。

でも実際起きてないところを見ると、何か落とし穴があるんでしょうか。

ただ、毒物じゃなくてもひと舐めしたくらいのスプーンを何気なくかごに戻すことは、以外にありそうなので、知らずに見ず知らずの他者と唇を間接的に触れ合わせていたことくらいはあったのでしょう。

そう思うと、少しわくわくしませんか。

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Februar 28, 2004

誰が行くんだろう。

誰が行くんだろう。
どんな客層が来るんだろう。

入学が決まった新一年生?
自分は参加せずとも覗いてみたい四年生?
在校生?
それともひそかに興味を持つ外部の人?

とてつもない混雑だったらどうしよう。
人がほとんどいなかったらどうしよう。

ああ、気になる。
このときめきは、東大の食堂や正月の一般参賀を野次馬してみたい気持ちと同じなのかも知れない。

SFC卒業制作展覧会
http://exhibition2004.sfc.keio.ac.jp/

SFCの四年間は全てこの最終プロジェクトのためにある、って学部長がそういえば言っていたな。

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Februar 27, 2004

リアルワールド

哀(かな)しいほどに時間は巡り
愛(かな)しいほどに君は笑っていた

零れ落ちる世界の淵で
今まさに忘れられる世界が一つ


歪められた終末の話
それはいつも君の隣

救いの手は空回り
どこにもない道の果てを

奪い合った浅ましさの中で
涙だけは枯れていない

微笑みを映す街頭インタビュー
絶叫するアナウンサー
終わりを告げる弁護団の笑顔

画面を変えていつものドラマ
だからまた本当の微笑みがここに

沈黙の向こう側に
残された闇を実しやかに語る再生紙

たった少し離れただけの
糸は絡めたままで 鎖になった

どんな場所で残された世界
企ての終わりにはささくればかり

哀しいほどに時間は巡り
愛しいほどに君は笑っていた

だけど
きっと明日も明ける

きっとそして僕は笑う

何もなかったように
きっとそして人は笑う

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Februar 25, 2004

同じくらいの目線の人

同じくらいの目線の人か少し下の立場の人に使う二人称「キミ」。

かわいらしい敬称の「ちゃん」。


でも昔、「君」は天皇だったり貴族に対して使った言葉。
「ちゃん」も明治期には父親だったり目上の人に使った言葉。

なんで、変わったんだろう。

知らない。

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Februar 24, 2004

kiss old memories good bye

The Huge world where I am
The endless cerulean sky

The innumerable figures
The old wind blows slowly

The more people there are, the less human they seem
I slip through the lonely crowd

There are so many people out here
But you aren’t here, anywhere

Today is not the same after yesterday


The Huge world where you were
The endless cerulean sky

The wind isn’t back
Everything was passing sight on my journey

I slip through the lonely crowd the same old motions

I passed by the door you had opened
Forgetting something about you

Today is the same after yesterday

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久しぶりに大量にCD

久しぶりに大量にCDをレンタル。
薄っぺらいJ-POPはやっぱり落ち着く。
あきらかに90年代の影響を引きずる歌詞や曲調が心地いい。

きっといつまでも90年代を抱えて、それを好きなまま生きていくんだろうな。

。。。ところで、このレンタルしたCDが、盗難防止用に店先に設置してあるあのゲートに引っかかる。

だから、そのゲートがあるお店にはいちいち説明するのが面倒で入れない。
ゲートがないと油断させておいてこじんまりと背の低いそれが置いてあるCD店など、いつもの地味な駅前も、少し居心地が悪くて、少し楽しかった。

