2008年6月アーカイブ
昨年のエストニアに続いて、リトアニアもやられたようだ。
Sara Rhodin, "Web sites in Lithuania attacked," International Herald Tribune, June 30, 2008.
この問題、ジュネーブでも議論されていたが、こうした攻撃は多くなるかもしれない。社会がインターネットに依存すればするほど、被害は大きくなる。そして、政府がインターネットに介入する口実になる。
日曜日、ジップカーに乗ってI-90号線をひたすら西へ向かう。ケンブリッジから120マイル(190キロ)ほど離れたところにストックブリッジという町がある。ここに、ノーマン・ロックウェルのミュージアムがある。ロックウェルの絵はとてもアメリカ的でほほえましいものが多い。彼は自分の仕事が好きだったんだなあと感じさせる。自分の仕事を愛せる人は幸せだ。
その後、タングルウッドへ向かう。有名な音楽祭のシーズンが始まった。ボストン・シンフォニーが夏の間タングルウッドに引越し、そこでカジュアルなコンサートを開いてくれる。ボストンで聞くときはきちんとした格好をしなくてはならないが、タングルウッドではみんなTシャツに短パンだ。
開門すると、みんな持参した椅子を持って芝生の席取りに向かう(でもわれ先にという雰囲気ではない)。今回はSeiji Ozawa Hallだった。ステージから見てホールの正面の壁が開き、芝生に座って音楽を聴くことができる。子連れでも良いし、持参したお酒を飲んだり、食事を楽しんだりできるのもすばらしい。折りたたみ式の椅子も4ドルで借りられる。
この日は開幕したばかりなので満席というわけではなかった。大物が来たり、良い演目になったりすると席取りは大変なんだろう。この日の昼の公演の演目は以下の通り。
HARBISON, Wind Quintet
MOZART, Quintet in E-flat for piano and winds, K.452
DVORA'K, Quintet in A for piano and strings, Op. 81
ドヴォルザークがとても良かった。でもモーツァルトの陽気さも印象に残る。モーツァルトもまた仕事が好きな人だったんだろうなあ。音楽は仕事だとも思ってなかったのかもしれない。
もうアメリカに来てから3ヵ月も経ってしまった。ロックウェルやモーツァルトのように作品をぽんぽん出すわけにはいかないけど、好きなことをやって何かを残せるのは幸せなことだ。残りの時間でちゃんと成果を出せると良いなあ。
今日の教訓:好きじゃなくちゃ、やってられない。
リトルロックに着いたのは月曜日の夜中、荷物がホテルに届いたのは水曜日の午後。その間、必要品を揃えようと思って街を歩いたけど何もない。ワシントンやボストンではいたるところにある薬局兼雑貨屋のCVSもない。ついでにボストンではうじゃうじゃあるダンキン・ドーナッツもない。南部は別の国だ。
リトルロックは州都なので行政都市である。大きくて無愛想なビルが並んでいるだけで、繁華街と言えるものが見あたらない。リバー・マーケットというアーカンソー川沿いのエリアが観光ガイドには書いてあるが、ちょっと物足りない。
ここに来た目的はクリントン・ライブラリー(William J. Clinton Presidential Library)での公文書探し。外交文書は公開まで30年かかるので、クリントン時代の外交文書公開はまだまだ先だ。そのためか、文書アーカイブは閑散としている。しかし、内政に関する文書は、差し支えなければ公開されている。また、情報自由法(FOIA:アメリカでは情報公開法を情報自由法と呼ぶ)で公開が決まったものも出てくる。恒例のエリア51とロズウェル事件についてはもう文書が公開されていた(好きな人がいるんだなあ)。
