グランド・ストラテジーを考える: 2004年12月アーカイブ
Gary Hart, The Fourth Power: A Grand Strategy for the United States in the Twenty-First Century, Oxford University Press, 2004.
アメリカの元上院議員ゲーリー・ハートが書いたグランド・ストラテジー本。元政治家の本とはいえ、彼は引退後の2001年にオックスフォードから政治学の博士をとっている学者肌で、これまで13冊の本を出しているそうだ。
B・H・リデルハートの戦略論を引用しながら、冷戦体制崩壊後のアメリカにはグランド・ストラテジーがないと嘆いている。前書きを読む限りはジョン・ギャディスやポール・ケネディ(リデルハートの弟子)の影響を受けているようだ。
第四のパワーとは、政治力、経済力、軍事力に次ぐ「理念の力(the power of principle)」だそうだ。アメリカが今進み始めている帝国主義のグランド・ストラテジーは、建国の理念である民主的な共和主義の理念(the democratic republican principles)にそぐわないというのが彼の批判だ。
話はそれるがシンガポールの紀伊國屋書店はすばらしい。東南アジア一の売り場面積だそうだが、日本語、英語、中国語の本がどっさりある。東京でもこれだけ英語と中国語が揃っているところはないだろう。日本語の本だってその辺の本屋よりずっとたくさんある。ここに住んでいても研究上苦労することはないだろう。
もう一つついでに言うとハートとネグリがいつの間にか『Multitude』という『Empire』の続編を出していた。知らなかった。私にはどうも難解でピンとこないのだが読んでみよう。
シンガポール国立大学の教授といろいろ話ができた。彼自身は実はシンガポール国籍ではなかったので、いろいろ率直な意見が聞けておもしろかった。専門的技能を持っていればシンガポールで永住権を獲得するのは簡単らしく、彼も持っている。彼は生まれたところと、国籍を持っているところと、今住んでいるところがすべて異なる。
まず、個人情報保護の話。パスポートとは別のIDカードを持ち歩いているが、パスポートと番号は共通。これはあらゆるところで使われるが、パスワードが付いている。ウェブを含めていろいろなところでこの番号が使われるが、パスワードがないとさまざまなサービスは受けられない。基本的には納税者番号として使われている側面が強い。シンガポールでは所得のかなりの割合が強制的に積み立てにまわされるシステムになっているので、その際にもこの番号が使われる。
言論統制の話。確かにポルノなどは規制されているが、みんなCNNや海外のニュースには接しているし、日常生活においてはどうということはないらしい。この点について研究しているシンガポールの研究者がいないのも確か(理論的な研究者はいる)だが、それほど強い圧力があるわけではない。
エリート主義の話。確かに古い世代が新しい世代を選抜しており、似たような思想傾向を持つ人が指導的に地位についていることは否めない。しかし、シンガポールに革命はいらない。環境変化に応じた進歩さえあればいい。これが多くの人の考え方だそうだ。民主主義は革命の制度化だから、その民主主義に歯止めをかけておこうという考え方は、筋が通っているといえば通っている。
体制批判についてもっとも口が軽いのはタクシーの運転手だそうだ。さっそく試したのだが、日本で11年間働いたことのある運転手だったので、日本の話だけで終わってしまった。
シンガポールは二回目なのだが、今回はシンガポール国立大学の先生と話をしなくてはいけないので、飛行機の中で予習。たまたま見つけた二冊が同じ先生によるものだと気づいた。たぶん第一人者なのだろう。
田村慶子『「頭脳国家」シンガポール』講談社現代新書、1993年。
田村慶子編著『シンガポールを知るための60章』明石書店、2001年。
どうしても言論統制やら治安維持法が気になってしまうのだが、それ以外でおもしろかったのは、リー・クアンユーら指導層があまり民族的ではないらしいという点。第一世代の指導者たちはイギリスで教育を受けた中国系なのだが、人種意識が強くなく、エリート意識のほうが圧倒的に強い。最終的には中国系しか首相にはなれないようなことが示唆されているが、それでも優秀かどうかを徹底的にふるいにかけて第二世代、第三世代を選んでいる。コネは通じない。リー・クアンユーの息子も誰もが認める優秀さがあるから昇進しているようだ。
問題は、第一世代と思想傾向を同じくするクローンしか次世代の指導者として選ばれないこと。反論するものはあっさり追い落とされるので、確かに「優秀」なんだが、異論は許されない雰囲気があるようだ。大学を卒業できる人は確実にエリートであり、エリートは指導層による盗聴もかいくぐりながらエリート再生産のスパイラルを上っていく。
それもこれも、資源がない都市国家としてのサバイバルという国家目標が定まっているからに他ならない。第一世代としては、今の繁栄が脆弱なものに過ぎないという危機感が強いのだろう。シンガポール国立大学の教授に今晩聞いてみよう。