2008年10月アーカイブ
最近、他の人の文章を読む機会が多い。学生の卒論、修論、博論はもちろん、学会やジャーナルの査読を頼まれることも増えた。コロンビア大学の博士論文の謝辞に入れてもらう光栄にも浴した。別の人がこれから出版する本の原稿にもコメントを求められている。
おそらくこういう仕事をもっとしている人がいると思う。しかし、私の研究テーマはニッチだったので、頼まれることは少なかった。それが増えてきたということは、関連する研究テーマをやっている人が増えてきているということかもしれない。そう思うと、うれしい反面、少し焦りも感じる。ほとんど人のいない荒野でこつこつ開拓していたはずなのに、気がつくと周りに人が増えているという気分だ。
他の人の文章を読むのは、時には苦痛だ。先日読んだ論文は、全28ページのうち、イントロダクションが14ページもあって、どういう構成をしているのかとあきれた。しかし、出版される前の最新の研究に触れられるというのは一種の特権でもあり、こうして研究コミュニティが発展・成熟していくのかとも思う。
しかし、自分の文章を読み直すのが一番苦痛だ。いつまでたってもうまくならない。ゲラの校正をするのが至上の喜びという人もいるらしいが、私は書き散らして忘れてしまいたいタイプなのだろう。
二日前、日本からゲラが届いた。なんと二年前に書いた原稿のゲラだ。このプロジェクトはつぶれたと思っていたのですっかり忘れていたのだが、突然のように動き出した。二年間原稿を遅れさせた執筆者がいるらしい。のんびりした人がいるものだ(あるいは、よほど忙しいのか)。幸い、ほとんどアップデートしなくても使えそうなので、最小限の手直しで返送する。
そういえば、同じく二年前に書いた原稿が、別の本に収録されるらしいが、こちらは出版助成取得に時間がかかっているらしい(同じく原稿出さない人もいるらしい)。学術出版はどうしても時間がかかる。
二つの原稿は重なる部分があって、当時の問題意識を思い起こさせる(ネタがなかったのか)。ボストンでの在外研究も2/3が終わる。この一年の成果はどうなることやら。なかなか筆が進まない。
なんでそんなに書けるんですかと聞かれることがある。もっとたくさん書いている人はいると思うのであまり自分ではそう思わないが、そうしないと気が済まないからだろう。私は自分がこの仕事が好きなのだと思っていたが、こちらの話を読んで、ひょっとすると違うのかもしれないと思い始めた。好きであるより、得意であることのほうが重要だという。私にとっては他の仕事よりこの仕事が得意なのだろう。
大学院に行きたいんですけど、という相談もよく受ける。しかし、勉強が好きなだけ、成績が良いだけでは生き残れない。勉強と研究の違いが分かっていて、研究することに苦痛を感じない人でないとものにならない。まして衰退・縮小する大学業界では生き残りは大変だ。
まだ暑かったアーカンソーから戻ると、ケンブリッジは秋になっていて、紅葉が始まっていた。近所のスーパーはハロウィーンに向けてどこもカボチャがいっぱいになっている。
慌ててまだ見に行ってなかったレキシントンの古戦場跡へ紅葉狩りを兼ねて出かける。コンコードと並んでアメリカ独立戦争が始まったところとして知られているが、今はただの原っぱだ。一番興味深かったのは近くに立っているフリー・メイソンの建物。中には入れないようだったが、秘密結社というイメージとは少し遠い。
近くのNational Heritage Museumをのぞくと、やはりフリー・メイソン関連の展示が充実している。ジョージ・ワシントン初代大統領はじめ革命の志士たちはこの結社に参加していたが、よく分からない組織だ。そして、ボストンの中華街に行くときにいつも前を通るビルが、実はフリー・メイソンのマサチューセッツ本部(グランド・ロッジ)だと知ってもう一度驚いた。エマーソン・カレッジの横に普通に立っていて、確かに変な装飾がされているのだが、風景にとけ込んでしまっている。後日、その前を通ると確かにそこに立っていた。
10月7日、3回目の大統領候補討論会が開かれた。前回よりも静かな戦いだったという印象。タウンホールミーティング形式だが、反応してはいけない聴衆を相手にしてやりにくそうだ。どちらも、過去の記録を見ろという。あいつはこうした、こう言った、過去を見ろという。聞いている方もあまりおもしろくない。この二人は現在のアメリカが有する本当にベストな二人なんだろうか。最高峰のリーダー二人なんだろうか。マケインはやはり年齢を感じさせ。彼が倒れたらペイリンか、という思いは誰にもあるだろう。
数日して旧友がサンフランシスコから来たので、一緒にボストンのダックツアーに乗る。第二次世界大戦時の水陸両用車を使った観光ツアーで、世界中の都市で見られるようになっている。ボストンの場合は当然ながらチャールズ川へどぶんと入る。川の中からMITが見られると期待していたが、そこまでは行ってくれずに引き返してしまったので残念。
