ボストン: 2009年3月アーカイブ

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もうすぐ私のMITでの研究期間が終わり、帰国しなくてはならない。名残惜しい気もする反面、とっとと帰ってしまいたい気もする。

とっとと帰ってしまいたい気にさせるのは、研究環境としては日本にいてもアメリカにいてもあまり大差ないということを実感したからだろう。無論、ケンブリッジにはMITやハーバードがあって、連日のようにおもしろい講演会が開かれていて、知的な刺激に溢れている。ちょっと電車や飛行機に乗ればニューヨークやワシントンにも行ける。

しかし、そうした情報へのアクセスも、インターネットとジェット機の時代にはそれほどありがたみのあるものでも無くなってきている気がする。

東京からボストンまでは15時間飛行機に乗らなくてはいけないとはいえ、一昔前よりは短縮されているし(直行便が欲しい!)、航空運賃もずっと安くなっている。何より、大きなカンファレンスなどはネット中継・録画があり、論文のほとんどはオンラインのデータベースにほとんど載っていて、本もオンライン注文すればすぐに日本にも届くし、デジタル化される本も増えている。ダウンロードして聴くオーディオ・ブックも便利だ。

福澤諭吉やアレクシス・ド・トクヴィルがアメリカを訪れたときには、すべてのものが新鮮だった。今回、アメリカに来る前に、いろいろな人のアメリカ滞在記を読んだが、山崎正和や江藤淳、藤原正彦がアメリカに来た時代とも大きく異なっている。彼らの時代には3泊5日で一時帰国するなんてことは考えられなかっただろう。この一年近くの間、毎月、友人・知人・家族が来てくれた。気軽に太平洋を越える時代になっている。

不満に感じたのは、日本の学術情報へのアクセスが難しいことだ。日本の学会誌に論文を書いたのだが、既存研究のカバーが足りないという査読コメントがあった。英語文献は簡単に手にはいるが、日本語文献はなかなか手に入らない。

アメリカ人の研究者の中には外国語がよくできる人もいるが、たいていは英語だけで生活している。しかし、私のように外国人としてアメリカに来ている人は、程度の差こそあれ、アメリカ生活に適応するのに苦労している。それを通じて実感したのは、私たちは二つの世界を生きているのだということだ。英語の世界ともう一つの世界。この二つを複眼的に見られることは、実は大きなアドバンテージである。

ケンブリッジは研究都市としては世界でトップクラスだ。しかし、元気さという点では劣る。ここに一年も住むと、アジアの元気さがなつかしい。不況に苦しんできた日本でさえ、ずっと元気なような気がする。大不況下、アメリカは元気を失いつつある。そろそろアジアに帰って元気になりたい。

そういうわけで、しばらく休みに入ります。メールの返信も遅れると思います。日本の携帯も解約してあるので、以前の番号は使えません。あしからずご了承ください。

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