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Mai 30, 2006

おーわり!

今さっきテストが全部終わった。かけ言葉じゃなくて、素敵に終わった。

プレゼン一発のテストなので、すぐに結果を言ってくれるんだけどAだった。
自分が専門じゃない分野での評価だから余計うれしい。

気分的には、ランドスケープエコロジーっていう、
遠藤の里山の植生図を書かされた授業以来だよ。

これをきっかけに、少しミクロな歴史についても興味を持ちつづけようかな。
わかったふりして近代化なんて使ってしまうけど、
実際は細かなできことの積み重ねが、大きな変化に見えるだけだからね。

これで、オスロ大学での公的なお勉強はおしまい。
悪く言えば保守的な学校で、いろいろな基礎を学びなおした気分です。
だって、こっちにくるまでは、REFERENCESとかの正しい書き方さえ知らなかったんだもん。

ああ、でもあと大学生活は半年しかないんだよな。
せっかく、スタートに立てた気分なのに。

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Mai 29, 2006

あとひとつ。

一つ今日、レポートを出してきて、
あとは明日のprøveforelesningenだけで、
オスロ大学でのテストもおしまい。

初期近代のギルドとジェンダー...
きちんとした歴史学の手法とかわからないんで、
とりあえず、大きいこと言っておきます。

でも、大きいこと言っておくと、
宗教革命、ウェストファリア条約、フランス革命、
この3つの影響はとんでもなく大きい。

その前後で、女性の社会における位置が
あからさまに変わってしまう。

どう変わってしまうとか、
これが近代国民国家とどう関わってくるかとか、
詳しくは、明日のprøveforelesningenで。

ノルウェーにいるのもあと一ヶ月だけだあ。

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Mai 28, 2006

私の好きな言葉

好きな言葉は「それでも」と「だけどなお」。

「でも」みたいに、言い訳がましくないし、
「ところで」のように、話をすり替えたりしない。

たとえばどうしようもない状況があったとして、それを知ってしまっても、
目をそむけるでも、あきらめるでも、追従するでもなく、
それを引き受ける覚悟と、ものごと変わって行くかもしれない可能性を感じられるから。

「それ」ときちんと前の節を受けて、「でも」と持ちこたえる。
ただの「でも」が子どもだとしたら、「それでも」は青年だと思う。
(そして「しっかしなぁ」は中年、「うむ」が老人)

無垢な頑張りや、希望や、野望っていうのは、簡単に壊れちゃう。
無垢な理想が叶える現実なんてたいしたものじゃないことは、歴史が教えてる。

それでもは、変わってゆく可能性を秘めつつ、現実から目をそむけもせず。

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がいせん

♪がいせんはめぐりゆくー

って今聞いている歌が聞こえるのだけど
本当はなんていっているんだろう?

■凱旋はめぐりゆく?
いや、凱旋なんだから決まった場所に帰らないと...

■外線はめぐりゆく?
はやく内線の誰かにつないであげないと...

■街宣はめぐりゆく?
街頭宣伝...ということは、選挙演説?政治運動?
ミュージックデモで逮捕されてしまう時代なので気をつけないと...


というか、こんなことしてないで、はやくペーパー書かないと...

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Mai 26, 2006

イソラ

むかし、授業の課題で五感を使ったエンタテイメントを考えなさい、というものがあった。
だから正面から裏をかいておこうと思って、五感をまったく使わない装置をまず考えた。
つまり、視界、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を遮断してしまう状況を作り出すこと。

だけど、こんな同じようなことを考え出すものはやはりいるもので、
それは実用化されているのだということを知った。
装置の名は、その名もアイソレーションタンク。

瞑想体験、はては幽体離脱を目指す人の間では結構有名らしい。
日本でも一般体験できるアイソレーションタンクサロンがある。

タンクを抜かしたらとても悲しくなる名前を持つサロンなんだけど、
入会金1万円と、1時間6000円で誰でも体験できるよう。

体験記には「子宮」だとか「聞こえないはずの声が聞こえた」、
「未来」「過去」「血行」など、その方面の言葉が並ぶ。

別に聞こえないはずの声は聞きたくないけど、
一度くらい体験したいなあとは思ってる。

「何でもある国から来た奴が、何でもない場所に感動するんだなあ」
というのは、エジプトに行った人が言われた言葉なんだけど、
アイソレーションタンクは、エジプトよりも安上がりな上、エジプトよりも何もないからね。

ちなみに、ISOLAという小説をこれから読もうという人には
ネタバレになってしまうので、ぜひ知っておいて欲しいのだけど、
ISOLAのイソラはisolation tankのイソラです。

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Mai 25, 2006

本当のつぶやき

本当にやりたいことなんてきっとない。

たとえば今は初期近代におけるギルドの勉強をしてるんだけど、
これも一生をかけて、どうしてもやりたいような勉強じゃない。
人の規範の移り変わりや、それを説明するマクロなファクターや、
それを実証するミクロな証拠の数々にはどきどきしちゃうけど、

それだけ。

こんなふうに「本当」という修飾語をつけると、
全てが胡散臭くなるから、よくやってみる。

「本当の自分」とか「本当の答え」とか「本当のラーメン職人」とか、
もう文字から途方もない紛い物らしさがぷんぷんでしょ。

別に、自分のための目標とか、人を説得するために
仮に「本当」を設定するのは、長い人生を生きていくために必要な知恵だとは思うけど、
それだけのために走り出してしまったら、
そんなものはすぐに崩れやすい紛い物だなって気付いてしまう気がする。