その後、急遽、またもやワシントンDCへ。今回一番おもしろかったのはアメリカ科学者同盟(FAS)というところ。もともとは核兵器が開発されたときに科学者たちがその軍事利用に反対するために組織したようだ(オッペンハイマーの伝記を読むとその辺の事情が分かる)。ここでSteven Aftergood氏が政府の秘密に関するプロジェクトを行っていて、Secrecy Newsというニュース配信を行っている。インテリジェンス・コミュニティの研究をする人には必読だ。
10月15日、3回目の大統領候補討論会はワシントンのホテルで見る。追い込まれたマケインの笑顔がぎこちない。どうも未来を語れないマケインは相手の批判ばかり。目がパチパチしているのが動揺に見えてしまう。しかし、二人ともユーモアがなく、おもしろくない。レーガンは確かに歳をとっていたけど見栄えがするしユーモアのセンスがあった。マケインが議論に口を挟みすぎで、感情を抑えきれなくなっているように見える一方で、オバマはわざと抑制的に話している。オバマは、ヘルスケアの話で、ここぞというときにカメラ目線を使う。毎回作戦を少しずつ変えながら調整しているのがうかがえる。それにしても、マケインは「ジョー」の話にこだわりすぎで説得力を欠いた。CNNで画面の下に出していたグラフでは、見ている人は全く反応していない。いよいよ決まった感がある。副大統領候補討論会を含めて4連勝のオバマが当選しなかったら、アメリカのデモクラシーはうまく機能してないということになるだろう。
ワシントンでは合間に知り合いと食事をしたのが楽しかった。KストリートのSichuan PavilionでYさんとIさんと麻婆豆腐をつつき、OさんとThai Kingdomでグリーン・カレーを楽しむ。もうしばらくワシントンには来られない。
ボストンに戻ってきて空港に降り立つとかなり寒い。すでに最高気温が摂氏8度、最低気温が摂氏2度という日もある。日本の感覚ではすっかり冬だ。先週末はチャールズ川でレガッタをやっていた。きれいに晴れた日で、競争するボートを眺めているのは楽しかった。ボストンの冬空は意外にも見事な快晴続きで、本家のイングランドとは異なるらしい。
MITのキャンパスを歩きながら、ふと、そうか、オバマは無限の帯域を活用したのかと気づいた。かつての大統領選挙といえばテレビが勝敗を決めた。両陣営ともいまだにネガティブなコマーシャルを流しまくっている。しかしテレビ電波の帯域はものすごく高い。資金力が重要だった。ブロードバンドではオバマ陣営が払うお金は接続料だけだ。あれだけのブログのエントリーを垂れ流しているのだからけっこうな回線接続料だと思うが、テレビよりは安い。前回までの選挙では十分なネット利用者がいなかったが、今回はアメリカでもブロードバンドが普及している(日本から見れば数メガはミドルバンドぐらいだけど)。マケインはそれに全然乗りきれなかった。今回の選挙でテレビが死んだんだ。
しかし、こうやって書いてみると実に当たり前の話だ。それに今頃納得しているなんて疲れている証拠だ。とにかく眠い。
ワシントンから戻って数日で、またアーカンソー州のリトルロックへ。前回カバーできなかった分の資料を探す。旅に出るといろいろな刺激を受けるし、考える時間が取れるのが良い。空港での待ち時間や機内での時間は無駄と言えば無駄だが、なかなか手が付けられない仕事や本に手を出すにはとても良い機会だ。それしか時間をつぶす方法がないようにしておくと、意外に効率的に進む。
今回はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』(上下)を持参。往路で上巻を読み終える。『銃・病原菌・鉄』のほうがおもしろかったが、この本もおもしろい。グローバリゼーションの負の側面は無視できないとしても、交易がなかったとしたらわれわれの生活はもっと貧しく、悲惨なものであっただろう。そして、環境変化というのも実にくせものだ。石油以前から人類は環境破壊を繰り返し、文明を崩壊させて来ている。ついでに、モンタナに是非とも行きたくなった。モンタナで何か仕事はないものか。
クリントン・ライブラリーで何とか欲しい資料のコピーをとり終えた。前回もそうだったけど、他に誰も閲覧者がいないので、アーキビストとマンツーマンになってしまう。閲覧室は教室のようになっていて、教壇に当たる位置にアーキビストが座り、学生の位置に閲覧者が座る。閲覧者が変なことをしないようにアーキビストが見張っているわけだ。資料を抜き取るなんてことを考える人はいないと思うが、持ち込んだ後に持ち出す白い紙はすべて点検され、スタンプが押される。コピーはとれるが、すべて青い紙にコピーされるので、オリジナルと区別される。
クリントン・ライブラリー
閲覧室
ライブラリーの近くにリバー・マーケットという場所がある。こぢんまりとした飲食店街なのだが、一応「マーケット」なので、夕方には閉まってしまう。この裏手には、リトルロックの地名発祥となった小さな岩があるはずなのだが、前回は見つからなかった。今回はと思って駐車場の管理人に聞いてようやく分かった(気がする)。たぶん、この落書きされている寂しげな石のことらしい。しかし、本当かな……。
写真手前にある小さな角張った石がリトルロック?