本当に欲しかった文書はまだ見つかっていないが、関連するものは見つかった。クリントン政権の中堅幹部だった人にワシントンでインタビューしたことがある。その人が教えてくれた会議の議事録が出てきて驚いた。文書には「sensitive」とスタンプが押されているが、非公開にはなっていない。外交にも少し関係する文書なのだが、そのままあっさり出てきた。閲覧室には私しかいないことが多いので、アーキビストが私の動きをじっと見ているのだが、良い文書が出てくると思わずにやりとしてしまう。
しかし、一番欲しい情報はどうも見つかりそうにない。アーキビストに相談したところ、FOIA請求してみてはどうかとのことだった。10年前にFOIAがデジタル対応したことについて調べて書いたことがある(『ネットワーク時代の合意形成』という本に入っている)。いよいよ自分でFOIA請求するとはと思うとちょっと興奮したが、手続きは実にあっさりしたものだった。紙一枚に連絡先と欲しい情報を書くだけ。出てくるといいなあ。最短で1ヵ月ぐらいは待たないといけない。
クリントン・ライブラリーに行こうと思っている人のためにちょっとアドバイス。上述の通り、外交・安全保障関連の情報、大統領自身についての情報はほぼ全く公開されていない。内政についての情報はだいぶ出ている(基本的にはホワイトハウスの補佐官たちが保有していた書類が中心)。福祉政策関係の情報はかなり出ているようだった。アポは必要ないものの、事前にコンタクトをもらった方がスムーズだとアーキビストは言っていた(せっかく行って何もないとつらい)。きちんと調べるテーマが決まっていないと追い返されると思う(簡単には入れない)。一番近いホテルはCourtyard Little Rock Downtown(521 President Clinton Avenue)。ここからなら歩いていける。ホテルの隣にあるFlying Fishのなまずのフライがおいしい。
今日の教訓:やってみれば意外に簡単なこともある。
ボストンからワシントンDC経由でアーカンソー州リトルロックへ。ここはビル・クリントンの本拠地だ(ヒラリー・クリントンはなぜかニューヨークが地盤)。
この時期のアメリカは天気が悪く、トルネードやサンダーストームが暴れまくる。ボストン発の便はほぼ定刻に離陸したものの、予定時間になっても着陸しない。ワシントンDCが天候不良でダレス空港に着陸できないのだ。1時間ぐらい旋回し続けた後、ようやく着陸。
乗り換え時間が30分ぐらいしかないので心配だったが、どうせ出発便も遅れているに違いないと思って電光掲示板を確認すると、案の定、1時間遅れ。機内で食べようと持ってきた夕ご飯をコンコースで食べる。しかし、天候悪化で、他のフライトがどんどんキャンセルされていく。私のフライトも遅れていく。
ゲートの前で待っていると、私のフライトの表示が消えてしまった。げっ、アナウンスを聞き逃して飛んでしまったか!と思ったが、しばらくするとまた表示され、元のフライトから4時間遅れになっている。待っている間もどんどん他のフライトがキャンセルされていく。
ワシントンDC市内に近いナショナル空港で一泊するのなら楽しみはいろいろあるが、市内から遠いダレス空港だと何もない。何とか飛んでくれ~と神頼みをしていると、搭乗のアナウンス。やれやれと乗り込むと、今度は滑走路が大渋滞。ゲートを離れてから離陸するまでに1時間。機長のアナウンスによると、この飛行機はシャーロッツビルに行く予定だったが、リトルロック行きに振り替えたとのこと。そりゃありがたいのだけど、嫌な予感がする。窓の外を見ると、空港職員が飛行機から荷物を引きずり出している。おそらくシャーロッツビル行きのカバンを出しているのだろうけど、リトルロック行きのカバンはどうなっているのだろう。
