情報社会学を構築する: 2004年12月アーカイブ
雪の中、無事に帰国。新聞をめくっていたら、ダンカン・ワッツの本が翻訳されたことを知った。読み直してみよう。
ダンカン・ワッツ(辻竜平、友知政樹訳)『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』阪急コミュニケーションズ、2004年。
ネットワーク ― 現代社会を語るうえで外すことの出来ないキーワード。その不思議に迫る本書を読めば、人間関係はもちろんのこと、狂牛病、鳥インフルエンザ、重症急性呼吸器症候群(SARS)、そしてコンピュータウイルスの流行から、ハリー・ポッターのヒット、株価の暴落、バブル経済の崩壊まで、実に様々な出来事の背後にひそむ『スモールワールド現象』が見えてくる。
Barnaby, J. Feder, "Despite Wal-Mart's Edict, Radio Tags Will Take Time," New York Times, December 27, 2004.
アメリカ(世界?)最大手のスーパーマーケット・チェーンのウォルマートが来月(あと数日)までに納入業者の上位100社にRFID対応を求めていたが、やはり遅れるそうだ。1年間ひそかにRFIDのことを追ってきたが、最近失速気味なのはなぜなのだろう。「大統領選が終わったら動き出すよ」とアメリカの専門家が言っていたが、どうもそんな感じもない。
アメリカのハイテク業界全体はそんなに景気は戻ってきていないのだが、ワシントンDC周辺のハイテク業界(シリコン・ドミニオン)は景気がいいという。国防総省のRFID導入(やはり来月までに対応の予定)のせいかと思ったら、セキュリティ関連だという。
もちろんRFIDもセキュリティには多少関係があるが、それほどインパクトは大きくない。あるいは軍事関連技術の常として地下にもぐり始めているのか。
夜の研究会では、米国からのゲストを囲んだ。バックグランド(オフレコではないが、情報源を出してはいけない)だったので、詳しく書けないのが残念だが、おもしろかった。特に、来年にもあるかもしれない米国通信法改正の話と、電波オークションに対する肯定的評価だ。ヨーロッパの3Gオークションの失敗を徹底的に研究したようで、それを克服するやり方を見つけている印象を受けた。
昨日はいろいろなところでいろいろな人に会っていろいろ刺激を受けた。
午後の研究会では、またもや著作権の話が出た。「著作権の問題があってコンテンツが出てこない」という話だ。この際、テレビのスポンサーである大企業が「うちでスポンサーする番組は著作権フリーにせよ」といってくれればあっという間に増えてくるはずだ。こう言ったら、聞いていた人に激しくかみつかれた。「そんなことでは権利は守れない」というのだ。
しかし、テレビ局が向いているのは視聴者ではなくスポンサーであり、広告代理店である。視聴者がいくら番組を出して欲しいといってもダメだろう。
プロデューサーたちだって、自分の番組が簡単に見られるようになったほうがいいと思っているのではないだろうか。音楽のプロデューサーたちが楽しんでいるような名声をテレビのプロデューサーは得られていない。ネットで再配信される番組にはスポンサーの名前とロゴをしっかり入れて、プロデューサーのクレジットもしっかり入れておけば「気持ちの整理」は付くだろう。
そもそも番組が最初に放送されるときまでにスポンサーから十分な報酬が制作側には支払われているはずだ。それにプラスアルファでネット再配信料が仮に小額でも入ってくればうれしいだろう。死蔵されてゼロになるよりはプラスになるのだ。
それに、オンライン販売の単価が十分に安くなれば、いちいち不正コピーをする人はほとんどいなくなるだろう。
こういう話をすると、「国営放送のNHKがまずコンテンツを出すべきだ」という人がいるが、NHKは公共放送だ。国民が税金を払ってNHKを支えているわけではない。テレビを持っている人だけが払っている受信料でNHKは成り立っている。NHKは国営放送ではなく公共放送で、政府機関ではなく特殊法人だ。NHKのコンテンツが国民のものだとはどこにも書いてない。「BBCがクリエイティブ・アーカイブを作るのだから、NHKも」といっても一筋縄ではいかない。BBCも公共放送だが、受信料は税金的に徴収されていて、払わないと罰金がかかるが、NHKの受信料支払いは11万人も拒否している。
まずは民放がやってほしい。特に一社がスポンサーとなっている番組からだ。NHKスペシャルの話ばかりがされるが、たまには民放だって高品質の番組が出てくる。不正コピーが怖いというが、「プラス・アルファ」の分け前を求めるよりも、番組作りのプロとしての名声を確立したほうが、次の仕事へとつながるのではないか。プロデューサーや制作会社の間で良い番組作りへの競争も始まるのではないかと思うのだが、甘いだろうか。