だから、別にやりたいことも欲しいものもたくさんあるけど、
どれもそれは本当に必要なものなんかじゃない。

まあ立場の違いで、自己を構築の対象じゃなくて、探索の対象とするならば、
本物はどこかに隠れているって最後まで信じることが出来るのかも知れないけどね。

天台宗の有名なコンセプトに「空・仮・中」っていうのがある。
そもそも仏教じゃ全てを「空」だって言ってたんだ。
つまり、この世界も神も自己も全て存在しないって。
じゃあこの世界は何だ?って言ったらそれは「仮」なわけ。
だけど、一切が誰にでも見えてるけど、どういうこと?
っていうわけで中庸としての「中」。

これって、少しだけ再帰的近代の考え方に似てなくもない気がするんだけど、
要するに「本当」が欲しいなら、「本当」ゲームをするのもいいのかも知れないってね。

それだけ。本当にそれだけ。

投稿者 POE : 08:10 EM | コメント (0) | トラックバック

怨念

Wikipediaさんはレベルの差が激しいけど、見てて楽しいよね。
普通の辞書じゃ隠蔽されている理論の対立も可視化している点も好感が持てる。

最近読んでて面白かったもの。

日本語の乱れ
標準日本語と見なされているものを基準に、文法的に間違いとされる用例。
「とんでもございません」も「拝見いたします」もだめらしいよ。
美しい日本語とか主張している人の普段の日本語を徹底的に検証してあげたいな。

男性差別
ものすごい怨念がこもってます......
「現在の日本においては、「女性差別」と称されるものはほぼ完全に消滅」と言い切ってます。

これを書いた人たちにバファリンでも送ってあげたくなります
(半分が優しさで出来ているから)。
そして僕もバファリンを飲みたくなります
(半分はバファリンで出来ているから)。

小室哲哉提供楽曲一覧
これを入力した人も、小室哲哉も、よく頑張ったと思います。

投稿者 POE : 12:57 FM | コメント (0) | トラックバック

Mai 24, 2006

韓国初人間型ロボット

韓国初人間型ロボット

なんか、写真マジックな気もするけど、ちょっと関心。

他の記事探してないから、どんなものかはわからないけど、
未来を創るとか言って、どこかの大学が満を待して導入した
KEITAとかいうロボットよりすごいことは確信がもてた。

*おまけ
韓国版NANAを作るなら主役は誰がいい?
というわけで、アンケート結果が載ってます。
Umm...

*おまけ2

レポート書くんで、韓国系の新聞を色々見てるんだけど、結構面白い記事がある。
で、これは日本についての記事なんだけど、知らなかったんだけど、驚いた。
奈良と大阪で門限条例

奈良では7月以降、夜11時以降、18歳未満が家の玄関から出ると補導対象になるそうです。
真面目に反論する気も失せる、どうしようもない、というか危険な条例だよね。

去年奈良で起こった誘拐事件をうけての条例なのだろうけど、
もしも家庭内暴力により親か子が死ぬ事件が奈良で今度起こったら、
家の中も外も子どもには安全じゃないということで、
きちんと奈良県は家の中も外も出入り禁止にしてくれるのかな。

さらに「正当な理由がなく学校を休むこと」も補導対象になるので、
不登校の子のところに警察が押しかけてきたりするんでしょうか。
SFみたいでわくわくします。

もちろん、今でもくだらない条例はたくさんあって、
過剰適用はしませんって前提だから、ばかな条例も見過ごされがちなんだけど
(たとえばほとんどの都道府県で何歳以下はセックスをしたらいけないという条例がある)、
せっかく百済観音も法隆寺もある奈良県なんだから、こんな恥ずかしいことをしないでいい。

夜な夜なオトナだけのものすごいことをするつもりとかなら、まあいいけど。

投稿者 POE : 12:21 FM | コメント (0) | トラックバック

Mai 23, 2006

ねた

mixiの上部に表示されていた占いの本のあおり文句が
「今日のネタに困っている人のために」だった。

構成作家でもあるまいし、と思ったのだけど、
もしかしてブログの今日のネタ....に頭を悩ましている人って多いのかな。

たしかに「今日車が壊れちゃった。でもこれでブログに書くことが出来たんで良かったです★」
みたいなことを書いている人を見たことがある。
バトンも見方によっては、ネタ不足に困っている人のお助けツールになりうる。

昨日読んだ本で、
女子高生同士のメールのやり取りにおいて、
すぐに返信することが半ば義務になっている、
という例が書いてあったのだけど、似たようなものかも知れない。

グラムシくんとかに言わせれば、
人を動かす方法には報酬、強制(暴力)、正当性を使うものがあって、
こういう事例をそれっぽく説明するのは正当性って言葉を使えばいいのかなあ。

そういえば、老人ホームでのボケ防止の訓練で、
「毎週一回面白い話を皆の前でする」というプログラムがある。
同じように、ネタに頭を悩ます人によって、
少しでもボケの人が消えるならそれでもいいかな。

カラオケによって、日本人の歌唱力があがったという噂があるんだけど、
同じようにブログがこんだけ流行ると、
みんなの文章を書く能力もあがることなんかも期待しつつ。

ちなみにネタというのは、もともと種を逆さに読んだ、業界人に使われていた隠語だよ。
以上、今日のネタ。

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雨 雨 雨

また雨雨しい天気が続いている。
雨って漢字は、いかにも象形文字っぽくて好感が持てる。
巫みたいに、わかりやすい。

でも、並べるとしっくりこないんだよな。

雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨
雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨
雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨
雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨
雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨

実際の雨のようにランダムに縦に並べればいいのかな。

雨 雨 雨   雨  雨  雨 雨 雨

 雨  雨 雨  雨   雨  雨

雨  雨   雨   雨  雨 雨 雨

 雨   飴   雨  雨  雨  

  雨   雨   雨  雨   雨  雨

雨  雨  雨  雨  雨  雨   雨

なかなか、しっくり来ない上に、もう何がなんだか。
お茶目心でいれた飴がやけに目立つし。

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Mai 21, 2006

なんとなく、かんとなく。

なんとなく思い出すあの景色は、
過去にあるのか、それともいつか発見されるものなのか、
そんなことはどうでもいい。

だって現にそれを思い出しているんだもん。

今、ここしか許されていないとしても、
いつか、どこかを想うことはいつでもできる。

それが、その世界にあるかどうかはわからないけど、
少なくともこの世界にあるんだから、それでいい。

いびつに切り取られた青空
影ばかりが伸びてゆく西口ロータリー

変わりゆく街並みに置き忘れた夢を探そうとするけど
そういえばあの日から夢なんて一つも見ずに歩いてきた

未来には届かない
今日はどうにか持ちこたえられたとしても


落とされたままの地平線が
優しい痛みと交じる五時半のバス

ちかちかと光ってるあの場所へ続く道はいつか君へ
ちっぽけなあの日の約束を今でも思い出すことがあるよ

昨日には戻れない
今日を飛ばして明日になんていけない

優しすぎる思い出にも
眩しすぎる未来にも僕の居場所なんて
用意されていなかった

昨日には戻れない
今日を飛ばして明日になんていけない

優しすぎる思い出たち
眩しすぎる未来の照らす今だけを
歩くことしか出来ない

投稿者 POE : 10:12 EM | コメント (7) | トラックバック

Mai 20, 2006

10年後...

10年後。2016年。

こうやって言葉で書くと、とんでもなく先のように思えるけど、
少なくとも、技術の面から見た日常生活では、
実は10年じゃ社会なんてあまり変わらない。


たとえば新書で村井純の「インターネット」が流行り、
流行語になったのが95年。

DVDが次世代メディアとして商用化され、
テレビCMなども流されたのが96年。

携帯電話の女子高生での間での流行が96年。

結局、10年で起こることは、さらなる大衆化くらいでしかない。

もちろん、世界のスピードが少しずつ速まっている可能性もあって、
2016年にはとんでもない世界に出来上がってるかも知れないけどね。
たまごっちが再び流行していたり。

投稿者 POE : 11:26 EM | コメント (34) | トラックバック

Mai 19, 2006

最高の陥穽

久しぶりにまじめな日本語を書いていたんだけど、
変換機能くんが
「最高」としたいところに「再考」、
「完成」としたいところに「陥穽」と出してきて、
これは何かのお告げじゃないかと考えてしまった。

まあ再考は目指さずも、完成には陥らないように(おしい)。

投稿者 POE : 06:30 EM | コメント (0) | トラックバック

Mai 18, 2006

テスト勉強

正義と平和はどっちが優先されるか。
差別と平和はどっちが優先されるか。

テスト勉強しながら、そんなことを考えてた。
明日のテストは西アジアの宗教を横断的に扱った授業のもので、
内容は仏教とか、儒教とか、創価学会とか。

キリスト教のスコラ学とかでもそうなんだろうけど、
たとえば現代の科学者が見たら、にこりさえもしないような、
たとえば万物は気で出来ているとかっていうアイディアにも、
すんごく細かい理論を駆使してそれを説明しようとしてるの。

特に儒教なんてエリートが主なターゲットだったから
浄土宗とかみたいにわかりやすくない上に、すんごく保守的。

同じ保守(ってくくっていいのか)でもヒュームとかなら
まあ理論の流れが(西洋化された)現代人に近いから
「ふむふむ」と思うところがないわけでもないけど、
儒教とか、保守の理由に天とかを引っ張り出してくるから、よくわからない。

最近、なんか日記が暗いなあ。
10日前の日記なんて、あからさまなくらいへらへらしてるのに。
これも、6割くらいは天候のせいだと思う。

今週はずっと雨でずっと寒くてずっと暗い。
冬が明けたとか、気安く信じたらだめだね。
もう、だから、たとえ今度夏らしいものがこの場所にやってきても、
もう夏だとは信じきらないでおこうと思う。

投稿者 POE : 05:02 EM | コメント (0) | トラックバック

Mai 17, 2006

国民の日

今日はノルウェーのnational day。

1814年にノルウェーはデンマークから独立して、スウェーデンとのユニオンに入ったのだけど、その時に近代憲法と呼ばれるものがはじめてノルウェーで制定された。その日が5月17日だったというわけで、今日はノルウェーの憲法記念日でもあり、national dayでもある。

とか、どうでもいいんだけど、ノルウェー人盛り上がりすぎ。小雨模様にも関わらず、朝の9時から市内ではパレードが続き、酔っ払った大人たちが国家を歌い、誰もが国旗をふりまわし、RUSSの高校生たちははしゃぎまわる。

日本で同じ光景を見たら、抱く感想はキモい、だと思う。でも自分がただのガイジンだからか、日本との歴史的状況が全然違うせいか、別に素直に楽しめた。たとえば、この異様な盛り上がりが、何に対してのものか、すごくはっきり。1814年の近代国家としてのノルウェーの独立と確立。デンマークの貴族層からわれわれのノルウェーを手に入れたっていう意識。

それに比べて日本の建国記念日は、神話がもとになっているだけあって名前からして痛い感じだし、憲法記念日も頂き物だし、national dayに置き換わりうるものがないよね。「日本」っていう国号が使われたのも7世紀後半が有力だけどそれも曖昧だし、その頃の「日本」は当然東北や北海道は含まれていなかった。だから、今使う意味での「日本」の成立は1867年に決まっているんだけど(琉球処分は1879年で、旧土人保護法は98年だけど、近代国家という意味で)、でもそれも上層部での革命にすぎないわけだしね。

ナショナリズムも愛国心も排外的にならないのなら、別にかまわない。ただ、ノルウェーのnational dayも、たとえば一昨年まではサミーという原住民たちは、そのサミーの旗を掲げることが許されていなかったらしい。難しいなー。