離陸すると、飛行機は西に向かい、私の席は左の窓側だったのでお月さんがきれいに見える。周りに明るい星も見える。星を見たのは何ヶ月ぶりだろう。ボストンでは夜はほとんど出歩かないので星なんか見ていない。お月さんの下にある雲が時々ぴかっと光る。何事かとじっと見ていると雷だった。積乱雲の固まりの中で雷がぴかっ、ぴかっとやっているわけだ。音が聞こえないので変な感じだ。こんなに雷をじっとみるのも久しぶりだ。写真を撮ろうと思ったが、暗すぎて何も写らない。ビデオで撮っておきたかった。
リトルロックは中部時間なので、ボストンと1時間時差がある。ボストン時間の夜1時、リトルロックの夜12時に着陸。予想通り、カバンは出てこなかった。しかし、予想外は航空会社の職員が誰もいないこと。もう真夜中だもんなあ。みんな帰ってしまった気配である。他にもカバンのない人が10名ほど。関係ないTSA(運輸保安局)職員にみんなで詰め寄ると、航空会社の人を引っ張り出して来てくれた。しかし、私の仕事じゃないわよーという顔をしている。アメリカ的だなあ。ここで怒っていると疲れるだけなので、みんな順番にクレーム用紙を渡していく。
さらに嫌な予感がして、ダッシュで空港の外に出る。最後のタクシーが一台止まっている。と思ったら先客がいた。交渉して相乗りさせてもらうことにした。助かった。リトルロック時間の午前1時にホテル着。荷物はないが、ホテルの人が親切にいろいろ出してくれた。良かった。
おそらく、朝早くボストンを出て、昼にリトルロックに着くフライトならここまでひどいことにはならなかったのではないか。知人と朝ご飯を食べて、家で昼ご飯を食べて、ゆっくり出かけたのが敗因だ。
今日の教訓:田舎に着くときはなるべく早いフライトにせよ。田舎の夜は早い。
草野厚編著『政策過程分析の最前線』慶應義塾大学出版会、2008年。
やっと手元に届いた。この本も昨年中に出したかったのだけど、時間がかかってしまった。
私は第6章「国際的な政策の『模倣』過程—情報通信政策を例に」を担当。このテーマは数年前から取り組んでいて、一冊本を書く予定だったのだけど、どうも行き詰まったのでひとまずこの一章で終わり。今取り組んでいる他のテーマが終わったら戻るつもり。
昨日と今日のワークショップではいくつかのソフトウェアの使い方が解説されている。一番なじみのあるのはUCINETだ。これは前に自分で使ったことがある。中心的な開発者であるSteve Borgattiは、ボストン・カレッジからケンタッキー大学に移り、そこでネットワーク研究の一大センターを作ろうとしているらしい。今はヨーロッパに出張中でこのワークショップには来られなかったが、ボストン・カレッジの博士課程の学生が来て、UCINETの使い方を3時間教えてくれた。知らない機能を教えてもらって役に立った。
しかし、他のソフトウェアはよく分からない。StOCNET、visone、Rなどである。Rは昔のコマンドライン風のインターフェースでどうも使う気が起きない(しかし、大容量データを扱うのに有利なようだ)。どうやらvisoneが一番新しいらしい。しかし、どうやら周りの反応を見ていても、UCINET優勢は変わらないようだ。ところが、UCINETも、ボタンはあってもちゃんと機能していないコマンドなんかがあるらしく、常に一番新しいものを使うようにとのことだった。
ワークショップの参加者には意外にもヨーロッパの人がかなりいる。ヨーロッパでもこの辺りが進んでいるのかなあ。
明日と明後日は、こうしたツールを使った分析例の発表だ。どんなものが出てくるのか楽しみだ。
もう一つ。参加者の30%ぐらいがマックのパワーブックを使っている(Airは意外にもほとんどいない)。Intel Macだとウインドウズ用のUCINETやStOCNETがそのまま動いてしまっているようだ。そろそろ買っても良いかなあと思い始める。
散髪はアメリカ生活で困ることの一つだ。前にワシントンに滞在したときも苦労している。
すでに帰国したOさんから、彼のアパートの近くにあるレバノン人経営の散髪屋は大丈夫だと聞いていた。今日は帰りにそこへ行こうと意を決して家を出た。
