インテリジェンスの最近のブログ記事
福田充『テロとインテリジェンス―覇権国家アメリカのジレンマ―』(慶應義塾大学出版会、2010年)。
昨年、ニューヨークでお会いした福田先生が、こんな本を出された。そのものずばりのタイトルで、ちょっと悔しいなあ。まだ内容は読めていないけど、目次を見る限りはさまざまな組織やプログラムを丁寧に追いかけているようだ。さすがだ。
インテリジェンスの研究、日本でも一気に進んで来ている。私も頑張らなくては。
これは2007年の参院選の前に載せてもらったもの(クリックするとJPGファイルが開きます)。
土屋大洋「情報活動 立法府の無理解」『読売新聞』(2007年6月30日夕刊)。
グーグルとNSA(国家安全保障局)が協力するという記事をワシントン・ポストが載せた。
『情報による安全保障』などでギーク(技術オタク)とインテリジェンス機関が手を結ぶと言ってきた私としては、やっぱりなという感じがするが、違っていたのはグーグルのほうからNSAに助けを求めたということ。私はNSAの力を見くびっていたのか。
ただ、米国のメーリングリストの議論などでは、数年前から両者は協力関係にあったという話も出ており、グーグルの大規模なインフラストラクチャはNSAにも魅力だろうという。そりゃそうだ。
10月17日から21日まで、またイスラエルに行った。といっても、到着は17日(土)の深夜、出発は20日(火)の早朝で、実質的には2日しかいなかった。授業はあまり休めないので仕方ない。観光はできなかった。
今回はIIHA(International Intelligence History Association)という学会での発表。1993年にドイツで設立された学会で、初回はオーストリア、その後はずっとドイツ国内で年次会合が開かれてきたが、今回初めて国外で開かれるということだった。
まだ9月のイスラエル行きが決まってなかった頃に発表募集の締切があり、一度イスラエルに行ってみたいという気持ちだけで応募した。その後、9月のイスラエル行きが決まり、この10月の学会のときは用事ができてしまったので、辞退のメールを送った。ところが、日本からの参加というのがめずらしかったらしく、是非来てくれと催促が来た。学会の途中で帰ることになるけど良いかと聞くと、それで構わないということなので出かけることにした。
ところが、確定したプログラムを後で見てみると、学会の最終日に発表はなく、「戦略的エルサレム・ツアー」なるものが設定され、おまけにモサド関連の施設も見学するという。いちばんおもしろいところに参加できないことがわかって残念だった。
深夜にテルアビブに到着。一眠りしてから午前中は発表の準備。午後から学会。外国からの参加者はほとんど同じホテルに泊まっているので、学会がバスを手配してくれる。近くの席の人が「こんにちは」と日本語で話しかけてきた。ニューヨークの大学で教えているイタリア人で、ファーストネームが「イタイ」なので、日本人によくからかわれるそうだ。
学会の場所は、バリラン(Bar-Ilan)大学という、宗教色が強いという意味で保守的な大学の教室を借りて行われた。私から見ると違いがよく分からないが、地元の人から見ると、テルアビブ大学とはずいぶん雰囲気が違うらしい。参加者は100人ぐらい。大きな階段教室に収まる。
プログラムにヘブライ語で名前が書いてあった。ヘブライ語は右から書く。
受付を済ませると、9月のカンファレンスで会った人たちが何人かいたり、「お前、日本人だろ。発表楽しみにしているぞ」と言われたり、なんだか歓迎されている。
最初のパネルでは、古代ギリシャのインテリジェンスや、ヘロデ王のインテリジェンスなんて発表があり、なかなかおもしろい。CIAやDIA、FBIの現役の人(ヒストリアンも含めて)も発表している。夜は発表者全員でレストランに出かけてイスラエル料理。韓国の研究者といろいろ話す。
私の発表は二日目の午後、最後のラウンドテーブルの直前のパネルである。日本のインテリジェンス機関の再構築について。今回は準備の時間が足りなくて、自分としては70点未満のできだったが、日本の話はめずらしいらしく、たくさん質問をもらえて良かった。司会者が「今日は日本が人気だねえ」というと、フロアから「いつもだよ!」と叫んでいる人もいた。後でその人と話したら黒沢映画の大ファンだった。
