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Mars 30, 2004

メモ

横を向かなくて良かった

<隣にいること>なんて
何の保証にもならないってこと
忘れていた

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Mars 29, 2004

Chance favors the prepared

携帯の着メロを蛍の光(オルゴール)にしただけで、頻繁に鬱になるようになれた。

色々と身近で成功している人を並べてみて、共通項は何かと考えてみたら、機動力と実行力かも知れないと思った。それはあまりにも当たり前かも知れないんだけど。

自分で動かなきゃ何も変わらない。

でも、それをわかっていても出来ない人もいる。待つことしか出来ない人もいる。そんな人はどうすればいいか。たとえば、ただ待つだけじゃなくて、待ちながら何かをすればいいのかな。

Chance favours the prepared mind

準備をしていないと、チャンスは通り過ぎてしまう。だから、せめて準備だけは、たとえ飛び込めなくても、待ちながらでも、していようかと思う。

ああ、でも、それすら無理かも。

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Mars 28, 2004

ネットテレビ

気が付けば、インターネットの使い方がテレビ的になっていた。

検索キーワードをいれるのは、一番初めだけ。
場合によっては、お気に入りから選ぶだけ。
そこからリンクをどんどんたどっていき、関係ないページを何分も見つめている。
そしてまた、頻度の低いお気に入りを増やしていく。

これって圧倒的に受動的で、テレビのチャンネルザッピングと大して変わらない。

リンクをたどってどこまでもいけるというのは、すばらしいこと。
どこまでも、どこまでも行けるのはすばらしいこと。
その意味で、ネットワークは量的にテレビを越えた。

でも、どこでも行けることに、意味がないことも多い。
総じて質的にテレビにかなわないことが多いネットワークじゃ特に。

意味の浪費とまではいかないけど、時間の浪費にはなっている気がする。


まあ、散漫とネットとつながっていなくても、だらだら本を読んだり、ぶちゅぐちゅ絵を描いたりで、濃縮された時間なんて、こんなうららかな休みの日々には、あんまり有り得ないんだけど。

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Mars 27, 2004

孤独が鼓動

夜更けの裏側には
これだけの涙があるなんて
あなたは朝が来たらすぐに
忘れてしまうんだろう

息苦しい水槽には
僕だけを守ってくれた壁
いつまで空は深いままか?
それでも涙は枯れた

どうせ奪えないなら
心はここに置いていくけど
無邪気に笑う写真だけは
連れていくんだろう


戻れない歳月には
抱きしめた温度が隠れてる
古びた洋画 その一場面
気だるく漂うように

今は弱すぎるから
心も見せてしまいたくなる
花でもいいよ 
何もかもを 差し出してしまいたい

だけど壊せないなら
心はここに残していくから
無様に笑う写真だけは
連れていくんだろう

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Mars 26, 2004

それでも、それだからこそ

散らかしっぱなしの部屋と頭の中を、整理できる日はいつか来るのだろうか。
もうずっと来ないのかな。断片だけの映像は、ずっとここにこのままあるのかな。

欲しいものは才能。


菩提樹のある丘がこの街での唯一の特徴と言ってしまってもいいような気がする。市とはいえども人口が五万人強のありふれた、どこにでもあるような住宅街が広がるこの街に引っ越してきてから三年が経とうとする。ただ変わらない街並はいつの頃か仕方ないと思いつつも物足りなさもこのごろでは隠すことはしない。きっと多くの若者が同じように感じて、高校卒業と同時にこの街を出て行くのだろう。


辺りにこの家はある。賃貸だとかなり高い額をとられるはずだが、やけに若者が目に付く。そんなにこの黄昏た雰囲気が好きなのだろうか。俺はこの街自体があまり好きではない。ただ、新宿まで自転車で行けるという立地条件は恵まれていると言えるかも知れない。歌舞伎町に自転車出勤。意外とかっこいいんじゃないかと毎日、都庁を右目に見ながら考えている。
俺が中野へ引っ越してきたのはもう十年以上前。小学校二年生のときだった。それまでは埼玉の右端の田舎に住んでいたから、小学校の数の多さと、自宅から学校までの道のりの近さに驚いた記