MITのオフィスで仕事しながら、みんな散髪はどうしているのだろうと思って、ネットで検索してみると、MITのCOOP(生協)で切っている人がいた。この人は、ケンドールではなく、少し離れたスチューデント・センターのCOOPで切ったと書いているけど、ケンドールの生協にも床屋があるのを思い出した。フード・コート側にとても小さな入り口があるのだ。
ダメ元で行ってみようと思い立ち、入ってみるとアジア系の男性がいる。「髪を切って欲しいんだけど」と言うと、今暇だからいいよとのこと。本当にちょうど暇だったらしく、私が席に座ると次から次へとお客さんが来る。私の後にはアポが入っているらしく、みんな断っている。私はラッキーだったようだ。
彼は22歳の時にベトナムから家族と移民してきたそうだ。こちらに来てから英語と散髪を習い、15年ほどここでやっているという。アジア人の髪は難しいけど、俺はquick and goodだよという。
日本と比べるとずいぶん簡単だ。最初にスプレーで髪を濡らしてから、バリカン(?)で耳周りを切ってしまう。その後、上の方を櫛でときながらはさみでばさばさ切っていく。最後に櫛で整えて終わり。シャンプーとかひげそりとか整髪料でのセットとかそんなものはない。10分ぐらいで終わり(そう言えば、日本にもこんな床屋があるね)。
確かに期待以上のうまさだった。これなら通える。MITの皆さん、Kevinに頼むと良いですよ。ただし、もう一人いるらしい(今日はいなかった)女性の美容師はアジア人の髪が苦手らしいので要注意。
アメリカの歴史を学ぶという名目でケープ・コッドとプリマスに行ってきた。ケープ・コッドはボストンから車で2〜3時間で行ける避暑地で、大西洋に腕のように飛び出している半島である。ケネディ家の別荘もある。
一日目は先端の町、プロビンス・タウンを目指す。ハイウェイの途中にある休憩所に旅行案内所があり、地図をもらおうと立ち寄ると、朝鮮戦争に行ったことがあるというおじいちゃんがいた。教えてもらって外を見ると、米国旗の横に韓国の旗がかかっている。ここでボランティア・ガイドをしながら募金も集めているらしい。戦争の後は工作機械メーカーで働いたそうで、YKKが取引先だったため、日本にも100回行ったと言っていた。こんな人が田舎にいるから奥深い。一通り話を聞いて、プロビンス・タウンでランチの良いお店はないかと聞いてみると、ロブスター・ポットが良いという。このお店は『地球の歩き方』にも書いてあった。
車に戻ってまたハイウェイを走りながら、『地球の歩き方』は、ウィキペディア・モデルの先行例だよなと思う。世界中を旅行した人が自分の体験談を書きつづり、それを手紙やファックスで編集部に送り、それを編集部がまとめて出版してきた。大した謝礼があるわけでもないのにみんな喜んで情報提供してきた。日本人がウィキペディアが好きなのもそういう先行例があったからか。
はたして、ロブスター・ポットはうまかった。ロブスターももちろん良かったが、写真にあるShellfish Algarveという貝のブイヤベースもうまい。何種類かの貝やイカの他に細麺のパスタが入っている。しかし、ニンニクがきついので翌日までにおう。 食事の後、これも『地球の歩き方』に出ているWhydah Pirate Museumという海賊のミュージアムに行く。ここは、ケープ・コッド沖で莫大な財宝を積んだまま沈んだ海賊船ウィダーの引き上げプロジェクトについてのミュージアムである。海賊の生活がどのようなものだったか、どうやって海賊船を引き上げたか、どんなお宝が入っていたかなどが分かる。お宝ハンターにとっては最高のサクセス・ストーリーだ。館内で見られるビデオはヒストリー・チャンネルが作ったようだ。楽しそうだなあ。散策した後、半島の真ん中辺りにあるハイアニスという街に泊まる。翌日はフェリーでナンタケット島に行くつもりだったが、天気が悪いのであきらめ、ケネディ大統領のミュージアムに行く。ケネディ家はハイアニスに別荘を持っていて、ヨットやゴルフをして過ごした。ミュージアムといっても、飾ってあるのは主としてハイアニスで過ごしたケネディ家の写真である。ビデオと写真を見ながら、ケネディ家がアメリカ人のあこがれるライフ・スタイルを実践していたのだなあと思う。