その晩は、テルアビブ市街のロスチャイルド通りにある店に連れて行ってもらい、地ビールを飲んだ。たぶんキリスト教徒の店で、豚肉料理もあった。疲れとビールでふらふらになり、ホテルに帰るとそのまま眠ってしまう。フロントに頼んであったウェイクアップコールで午前1時に起床。2時にホテルを出て空港に向かい、長いセキュリティを抜けて午前5時半の帰国便に乗った。
IDCとかICTとか言えば、これまでの私ならInternet Data CenterとかInformation and Communications Technologyのはずだが、今回は違う。
イスラエルのテルアビブ郊外にあるIDC(Interdisciplinary Center)のICT(International Institute for Counter-Terrorism)によるWorld Summit on Counter Terrorismというカンファレンスに参加した(発表はなし)。このカンファレンスは2001年の9月11日に第1回が開かれるという因縁めいたカンファレンスで、今年で9回目になる。
イスラエルで開かれるテロ対策のカンファレンスということで、少し敷居が高く、参加にあたっては簡単な審査がある。私は昨年日本から参加した方に紹介していただいた。
イスラエルは日本のメディアを通してみると物騒な国というイメージが強い。実際、テロもあるし、ガザ侵攻もある。しかし、そうした現場以外では一見すると平穏で、テルアビブの西に広がる地中海の海岸線はとても美しい。ホテルから見える日没は写真では伝えきれない。この国は治安の問題がなければきっとすばらしい観光大国になるだろう。
カンファレンスは、「ワールド・サミット」と言いつつ、アラブ系の人はいないし、各国首脳が来るわけでもない。初日の夜の主賓はアメリカの下院議員とイスラエルの野党の党首だった。野党と言いつつ、議会では実は第一党で、連立工作に失敗したために、野党になっているらしい。
話がイスラエルと中東の話に偏っているけど、それなりにおもしろいカンファレンスだった。リピーターが多いのも特徴だ。昨年は1100人も参加者がいたらしいが、今年は金融危機の影響か、800人らしい(しかし、本当に800人もいたのかなあ。水増しされている気がする)。
ミスター・アルカイダと呼ばれているシンガポールの人がいて、彼の発表はアフガニスタンとパキスタンの国境付近の詳細な地図と写真がいっぱいでとてもおもしろかった。他にもテロリストがどうやってインターネットを使っているかとか、欧米のメディアがハマスやヒズボラのメディア戦略に引っかかっているとか、おもしろい話が聞けた。ただ、全体としては、イスラエルと米国の意識合わせ&諸外国へのパブリック・ディプロマシーという感じが強い。イスラエルの立場をこれでもかと主張する論者が多い。
中東はこれまでチュニジアとトルコしか行ったことがなかったので、初めてのイスラエル経験はおもしろかった。
しくじったのは入国審査。飛行機を降りたらいきなりセキュリティにつかまって質問されてしまったので、入国審査で別紙にスタンプを押してもらうはずが、すっかり忘れてしまった。イスラエルと国交のないアラブの国は、イスラエルのスタンプがあると入国を拒否する。そもそも、乗り継ぎを含めて20時間のフライトの後、夜中の1時(日本時間の朝7時)に到着というのがいけない。しっかりパスポートにはイスラエルのスタンプが押されていた。これでシリアには行けなくなりましたよ、O先生。
朝7時に家を出てボストンのサウス・ステーションへ。7月にNYに行って以来のアムトラック乗車。私は鉄分はそれほど多くないが、アムトラックはなぜか好きだ。ちょうど良い時間に特急のアセラがなかったので普通列車でニュー・ヘブンへ向かう。2時間20分ほど。前回乗ったとき、ボストンから南へ向かって左側の景色のほうが良いことに気づいたのでそちらの席を確保したが、雪まじりの天気で景色はあまり良くない。時折見える川や湖(あるいは海の入り江?)が凍っている。