と、しんみりとした終わり方にしてみたのは、今日が小雨で、気温も15度程度という湿っぽい気候だったからです。きっと、晴れてたら、ノルウェー万歳!とかで終わっていた気がしないこともないです。

投稿者 POE : 06:14 EM | コメント (0) | トラックバック

Mai 16, 2006

指紋

入管法改正

簡単に言えば、旅行者でも何でも外国人が日本に来る時に指紋と顔写真の提出を義務付けさせる、日本人も希望すれば指紋を登録できて、そうすれば出入国の列に並ばないで便利ですとという法律改正。

便利だよね。もう21世紀だし、ここまで来たかって感じ★

....と喜んでばかりもいられない。
一応、わかりやすい問題点を考えてみると、

海外に行くとき、日本人だけが指紋の提出を求められるようになるかも知れない。
こんなことしてるのは今のところアメリカぐらいだから、
その場合はアメリカとセットでね。
(実際にブラジルはアメリカにそういう報復措置をした)
こんなあからさまな外国人差別をするわけだから。

ここのところ日本の役所で流行した、
もはやお国芸とまで言われる(知らないけど)
情報流出で世界中に指紋がばらまかれてしまうかも知れない。

さすがにそれはなくても、
少なくとも指紋は各省庁(つまり国家ってやつ)に共有される。
(もともとテロリストを日本にいれないことが目的だから)
いわゆる管理社会化(この場合はもう管理国家化っていってもいいかな)。


.....でもさ、いくらこんなこと並べても管理社会って便利なんだよ。
たとえば、指紋ひとつで電車もバスもホテルも飛行機も利用できて、
あとから決済できるって未来がやってきたらすごく便利でしょ。

しかも人による人の監視ではなくて、
マシンによる指紋というデータの監視だから、戦前のような怖さもない。

実際にすでに多くの人は色々なものに管理されている。
クレジットカードしかり、国民番号しかり、パスポートしかり。

そして、これは日本とアメリカだけでの出来事ではなくて、
EUもVISAをとるときに指紋の提出を義務付けようという話になってる。

.....というわけで、この管理社会化に反抗することは難しい。
だから今回の入管法改正にも、適当な反対の言葉は見つからない。
情報流出の危険性も、外国人差別も、便利さにはなかなか勝てない。

投稿者 POE : 05:58 EM | コメント (2) | トラックバック

整形

色々いつか調べたいことってあるんだけど、その一つが整形。
(他にも餃子とか、文武両道とか、謝罪とか、羞恥心とか)

日本になんで整形が普及しないのかってすごく謎。

顔を見せるのが商売の芸能人の整形でさえ、
「あの人実は整形だったんだって!」ってネガティヴな目で見られる。

儒教が浸透しているからっていうのを理由にする人もある。
たしかに「身体髪膚 之を父母に受く、敢へて損傷せざるは孝の始めなり」って
儒教では、親からもらった体に傷をつけることを慎めといっている。

だけど、日本以上にばりばり儒教が生き残っている韓国での
整形ブームはなんなのだという話。

(どんな現象を説明するときも「文化」っていう言葉はすごく便利なんだけど、
どんなことも「文化」で説明できてしまうから、実は何も言っていないに等しい。
だから、文化なら文化でどんなふうにその「文化」が構築・受容されたかを調べるべきなんだけど)

近代社会ってのはよく属人性からの開放って言われている。

つまり、どんな家にうまれても、どんな場所に生まれても、
そこからは自由に競争しなさいっていう社会なわけで、
理論上は度田舎村一番の貧乏な家に生まれた子どもでも総理大臣になれる。

だけど、顔っていう最も属人的なものは、そのまま放置されている。
「人間顔じゃないよ」っていう、体裁のいい文句によって。

それは、「人間、家柄じゃないよ」っていう文句とは全然違う。
家柄に関係なく誰でもお金持ちや幸せになる権利を持つことは憲法までが保障しているけど、
顔についてはみんなが知らないフリをしている。

だから、もっと整形がブームになってしかりだし、
大学を選ぶようにみんなが整形をする時代になればいいとずっと思っている。

ネイルアートや胎盤までが商品となる時代に、
整形だけ忌避される道理はない。

そして、みんなが整形をするようになって、技術がすすんで、何が起こるかというと、
何がかっこよくて、何がかっこ悪いの基準も目茶苦茶になる。

つまり、誰でも好きな顔を作れるようになったら、
世界で一番美しいという言われているアイドルの顔も意味がなくなる。
誰でもその顔になれて、その顔があふれちゃうなら。

すると、今度はみんながオリジナルな顔を求めだすから、
何がよくて何が悪いは曖昧になって、整形するかしないかでの違いも少なくなる。

もちろん、整形にはお金がかかる以上、
貧富の差が容姿の差に結びつくようになる怖れもある。
だからそのあたりはアファマティヴアクションも必要だけど。

というわけで、整形をする全ての人に対する応援をここに誓います。
(なんか、はじめは真面目な話をしていた気がするのに、おかしいな)

投稿者 POE : 04:13 EM | コメント (0) | トラックバック

Mai 15, 2006

変わり続けることだけが、唯一の変わらないこと (By 仏教)

仏教って、まあ儒教よりはしっくりくるな。
現代科学との相性もいいし。

TOTEM


緩い空が消える夜半
右手の傷には立ってゆく夏

水先だけ旅をしていた
君にはわからない言葉を歌っている

たどりつける日まで
永遠に思い出せない場所の詩


いつか「場所」に戻る日まで
干乾びた体は続いてゆくのだろう

たどりつける日まで
永遠にたどりつけない場所の記憶

それは
名前なく
名付けようもなく
いつか失くす前
ずっと僕たちの中に
気付きようもなく
ずっと僕たちの中に

それは
かたちなく
描きようもなく
いつか想う先
きっと僕たちの中に
避けようもなく
きっと僕たちの中に

投稿者 POE : 10:40 EM | コメント (1) | トラックバック

Mai 14, 2006

CDケースの本当の開け方

和田アキコがCDケースの開け方を知らずに、
ケースは叩き割るように開けて(だから壊れる)、
CDはティッシュにはさんで保存しておくものだと思っていたのは有名な話だけれども、
実は僕も本当のCDの開け方を知らなかったらしい。