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the huge winter

the endless gloomy sky i see now
the wind made the cloud rapid to the east

i believed 切れそうな指先は
君と繋がっていたんだって
Yet i don't have 横を向く勇気すら

それでも
一緒にいたい
風がどこを目指す日も
たとえば
君がもうそこに
いないとわかってしまっても


the huge winter days when we shaked with
君は確かに隣にいたのに

you seemed もの悲しい顔をしてた
そして何かを呟いていたよね
Yet i don't wanna remember what you menat

なぜかな
見たことがない
色の空が迫ってくる
そのまま
飲まれてしまえば
僕らはどこへ行けるのだろう


the lonely night means the old love songs you liked
the lylic 何度も聞ききすぎたかな

i'm sure 青空はいつだって
雲の向こうに転がっている
Yet i can't find the way うまく辿り着けるような

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わけのわかんない意味

わけのわかんない意味のない言葉が頭の中を去来していく。

うまく喋れないでまた少し気分を遠ざけたフリして、世界をやり過ごしていく。

何をいいたいか見つからないで、何をしたいか見つからないで、ただ目の前に並べられたスタッフをこなしてみるけれど、そこはかとない浮き足立つ絶望感。

今日、meansという言葉を50回くらい使ったから、すべてのものに新しい世界がある気がして、
どうしようもない。

流れる音楽。今日、何度も聞いた言葉たち。音の質感。足元の空気。拭えない。足りない筆力。記述さえ覚束ないで、少しゆれる画面。

ああ、修理に出さなきゃ。接触が悪いみたいだ。

ああ、修理に出せない。まだやるべきことが残っていた。

ああ、修理に出すのが面倒くさいmenas bother or complicate,right?

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Februar 21, 2004

歩く。

浅草から上野まで歩いた。

どれくらいの距離かというと地下鉄で3駅。
バス停でいうと8つ。
徒歩でいうと20分。

あれ、短いじゃん。

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Februar 19, 2004

知らなかった

今日知った新しいこと


■1 戸籍謄本は本籍地でしか取れない■

本籍地は沖縄に住む人がギャグで北海道に出来たり、日本中どこに設定してもいいんだけど、本籍地じゃないと戸籍謄本はもらえないらしい。

うちの本籍地はギャグで(というかお洒落に)東京都墨田区区役所と同じ住所にしてあるので、墨田区役所まで行かないといけない。

でも鹿児島や三宅島にしておかなくて良かった。

■2 人肉描写・死刑反対を否定する漫画は発禁処分になる■

正しくは発禁処分ではなくて、関連団体からの抗議による出版社の自粛や回収なんだけど。

それを後悔しているサイト
http://www.karin.sakura.ne.jp/~ober/ketsuban/index.html

いけなかったんだ、人肉。しかもギャグ漫画なのに。。(ギャグだからいけない、って話もあるけど)。まあ、人肉まで使った割には別に面白くはないのだけれど。

小説ならいいのにね。ここのところ本屋の角川文庫のコーナーでかなりの確率で平積みされている湘南人肉医とか。あえて「人肉」という名前をタイトルに使い、能動的に手に取らなければ目にしない後者と、漫画雑誌の一連載として受動的に目にしうる前者の違いでしょうか。

それとも時代の違いかなあ。って10年そこらの前だけど、あのころって人道論が盛り上がっていたような、いないような。死刑も一時期行われなかったしね。って、当時の小学生にそんなことわかんない。

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Februar 17, 2004

永遠1

幽玄とはモノが出来上がる前の状態の美しさ。
侘びはモノの生成過程の美しさ。
寂びはモノが終わっていく美しさ。


簡単に言いすぎだけど、この3つは変化を前提としている点で同じだと思う。物事は移ろい行く。で、どれもそのプロセスをとどめておく為の芸術。

永遠ってのはこの前までは嘘だと思っていた。何一つとして終わらないものなんてない。永遠の定義がはじまりも終わりもないことなのだとしたら、時間さえもはじまりが理論的に証明されている世界で永遠なんて簡単に信じられるわけない。

でも、永遠ってのは普通僕たちが考える過去、現在、未来っていう時間軸の垂直線としてなら存在できるんじゃないかなって思った。
それがまさに幽玄の発想だったりするんじゃないかな。物事は時間とともに逆らえない流れにいる。でもその要素のひとつを取り出して、要素として存在させることで、時間とは別の軸に存在させることで、永遠と呼んでもいいような新しい軸を獲得する。

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よく間違えそうになる漢字の読み方

一度覚えてしまったものの訂正はあんまり容易じゃないかも知れない。

赤裸々  あからら   
琴線    ことせん


でもいいか。
間違い続けていればいつか正しくなるかな?

