情報通信政策: 2008年5月アーカイブ

20080531socialinnovation.jpg 東京のGLOCOMICPCが開かれた。今回は諸事情あって、情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会も同時開催。篠崎彰彦先生のお話だけはiChatでつないで聞かせてもらう(KKさんありがとう)。1時間15分ほどはつながっていたのだが、話も佳境に入ったところで切れてしまった。どちらのネットワークが悪かったのか分からないけど残念。こちら側は夜中の3時を過ぎていたのでだいぶ疲れたけど、篠崎先生の話はかなりおもしろかった。聞いて良かった!

OECDは何をしようとしているのだろう? よく分からん。

http://www.youtube.com/futureinternet

20080529swan.JPGボストンには春がなかなか来ないなあと思っていたら、もう夏になってしまった。月曜日はメモリアル・デーで休日だった。この日を境にアメリカの学校は夏休みに入る。MITも先週は試験期間で、その前の週で授業も終わってしまっている。来月6日にはMITの卒業式も行われる。気温はぐんぐん上昇し、アメリカ人はTシャツと半ズボンで歩いている。ボストンの夏も日本並みに暑いそうで、気が滅入る(もっと涼しいと思っていたのに)。

今日は特に気持ちの良い天気なので仕事をさぼり、ダウンタウンのパブリック・ガーデンへ散歩に行き、A学部長が好きそうなスワン・ボートに揺られる(ちなみにこのブログの上部にある絵はボストンをイメージしたもので、左側に少しだけ見えているのがスワン・ボート)。

ところで、少し前にニューヨーク・タイムズの社説にネットワーク中立性のことが載った。さすが、新聞はうまく議論をまとめるものだと思う。日本のネットワーク中立性に関する懇談会では、アメリカの議論はずれているという話があったけど、やはりアメリカでは民主主義の話とつながっている。そうでなければこれだけみんなが議論するわけはない。普遍的な価値に引きつけて議論するからこそおもしろくなる。単なるビジネス・モデルの話ではない。

"Democracy and the Web," New York Times, May 19, 2008.

数日後、政府が規制してネットワーク中立性を確保しようとするのはおかしいという意見投稿もあった。

Mike McCurry and Christopher Wolf, "Regulating the Net," New York Times, May 22, 2008.

「政府の介入を許してまでも」ネットワークの中立性を確保すべきなのかどうかが重要な論点で、日本の総務省も議論まではしたけれども、ダイレクトな規制にまでは踏み込めなかった。そのギリギリのラインを見定めるのがこの議論の肝なんだろう。

ニューヨーク大学でわいわい「インターネットの未来」について議論しているビデオもおもしろかった。

http://www.isoc-ny.org/?p=214

20080521yale.JPGボストンのサウス・ステーションからアムトラックに乗り、イェール大学(左の写真)のあるコネティカット州ニュー・ヘブンに来ている。アムトラックの特急アセラだと電源が使えるので仕事もできる。電車の旅もなかなか良い。

ニュー・ヘブンで2年ぶりにCFP(Computers, Freedom and Privacy)に出ている。なんだか規模が小さくなってしまっていて残念だ。参加者の数も少ないし、おもしろいスピーカーも少ない。観光的にはほとんど魅力のないニュー・ヘブンで開催したせいだろうか。

SNSとプライバシーの話を議論しているところはだいぶ遅れているんじゃないかという気がする。2004年頃にアメリカでSNSってどう思いますかと聞いてもよく分からんという顔をされたのも当然だったのだろう。

ネットワーク中立性についてはパネルがあるが、ブロードバンドや周波数などのインフラ系の話が全くなくなっているのも特徴かもしれない。

時差ぼけは全くないのに退屈で居眠りしてしまうセッションが多い。

期待していたのは、オバマ陣営とマッケイン陣営の技術政策担当者によるパネルだったけど、ディベートではなくディスカッションにしましょうと司会が述べたため、あまり対立点がはっきりせず、期待はずれだった。

今のところ一番おもしろかったのは「21世紀のパノプティコン」というパネルで、連邦と州の間、インテリジェンスと法執行機関の間の情報共有について。これは3月に卒業したN君が卒論のテーマで書いたテーマで、彼は先見の明を持っていたのかもしれない。無論、CFPはプライバシーを大事にする人たちの集まりだから、フュージョン・センターのような形でやたらと情報が集められ、共有され、ブラックホールに入っていくのは危険という議論だ。