CDケースの本当の開け方

たしかに簡単に開くんだけど、簡単に開きすぎて拍子抜け。
ただのディスク1枚に3000円も払うんだから、やっぱり重さが欲しいと思った。
というわけで、これからも間違った開け方を続けていこうと思う。

投稿者 POE : 07:22 EM | コメント (2) | トラックバック

Mai 13, 2006

じちゃちゅ

統計って思い立って眺めてみると面白い。

たとえば、「ノルウェーは冬は長くて暗いからから自殺率が多いらしいよ」とか
本当っぽくて、今までそれとなく信じててたんだけど、
WHOのデータを見てみたら、自殺率は日本の半分程度だということがわかった。
北欧の中でも一番低くて、自殺者は1万人に1人くらい。

WHO
日本語でまとめたサイト

だけど、フィンランドを筆頭に、北欧勢が結構上位に食い込んでいるのが興味深いよね。
こういう無邪気な北欧観から、高自殺率の北欧ってのは結構遠い位置にあると思う。

まあ、これはデータの読み方の問題ともいえて、
北欧はどこも人口が少ない国だから、
たとえば自殺率21.0のフィンランドも、実数で言えば1000人強。
15分に1人がする日本とは単純には比べられない。

それに、北欧って基本的には田舎で、趣味としての狩猟が盛んだから、
自殺しやすい環境が整っているともいえる。

とかね、数字ひとつで結構色んなことが考えられる。
自殺の基準も各国の統計で微妙に違ったりするんだろうなあとかね。
ストレスでハンバーガー食べ過ぎて死んだ人は自殺か、とか
わざと腐った階段を運試しのようにいつも歩いていた死んだ人は自殺か、
実は他殺なんだけど明智警視がたまたまいなかったので自殺で処理されたのでは、とか。

投稿者 POE : 06:36 EM | コメント (0) | トラックバック

Mai 12, 2006

くに、あい、

教育基本法の改正の動きが最近活発化していて、
先月には自民党が案を公表、そして民主党も今週それに対する対案をだした。
見所のひとつは「愛国心」を盛り込むかどうか。

自民党は「我が国と郷土を愛する態度を養う」、
民主党は前文に「日本を愛する心を涵養」と書いた。

日本を愛するがゆえの革命だとか、
日本を愛するがゆえの国会爆破だとかも認めるってことなのかな。

なんか、すごく似たような表現で、違いは「国」か「日本」か、「心」か「態度」くらい。
でも、「くに」を愛することと、「日本」を愛することって、本当はあまり変わらない。

「くに」にあたる言葉は、たとえば英語ではland,country,nation,stateになりうる。
だから日本語で愛国心っていうと、
統治機関としての国(state)を愛せよって意味になってしまう可能性がある。
なので、今回の民主党でも「日本」という言葉を使ったわけだけど。

でも愛国心っていうのは、
政府の言いなりになれとか、軍隊のために物資を差し出せとか、
そういう意味だけで使うべきではなくて、
nationの一員として、countryを守るためにstateを壊そうぜ!
っていうのも愛国心になりうる。

まあ革命は過激すぎるにしても、
stateに対する批判力はやしなっておくべきものだと思う。
歴史を紐解く限り、権力は放っておいたら腐敗するものだから。

だから、その文脈では決して愛国心というものに反対はしないけど、
(愛するがゆえの批判って必要でしょ)
それを憲法や法律に書いたからって、何かが変わるわけじゃない。
しかも日本を愛せよなんてだけ書いたら、
それを誤解する困った人がたくさん出てくるかも知れない。

それに、「日本を愛する心」なんて今更煽る必要もないくらい、
中島みゆきも歌っているように(誰も知らないだろうけど)
今でも日本は日本と名のついていないものには、いくらでも冷たくなれている。
難民を本国に強制送還したり、海外で事故があっても報じられるのは日本人の安否ばかり。

こんな中で愛国心なんて煽ったら、日本がよけい排他的になってしまう可能がある。
ていうか、煽り方が下手で痛い目にあっておいて、
21世紀にもなってまたこんなことやろうなんて、時代遅れもいいところ。
恥ずかしいったらありゃしない。

好きになって欲しいなら、
「僕を愛してください」ってストーカーするんじゃなくて、
愛されるような仕組み作りをしていくほうが良いなんて中学生でも知ってるのにね。

投稿者 POE : 04:15 EM | コメント (0) | トラックバック

RUSS

RUSS(ルス)。卒業前の高校生たちが1ヶ月弱にわたって繰り広げるお祭り騒ぎのこと。仲間とバスを借し切って、同じユニフォーム(何を勉強したかによって数種類のパンツがある)を着て、一ヶ月間ノルウェー中を騒ぎまわる。

殆どの高校生が参加しているようで、昼も夜も彼らをどこでも見る。夜は幾台ものバスが広場に集まって、歌って踊って花火打ち上げてと、言葉どおり羽目をはずしたお祭りを毎日繰り広げている。もう100年も続いている社会的に認知された行事。基本的にやり放題。

きわどいいたずらをすればポイントをもらえるポイントシステムなんかもある。警官にキスをするとか、先生の家の庭で寝るとか、24時間後ろ歩きだけをするとか、48時間不眠不休とか、ルールに応じてポイントがもらえる。(ポイント集めても割引とかはないけど)

ウィキペディアさん
BBC
写真

文化人類学によると、社会的な位置の変更には通過儀礼がともなうといわれてる。通常の時間から、非日常のリミネールの期間を通過して、ふたたび通常の時間に戻る。この通過儀礼の最中は、社会の日常性や規範からはみ出した状態におかれる。