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Februar 16, 2004

むかし

4年前に書いた文章を見る。

今と何一つ変わってなかった。

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Februar 15, 2004

最近やけに目についてしまい、そこにしか目が向かなくなってしまうもの。

松浦亜矢のシワ

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Februar 13, 2004

Lalala

ゲルマン神話を読み始める。
意味がわからなくなる。
ネタになりそうな気はする。
何のネタにしたらいいか。
ああ、
つまらない一日が今日も
当たり前に沈んでく。

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Februar 12, 2004

Relative sorrow

あの日 キミと泣いたまま
明けた 街は眩しくて

今は 足を踏み出すと
ボクは 言いかけたけれど

きっと今日も
悲しみばかり溢れるだろう世界に
キミまで連れてゆく勇気は持てなくて

はやく一日が
悲劇のまま終わってしまえばいいのに
有り得ない悲しみが
目の前を通り過ぎればいいのに

明日は少しうまく歩けるように

悲しみは喜びの中でしか存在し得ない。
喜びだけの世界じゃ、そこには喜びなんて言葉はない。
悲しみも喜びも、感情のふり幅から見出されるもの。

今日、世界が殲滅してしまえば
明日、足元に花が残っていただけで笑えるかな。

でも、足元にゆれる花に、
大切な多くの喪失ほどの価値はあるかな。

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無音、100円

無音の曲を買おう。

http://news.com.com/2100-1041-5154202.html


MP3サイトで無音の曲を売っているらしい。
完全な無音。

誰が買うんだ。

もともとはアルバムの中の一曲だったり、曲の流れの中で意味を持っていたであろう曲。無音の意味っていうのは、無音じゃない曲があるから。

絶え間ない音楽。その中に訪れるふいの静寂。

なら、パソコンの膨大なジュークボックスの中に一曲くらいいれておいてもいいかな。

テレビも今、何百チャンネルもあるけれど、一つくらい、真っ暗な画面だけを映すチャンネルがあってもいいんじゃないだろうか。こんなにも音や映像が垂れ流されている世界で、何もないことの価値を見直す機会を、与えてもいいんじゃないか。

いや、いらない。電源を落とせばいい話だから。

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Februar 09, 2004

マジョリティー

好きな言葉がある。でもよく考えたら嫌いかも知れない言葉。

「赤信号、みんなでわたれば怖くない」


かしこまった場所で自分の身内を会話に出すとき、「お母さん」でも正しいと答えた人は80パーセント。心臓ペースメーカーを装着したお客様のために携帯電話は電源をお切りくださいというバスで、それに従う人は10パーセント。電源を左側通行と書かれているけれど、誰もが右を道。

じゃあ、もうそれを間違いって規定する意味はなくなってしまう。
別に会議中にお母さんって言ってもいいじゃないか。


でも交通ルールを守っていた運転手が、誰もが渡っている赤信号に突っ込んできたら、どちらが悪いことになってしまうのだろう。

かなり盛り上がっていた日露戦争。日本での反対派は一部の知識人など、とても少数派。

あー、もうわかんない。
赤信号も青信号も、もうどっちでもいいや。
死亡事故がおきないなら、それでいい。

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Februar 08, 2004

I WANT SNOW

自転車の右折が満足に出来ない人がスキーをするとどうなるでしょう。

25回は転びました。曲がることと、とまることが出来ないため、止まりたい時はとりあえず転ぶ。曲がりたいときは転ぶ。しかも派手に転ぶため、他の方には非常に迷惑。雪しぶきを体中に浴びて、空が光って見えました。遺憾です。

転ぶ場所は問いません。リフトに乗る前に転び、シューズから板がはずれ、リフトを止める。板を取ってシューズだけの状態で転ぶ。スキーが終わったのに帰り道に筋肉痛のため転ぶ。

速さに免疫がないせいか、風を体中で受けていると、いたたまれない気分になってきて、スキーをしている自分がとても遠く思えてきて、流れる景色も目の前を横切る転ぶ痛さもすごく理性的に見つめていました。