定刻にニュー・ヘブンに着き、時間に余裕があったのでイェール大学までブラブラ歩く。5月にCFPというカンファレンスで来て数日過ごしたのでだいたい土地勘がある。
12時にイェール・ロー・スクールに行き、友人に会う。彼女はコロンビア大学で博士号をとったばかりで、イェールの情報社会プロジェクトでフェローをしている。いずれ彼女もどこかでテニュアをとり、立派な先生になるのだろう。
イェールの建物は統一されていて古めかしさを漂わせているが、ハリー・ポッター的でもある。ロー・スクールの建物もまさにそんな感じで、中の食堂も良い雰囲気だ。そういえば、インディ・ジョーンズの最新作のロケでもイェールが使われていた。
今、アメリカの大学はセミナーの季節に入っている。セミナーというと日本では講習会というイメージだが、アメリカでは講演会だ。MITでもハーバードでも毎日のようにセミナーが開かれている。イェールの情報社会プロジェクトでも今日から毎週セミナー・シリーズが始まり、私はトップ・バッターの栄誉をいただいた。
これまで英語が下手なのも気にせず、けっこうな数の英語の講演や学会発表をしてきて、たまに大成功と呼べるようなものもある(最近では昨年のトルコはうまくいった)が、今回は明らかに準備不足であまりうまくいかなかった。考えてみると昨年4月のジュネーブ以来、日本語でも英語でも人前で話していなかった。もうしどろもどろで、途中で胃が痛くなってきた。やはり準備は周到にやらないとダメだ。
聴衆には申し訳ないのだけど、今回は自分の研究の進捗を話してフィードバックをもらうことが目的だった。テーマはブッシュ政権の令状なし傍受だったのだが、聴衆の反応が複雑。ロースクールの学生やファカルティだから、法的な側面について彼らはいくらでも語れるはずだが、政治的な側面になるとみんな奥歯に物が挟まっているような感じだ。こういう話もある、こういう動きもあると教えてくれたのはありがたい。しかし、自分のポジションを明確にするような意見はほとんど出てこなかった。
これまでこの問題をいろいろな人に質問をしてきたけれど、アメリカ人にとってもこれは自慢できる事例ではないので、語りにくいのだと思う。さらに言えば、イェールはブッシュ親子の母校である。そんなところでブッシュ批判ともうけとれないことを話す私がちょっとずれているのかもしれない。外国人に言われたくはないわな。例えば、日本の腐敗政治について研究しに来ましたというアメリカ人が東京で講演して受けるはずはない。ま、いいや。
天候が悪くなるという予報だったので、セミナー終了後、タクシーに飛び乗る。本当はイェールの中を案内してもらいたかったなあ。とても残念。もう当面はここに来ることもないだろう。しかし、雪で帰れなくなると困るので仕方ない。
ボストンに帰るアムトラックの特急アセラは数分遅れでニュー・ヘブンを発車。今度も景色の良いはずの右側(ボストンに向かって)の席に座れたが、雪が激しくなり、外の景色はほとんど見えない。日本の電車だったらスピードを落としそうなものだが、さすがニュー・イングランドの特急はスピードを落とさずに突っ走っているので余計景色は見えない。
景色が悪いのでN君が送ってくれた卒論を読む。締切ギリギリに出したためだろうが、誤字脱字が多いのがちょっと残念。でも彼がずっと主張していたコンセプトがかなりおもしろくまとまっている。忘れていた論点もいくつか思い出させてくれた。先学期も卒論を送ってくれた学生がいたが、忘れずに送ってくれるのはけっこううれしい。一年とか二年つきあって話を聞いていると、こうした時間が経ってから読んでもぱっと昔の議論がよみがえってくる。勉強から一歩でも踏み出して研究した成果を形にして卒業できる学生はすばらしい。
飛行機の旅も良いけど、電車はシートベルトに縛られることもなく、電源も使えるからリラックスできる。一つ終わってすっきりしたので、帰国までもう少し頑張ろう。
ブッシュ政権のCIA長官マイケル・ヘイデンはNSA長官時代に令状なし通信傍受を始めた張本人で、プライバシー業界では非常に評判の悪い人だ。ところが、オバマ新大統領が彼を留任させるかもしれないという噂が出ていた。