この図式は色々なもの、たとえば旅先の旅行者にも留学生にも当てはめられるものなのだけど、子どもが大人になるときに行わていれた、前近代じゃどこにでも見られるような通過儀礼(かつての日本の祭りや、アフリカだかの大人になるために求められるバンジージャンプ
)をもはや見つけることは難しい。

日本で考えてみればわかるけど、誰もがなし崩し的に、なんとなく大人になっていくでしょ?成人式は形骸化、大学はワンダーランド、就職後も下手したら親元、なんていう状況で、少なくとも社会的な通過儀礼にあたるものはない。

徴兵制がある国では、それが(男にとっては)通過儀礼たりうるかも知れないけど、人々がこれだけ細分化した世の中で、誰もが参加する子どもから大人への通過儀礼なんてものはなかなか考えられなかった。

と思ってたら、このノルウェーのルス!あからさますぎるくらい教科書的な通過儀礼のコンセプトに当てはめることが出来る、これは何だって話ですよ。でも、もしかしたら、他のくにでもあるのかな?ちょっと違う気もするけどこんなのはあるし。日本でもやったらいいのに。出生率上がるかもだよ。

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Mai 11, 2006

タノシイ、セカイ、イトシイ

知らないことがたくさん残されている世界は楽しい。

たとえば、戦後GHQが日本政府に、
戸籍制度をやめて個人登録制度に切り替えろと提案したとき、
日本側の拒否理由が「紙不足」。

これじゃただのトリビアだけど、
こういう出来事をつなげていくとより大きな世界が見えてきて、
もちろん普遍な像は何をつなげてももはや描けないけど、
世界が色や形を変えていくのは確か。

今は、ノルウェーのRUSSにすごく関心がある。
ノルウェーに来て、徴兵制の次に興味を持った。
詳しくはまた書くけど、こんなあからさまな通過儀礼を、
(徴兵制を除いて)後期近代において僕は他に知らない。

ドラゴンボールの2巻ってこんな終わり方だったよね。
よかった、まだ世界が40巻も残されている。

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Mai 10, 2006

宗教革命と売春

昨日読んだ本。ドイツのアウグスブルグにおける宗教革命の前後での売春のお話。
(といっても、勝手に見解付け加えてるんでサマリーじゃないけど)

宗教革命前までは管理売春が一般的で、市が売春宿を経営していたことが多かった。アルコールやゲームも提供する娯楽施設。対象者は未婚の若い男。男はクラフトでのトレーニングが終わって、一家を養えるようになるまで結婚すべきじゃないという規範があったのだけど、一方で男の性欲は抑えられるものじゃないという前提があったから。つまり、売春って言うのは必要悪として、むしろ真の男になるための通過儀礼的な意味もあったよう。

そして、宗教革命後。宗教革命っていうのは大まかに言ってしまえば聖書を書いてあるまま信じようとする運動なわけだから、売春も当然忌避されるようになる。モラルの導入と言い換えてもいい。ここで問題になったのは、「男の性欲は果たして制御可能なものなのか?」という点。もしかしたら、売春を禁止することによって、レイプや近親相姦が多発するのではないかという懸念。そして、男に売春が許されるなら女はどうなのだ、という問いにまで行き着いてしまう。

で、どうしたかというと、早期に結婚しようという規範で解決しようとした。そもそも、結婚制度と売春っていうのは切り離せない関係で結ばれていることがわかる。一夫一妻制度が強固になる前までは、売春の定義なんてあやふや。めかけかもしれない、売春婦かもしれない、セフレかもしれない。というわけで、売春の禁止とともに、一夫一妻制をより堅牢にしようとする当局の指示がいくつも出ている。

しかし、管理売春を廃止したばかりに、違法な個人売春婦や売春宿が増えて、よけい危険な社会になってしまいました、めでたし、めでたし、という日本の50年前と図式的には同じことが起こっている。

面白いのは、男の性欲を本質的なものと規定して、それに疑いをはさんでいない点。
その文脈で考えると、1999年のスウェーデン売春禁止法も新しい目線で見ることできる。性欲は本質的じゃない、だから禁止することによって、性規範を変えることも出来るかも知れないという。だけど規範って寝て冷めても変わるものじゃないからね。難しいよね。

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Mai 09, 2006

うつつっつつ

今日は12時頃起きたのだけど、珍しく偏頭痛でしばらく横になってた。
いつもあんなに信じていたヴァファリンくんも、
なかなか能力を発揮してくれなくて、悶々とした時間。

「象列車よ急げ」のことを急に思い出した。
最後のサビ前の「新しい時代をー」のところが好きだったな。

戦いって文化をすっかり変えちゃうから嫌い。
応仁の乱のせいで、その前後の文化が全然違うのは有名な話。

たくさん寝て、たくさん起きてを繰り返したせいか、
どれが夢でどれが現実かよくわからない。

プレイステーション3の定価が6万強と発表されたり、
YoutubeのサイトがWe'll be back soonといって消えていたり、
別に夢でも現実でもどちらでもいいのだけど、
世界がひとところにとどまっていなくて安心した。

そういえばまだ空は明るいけど、
いつの間にか太陽は山ぎわの向こうに消えてた。

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Mai 08, 2006

たつ日

やっと帰る日決めた。
取っていなかった、アムステルダムまでのチケットもとった。
6月27日にオスロを立つ。

立つ日は水曜日のほうがしっくりくるだろうと、
ずっと水曜日にしようと思っていたのだけど、
永遠にもうノルウェーに来ないわけじゃないだろうと思って、
一日前の火曜日にしてみた。

