インテリジェンス: 2004年8月アーカイブ

スタン・ターナー(佐藤紀久夫訳)『CIAの内幕—ターナー元長官の告発—』時事通信社、1986年。

カーター政権でCIAの改革に腐心したターナー長官の回顧録。よくある暴露本かと思ったが、いろいろと勉強になった。

一九四七年の国家安全保障法の起案者たちはDCI長官に、全情報機関が収集した情報の拡知に関する管理権を与えた。起案者たちは、日本の作戦計画に関する情報を狭く押し込めた結果、パールハーバーを招いたような事態の再現を望まなかった。(p. 239)

今とまったく同じではないかと思ってしまう。9.11を防げなかったことから、ブッシュ政権はインテリジェンス・コミュニティを総括するポストの新設を迫られている。しかし、すでにCIA長官=DIAであり、インテリジェンス・コミュニティを総括する役割を担っていたはずだ。

訳書では、ターナーの肩書をCIA長官ではなくDCI長官としたが、原書に従ってそうするのが適当だと思ったからである。もちろんCIA長官のことである。アメリカ政府の法制では、この地位はディレクター・オブ・セントラル・インテリジェンス(DCI)であって、CIAを含む全情報機関を統轄する。原書はすべて、この肩書で記述している。同長官はCIAの長でもあるが、それは権限の一部である。つまりDCI長官は全情報部門とCIAの双方の責任者であるわけで、単なるCIA長官ではない。(p. 262:訳者あとがき)

現在ブッシュ政権が求められているのは、CIAからも独立した総括ポストということになる。しかし、そうするとよほどうまくやらないとどこからも情報が上がって来なくなるという危険がある。それに、9.11後に国土安全保障省を新設し、その時にCIAやFBI、NSAなどは入れないということになったはずだ。コミュニティ全体の秩序が混乱するだけのような気がする。

田中 宇「テロをわざと防がなかった大統領」(2002年1月24日)

そんな愛国的な雰囲気のフォールズチャーチには、アメリカを愛していないと思われる人々も住んでいた。この町には、911のテロ事件の容疑者のうち4人が以前に住んでいたと思われるアパートがある。リーズバーク・パイク通り5913番地(5913 Leesburg Pike)という住所である。

これもたまたま見つけた田中ニュースの記事。ここに出てくる番地は、私が住んでいたところに結構近い。Yahoo!のドライビング・マップでは車で12分の距離だ。先に知っていれば見に行ってきたのになあ。しかし、このアパートは本当に使われていたのだろうか。この辺は確かに住宅街で、ところどころ大きなアパート(日本のマンション)が立ち並んでいる。巨大アパートになると、隣がどんな人かはあまり気にしないのは日本と同じ。ワシントン近郊なら外国人が住んでいても特に目立つことはない。

毎日新聞社会部『情報デモクラシー』毎日新聞社、1992年。

一昔前の本だが、「一見、便利で快適な「情報化社会」でありながら、重要な情報はテクノクラートに操られ、情報公開は遅々として進まない『日本的情報世界』」というのがテーマ。新聞社の取材本だけあっていろいろなエピソードが入っていておもしろい。

警視庁では「データを持ち出した、あるいは持ち込んだ行為に対して規制する法律はない。背任や横領など背景に明確な動機があれば別だが、これも認定がかなり難しい」(広報課)としている。(75〜76ページ)

という現状は今も変わらない。情報を盗む行為そのものを罰する規定がない。個人情報保護法は、情報管理を怠った者は罰することができるが、情報を盗んだ者はコピー用紙の窃盗罪として裁かれるだけだという。情報の価値を定義づけるのが困難だかららしい。プライバシーに関する情報は、当事者にとってはすごく高価だが、関係ない人にとってはゼロに等しい。商業的価値に換算するのは難しい。住居侵入や不正アクセスで捕まえることになるが、電子データをコピーしてその痕跡を残さなかったとすると、裁くのはますます難しくなる。外国では、スパイ防止法や産業スパイ防止法のようなものがあるが、日本ではトレード・シークレットとして守るのがせいぜいで、個人のプライバシーは裁判でいちいち争わないといけないようだ。

蛇足ながら、

私たちの身の回りを眺めると、一口に「情報」といっても、一次情報としてのinformationと、二次情報としてのintelligenceを混同していることが多いのではないか。(254ページ)

という記述はいただけない。形式的には二次情報ともいえなくはないが、これでは単なる伝聞もインテリジェンスになってしまわないか。インテリジェンスそのものの理解ができてないのではないかと思う。

岩島久夫「『情報無視・思惑先行』型日本政治−昔を思い今を憂う

当時外交当局を牛耳っていた最高幹部(今は退職)が冗談ともつかず言った。「日本が独自に撮影した写真に基づく自前情報が入ってくるようになると、国際政治上の日本の責任が増え、大きくなるので困るよ・・・」

ウェブを検索中にたまたま見つけた。この最高幹部はひょっとするとあの人かなあ。

さすがに今はそんなことはないと思いたい。

リチャード・クラーク(楡井浩一訳)『爆弾証言―すべての敵に向かって―』徳間書店、2004年。

遅ればせながらようやく読んだ。原書が出たときに大変な話題となり、クリントン政権と現ブッシュ政権の閣僚が議会の公聴会に呼ばれて内容を問いただされたという曰く付きの書だ。クラークはレーガン政権から現在のブッシュ政権まで四人の大統領の下で官僚をずっと務め続けた異例の人だ。クリントン政権以降はホワイトハウスで対テロ対策にあたってきて、ブッシュ政権のやる気のなさといい加減さに怒って辞職した。

この本は米国のインテリジェンス・コミュニティの現実を学ぶのに格好の教科書だと思う。クラークやFBIのジョン・オニール(あるいはCIAのジョージ・テネットを含めて)が9.11の前からアルカイダをどれだけ追いつめようと努力してきたかが分かる。クリントン政権はうまく対処しようとしてきたが、クリントンのスキャンダルで政治力を失ってしまい、ブッシュ政権は最初からアルカイダを無視してイラクを叩こうとしていた。9.11を利用してイラクを叩いたと言っても過言ではないだろう。

また、ホワイトハウスはインテリジェンス・コミュニティの陰の部分である工作活動(covert action)の発動にためらいを見せていないのに対し、逆にCIAと国防総省が極度にそれを嫌っている姿は面白い。いったん事が露見するとホワイトハウスはCIAや国防総省に責任を押しつけて知らんぷりするのがこれまでのパターンだったからのようだ。

いずれにせよ、現場の様子がよく分かって面白い本だった。インテリジェンスの訳語が相変わらず諜報とか情報になっているので、インテリジェンスの重要性が埋もれてしまっているのが残念。

「すべての敵に向かって(Against All Enemies)」という原書のタイトルは、米国の公務員が就任する時に行う宣誓に入っている言葉だそうだ。

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