 嵐はまだ当分止みそうもなかった。時折、家を震わせる風に反射的に視線が窓の外側を向いてしまう。理沙は大丈夫だろうか。ふとそんな問いが頭の中を過ぎってはとっさにかき消す。彼女はもう恐らく嵐とは無縁の場所まで行くことが出来たのだろう。今日と同じような嵐の晩、理沙はこの町を出て行った。もう何日になるかはわからない。ただ三つ前の嵐だから相当な時間が経過している気もする。噂に聞くあの城壁も、大河も、理沙だったら突破できたのだろう。そんな確信が不思議と私にはあった。それは理沙のここを出て行くとき最後に見せた瞳のせいだ。かつて何人もの冒険者がしたように、ただ未来だけを向いていたわけではない。後ろばかりを気にする弱さでもない。抱えていく

 「でも、綾香の予定に合わせたんだから仕方ないんじゃん。でも、そっか、向こうに着くともう十時前だよな。確かに勿体無いな、今日のホテル代。」
一哉が独り言のようにぼそっと呟いた。まるで高校の教室での休み時間の時のように、笑顔も見せずに一人でいる時のように。一哉は高校では基本的にいつも一人でいる。僕とは同じ教室なのだが、放課までは本当に最小限のことしか喋らない。そして勿論、他の誰とも。


やがて訪れるであろう日々が予想できたとして、それがもし最悪を指していたとしたら、状況を少しでもよくしようなんていう士気さえも削ぎ落とされ、もはや最善は傍観だと思ってしまうことはごく自然である。そんな人々の諦観はかつての水騒動や米騒動に代表される醜いいざこざさえうまずに、一見すると平穏そのものの体裁が繕われている。というか、パニックが起こるにはある程度の規模が必要だが、その規模にさえ人口は達していないのかもしれない。


世界で一番に長かった夜

「どうして?」

「どこかへ連れて行かれるから」
「どこかへ行かなくちゃならないから」


 気がつくともう校庭には誰も残ってはいなくて、大きなくすの木だけが夕焼けに焦がされていた。いつもなら児童がドッジボールなどをやっている時間だけれども、今日は会議で午前中に彼らは帰されていた。ほとんどの先生がその市の公会堂で開かれている会議に出席しているので、職員室にも人はまばらだ。

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Mars 25, 2004

たまごっち

躍らされてみたいといつも思っているのかも知れない。

うちの新しく出たたまごっちは順調に成長しています。

1997年頃にでた初代たまごっちも二代目たまごっちも、そういえば買っていました。あの頃は品薄で、それでも欲しくて、定価の4倍くらいの値段で買ってしまいました。

でも、残念ながら前回のブームの時はバンダイも在庫が大量に発生してしまい赤字だったようですね。
今度も、識者たちの「今更。。。」という不安をよそに、それなりに売れているようで何よりです。ポイントはやはり赤外線通信でしょうか。

他のたまごっちと通信することにより、互いのたまごっちが競争をしたり、果てには結婚もしてしまうのです。(実は、この機能、五代目くらいのおすっち・めすっちにもあった気がしますが、それはもう過去の話です)
街中でたまごっちをしている人を見かけたら、思わずたまごっちを差し出して、「結婚してください」というような光景も生まれていくのでしょうか。

どちらにしても、それが文化の衰退・停止であろうと、90年代リバイバルは嬉しい限りです。大好き、90年代。

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Mars 24, 2004

久しぶりは楽しい

久しぶりにイラレやHTMLをいじってみたら面白かった。
暇人だなと思いながら、ほとんど人のこないサイトをしょぼしょぼ作ってた。

でもアクセサビリティ(だっけ?利用者に優しいサイトを作ることなんていうんだっけ)なんて無視しててなんだか駄目。
やっぱりフレーム使えばよかった。

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Mars 23, 2004

おすぎについて

新聞の読者からのおたより相談室で、おすぎが次のようなことを言っていた。


インターネットはあまりにも簡単に情報を入手できすぎる。情報っていうのは、苦労して得るからこそ、意味があるものじゃないのかしら。


別に、このような類の意見は珍しくもないし、何度も聞いたことがある。でも、癪に障ったのが、おすぎが芸能人で映画評論家で毎日のように生活情報バラエティーを含むテレビに出ていることである。