木曜日、早めの夕食を取り、ホテルで午後8時(中部時間)から副大統領候補討論会を見る。二人のカメラ目線が気になった。前回はオバマが最初のステートメントでカメラ目線を使い、その後は司会者に向けて話をすることが多かった。マケインはほとんどカメラ目線を使わなかったように思う。今回は、ペイリン(どちらかというと「ペイラン」と私には聞こえる)がほぼずっとカメラ目線だったのに対し、バイデンは最初はカメラ目線を使わなかった。どうしたのかなと思っていたら、バイデンはここぞと言うときにカメラ目線を使って訴えていた。意識的に使い分けていたのだろうか。
バイデンは顔が怖いけれども、人が良いみたいで、ペイリンが言うことに頷いたり、笑ったりしてしまって、どうなのかなあと思ったが、CNNの画面の下に出ていた印象度のプラス=マイナスのグラフでは、ペイリンよりプラスに触れる幅が大きかったように思う。バイデンは得意の外交になってからは特に説得力が上がった。それに対してペイリンはやはり外交ではあまり説得力がない。国際経験が不足しているのか。答えに詰まっているように見えることも何度かあった。司会者に問い詰められた同性愛結婚でも、(マケインが認めているため)ペイリンが同意してしまったのはどうなのだろうか。彼女は強硬な保守派を引き込むためのカードだったのだから、少し含みを持たせた方が良かったのではないかと思う。
ペイリンも「変化はやってくる」と、マケインと同じ言い回しをしているが、「変化」が争点だということを認めてしまったのも疑問だ。相手に引きずられてしまっている。すかさずバイデンは、「根本的な違い」、「根本的な変化」という言葉を使って差を付けようとする。ペイリンも「ミドルクラスのために戦う」というけれども、あれだけバイデンに金持ち優遇だと非難された後だと説得力が弱い。
今回食べておいしかったのはステーキとナマズ。ステーキはクリントン大統領が通ったというDOE'Sという店。ライブラリーからは一本道だが歩くと遠くて疲れた。店内には大統領はじめいろいろな人の写真が飾ってある。写真はランチメニューのTボーンステーキ。ボリュームがすごい。肉は最初からカットされて出てくる。これにサラダが付く。焼き加減はミディアムにしたので表面は焦げているが中はちょうど良い。肉が大きいのでレアやミディアムレアでは中がほとんど生肉に近くなる。アメリカでステーキを食べるときはミディアムがちょうど良いと思うようになった。
DOE'SのTボーンステーキ
これも割とよく知られているFlying Fishという店のナマズのフライ。あっさりしていておいしい。この店の店内はお客さんが持ち込んだ釣りの写真でいっぱい。ウェイターはいなくて、ファーストフード感覚で好きな席に座って食べられるのも良い。
ナマズとエビのフライのコンボ・セット
店の入り口には、「エサが良ければどんな魚でも食いつく」と書いてある。なるほどねえ。意味深だ。
帰りは朝4時に起きて6時の飛行機に乗る。US Airwaysは機内の飲み物が有料になった。カンのソフトドリンクが2ドル、コーヒーが1ドル、アルコールが7ドル。乗る前に買った方が安い。機内で『文明崩壊』の下巻を読む。意外にも徳川時代の育林政策が成功例として紹介してあった。日本は国土の75%が森で覆われており、先進国の中では最も高い。しかし、それは原生林ではなく、一度枯渇しかかった森林資源を徳川幕府のトップダウン政策で回復したものだという。徳川時代を見直す機運が最近高まっているが、こんなところでも紹介されているとは。ただし、現在の日本はアジアやオーストラリアから木材を輸入していて、国内の高い森林資源を持て余している。何かおかしい。