かつてのインテリジェンスの世界の合い言葉はneed to knowで、知る必要のある人だけが知れば良いというものだった。ネットワーク時代にはneed to shareにしなくてはならないと私も自分の本の中で書いたが、逆に、need to shareの弊害が大きくなっていることに気づく。やれといわれたことをまじめにやりすぎてしまって問題を起こすのが政府機関の悪いところだ。

今日はこれから各国のネット・フィルタリングについての話を聞き、最後にクレイ・シャーキーのキーノートを聞いて終わり。シャーキーは最近Here Comes Everybody: The Power of Organizing Without Organizationsという本を出している(まだ読んでない)ので期待している。

ニュー・ヘブンの近くに海軍潜水艦博物館というのがあり、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が置いてあるらしい。是非途中下車したいが、今晩用事があるのでまた次回だ。

【追記】
ネット・フィルタリングのパネルはすばらしかった。クレイ・シャーキーの話もおもしろかった。来た甲斐があった。

【さらに追記】
上述のネット・フィルタリングのパネルについての記事がWIRED VISIONに掲載されている。聴衆は20人ぐらいしかいなかったけど、そこにアメリカのWIREDの記者がいたということか。さすがだ。

可愛い警官キャラ『警警』と『察察』が活躍、中国のネット検閲事情

ハーバードのバークマン・センター10周年のイベントに出てきた。ハーバード・ロースクールの研究所だったのだけど、ハーバード全体の研究所に格上げになったそうだ。いつの間にかヨーハイ・ベンクラーもハーバードに移籍しているし、ジョナサン・ジットレインもオックスフォードを離れ、スタンフォードではなくハーバードに来るみたいだ。ロースクールのディーンが猛烈な勧誘をみんなの前でやっていた。

ジットレインのキーノートはアグレッシブでおもしろい(内容的には2年前?にオックスフォードで聞いたプレゼンテーションのほうがおもしろかった。あれは即興だったからかな)。インターネットは岐路に立っているということだろう。IETFはもうダメになって、ITUが助けに来るらしい(もちろん、皮肉を込めて言っているのだけど)。彼が始めたstopbadware.orgの解説もしていた。ベンクラーが自著をウィキで公開したところ、バッドウェアを仕込まれて、そのウィキはマルサイト扱いをグーグルにされてしまったらしい。まったく何かがおかしい。

カンファレンスが終わった後、ある大御所の先生に会いに行った。その先生はだいぶ高齢だし、ユーザーとしてしかインターネットに関わっていないのだけど、私がやっている研究の話をしたら、なんでそんなことが問題になるのかと言われてしまった。中国だって楽しそうにインターネットを使っているぞとのことだった。でも、すべて管理されて政府の顔色伺いながらインターネットを使って楽しいんですか、プライバシーも自由もイノベーションも無くなりますよと言ったのだけど、通じなかったような気がする。でもそれが一般的な認識なのかなあ。心配しすぎなのだろうか。レッシグやジットレインのあおりに乗せられ過ぎているのかなあ。

山本達也『アラブ諸国の情報統制』慶應義塾大学出版会、2008年。

同門の山本達也君の本が出た。アラブ諸国のインターネット統制がどうやって行われているか3年かけてフィールド・ワークを行い、理論的に整理した力作だ。博士論文で読んだときよりもずっと読みやすくなっている。

おまけに、私には手厳しい。

残念ながら、土屋は、情報国家モデルの議論の中で、各モデル間の移行可能性や移行の条件など動的なダイナミズムについてはほとんど議論していない。(50ページ)

確かに私は理念型を出すところまではしたが、移行メカニズムについては論じなかった。それに、博論には書いたけれども、それをベースにした『情報とグローバル・ガバナンス』には載せないで隠しておいた表まで引っ張り出されてしまっている(48ページ)。まずい。

しかし、こういう建設的批判をもらえるのは良いことだ。

この本で一番おもしろいのは、アラブ諸国の独裁者たちがふんぞり返って国民の情報活動をコントロールしているわけではなく、グローバリゼーションが進展する中で、自国の経済発展をとるか、政治的な安定をとるかという独裁者のジレンマに直面していることを浮き彫りにしたことだ。