結果的には、クリントン政権の古狸であるレオン・パネッタが指名され、インテリジェンスのプロたちを怒らせている。パネッタはインテリジェンスの経験が全くないからだ。
ヘイデン留任はなかったが、クリントン政権からブッシュ・W・ブッシュ政権に移る際、ジョージ・テネットCIA長官が政党を超えて留任したことがあるから、あり得ない話ではない。
さらにさかのぼると、フォード政権下でCIA長官だったパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)は、任期が短かったこともあり、カーター政権でも引き続き長官職に留任することを希望していたが、カーター新大統領に拒絶されたという話があるそうだ。
当時のパパ・ブッシュは非常に党派的な人間として知られていたので、そこが嫌われたようだ。
この話を読んで、10月にヒューストンのブッシュ・ライブラリーで見つけた資料を思い出した。歴史的価値が特にあるわけではないが、おもしろいのでスキャンして載せておこうと思う。なお、紙が青いのは、原資料と区別するために大統領ライブラリーのコピー用紙が青いため。
通信傍受の話も追いかけているテーマの一つだが、こちらでも進展があった。3年前の今頃、ニューヨーク・タイムズがブッシュ政権の令状なし通信傍受をスクープした。その情報源が誰だったのか(少なくとも私は)分からなかったが、ニューズウィーク誌が司法省の職員Thomas M. Tammであるとして、今週発売された号でカバー特集記事にしている。
まだちゃんと目を通していないが、TammはFBI一家で育ち、あの悪名高いエドガー・フーバーFBI長官の机の下で遊んでいたというから、司法省/FBIの中でも筋金入りだ。その彼が、NSAが違法性の高い通信傍受をしていることに気づき、公衆電話からニューヨーク・タイムズにタレこんだということらしい。しかし、すぐにFBIが知るところとなり、かなりの嫌がらせを受けたようだ。彼は確かに筋金入りだが、組織に対して筋を通したのではなく、正義に対して筋を通す人だった。
「blow a whistle」は「笛を吹く」の意、「blow the whistle」は「内部告発をする」という意になる。
先週の後半、テキサス州ヒューストンに行ってきた。正確にはそこから車で1時間半ぐらいのカレッジ・ステーションという町である。レンタカーを借りて片道4車線ほどあるフリーウェイを走り続ける。テキサスはまだまだ暖かくて気持ちがよい。気温は27度くらいあるらしいが、乾燥しているせいか、不快感はない。
途中、牧場が続く田舎道を通るのだが、道はナビに任せて(ようやくアメリカでもナビが普及してきた!)、ちらちらと横を見ていると、マケインとペイリンの名前が入った看板が目立つ。オバマ陣営の看板を出しているところは無かった。やはりブッシュ家の牙城なのだろう。
カレッジ・ステーションには、その名の通り、テキサスA&G大学という大学がある。巨大な大学で、スポーツが盛んらしい。スタジアムやフィールドや体育館がずらっと並んでいて、車がないとキャンパス内も移動できないのではないかという感じだ。
このテキサスA&G大学のキャンパス内にパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)のライブラリーがある。すっかり私は大統領図書館のファンになっており、レーガン、クリントンに続いて三つ目である(もっと行きたいが、たぶんこれで打ち止め)。なぜこんなところに作ったのかと元大統領はよく聞かれるらしいが、展示の最初に見せられるビデオでは、「分からないと思うけど、この雰囲気が好きなんだ」と言っていた。
アーカンソーのクリントン・ライブラリーでは、そこそこの資料は見つかったものの、大ヒットはついに出てこなかった。FOIA(情報自由法)請求はしてみたものの、まだ結果は来ない。私が調べているテーマは国家安全保障にも絡むので、ほとんどの文書が非公開になっている。
ブッシュ・ライブラリーにも事前にメールを送って問い合わせてあったが、「あまりないよ」というつれない返事だった。だから、それほど時間は必要ないだろうと短めの日程を組んでいた。