問題は、アムステルダムから日本への飛行機が昼の12時初なのに、
アムステルダムにつくのがなぜか、夜の8時というところ。

飛行場で6時間とかはよく聞くけれど、
空港で16時間というのも、旅人連中の間じゃよくあることなのだろうか。

だってチケットが何万円も違うんだもん。
アムステルダムを色々見て帰るべきなのかなとか、色々考え中。

日本へつくのはおそらく6月29日。
これも迷ったんだ。
6月の日本を見ておくべきか、来年までとっておくべきか。

6月って想像上ではすごく好きだから。
水無月っていう名前からもわかるように、旧暦じゃばりばりの夏で、
なのに実際は雨がちな春とも夏ともいえない季節を感じさせる。

緯度でいうとスペインより南、北アフリカと同じ東京の、夏。
そんな場所へ、6月に少しでも準備期間があるのと、
7月にいきなり放り込まれるのとでは、
気持ちの上では、つまり言葉の上では少し違う。

肩にかかる雨は緞帳の先へ響く
わびしい空を遠く遠く旅してきた光

一人歩く道に残された足跡をもう
闇が消す頃 約束さえもうまくほどけてゆく

投影された銀河は
この手のひらまで届いた

小さな水たまり
あの日見せ合った未来と目が合う

あの真夏の夜を歌い続けている
そういえば今でも
あの甘い香りを探し続けている
答えようもなく

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Mai 07, 2006

もうずっと終わらないような、

人と話すのは楽しい。

一人の時間も大切だけど、
人と話す時間も大切なんていう、
小学生でも知ってる当たり前のことを
今さら大発見みたいに思ってみる。

世界中には、自分と呼応する何かがいたるところに隠されていて、
それは景色だったり、本の中だったり、他人の中だったり、
まるで人と人の目があうようなもの。
それはときに一人であるべきだったり、
それはときに誰かとであるべきだったり。

こんな日がずっと続いて欲しいと願うのは利己的なのかな。
でも、仕方ないよね。人間がみんな感情をなくしでもしない限り。

世界中が幸せになれる方法を発明した人はいない。
いや、フーリエ(笑)とか、発明した気になっている人はたくさんいるけどさ。

だから、出来ることは、せめて忘れないこと。
テレビに死体をうつすべきか、
そんな議論ともつながっていくのかな。

さいきんのこの日記の気の抜け具合からも、
ノルウェーの気候を想像してもらえると思う。
長かった冬のあとの春はまるで夏休みのように、
まるで終わらない日が続いていくように。

こんな日はもうこないだろう。
だから何度でも思い出すんだろうな。
終わらない夏のように、抱えていくんだろうな。

ていうか、終わらないんだと思う。
どこかで、きっと道は別れて、
この場所はこの場所のまま水平線上を伝うように、
続いていく気がしている。

人の記憶は、水平線に似ているのかも知れないね。
と、うまいことを言ったような気がするので、このへんで。

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今日の日記

友達のお姉ちゃんがオスロに来ている。
はじめて見る大阪人生姉妹は楽しかった。
こち亀もあながち嘘じゃないんだな。

午後3時に部屋を出て街へ繰り出すあたり、
ノルウェーの正しい過ごし方を肌で会得しているかのよう。
時間的には十分でした。10時まで明るいし。

オスロはすごい活気だった。
去年の夏以来見るすごい人の数
(といっても、川口駅前商店街くらい)。

すごくいい人だった。
歯科衛生士なのに、歯を磨かないで寝てしまったという
一日の終わりにまでオチを設けているあたりがさすがです。

メッセ。
幸せはうまくわけあえないけど、
悲しみはもちろんうまくわけあえないけど、
それでも新しい幸せはつくれるし、
古い悲しみを改造していくことは出来るよね。

流行の成分分析のように、
幸せの中身も悲しみの中身も、案外単純で、
わずかな材料を加えるだけで、
気持ちは変わっていって、
気持ちが変われば、出来事の意味も変わって、
それはつまり、過去を変えられるってことだから。


i wanna be a part of yours
it can be 通りすがりの誰か
it can be いつか思い出す夢
it can be 忘れられない癖

残された傷をたどれば、
あの日の笑顔までたどりつく

誰も悪くないと気づくたびに
憎しみは消えてくれるわけでもない

振り上げてしまった手を
いったいどこまで掲げ続ければいい?

i wanna be a part of yours
it can be 眠る前に読む本
it can be 帰り道に寄る場所
it can be 当たり前に言う言葉

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Mai 04, 2006

朴露子

パク・ノジャ(朴露子,Vladimir Tikhonov)という先生の授業をとっているのだけど、もうすっごくいい人。

ロシアに生まれたのだけど、韓国に帰化して、現在はノルウェーのオスロ大学で教鞭をとっている。来年は日本の研究所で一年間過ごすらしい。ロシア語、韓国語、英語はもちろんノルウェー語まで流暢に話す。漢字もばっちりだから、日本語もかなり意味がわかるらしい。

韓国では気鋭の学者として評価されているよう。外国人でもあり、韓国人でもある目線が若者を中心に、その刺激的な発言とともにうけているそう。韓国語では何冊も著作物があり、新聞にも評論を数多く載せている。

知識量もすごい。大学のセンセーだから当たり前なのかも知れないのだけど、儒教や仏教から、日本や韓国、中国の近代史まで何でもこいって感じで、こんな人に出会うたび、高い壁を見上げるような気分になる。この壁はのぼれないからあきらめて、せめて壁の上から水くらいもらおうかという気分になる。

なのに(って偏見だけど)、すごく優しいしいい人。授業は必ず10ページくらいにわたるレジュメを配布してくれるし、メールをしたらすぐに返事をくれるし、今日も立ち話に30分もつきあってくれた。