テレビほど、情報を能動的に入手できるものはない。
ただ画面の前に座っていれば様々な、一見役に立ちそうなことが絶え間なく流れ出てくる。

CMもそうだ。ひたすらに新しいものの情報を、ただ画面を見ているだけの視聴者に与え続ける。「泣きました。映画でこんなに泣いたのは生涯で初めてです。とにかく見てください。」求めてもいないのに、映画の賛辞をおすぎはCMで何百万人もの視聴者に投げつけてくる。

圧倒的に能動的で、苦労もせずに、そのかわりに選別の自由も制限せれて、情報を投げつけてくるのはテレビのほうじゃないか。

インターネットを使って情報を得ることは、図書館で資料を探すよりも難しいことも多い。真偽を定めるために、様々な情報にあたらなくてはいけない。その上でおぼろげに見えてくる本当らしいものを、自分なりに受け止めなくてはならない。自分で検索して、自分でリンクを選ばなくてはならない。

おすぎ。

投稿者 POE : 03:46 EM | コメント (0) | トラックバック

Mars 22, 2004

なんだろう。

治安が悪くても、少年犯罪率がさらに高くなっても、親の尊厳なんてものがなくなっても、みんなが一人でcomputer screenの前でネットゲームをしつづけても、社会保障制度ががたがたになっても、誰も愛国心なんて持ってなくても、

自由な国がいい。


まあ、そんなことはどうでもいいのだけれども、どうしても気持ち悪くて、吐きそうになるのが、東京都の卒業式での、日の丸や国歌斉唱の強制具合。

古い時代の懐かしい日本語の再評価が、書籍や歌(森山直太郎とか)という形で行われたり、サッカーではスタジアムでみんなが国家を歌ったり、そーゆー愛国心ていうよりも、郷土愛という言葉が相応しいmovementが起きている中で、どうして卒業式で国歌を押しつけるのか、わからない。

とまあ、いいつつこういうナイーブな話し自体、恥ずかしいのかも。

でも生まれた場所や隣にいる人が好き。それ以上、何が必要なのかな。

投稿者 POE : 06:42 EM | コメント (0) | トラックバック

あの頃の未来。

いつの間にか未来は通り越してしまったみたいだ。

未来という言葉から、いつもたち現れてくるイメージがある。1000メートルを越える高層ビルが並び、空は光沢のない霞んだオレンジを背景に黒い雲がゆっくりと南へと流れていく。手をつないで歩く二人。会話は交わさない。その少し上空の細い道路を一人乗りの車が超高速で遠くへと抜けていく。

着陸の音が響く。車の騒音はしない。喧騒はとても遠くのモールに集約されていく。空を見上げたまま、微笑む。一箇所に密集した居住区と、再開発が進行中のおかげで、切り取られたような地平線が、やけにながく続いている。

本当ならこの際限なく細かく頭の中に浮かぶ図案や物語を、もしも出来るのであれば絵で提示してしまいたいくらいの、確固たる世界。

それは一言でいうとedge感という言葉がうまく当てはまるかなと思う。西暦1999年の、千年紀が終わるそのぎりぎりの雰囲気。破滅か再生かもわからない分岐点の淵まで、ひたすらに疾走する時代の匂い。

でも、いつの間にかそんな未来は、明日からの未来を思い描いたときに、浮かばなくなっていた。edge感に支配された近未来都市。僕の中に確かにあったあの場所はもう時間軸の前にはなかった。

それは、こうやって昔を思い出すときにしか、あらわれない未来になっていた。
90年代の、あの音楽たちを聞くとき、あのゲームを見かけるとき、GALYが変わっていないなと安心するとき、再び売り出されたたまごっちを買うとき、よぎるだけの世界になってしまったみたいだ。

あの頃の未来を生きていない今。
あまりにも高濃度で押し寄せる日常が、あまりにも当たり前で遍く自分の世界を包み、そして未来をぬぐっていく。

投稿者 POE : 12:55 FM | コメント (0) | トラックバック

Mars 20, 2004

私の夢は、夢なんか捨ててしまうことです

もうすぐ二年生が始まってしまう。
いつの間にか19歳だ。
まわりは真剣に研究室だったり、自分の将来の照準を磨き始めている。

でも、まだ何も決められないまま、ここまで来てしまった。
こうなったら、夢も目標も、将来も、規定するのをやめてしまいたい。
楽観でも悲観でも諦観でもなく、自信を持って、「何にも決まってないんですよー」と言いきってしまいたい。

i wanna be **********っていうのは、自分を既存のルールにはめこんでしまうことでもある。********という作家や製作会社やCMプランナーという社会が共有している言葉によって現されるモノは、すでに存在しているものだ。
*********と言った時点で、自分はもう社会の文法を共有してしまっている。