その後の章で中国の話も出てくるのだが、中国は徳川時代の政策をもっと研究すると良いのではないかと思う。今の日本やアメリカを見ても中国の参考にはあまりならない。日本のお上意識は徳川時代に端を発している。その前は下克上の戦国時代もあった。中国が求める秩序ある社会のモデルは徳川時代ではないだろうか。これを研究したいという留学生がいたら大歓迎だ(最近、留学したいという外国人からのコンタクトが多いのはなぜなんだろう。このエサに食いつく留学生はいるかな)。
先週末、TPRC(通信政策研究会議)に参加するため、ワシントンDCへ行ってきた。SFCに移ってからTPRCの時期は必ず授業初回と重なるため、参加するのは2003年以来ではないかと思う。ずいぶん久しぶりになってしまった。主催者の一人に日程を変えてくれないかと頼んだことがあるが、ユダヤ人の休みの関係で日程が決まるので仕方ないとのことだった。来年からまた当分出られないだろう(ちなみに日本ではICPCというのがある)。
会場では昔なじみがけっこういて懐かしい。2月に経団連のシンポジウムに呼んだChris MarsdenやThomas Hazlettも来ている。日本からの参加者も今年は多いような気がする。大阪学院大の鬼木先生がパネル発表された他、国立情報学研究所の上田さんたちがポスター発表。GLOCOMの渡辺さんと庄司さんが来ていた他、常連の中大の直江先生もいらっしゃる。
次期政権への通信政策の提言をするというセッションに期待していたのだが、地味でつまらない。これまで議論されてきた枠組みを乗り越えずに何となく継続を促すような議論が多い。その次のNGNのセッションも、相変わらずNGN(あるいはNGA)が何かということが定まらないまま議論が進んでいる。ものすごい時代遅れの話をしている人もいる。コムキャストがやる気満々なのが印象的だったが、それでも次世代と言えるほどではない。1ギガのアクセス網なんて夢の世界という感じだ。日本から誰か分かっている人が話すべきだっただろう。最後にChris Marsdenが日本のことをちょろっと触れただけで終わった。
金曜日は、大統領選挙討論会が夜の9時からあったので夜は早めにホテルに戻る。オバマは支持者に囲まれて演説するときとは顔つきが違った。何となく焦りというか、いらつきのようなものも感じた。しかし、私はひどい寝不足のせいで後半は集中できなかった。残念。翌朝、セットもしてない目覚まし時計に起こされた。くやしい。
土曜日の朝のセッションで九州大学の実積寿也先生が日本のネットワーク中立性議論も含めて非対称規制について発表された。ブロードバンド普及が遅れている米国から見ると日本はどうしても特殊事例に見えてしまうが、それでも日本の現状を説明してくださったことは重要だ。
TPRCは完成された議論というよりも、荒削りの議論が出てくるところがおもしろい。首をかしげたくなるようなものから、なるほどと思うものまで幅がある。少し変わったなと思うのは、政策の直接的なネタになるようなものよりも、アカデミックな論考が増えてきた点。毎年ぶれがあるのかもしれない。
土曜日の昼休み、気分転換にクラレンドンまで歩くと、お祭りをやっていた。屋台がたくさん出ている。ジップカーが置いてあったり、オバマとマケインのブースもあったり、なかなか楽しい。子供たちのためのアトラクションには長い行列ができている。クラレンドンは7年前には何もなかったのに、今は世界各国のレストランと商店とマンションが並ぶ賑やかなところになって、街おこしに成功したんだなあと思う。
オバマ陣営の様子
マケイン陣営の様子
1時間半のフライトでワシントンDCまで来られるのは良いなあ。東京にも1時間半で帰れたら良いのに……、と思っていたら、またもやナショナル空港で足止めを食らった。ゲートを離れてから機内で1時間半。疲れたけど、離陸までパソコン使って良いというので仕事が進んだ。
滑走路の向こうにかすかに見えるワシントン記念塔