優しくなった小熊英二というイメージ。いや、小熊英二とかぶっているのは知識量とか、立場くらいなんだけどね。そういえば、小熊英二も(「が」てはなくて「も」)書いているブログを見つけた。彼の所属しているバンドのものだから、バンドに関する雑記が中心なのだけど。ついでにmixiにも本名で登録されているのを見つけた。

うーん、何やっているんだろう。感銘をうけたならうけたで、その人の断片をWEBで集めるよりも先に、著作物を読んだりするのが、正しくて建設的なあり方なのにね。

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えへへ

今日は気温が20度まであがった。
空もおかしいくらい青いし、
ぽかぽかとかいう力の抜けた表現を使ってしまいたくなるくらい。

たかだか何千キロか離れた場所で
今も殺し合いだとか紛争だとかが起こっているとか信じられない。

笑っちゃうような共謀罪やサイバー法案のことも、
保守化を通り越して復古街道まっしぐらなどっかの国のことも、
どうでも良くなってくる。

戦前に回帰したいなら、
タイムマシンでも必死に開発すればいいじゃんー、
とか、その程度のことに思えてくる。

そういえば、扶桑社の歴史教科書は、
韓国の教科書にスタイルがそっくりらしい。
自国民をたたえて、多様性に目をむけない、独りよがりの内容。
独自性を主張すればするほど、その主張の仕方は似通ってしまうという、
ナショナリズムのお勉強のお手方のような例。

よく最近はやりの嫌韓はツンデレっていう言葉で茶かされるけど、
すごく的を射ているのかも知れないね。
実は好きで好きでたまらないんじゃないかな、お互い。
事実、日韓の保守系の政治家同士のつながりって結構あるようにね。

こんないいオスロの空の下で思うことは、
好きなら好きと言おうー、とか
大丈夫、怖がらないでもみんなは敵じゃない、とかそんなことばっかり。

えへへ。今、もうすっごく楽しい。
こんなんじゃいい考えは生まれないね。
思想が発達するのは、不遇の時代だってよく言うしね。

*

もうすぐ夢は醒めて
世界は再び錆付いてゆく

夜を待たずに消えた
孤独は君に置きかえれる

鉄橋に残された消えかけた叫びが
世界を救う引き金になるかも知れない

w..ray for peac....
you a.. I pr.. fo..
.e.... with.e.....one

最後に交わす言葉?
せめて優しくここを去れたら

日々は続いていくだろう
最後の夢を叶えた後も

人々が消えた後 残された叫びが
世界を穏やかに響くことを信じてもいい

w..ray for peac........
...e ...ith for wo.......ace

yo.. a... ..r.. ....
.e........th.e.....one

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Mai 03, 2006

ここそこ。

あともう2ヶ月もない。
帰る日付もだいたい決まった。
帰るまでに最低限することも決まった。

もうこんな日は来ないんだろうなと、
最近気が付けば思っている。

車窓ごしに空を見上げるとき。
大学までの坂をのぼるとき。
夜の十時なのにまだ空が明るいとき。

選ばなかった未来は、
想像でしか比べられないけれど、
今に満足していると、比べようとも思わなくなる。

きっと数え切れない可能性を捨ててきて、
信じられないようなチャンスを見逃してきたこともあるけど、
そんなあり得たかも知れない日々を、応援さえできる。
(パラレルワールドを応援ってかなりやばい子だよね)

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Mai 02, 2006

吐き出しー

やっぱり80年じゃ足らないよ。
世界は広いなあ。

なんか、小学生みたいだけど、
世界は広いとか、簡単なことは実はとても大切なこと。

空は青いとか、人は笑いながら悲しめるとか、
薬指の名前の由来とか、北欧は北ヨーロッパだとか。

いくらでも、大切なことは転がっている。
大切にしていかなくちゃね。

たとえば、今日は2回も小林秀雄の名前を目にした。
日本へ帰ったら読もう。読もう。

ああ、またベルゲンについて書いてないや。
響きがちょっとベルリンに似ているよね。
で、文字の雰囲気がツベルクリンに似ていないくもないよね。

トンネルの灯かりを数え終わる頃
はるか続くように見えた夜さえ
東からの風に流された後だった

今でも間違えずにいえる夢がある
祈るように確かめたその答えも覚えている

人、空、柱、光、人、闇、人、
窓にうつった顔と重なるその全ては
まぼろしのように、訳ありなハニカミを続けてる


長距離を走り続けるエキスプレス
はるか輝いていた夜は終わり
厳しい一日が街を染め上げていく

今でも間違えずにいえる夢がある
祈っても変わらないあの答えも覚えている

ビル、場所、笑顔、電柱、ビル、空路、
見送りを繰り返しながら少しだけ離れる距離
さびつきながら、僕たちはこのセンを続けてく

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Mai 01, 2006

ふと思ったこと

家ごと移動してしまう引越しがアメリカやカナダなんかじゃあるみたいだけど、日本もそんなにアメリカとだけ愛し合っていくつもりなら、そしてアジアの中で生きていくつもりがないなら、国土ごと移動しちゃえばいいのにと、ふと思う。

そういえば、2億年後にはアメイジアという、ユーラシア、北アメリカが合併した超大陸が出来るという説がある。引っ越さなくても、いつか出逢うことが決まっているなんてまるで運命みたいと、アメリカっ子には夢のような話なのかな。

でも、もう一個有力な説があって、それによると北アメリカとアフリカがくっついて、日本列島はユーラシアの北のほうに吸収されてしまうらしい。

あと2億年もこの文明がもつかどうかはわからないけど(まず十万年も無理だろうけど)、もしもアメイジア大陸ができたとして、古代史を勉強している人類がいたとしたら、どんなことを思うんだろう。叶わなかった愛のこと、憎しみあった日々のこと、もう消えてしまった夢のこと。愛は勝つのかな?

と、ベルゲン日記第二段は帰りのバスで思ったことでした。なかなか、ベルゲン本体へたどりつかないなあ。

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