私は中国についてリサーチした後、中東についてもやってみたいと思ったことがある。しかし、山本君のようにアラビア語を習ってから3年も現地に行ってリサーチする機会も気力もなかった。外から見てアラブ諸国を批判するのは簡単だけれども、中に入って調べ上げてきた点は他に勝る。

アメリカ議会図書館はジェファーソン、マジソン、アダムズの3人の名前が付いた三つのビルで成り立っている。1997年に初めて英語のスピーチをしたのがマジソン・ビルの6階だ。まだ大学院生だった。10年以上経ったのに雰囲気は変わらない。

20080509LOC.JPGこの3日間、隣のジェファーソン・ビル(左の写真)のメイン・リーディング・ルームにこもった。この閲覧室はとてもきれいだが(残念ながら写真撮影は禁止)、円形になっているので方向感覚を失ってしまう。外は嵐だったが、ここは別世界だ。山のようにある資料に絶望的な気になるが、宝の山が眠っていると思ってコピーをとった。宝探しといえば、映画『ナショナル・トレジャー2―リンカーン暗殺者の日記―』では、この閲覧室の真ん中の扉を開けてから地下に逃げるシーンがある。通り抜けてみたいけど無理だ。

木曜日の夜は若手のMさん、Kさん、Oさんと会食。安全保障問題をざっくばらんに話すことができてとても良かった。昨晩は旧知の夫妻と食事に出かける。奥さんはロシア人なのだが、その友達がようやく出産を終えてパーティーに出かけ、妊娠中に我慢していたタバコとウォッカをついがんがんやってしまったらしい。帰ってきて授乳をすると、赤ちゃんが二日間目を覚まさなくなった。慌てたおばあちゃんが病院に連れて行こうとしたが、お母さんは気まずくてタバコとウォッカのことを口に出せない。母乳を通じて赤ちゃんは酔っぱらってしまったのだ。今では立派なウォッカのみに成長したという。

いくつか気になる新聞記事。

アナログ・テレビからデジタル・テレビへの移行実験が、ノース・カロライナ州で、初めて行われる。
テレビのデジタル移行は各国で問題になっているが、アメリカも例外ではない。特に低所得者層が移行できないと見積もられている。うまくいくかどうかの最初のテストが始まる。

ホワイトハウスが2003年のイラク開戦時の電子メール記録を失う。
ブッシュ政権というのはやはりどうかしているとしか言いようがない。開戦という一番大事な時期の情報を失うというのはどういう神経なのだろう。

FBIがインターネット・アーカイブにNational Security Letterを出す(後に撤回)。

NSLは非常に大きな問題のある手法で、このレターを受け取った人は、配偶者にもそのことを話してはいけない。話せるのは自分の弁護士だけだ。今回レターを受け取ったのは、ブリュースター・ケールというインターネット・アーカイブの共同創設者で、すばらしいビジョンの持ち主だ。この人の講演を聴いてとても感銘を受けたことがある。情報を全ての人にという精神を体現している人だ。ケールは、レターに疑問を持ち、撤回訴訟を起こした。FBIがあっさり撤回したために公表できるようになったが、NSLを使って強圧的な情報収集が行われているのは異常な事態だ。

今回、議会図書館で調べていたテーマの一つであるCALEA(Communications Assistance for Law Enforcement Act of 1994)も、クリントン政権時代の話なのだが、似たようなところがある。大きな影響を与える法律なのに、議会はほとんど審議せずに可決させている。少なくとも委員会レベルの公聴会を開いていない。小委員会レベルの公聴会では、内容の公式記録が出てこない。成立に際してホワイトハウスも何もコメントを出していない。

安全保障という幕の向こうでいろいろなことが行われてしまう。ブッシュ政権が行ったことは、後の歴史的な検証に耐えるのだろうか。今のままだと、政権終了後もどんどん変な話が出てきてしまうのではないだろうか。5月10日付のワシントン・ポストはチェイニー副大統領のトップ・アドバイザーであるDavid Addington氏を公聴会に呼べと社説で述べている。歴史的な評価というのはえてして逆転するものだけど、ブッシュ大統領はアメリカを救った偉大な大統領という評価を受けることになるのだろうか。

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