だから、**********になりたいなんて言わない。そんなかけがえのある職業なんていらない。誰か他の人がやればいい。

なりたいものなんてない。あっても誰にもわからないものだ。言葉なんかで規定できないわけわかんないものだ。それを体現することが夢だ。

この人はばかなんでしょうか、と書いてて思いました。
違いますね、逃げてるんですね。19才にもなって、なんて青くさいことを言っているんでしょう。しかもこんな追記で誤魔化しているつもりでしょうか。

まだそんな夢みたいなことを言っている人がいたんですね。お前は、中学生か。
というよりも、実際は何にもなれない、誰の足しにもなれないというのが事実でしょうね。フリーター以下かも知れません。土壌のせいでしょうか。今年もかの湘南藤沢専門学校の就職率は、予想通りの結果らしいですよ。

きっとこんなことを本気で考えている人も多いんでしょうね。社会的に言えば、甘くて、逃げていて、どうしようもない、そんなところでしょうか。
でも、何とかなるんだ。そう思っているようです。


不敵な微笑みを残して、
今、たちあがる世界

背景はいらない
一陣の風だけでいい

残してきた道は誰かが勝手に読めばいい
もう全ては横目でしか追わない

白い布がなびく
光りが肩を越える

もう振り向かないでいい

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Mars 19, 2004

肌にかすめる。。。。。

インターネットって面白いな。アイドルがテレビで言っていた俳句を、千葉県の中学生がそのまま流用していることまでわかっちゃうんだもんな。

http://www.google.com/search?q=%E8%82%8C%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%99%E3%82%81%E3%82%8B+&hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8

肌「を」にしとけばばれなかったものを・・・

投稿者 POE : 01:40 FM | コメント (0) | トラックバック

Mars 16, 2004

もともと特別なONLY ONE

SMAPの稲垣吾郎がソロ名義で出した曲のサビの歌詞。


誰かにもできることは
みんな承知の事実で
生きてるんだな
だから誇りをも抱けるんだよ


本来は聞き手のコンテクストに依存することが多い歌詞の、そのまた一部を抜粋することは好ましくないかもしれないんだけど、勝手に解釈してみた。

「ただのデータの打ちこみ、雑用。こんな仕事は俺じゃなくても出来る。俺はこんな仕事をやるべき人間じゃない。」
そんなことは「みんな承知の事実」である。そもそも本当にあなたにしか出来ない仕事なんてあるのか。あなたはそれほどの世界でかけがいのない価値を持つような人なのか。

たとえば世間では一目置かれるような一流企業の社員でも、会社の規模が大きければ大きいほど変わりの人材もいることになる。独自路線を開拓したような作家も、たとえその彼がいなくなったとしても読者は違う作家の小説を何食わぬ顔で読むようになる。

つまり結局、ほとんどのことは「誰かにも出来ること」であって、客観的に唯一無二の人間なんて皆無に等しいんだ。
だからあのつまらない部長も、どうしようもないあの絵描きも、自分に「誇り」なんてものを持ち得るんだ。所詮、どんなにつまらない人間でもその担う役割は、「誰かにも出来ること」という意味はでは同じなんだ。


で、忘れもしない去年売上1位のSMAP、「世界に一つだけの花」。


小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one


もともと特別なONLY ONE?クス。

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Mars 14, 2004

dakara.