出来るわけが無い。立てない。痛い。意味がわからない。ここにいることの疑問。リフトをまた上ってしまう後悔。止まらないスピード。

それでもあきらめない人がいてくれて感動したり。

でも、きっともうスキーをする日が来る気がしません。仕事帰りの飛行機が雪山に不時着。なぜか自分だけがほぼ無傷。偶然、スキー板が目の前に落ちている。「僕が、ふもとまで助けを呼びに行ってきます」。勇んで飛び出したのはいいものの、その後林に突っ込んで遭難。そんな状況が来ないことを祈りながら。

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Februar 05, 2004

WHAT ICAN SEE

"what i believe is what i can see when i see it"

NEVERENDING STORYのある登場人物の言葉。

目に見えるものしか信じない大人、その象徴としての言葉。

でも、
目に見えるものは、世界のほんのひとかけら。
僕らが必死に求める幸せも物事や現象、それ自体ではなくて、物事に対する僕たちの意味づけに過ぎない。幸せな出来事なんて客観世界である外界に、存在するわけがない。

それを幸せだと思えるから、それは幸せな出来事になる。

幸せだけじゃない。
僕らは、途方も無い目に見えない現実に囲まれている。

信号に意味を見出す心、きゅんとする心、不甲斐なさに戸惑う、
全部、外界じゃなくて、心の中に存在している気持ち。

情報は、世界は僕の中にある。
だから僕の世界は僕だけの世界。
絶対孤独を背負うしかない世界。

隣にいるキミとは、その世界のたった少しを共有しているだけ。
同じ世界に生きるなんて、不可能だ。

と、思うんだけど、そうだと信じているんだけど、アフォーダンスの考え方は違うらしい。情報は外界に存在するんだって。水は、飲まれることを、コップはもたれることを、世界は僕らの存在を、アフォードしているんだって。

単純に目に見える情報だけの話じゃない。
あらゆる感覚細胞が世界から情報を与えられ続け、それに対し世界にアプローチを続けているんだ。

だから、世界は一つなんだって。
見方の違いがあるだけらしい。
いつか、救いになってくれるかな。アフォーダンス。


この宣伝コメントうざい。どうしよう。まあ、いいか。

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Februar 03, 2004

正しい

正しいとか間違いとか、簡単に言い切ってしまうことが怖い。

「正しい日本語」「乱れた日本語」。それが文法的な正しさ云々という議論になってしまうことが怖い。

「1000円からおあずかりします」「食べれる」「ありえない」「たにんごと」「全然大丈夫ですよ」

何がいけないのかわからない。いけないというのは、個人の自由。でも、それがさも常識であるようにしたり顔で、それが言葉の間違いだと言い切ってしまうことが怖い。

古語と現代語がまるで違うように、ソシュールが明らかにしたように、言葉は変わり続けるもの。進化でも退化でもなく変化するもの。

言葉は意味を伝えるもの。一番に意味を伝え得る言葉が、その文脈の中で「うざい」であったら、どうしてそれを間違えだと言えるのだろう。万葉集も源氏も新しい言葉や文法からはずれた言葉があまたあるじゃないか。

人は過去にすがりつきたがるもの。自分が生きてきた価値観に固執したがるもの。当然。ものさしがそう簡単に変わってたまるか。でも、その正しさを疑うことが出来たらなら、新しい場所に行けるかな。

僕は、正しさを追求するくらいなら、受け入れる力が欲しいよ。

「間違った」言葉を使う「若者」が異口同音で歌っていたあの歌。「間違いだ」と叫んだあの言葉。いま、どこにあるのかな。

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秋学期

ついに秋学期も終わりそうです。
今、SFC-SFSを書きながら、一体自分は何を学べたのか、と不安になる。
確かに構造主義、日本と英国と教育評価システムのあり方、英語、コンピューターを介したデザイン、箇条書きにしていけばいくらでも挙げられるけど、それはこれから一体何になるというのだろう。

でも、今が楽しければそれでいいよね?そんな結節点しか有り得ないよね?

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