ヒューストンのホテルで朝寝坊したせいで、レンタカーを借りてカレッジ・ステーションに着いたのは昼過ぎだった。アーキビストも私のテーマを聞いて、気乗りしていないのがありありと分かる。失敗だったかなあという思いがよぎる。
結局、欲しいと思っていた大統領時代の文書はほとんど何も出てこなかった。しかし、「ブッシュ大統領は、CIA長官だったこともあるよね」とふと言ってみると、「その時代の資料なら少し公開されているわよ。見てみる?」というので、是非見たいと頼んだ。これが、私にとっては宝の山だった! その重要性に気づいたとき、手に汗がにじんでくるのが分かった。来た甲斐があった。
一日目の夜、テキサス・ビーフを食べようと、安っぽいステーキハウスに入った。大繁盛していて少し待たされたので観察してみると、店員がパリス・ヒルトンみたいな雰囲気の若い女性しかいないのが異常だった。ボストンなら体格の良い中年女性や男性もたくさん働いている。食事に来ている客を見ると白人ばかりだ。バーに座っていた黒人男性一人と私だけが、見える範囲で白人ではなかった。テキサスってこわいなあ。多様性を重んじるアメリカには思えない(ヒューストンのような大都市ではもちろん違うだろうけど)。こういう州が共和党政権を支えているのだろう。
二日目、閉館間際に展示も駆け足で見る。ブッシュ家はテキサスというイメージが強いけれども、パパ・ブッシュの父親(現大統領の祖父)はオハイオ州出身、母親はメイン州出身、自身はマサチューセッツ州で生まれている。テキサスとのつながりは、大学卒業後に石油ビジネスに身を投じてからだ。ブッシュがテキサスで政治の世界に進んだとき、今では想像も付かないが、テキサスは民主党が圧倒的に強かったらしい(共和党員は飲んだくれて選挙に行かなかったのだとブッシュは言っている)。息子のジョージ・W(現在の大統領)は父親がイェール在学中にコネチカット州で生まれているから、テキサスとブッシュ家のつながりは、新しいものだと分かる(息子も後にイェールに進学)。息子のブッシュ大統領が休暇を過ごしにテキサスの牧場に行くのも、州知事だったとはいえ、政治的なポーズなのかもしれない。
ライブラリーからヒューストンへ戻る際、金曜日の夕方の渋滞にはまってしまう。フリーウェイで車が動かなくなってしまった。ふと前の車の窓を見ると、オバマのステッカーが貼ってある。おおっと思ってよく見ると、「STOP OBAMA EXPRESS」と書いてあった。やっぱりアンチ・オバマらしい。ボストンではマケインのステッカーを貼っている人は見たことがない。やはり土地によってはっきりしているようだ。
ぼやっとしているうちに、ブッシュ政権がインテリジェンスに関する大統領命令12333を改正し、議論を呼んでいる。
オリジナルの大統領命令12333はレーガン政権の時に出されたもので、インテリジェンス機関の活動を規定している。大枠は法律で決まるが、詳細は大統領命令で決められる。この大統領命令は、秘密だらけで訳の分からなかったインテリジェンス機関の法的制約を明らかにする画期的なもので、CIAによる暗殺を明示的に禁じたものとしても知られている。
改正された大統領命令には、オリジナルには入っていなかった以下の文章がある。
米国政府は、連邦法によって保証されている自由(freedoms)、市民的自由(liberties)、そしてプライバシーの権利を含む、あらゆる米国民の法的権利を完全に守るという厳粛な義務を負っており、この命令の下でのインテリジェンス活動の実施において継続しなければならない。
わざわざこんなことを追加して書くとは、近年のさまざまな問題は何なのだろうと勘ぐりたくなる。しかし、わざわざ書くのは前進だという見方もある。
ブッシュ政権は最近、大統領命令はこっそり改正できるという法律的立場をとっていることが分かり、問題になっている。アメリカは法律社会だというが、法律に準ずる大統領命令が、誰も知らない間に無効になっていたり、書き換えられていたりしたら、法治国家ではなくなるだろう。ますますインテリジェンス機関をコントロールできなくなる。
今回の大統領命令の改正は、近年のインテリジェンス・コミュニティの改革を反映するためのものだが、これをこっそり書き換えられるとすれば、形式的な改正でしかないのか。