ケープ・コッドを出て半島の付け根にあるプリマスへ。1620年にメイフラワー号に乗ってピルグリムたちがやってきたところである。17世紀の様子を再現したプリマス・プランテーションという一種のテーマ・パークがある。ネイティブ・アメリカンの生活とイギリス人の生活がそれぞれ再現されていて興味深い。それぞれの言い分が分かるようになっていて、一方的な歴史観の押しつけにならないように配慮されている。
そこから3マイル離れたところに係留されているメイフラワーII号のチケットもコンビネーションで買える。車に乗ってメイフラワーII号を目指す。その近くにはプリマス・ロックというピルグリムたちが最初に足を乗せた石が残っているのだが、あいにく上に被さっている神殿風の建物が再建中で見られなかった。しかし、その横にある解説板を読むと、その石が最初の石として特定されたのは上陸から120年もたった後で、歴史的事実というよりも、象徴でしかないそうだ。こうやって歴史は作られる。
さて、メイフラワーII号。ここで『地球の歩き方』に混乱させられた。『地球の歩き方』には「1620年9月6日、102人のピルグリムファーザーズを乗せたメイフラワーII世号が自由を求めて新大陸へと出航した。」「メイフラワーII世号は、最初のアメリカ移民を運んだ船として知られている」などと書いてある。じゃあ、メイフラワーは二隻あったのか。もう一隻はどうなったのか。先にアメリカに着いたんだっけ、別の場所に着いたんだっけ、と気になり始めた(歴史をちゃんと勉強していないことがばれる)。近くの売店に入り、解説書を読んでようやく理解した。『地球の歩き方』が間違っている。ピルグリムたちが乗ってきたのはメイフラワー号であって、メイフラワーII世号ではない。メイフラワーII世号とは、この目の前にある復元船のことで、これは1955年に作られたものだ。メイフラワー号が実際にどのような船だったのか資料がないため、想像で復元されたのがメイフラワーII世号である。この船は実際にイギリスからアメリカまで航海している。
そうすると、「II世号」というのもおかしくて、単に「II号」としたほうがいいのではないか。
歩き方が意図的に間違えたとはまったく思わないが、これもウィキペディア的な間違いなんではないだろうか。ウィキペディアの記述は完璧ではない。地球のある方も完璧ではない。それを受け入れた上で自分で確かめてあるのが『地球の歩き方』の楽しみなのだ。おかげで私はこのことをより強く記憶に焼き付けることができる。しかし、帰宅して調べてみると、メイフラワーII号の記述ははるかに詳しく、正確だった(少なくとも私に間違いは見つけられない)。たくさんの人がチェックするとどんどん良くなる。『地球の歩き方』の間違いに気がついても私は直接書き換えられないし、時間もかかる。やはりネットの勝ちなのかな……。
同じアパートに住む先輩日本人夫婦にいろいろ教えてもらう。大笑いしながらも考えさせられたのがアメリカ経済の仕組み。
奥さんが料理教室に参加しようとしたときのこと、「お皿を持ってない」と言ったところ、「お店から借りればいいのよ」とアメリカ人の先生。「???」と思ったけど、よくよく聞いてみると、いったんお店からお皿を買い、料理教室で使ってからきれいに洗って、「やっぱり気に入らないからリターン(返品)」と言ってお店に持っていくのだという。それでお店は全額返してくれる。その商品はまた棚に並べられる。
噂には聞いていたが、本当らしい。