走査線を越えて笑うキミは
何故かとても空ろに呟く
「ここに生きる意味は何?」

わからず歩くボクはいつか
考えるのをやめてしまった

たとえ意味がなくても 
ボクはきっとボクだと思うボクであるために

人を繋ぐ線も
星に意味を与えた線も
見えず誰かが信じ続けるだけ

知らずにいつかキミを失い
だけどそれもいつか忘れて

たとえキミがなくても
ボクはきっとボクだと思うボクになっていたの

あんな強く抱いてた
ボクもきっとボクだと思うボクは残るけれど

もしもボクが消えても
キミはきっとキミだと思うキミは悲しいけど

それは少しずるいね
それはきっとボクだと思うボクの弱さかな

だけど歩き続ける
ボクはきっとボクだと思うボクであるために

だから歩き続ける
ボクはきっとボクだと思うボクであるために

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Mars 11, 2004

あかさたな はまやらわ

朝方、あさはかなあなたは笑った。
やわらかな朝。


ア段だけで文を作ってみたが、難しい。


傘、鷹、坂。。。。単語自体はたくさんあるんだけど、いい文がなかなか思い浮かばない。

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Mars 10, 2004

新しいモノ

新しいモノはもう必要ないのかも知れない。過去の遺産だけでもう生きていけるのかも知れない。時々そう思ってしまう。

たとえば音楽業界。
車のCMでは十年くらい前のヒット曲がタイアップに使われている。
ここ一年で過去の曲のカバー、もしくはリメイクしたCDが数十枚出されている。
AVEXは既発のベストアルバムにPVを収録したDVDをセットしたものを何枚も売り出す。

たとえば部屋の中を見まわしてみて、たとえば全ての情報が更新されなくなったとして、たとえば新しい本がもう一冊も出なくなったとして、たとえば新しい発見がもう何もなくなったとして、たとえばあらゆる世界から新作という言葉が消えてしまったとして、困ることは数少ないかもしれない。

今日の一日が永遠に繰り返されることと、リバイバルだけの世界と、巧妙に過去をくみ合わせた一見新しいモノに囲まれた世界と、その差異はあまリない気もする。

有人火星探査という目標だけをいつまでもNEWは流し続け、永遠に出ない新作の話をデザイナーは語り続け、止まってしまった今だけを学者は分析し続け、古今東西の大量の既刊本を読みつづけ、クラシックからトランスまですでに生まれた何億もの曲をBGMに、何回もした同じ会話をメールで送って、同じ返事を期待して、裏切られることのない世界を生きていくのも、そんなに悪くはないかな。

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Mars 07, 2004

いちねん

卒業式から一年。

うちの時間感覚じゃ一年ってのは一週間前とあまり変わらないくらい記憶が鮮明(いや、どちらも一年前と同じくらい一週間前も不鮮明ってこと?)。

二年くらい立たないと、過去になった気がしない。

だからあまり感慨も無いんだけど、自分だけがわかるこっそり記念日好きなので、無理やりにでも悲しんだり立ち止まったりしようかなと考えてる。

投稿者 POE : 03:17 EM | コメント (0) | トラックバック

Mars 04, 2004

家にしたい

足りないのは積極性と実行力。
わかっててもできないんだから、仕方ないと開き直っても仕方ない。

面白かったニュース

テレビのドキュメンタリー?を見ていたら、自分の家が。
今住んでる家で昔殺人事件が起こっていたらしい。
死体はばらばらになっていて、まだかなりの部位が発見されておらず、恐らく家の地下にまだ埋まっている模様。。。。。


なんかいかにも日本じゃ有り得なさそうな、いかにも海外B級ホラーみたいな。
でも現実だと、B級だな、伏線なさ過ぎとか言えないしね。

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Mars 02, 2004

要素と結果

明らかに要素はすきなのだけど、その結果総体として生まれるものは好きじゃないことがよくある。

たとえば

瀬名秀明

という作家。
この作家が好きな「藤子F不二夫」だったり「A WHOLE NEW WORLD(アラジンの主題歌)」「地球最後の日」だったり、小説のテーマとする「夏」「エジプト」「博物館」「ロボット」も、これでもかというくらい、うちも好きなんだけど、この人が書く小説はどう考えても面白くない気がする。それでもよんじゃうんだけどね。

投稿者 POE : 09:35 EM | コメント (0) | トラックバック

yuki

三月の雪は日本では特別な意味があるんだよ。

って教えてしまったんだけど、それは嘘ですか?

今日は寒かった。でもただの気分のせいかも知れないけれど、どこか二月までには戻れないような、三月らしい雰囲気を感じた。雪が降り出してもなお、空は花曇りのようなそれだったし。

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