国際関係論: 2008年11月アーカイブ
連日、最低気温が摂氏で氷点下になっている。木々の葉はすっかり落ちた。雪はまだ降らず、空は真っ青で快晴になっていることが多い。
「科学政策とオバマ政権:新大統領へのアドバイス」と題する講演会がMITで開かれた。メインのスピーカーはMITスクール・オブ・サイエンスの学部長Marc Kastnerで、司会は名誉教授のEugene Skolnikoffである。
スコルニコフは、私がMITで所属している研究所の何代か前の所長で、私は『国際政治と科学技術』(NTT出版、1995年)という本の翻訳に大学院生のときにかかわった(残念ながら絶版で、出版社のホームページからも消えている)。今まで会ったことはなかったが、すごい年寄りで、よく分からない英語を話す人というイメージがあった。実際は、まだかくしゃくとしていて、英語も分かりやすい。英語が分かりにくいというイメージは彼の文章のせいだろう。残念ながらスコルニコフは司会なので少ししか話さなかったが、実際に会うことができたのはうれしかった。
スコルニコフは、アイゼンハワー(共和党)、ケネディ(民主党)、カーター(民主党)の各大統領の下で科学技術政策に関わってきた。オバマ政権で返り咲くことは年齢的に見てもないが、新大統領にアドバイスしようと思えばできる立場なのかもしれない。
メインスピーカーの話はやや物足りなかった。時間が短かったせいもあるだろうが、質疑応答では、核兵器はどうするのか、なぜ宇宙には触れないのか、といった質問も出た。情報通信技術への言及もない。主たる関心はエネルギーとライフ・サイエンスのようだった。確かにエネルギーは大統領選挙の争点だったし、MITも力を入れているので分からなくもないが、もっと広範に議論しても良かっただろう。
ヴァネヴァー・ブッシュ以来、MITは政府の研究開発において積極的な役割を果たしてきた。現在のブッシュ政権(ヴァネヴァー・ブッシュとジョージ・ブッシュは何の関係もないと思う)はヒトゲノムなどには関心を持っていたが(しかし、宗教的なしがらみもあった)、一般的には科学技術政策への関心は薄かったように思う。オバマ政権ができることで、少なくとも情報通信政策の関係者たちは大いに沸き立っている。昨今の経済悪化で、大学の収入も悪くなると予測されている。大学もヘッジファンドなどに大金を預けているからだ。MITにとっても、オバマ政権の動向は、研究資金源がどうなるかという点で関心があるに違いない。
質疑応答の中でもうひとつ、へえっと思ったのは、予算配分の偏り。過去10年ぐらいを見ると、ライフ・サイエンスに突出して予算が割り当てられていたが、それもピークを越え、最近は落ちてきている。そのため、オーバードクターの増加問題はどうしたらいいのかと詰め寄る学生らしき人がいた。講演者の答えは、意訳すれば、研究バブルに踊らされるなということだったように思う。特定の分野がもてはやされても、学部・大学院と時間が経ち、トレーニングが終わる頃にポストが残っているとは限らないということだ。その通りだが、それだけの見通しを持って大学院に行ける人も多くはないだろう。
先週の後半、テキサス州ヒューストンに行ってきた。正確にはそこから車で1時間半ぐらいのカレッジ・ステーションという町である。レンタカーを借りて片道4車線ほどあるフリーウェイを走り続ける。テキサスはまだまだ暖かくて気持ちがよい。気温は27度くらいあるらしいが、乾燥しているせいか、不快感はない。
途中、牧場が続く田舎道を通るのだが、道はナビに任せて(ようやくアメリカでもナビが普及してきた!)、ちらちらと横を見ていると、マケインとペイリンの名前が入った看板が目立つ。オバマ陣営の看板を出しているところは無かった。やはりブッシュ家の牙城なのだろう。
カレッジ・ステーションには、その名の通り、テキサスA&G大学という大学がある。巨大な大学で、スポーツが盛んらしい。スタジアムやフィールドや体育館がずらっと並んでいて、車がないとキャンパス内も移動できないのではないかという感じだ。
このテキサスA&G大学のキャンパス内にパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)のライブラリーがある。すっかり私は大統領図書館のファンになっており、レーガン、クリントンに続いて三つ目である(もっと行きたいが、たぶんこれで打ち止め)。なぜこんなところに作ったのかと元大統領はよく聞かれるらしいが、展示の最初に見せられるビデオでは、「分からないと思うけど、この雰囲気が好きなんだ」と言っていた。
アーカンソーのクリントン・ライブラリーでは、そこそこの資料は見つかったものの、大ヒットはついに出てこなかった。FOIA(情報自由法)請求はしてみたものの、まだ結果は来ない。私が調べているテーマは国家安全保障にも絡むので、ほとんどの文書が非公開になっている。
ブッシュ・ライブラリーにも事前にメールを送って問い合わせてあったが、「あまりないよ」というつれない返事だった。だから、それほど時間は必要ないだろうと短めの日程を組んでいた。
ヒューストンのホテルで朝寝坊したせいで、レンタカーを借りてカレッジ・ステーションに着いたのは昼過ぎだった。アーキビストも私のテーマを聞いて、気乗りしていないのがありありと分かる。失敗だったかなあという思いがよぎる。
結局、欲しいと思っていた大統領時代の文書はほとんど何も出てこなかった。しかし、「ブッシュ大統領は、CIA長官だったこともあるよね」とふと言ってみると、「その時代の資料なら少し公開されているわよ。見てみる?」というので、是非見たいと頼んだ。これが、私にとっては宝の山だった! その重要性に気づいたとき、手に汗がにじんでくるのが分かった。来た甲斐があった。
一日目の夜、テキサス・ビーフを食べようと、安っぽいステーキハウスに入った。大繁盛していて少し待たされたので観察してみると、店員がパリス・ヒルトンみたいな雰囲気の若い女性しかいないのが異常だった。ボストンなら体格の良い中年女性や男性もたくさん働いている。食事に来ている客を見ると白人ばかりだ。バーに座っていた黒人男性一人と私だけが、見える範囲で白人ではなかった。テキサスってこわいなあ。多様性を重んじるアメリカには思えない(ヒューストンのような大都市ではもちろん違うだろうけど)。こういう州が共和党政権を支えているのだろう。
二日目、閉館間際に展示も駆け足で見る。ブッシュ家はテキサスというイメージが強いけれども、パパ・ブッシュの父親(現大統領の祖父)はオハイオ州出身、母親はメイン州出身、自身はマサチューセッツ州で生まれている。テキサスとのつながりは、大学卒業後に石油ビジネスに身を投じてからだ。ブッシュがテキサスで政治の世界に進んだとき、今では想像も付かないが、テキサスは民主党が圧倒的に強かったらしい(共和党員は飲んだくれて選挙に行かなかったのだとブッシュは言っている)。息子のジョージ・W(現在の大統領)は父親がイェール在学中にコネチカット州で生まれているから、テキサスとブッシュ家のつながりは、新しいものだと分かる(息子も後にイェールに進学)。息子のブッシュ大統領が休暇を過ごしにテキサスの牧場に行くのも、州知事だったとはいえ、政治的なポーズなのかもしれない。
ライブラリーからヒューストンへ戻る際、金曜日の夕方の渋滞にはまってしまう。フリーウェイで車が動かなくなってしまった。ふと前の車の窓を見ると、オバマのステッカーが貼ってある。おおっと思ってよく見ると、「STOP OBAMA EXPRESS」と書いてあった。やっぱりアンチ・オバマらしい。ボストンではマケインのステッカーを貼っている人は見たことがない。やはり土地によってはっきりしているようだ。