アメフトのスーパーボールの前に大型テレビがすごい勢いで売れる。スーパーボールが終わると、テレビは同じ勢いでリターンされる。販売店は売れれば売れただけ、メーカーからキックバックがあり、返品された商品はメーカーに突き返すだけだから痛くもかゆくもない。メーカーはそんなことは織り込み済みの値段を付けているので仕方ないと思っている(それでも日本より安い?)。
どちらも売上には計上される。しかし、本当の売上と言えるのだろうか。利益は出ているのか。訳の分からないアメリカ経済。消費者保護の下に変なことになっていませんかね。
「どうでも良いものから試してみて、『リターン』て言えるようになれば、アメリカ生活に慣れた証拠ね」との奥さんのアドバイス。なるほど~。
ところで、入居前に申し込んでおいたのに電気代の請求が全く来ない。どうなっているのかと思って電力会社に問い合わせてみると、申し込みに不備があったので申し込みはキャンセルされているとのこと。「問題があれば連絡します」って最初のメールに書いてあったのになあ。どう見てもそっちの責任でしょ。やれやれ、また交渉か。でも電気はずっと使えているからこのまま放って置こうかなあ。
アメリカ経済は大丈夫ですか。ガソリン対策の前にやることあるでしょ。
今日、東京からアメリカ人の友人がやってきた。たった1時間お茶を飲みながら話しただけなのに元気が出た。友人というのは良いものだ。その彼がMITで研究している彼の友人を紹介してくれた。この彼がまたおもしろい。rocket scientistだとは聞いていた。rocket scientistは文字通りロケットを研究している人という意味もあるが、頭の切れる人という意味もある。彼は両方なのだ。それも宇宙工学と医学を組み合わせていて、宇宙服をデザインするために人の細胞がどう機能するか研究しているらしい。MITらしいなあ。
夜、ついに民主党の予備選が決着した。10時前にヒラリー・クリントンが演説した。彼女は今晩は何も決めないと言ったが、残される道はミシガンの代議員の扱い見直しを党大会に訴えるぐらいしかない。でも彼女の演説は良かった。われわれ日本人はそのありがたさにあまり気づかないけれども、国民全員が健康保険を持っているのは実にありがたいことだ。アメリカには健康保険に入っていないために満足な医療が受けられない人たちがたくさんいる。健康保険をみんなに提供したいという彼女の政策は十分に訴えるものがある。
ヒラリーの演説が終わった後、オバマの演説が始まった。いつもの彼らしい演説で、ドリーム、フューチャー、チェンジをキーワードにだんだん盛り上げていく。しかし、ヒラリーへの攻撃はない。むしろ、彼女と競ったために自分は良い候補になれた、政策を競い合えたと評価している。今後の党の団結を見越した配慮なのだろうし、実際、全ての州で予備選が重要な意味を持ったことは歴史的な出来事だ。この二人の接戦はこれからもずっと研究対象となるのではないだろうか(まだはっきりしないけど、得票で上回る見込みのクリントンが選出されなかったことは、予備選という不可思議なシステムの問題点を再び明らかにするのではないだろうか。さらにオバマが本選で苦戦することになればこのことは何度も蒸し返されるだろう。ヒラリーがここまでキャンペーンを続けたのは、オバマよりもマッケインに勝てる見込みがあるということだった)。
オバマの演説が終わった後、CNNのアナウンサーと解説者たちは、レーガン大統領、キング牧師、リンカーン大統領に匹敵する演説のうまさだと誉めていた。オバマはますます強くなるのだろうか。彼に軍歴がないのがなんとも残念だ。マッケインとはこの点が違う。マッケインはここを突いてくるだろう。イラク戦争は避けられない争点だ。保守的な軍人がオバマを支持できるかどうかが一つの見所だ。
演説が終わった後の音楽が、ヒラリーはティナ・ターナー、オバマはブルース・スプリングスティーンだったことも何となく対照的だった。
【追記】
CNNはヒラリーを副大統領候補にすればオバマは本選で勝てるという見通しを出した。ありえるかなあ?